53話
ハルが目を覚ますとそこは苛烈な戦闘が繰り広げられた草原の真ん中であった。大地が抉れた後がいたるところにあり、思わず息を呑んでしまう。だがそれでもハルは行動しなくてはいけなかった。何せこの場には、血塗れで倒れ付しているロイと、僅かたりとも身体を動かさないリーシャがいるのだから。
「……ロイさん、ロイさん!」
いくら身体を揺すってもロイは動かない。僅かに青い紫電が散っているのを見るに、まだ死んではいないとハルは安堵して、僅かに離れた場所で倒れ伏せているリーシャの元へ向かった。声を掛けても起きないその身体を、ハルはそっと抱きかかえた。
「リーシャ様……、こんなに、軽いだなんて」
日頃ハルが見ている言動、そして類稀なる魔術の才能を持っている彼女の軽さに驚きつつも、ゆっくりと抱きかかえたままロイの元へと歩いていき、そっとその軽い身体を隣に下ろした。リーシャの息こそあったものの、その表情は余りにも土気色で、どうしていいかすらハルには分からない。
「誰か……誰――いや、違うんです、私が、私がどうにかしないと――!」
混乱した頭でもハルは考える。目の前にある二つの命を救うためにはどうすればいいのかと。ここでハルが出来る応急手当など一切無い、何せ医療術なんてものを一切ハルは会得していないのだから。ならばまずは中央都市に戻るのが先決、そう考えた。
「……運ぶもの、運ぶもの、お二人を運べるもの」
そう、強く考えた瞬間――ハルの脳裏に一つのものが浮かぶ。車輪付きの台だ。それを作れば二人をハルの力でも連れて帰ることが出来る。だが問題はそれをどうやって作ればいいのかであったが、既にその作り方は浮かんでいた。
汚れた黒髪をくしゃくしゃと掻きながら、今にも泣きそうに顔を歪めながら、ハルはつま先で大地に円を書いていく。その左目を金色に輝かせながら。円を、そして人語ではない何かを直感的に書いている途中で――ハルは背後から、小さな悲鳴を聞いた。
「――っ!?」
「な、何ですかこれ……貴女はロイ様のところの子ですよね、何でこんなところで、ロイ様とあの貧乳が倒れてるんですか」
僅かばかり離れた場所に居たのはアイリスだった。丁度、運よく、通りかかった――ハルが今一番欲している医療術の使い手。ハル自身はアイリスと面識は無かったが、その着ている服、一部が汚れた純白の誠衣を見て医療術の使い手、ヒーラーだと判断した。
「あ、あの……あの! お願いします、助けてください! 私に出来る事であればなんでもしますから、あの二人を――」
何事か、と思いアイリスはハルと倒れている二人へと近付いていく。初めこそこんな郊外で、なんでこんな派手な喧嘩をしているのかと思ったが――近付いて、リーシャの土気色の肌と、ロイの喧嘩を超えた怪我を視認して、ようやく事の大きさを把握した。
「……っな、なんですか、これ。余りにも酷い――!」
アイリスはリーシャの元へ駆け寄ると、その首筋に手を寄せたり、ハルには理解出来ない医療術――対象の身体の状態を判別する簡易なもの――を行使し、リーシャの状態を探っていく。一方でロイに対しては横目で見るだけで終わり、リーシャの治療に取り掛かる。
「なんで貴女ほどの人が、こんな……魔術神経に傷が付くほど、過ぎた魔術を、限界まで超えて行使しているんですか!?」
直ぐに大地に幾重にも重なった魔術陣が展開されていき、癒しの緑の光が辺り一帯に溢れ始める。リーシャの魔術であれば傷付いた身体でもある程度の再生成が可能であるが、その手段が唯一使えないのが魔術神経と呼ばれるものであった。
「過行使、それに身体自体が持つ魔力要素の低減によるショック――そこの貴女に何があったかは聞きません、ただ呆けているだけならこの場から去って、助けを呼んでください!」
「――っ、は、はい!」
慌ててハルは黒髪を翻して駆け出そうとしたが――脳の奥で、直感的な何かが、それは正解じゃないといっている気がして歩みを止めてしまう。よくよく考えればここは郊外とは言え、魔物が出る場所だ。そこに三人を放置していって良いのか――と。
迷っている暇は無い、そう考えを断つと先ほどまで書かれていた陣の記載へと戻る。
「……並みの神官であれば貴女の才能は半分以上、下手すれば全損してましたね。貸一つですよ、リーシャさん」
その言葉が示す意味は重い。このまま放置すれば死んでいて、そして万が一助かっても魔術神経の傷跡で大半の魔術が行使できなくなる、そういう事実を示しているのだから。このままではジリ貧だと感じたのか、アイリスは治癒する神聖術の対象をリーシャとロイの二人へ広げ、更に術を重ね掛けしていく。
幾重にも重なり展開された新緑の魔方陣。その余波を受けて土が剥き出しであった大地にも緑の新芽が芽吹き始める。――アイリスの言う通りだ、並みの神官ではこんな奇跡は起こせない。アイリスにのみ許された奇跡と言っても過言ではなかった。
一方でハルも大地に練成陣を刻み終わり――それに片足を乗せ強く願う。二人を運ぶ為の台車が欲しいと。その直後、足元に刻んだ陣とは違う陣がハルの脳裏に紅く浮かび上がった。
「――い、づっ!?」
脳を針山に刺したかのような鋭い痛みが走ったが、それでも構わない、お二人を街まで運べればその程度どうといったことはない、とハルは錬金術の行使を続ける。ぷっ、と軽い音と共に鼻腔から鮮血が噴出した。それでも、眉を顰めながら決意の瞳を持って、最後まで意識を失わず、発動を完了させる。
「私が、助けないと――いけないんだから……さっさと、出来ろよおぉぉおおおお!」
途端に紅い稲妻が奔り――大地が別の物質へと変換されていき、形を変えていく。それは等価交換や物質変換などといった錬金術の根本を無視した、真理を解錠せし者だけが起こせる奇跡。
そして完成したものは、この中では意識の無いロイやリーシャこそ知見として得ている――車であった。機械工学で発展した東国では一般的に使われているが、中央都市では殆ど広まっていないものである。
「大丈夫、これでいい、私はこれの使い方を知っています、から――!」
ハル自体は車の使い方なんて知らない。
だがそれでもフィア・ルーセントハートから継いだ知識がそれを知っていた。
「あの、移動手段できました、お二人を乗せても……ど、どうされたんですか!?」
どうにか二人を運ぶ手段が出来たハルは、手の甲で鼻血を拭いながらアイリスを振り返る。そこには治療をしていたアイリスでさえも大地に倒れ付し、展開されていた新緑の魔方陣は丁度解けるように消えていくところであった。
駆け寄ってきたハルに反応し、どうにかアイリスが上半身だけをどうにか起こす。連続した医術の奇跡による疲労、そして魔力の欠損症状であった。幾らアイリスと言えども、Sランクのヒーラーであろうとも、そんな奇跡は何度も起こす事ができない。ただでさえ先日に欠損さえ無かったことにする奇跡を披露した後なのだ。
「……いえ、なんでもありません。それよりも早く移動しましょう、致命的な箇所はどうにか治せましたが、それだけです。放置すれば救う事はできません――」
「わかりました……っ、と」
重いロイの身体をハルは精一杯の力で持ち上げると、先ほど練成したばかりの車の後ろへ載せる。その後で震える腕に再度力を込めて、リーシャも後ろの席へと乗せ込んだ。傍に転がっていた――何故か消失しなかった金色の剣も、そのまま荷台に乗せる。
アイリスは自力で立ち上がると、ハルの手を借りて移動し、運転席の隣の席へ座り込んだ。そして直ぐに意識を失い、深い眠りへと落ちていく。
ここから先は私の役目だ、と自身を奮い立たせるとフィア・ルーセントハートの知識を借り、ハルは車のエンジンを起動させるためにキー・ノブを捻るように回した。直度に震え始めた車体に驚いたが、そのまま思いっきり足元にあるアクセル・ペダルをベタ踏みする。
急激に回転数を上げたエンジンが唸るように音を上げ、大地を掴むタイヤへ動力を伝えた。がくんと背後に押し付けられる重力を感じながら、ハルは疲労で軽い昏睡状態に陥ったアイリスと、重傷で意識を失ったロイ、そしてリーシャを乗せた車を飛ばし、朝焼けの草原を駆けていった。
都市との距離はそこまで離れてはいない。全速力で飛ばして僅か十分ほどでハルの視界に都市を護る城壁が入った。普段であれば迂回して衛兵が立っている入り口から入るだろう。きっと、誰でもそうする。だがハルには時間が無かった。背後にいる二人を救わなくてはいけなかったからだ。
――だから直進した。フィア・ルーセントハートの知識はこう言っている、錬金術には陣さえ用意できれば不可能はないよ、と。ならばあの壁さえ壊してしまえばいい。ハルの左目が金色に輝くと、脳裏に浮かんだ練成陣をそのまま行使した。再度脳に走る激痛に表情が歪む。溢れる鼻血を拭うこともせず――そのまま都市を護る城壁へ向けて、強くアクセル・ペダルを踏み込む。
錬金術を発動させた証である紅い稲妻が空を駆け抜けあっと言う間に城壁を分解し、大きな穴がぽっかりと空いた。
丁度車二つ分程のそれに対して、手前でハルは大きくハンドルを切ってブレーキ・ペダルを踏み込んだ。相当なスピートのまま大地を削るように速度を落とし、車体が壁にぶつかり停止する。相応の衝撃が襲い掛かるが多分これが最速だ、とハルは自身を納得させ、錬金術で車のドアを阻む壁を分解して外へ出た。
そうして、ハルは助けを求める為に街中へと入り込んでいく。幸いにも直ぐに駆けつけた衛兵に三人を助けて欲しいと告げると、直ぐに動いてくれた。特にリーシャの名前を挙げ、確認されてからは早い動きであった。髪の一部が黒くなってもその顔、そして黒のワンピースに白衣という特徴的な服装は有名であったのである。
安堵感と同時に苛む様な頭痛、そして疲労感に襲われたハルは、その場で倒れ伏せた。
こうして、ハルの不活性であったアビリティ――禁忌から始まったグレイセスという錬金術師の物語は終わり、そして始まりを告げたのであった。




