46話
気付けばロイは柔らかいベッドに転がっていた。まだ残る吐き気に口を押さえつつ起き上がると、窓の外の景色――まだ夜のヴェールが降りたままの空が見える。飲みすぎてゲロ吐いて寝たんだっけ、とロイは水を求めてベッドから降り、来客用らしい部屋を出ていく。
扉を出たところで、なんだか目に留まるものがあったな――そう感じて再度部屋に戻り、出入り口付近に備えられた本棚をよく見渡すと、そこには見に覚えのある名前の著者の本が一冊だけ飾られていた。
「……バレンシア・グレイセス」
グレイセス。それはハルの姪。まさかと思いつつもロイは本を取り出してページを捲り進めていく。そこに書いてあったのはバレンシア・グレイセスという男の生涯であった。ここじゃ集中して読めないなと思ったロイは、本を片手に家の外へと出て行く。
「悪いね、少し借りてくぞ」
夜風は生温かった。もう直ぐ夏が訪れる季節だ、温暖なこの気候はロイにとってもありがたいものであった。手短な木箱に本を置くと、宴会の後に残っていた水の入った皮袋に口をつけて勢い良く飲み干し、幾ばくがすっきりした気持ちで、再度本を手に取った。
月明かりを頼りに、ロイはその本を読み進める。
タイトルは――狂った錬金術師の末路。
……
――その男は人生を錬金術に捧げていた。一時は妻もいたが夫、バレンシア・グレイセスの奇行に耐えられず、別れを告げた。これはその男が生きた数十年余りの人生を記載した、ただの御伽噺のような物語である。
バレンシアは奇妙な男であった。幼い頃から想像が好きだった。次第にそれは肥大し、大人と呼ばれる年齢に達した頃には、無から有を産み出す錬金術にのめり込んでいた。きっと男は、自分自身の想像の産物を産み落としたかったのだろう。昼夜を問わず、男は錬金術の世界に浸かってたのだ。
冒頭にも書いたが男には一時期妻が居た。そうして娘も出来た。だが男の奇行は酷いものであり、まるで己の世界に巻き込むかのように、執拗に妻にも、娘にも、錬金術を勧めた。ある日には家中に複雑奇怪な錬金術の陣を書き込んだり、ティーカップの模様が美しくないと発狂したように怒り狂い、家中の模様が付いた物全てを壊し、焼払ったこともあった。
だが皮肉にも男は天才だったのだ。周りの理解が及ばないほどに才があったのだ。少しずつ近付いてくる真理の世界に男は胸踊り、ただただそれに向かって走っていく。ありとあらゆる資財を投げ打ち、人との関わりさえも、己の人格さえも不要であるかのように、ただただ無心で走っていく。
そうして一陣の錬金術を完成させた。私は酷く痛んだ物置のような家の外で彼に待っているように言われ、その扉の中へと入っていく男とその娘を見送った。いったいどれくらいの時間が経っただろうか、もしかしたら数十秒かもしれないし、数時間かもしれない。
私も男に魅入られたかのように期待をしてしまっていたのだった。人間の身でありながらも、真理に辿り着けるかもしれない、そんな可能性に。
壊れかけた木製の扉がぎいと気まぐれな風によって開かれた。意を決して私はその中へ入り込む。そこは薄暗く、床には複雑怪奇で、ある程度の錬金術を収めた私でも解読できないような、錬金術の陣が赤く輝いていた。その中央では倒れた男の娘と、同じく倒れたまま壊れたように笑う男がいた。
「最後の最後で俺は間違えた! 誤った! なんて滑稽だ! このバレンシア・グレイセスでも解けない謎がこの世に存在したのだ! ああ――最高だ、俺はまだ真理を理解せず追えていない! 終えていない! ああ、ああ、次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ! 次こそ!」
背筋が凍ったような思いをした。歯茎をむき出しにして、飛び出た眼球を指で抉るその姿は人間を止めてしまったそのものなのであった。どんな犯罪者でも、そして精神障害者でも、意図無く――いや、意図があっても眼球を指で抉り出そうとはしないだろう。
また、その言葉とは裏腹に、視てしまったものを忘れようとするその姿が、私の目にはどんなものよりもおぞましく映ったのであった。
――そうして翌日、バレンシア・グレイシスは自ら入水し命を断った。まだ幼い娘は借金の返済として、どこかへ連れて行かれたのを私は良く覚えている。何故止めなかったと、どうか責めないで欲しい。私は怖くなってしまったのだ。幼い頃から付き合いを続けていたバレンシア・グレイセスという男が。そして、その血を間違いなく引いているその娘の事が、どうしようもなくおぞましい物のように思えて、仕方がなくなってしまったのだ。
この手記を残している最中も、あの男の笑みは焼きついたように離れない。真理を求めてはいけないのだ。人間はいま生きている世界で、恙無く生きていくべきなのだ。分不相応な物を求めてしまったら最後に訪れるのは破滅なのだから。
……
「――真理ね」
ロイは流し読んでいた本をそっと閉じて、木箱の上へと置いた。んーと伸びをすると、体中の骨が鳴り、身体が解れていくのが分かる。今の本を読んで得た事実を、どう解釈すればいいのかロイはわからなかった。こんな田舎においてある本が事実である可能性は低いだろうし、ましてや同姓の可能性もある。
だが――現状では殆どがハルの境遇と一致していて、事実であると判断せざるを得ない。
「バレンシア・グレイセス、人間の身でありながら真理を求めて、破滅した者。……一体その錬金術で何を為そうとして、何を見てしまったのか、答えが書いてないのもクソだが、散々好き勝手して最後にハルを売り飛ばして終わり、ってのが気にくわねー」
もやもやした気持ちを晴らすかのように、ロイは足元の小石を拾い上げ、振りかぶって遠くへと投げ飛ばす。
「……って、おい、待てよ」
ぴんと嫌な思いが浮かんでしまう。
それは確信に近い、そんな何か。
「ハルのあのアビリティ――禁忌、まさかあいつ、親父に連れ込まれたせいで真理の錬金術とやらに巻き込まれてるんじゃ」
一度そう仮定してしまったら思考はそれから離れない。しかもあの禁忌というアビリティは非活性であり、ハル本人が知らない間に見てしまっていたらそれも納得できる。マイナス方面の思考は一度始めてしまえば途絶えることを知らず、最悪の場合――ハルがもう一度錬金術を行使しようとした場合、ハルの父親であるだろうバレンシア・グレイセスが視てしまった真理に触れてしまう可能性すらあるところまで行き着いてしまう。
「こうしてる場合じゃねーな……っと、夜更けだが許せリーシャ……」
急いで懐から携帯を取り出すと、まだ朝日すら出ていない時間なのにも関わらずロイはリーシャへ連絡を取る為、電話をかけた。暫くすると、眠そうな声でリーシャの声が携帯から聞こえてくる。
『……あんた、今何時だと思ってんのよ、もう』
「悪いな、ハルはどうした?」
『もうとっくに家まで送ってるわよ、それがどうかした?』
基本的にリーシャはロイの愚行に対しては怒って見せるが、それ以外に対しては余り怒らない。その裏には大体理由があって行動しているのを知っているからだ。寧ろ、何かあるなら話して欲しいとまで思っている――決して本人には言わないがそんな思いもあって、こんな時でも既にベッドから起き上がり、いつもの白衣を着込んで動く準備をしていた。
それを示すかのように、ロイの耳にはがさっという衣擦れの音が聞こえている。
「悪いんだけど今すぐハルを連れて魔術師ギルドでもどこでもいい、錬金術に触れる可能性がゼロのところへ連れて行ってくれ。グレイセスの過去の本を見つけた、最悪――ハルは禁忌であろう真理に触れちまってる、錬金術だなんて触れさせたら何が起こるかわからねえ」
『――そう、わかったわ。あんたも戻ってくるのよね?』
「当たり前だ。すまんが頼む」
『任せて。――ただ場所は魔術師ギルドじゃなくて都市の外にするわよ、あんたが帰り道に必ず通る場所に結界張って、一緒に待ってるわ』
「助かるわ、じゃあ切るぞ」
ロイはそのまま懐へ携帯を仕舞いこんで、アイリスがどこにいるかを探し始める。これから何が起きるかは分からない為、反動が起きないぎりぎりまで絞りこんだ探知の魔術を発動させ、アイリス独特の――神官独特ともいう高位の感覚――を探し当て、ずかずかと家の中へと入っていく。
「……おい、起きろアイリス。おい!」
「おぇ……もう飲めませんわ……」
「目を覚ませや!!」
ベッドにうつ伏せになって寝ていたアイリスを抱えるように持ち上げ、容赦なく木製の床へと放り投げるロイ。男女平等といえば言葉尻は良いのだが、やっていることといえば二日酔いで寝込んでいる女性を床へと叩きつけているようなものだ。躊躇いが見られないあたり、クズである。
「……いった!? な、なにが……って、ロイ様じゃないですか。なんですか、こんな状況で夜這いですか! このアイリスは心待ちにしておりましたとも、さぁ! 私の胸に――むぐぅ」
閉じない口をむんずと掴んで黙らせるロイ。アイリスは顔を赤くして振りほどこうとするが、寝起きのせいで力が入らない腕ではそれを振りほどく事は出来なかった。しーっと唇に手を当てるロイを見て、こくこくとアイリスが頷き、やっとそれから開放される。
「一体どうしたんですか……ロイ様?」
「用事で先に帰るんだが、アイリスは残って村長にこの本借りていくわーって伝えておいてくれ。伝えてくれればそれだけでいい」
「……むむ、狂った錬金術師の末路――深くは聞きませんが、いつか話してくださいますよね?」
「ああ、いつかな。どうだ、頼めるか?」
「勿論構いませんわ。――神官として手伝えることは?」
「今は無い、昼ごろまでに帰ってきてくれれば、何かあったら道中で分かるだろうし。……悪いな、昨日に引き続き、頼みごとばっかりで」
珍しく申し訳なさそうなロイの表情に、アイリスは思わずきゅんとしたが、大体こういうときには何かがあると知っていたので、笑顔で頷く事にした。彼の力になれている、それがただアイリスにはたまらなく嬉しいのだ。
「……お気になさる必要はございませんよ、無理はなさらぬように」
そしてロイは住民達がまだ寝静まっている、静寂に包まれた村を飛び出した。
今までお互いに目を背けあっていたハルの過去と相対するために。




