41話
魔術師ギルド本部での一騒動の後、ロイ、リーシャ、ハルの三人は大きな家の目の前に立っていた。リーシャ・フローレス邸。魔術師ギルドの統括でもあるリーシャの家は、一人暮らしというには余りにも大きい。表向きを気にしろ、との統括大臣の言葉もありリーシャはなぁなぁで購入したが、その実、邸宅というよりは工房に近い存在になっていた。
その邸宅は本人が不在の時も魔術で護られており、各部屋にも無論のこと害を為す者を殲滅する為の罠が仕掛けられている。魔術師の工房、それはつまり本人が歩いてきた道のりの全てが詰められている。少し知識があるものであれば、間違ってもリーシャの邸宅に忍び込もうだなんて発想は起きなかった。
そして――対外的なリーシャの態度は冷たいものだ。そんな彼女の家に来客ともあれば目立つものであり、往来する人々は珍しげにロイとハルを見ている。
「……ここがリーシャ様のお家ですか、大きいですね。お店の何倍でしょうか」
「さぁな。二、三倍じゃ足らないだろ……」
さすがのロイも幾らかかった、などと言葉にはしなかった。リーシャが施した魔術的な防御まで価値に換算するととんでもない額になるのは明白である為である。
「別に大きいだけで使い道なんてないわよ、でっかい倉庫ね。あたしと一緒なら魔術防御は発動しないから、入って良いわ」
リーシャの背中を追うようにロイとハルは敷地内へと脚を踏み入れた。木製の扉が備えられた玄関の前でリーシャが足を止めると、何か小言で呟き、ダンと大きく脚を踏み鳴らす。それだけで目の前の木製の扉の材質が変わっていき――深い色をした黒に近い色の、鉄らしき扉が現れる。
ロイはそれを見て、思わず眉を潜めた。
「……お前、これ鉄じゃねーだろ。アダマンティア鉱石か?」
「あんた、そんなことにも詳しいのね。鉄に強烈な魔力を浴びせ続けて変質させたものよ、産出されたアダマンティアと殆ど同じだけど、正確には別物ね」
頬をぴくぴくとさせながらロイは頭の中で計算を始めた。これだけ重そうな扉、何キロあって幾らで売れるのかと。
アダマンティア鉱石といえば冒険者垂涎モノの鉱石であり、その性質は質実剛健。どんな衝撃にもびくともせず、そして適度な質力を持ち、何よりもアダマンディア鉱石自体に流し込める魔力量に殆どの上限がないのだ。故に剣にでも盾にても、そして杖にでも。用途は幅広い。アダマンティア鉱石で鍛えられた武器を持つ事が、大概の冒険者の夢でもあった。
「ロイさん、この鉱石ってすごく高いんですか?」
「バカ高いな、最近の相場は見てないから分からんが……ちょっと前は金のグラム単位の相場が五千円だったか? それに対してアダマンティア鉱石はグラム単位で言えば余裕で万は越えてた」
「き、金の二倍……」
「二倍じゃ済まんぞ、需要でモノの値段は変動する。平均値がグラム当たり二万五千円はしてたからそれで言うと……片手剣一本当たり、一キロ半ってところで、三千七百五十万だ」
特異な武器ではない限り、アダマンティア鉱石で鍛えられた武器が最高峰である。片手剣一本にしても当然の値段であった。
「……ってことは、この扉をバラして売ったら」
「人生、何回か遊んで暮せるわな。……アダマンティア鉱石は周りの魔力を吸収して精製される。そんな大概な年月を掛けて精製されるものを手製で作るだなんて、こいつくれーだろ」
こいつと呼ばれて心外そうな顔をしたリーシャだが、家の前でこんな話をしてても仕方ないとばかりにその重そうな扉へと手を掛けた。するとそれだけで意思をもったかのように扉が開き、地下へと向かう階段が現れる。
「ほら、行くわよ」
薄暗い階段を三人で下りていくと、そこには大きな広場があった。正方形のその空間はまるで世界を違えたかのように白一色。ただ広いだけで何も無かったのだが――リーシャが一度指を鳴らせば、まるで溶けていたものが逆再生で現れるかのように、数多の本、そして何に使うか分からない器具、そして壁や床に刻まれた魔方陣が現れだす。
満足そうにリーシャはそれを見届けると、ロイとハルに振り返り告げた。
「――二人ともようこそ、あたしの魔術工房へ」
魔術師の心臓、それが魔術工房。
ロイもハルもそれくらいは心得ているが故、思わず緊張してしまう。
ありふれた魔術師などの工房ではないのだ。ロイの知りえる限り最高の魔術師であり、そして統括として存在するリーシャ・フローレスの魔術師としての心臓部分である。
「……しかし、よく案内してくれたもんだな。俺とハルをお前の根幹的居場所に」
一瞬だけリーシャは呆けた顔をして、早口で語りだす。
「――勝手に入られても持ち帰られないようにしてあるから。別にあんたもハルちゃんもそんなことする人間じゃないでしょ?」
建前であった、無論その仕掛けも施してあるが。
過去に自身の命をロイに救われたリーシャはその時から、決して口には出さないがロイを信頼している。信頼というよりも、無自覚の狂信、呪いとも言うべきか。地獄といえる場所、そして境遇。死の淵に差し伸べられたロイの手とその言葉――捨てるなら貰ってやる。
リーシャ本人でさえ自覚はないが、彼女は自身こそ彼の為にあれと根底に刻まれているのだ。信頼なんて言葉すら及ばない。それが故に根本的な部分で信じるのは当然の事であり、自身も深く考えることまで及ばない。
だからこそ自分が彼を工房に招く事に疑問すら覚えない。
「(……私も、まさか貴女がそこまでするとは。原初の精霊である私も置いていかれると思っていたくらいだぞ)」
姿を消して宙へ浮かんでいたセルシウスでさえ、そんな言葉をかけた。どこか困惑したような表情で。原初の精霊である彼女は魔術師の事情も心得ている、リーシャ程の魔術師が工房に人を招くなど、通常ではありえないからだ。
「(そう? セルシウスも信頼しているわよ。契約破棄なんてするつもりもないし、させるような事をするつもりもないから)」
「(言ってくれる。……貴女が来てくれて本当に良かったよ、感謝している)」
笑みを浮かべると、勉強の時間よとばかりに、積み上げられた本の山へとリーシャは向かっていく。暫くそこを漁っていると、漸く見つけたとばかりに一冊の本を取り出し、ハルへと手渡した。その本は古びていたが状態はよく、しっかりとした装飾が施されている。タイトルは――魔術基礎。
「まずはここからね、みっちり基礎っていう土台を埋めて、一歩ずつ進めていきましょ」
「分かりました、リーシャ先生!」
笑顔で頷いたハルの髪飾りにつけられた鈴がちりんとなった。その光景を見ながら、ロイはといえばこの工房に入る前のアダマンティア鉱石が気にかかって仕方がなかった。どうにかして少々削って持って帰れないか考えたが、工房の入り口の扉だなんて何が仕掛けられているか分からないので、深い溜息を零して諦めるのであった――。
「……経済格差、激しすぎるだろ」
ぼーっと待つのも虚無の時間になりそうだったので、リーシャに声を掛けてロイは手短な本を読む事にする。許可を得られたので、積み上げられた本の中から一冊の本を選び手に取った。その本の名前は――錬金術のあるべき姿について。戦場の中で生きてきたロイにとって事前に得られる情報を得ておくのは当然のことでもあり、普段の姿からは窺い知れないが、本を読むのは好きであった。
何よりも読んで情報を得るだけで避けられる破滅がある――。その価値は計り知れない。
「この国は魔術一辺倒かつ、隣接している東国との戦いに備えた機械に関する本しかねーからなぁ。……あいつの工房に置いてある本なんだ、下手な事は書いてないだろ」
そうしてリーシャとハルが魔術についてのお勉強を進めていく中、ロイは一人で本を読み耽る。黙々と、生きる為の情報を得る為に。




