29話
いくら炎の魔晶石で体温を保とうとしていると言っても、直接肌に当たる雪、熱に触れ解けた水、そして吹き付ける暴風。悪条件が幾つも重なり体の熱が失われていくのをロイは感じていた。もう少し防寒対策してくれば、と今更ながらに後悔をしたが、時すでに遅し。どうにか二次遭難をしないよう、気合入れていきますかと決意を新たに、真白の雪を踏みしめて前へと進んでいく。
――そしてそれは唐突に訪れた。
いままで悪かった視界が急に開き、開けた場所へとたどり着く。この雪山と化したエレノア山脈の五合目あたりだろうか。本来であれば開けた場所であったはずのそこは一面の銀世界に、そして――倒れているのは幾つもの人影。恐らく今倒れているのは、蒼穹のメンバーのサポートをする為に選ばれた連中だろう、とロイは推測した。
現状立っているのは、一番槍を務めている蒼穹のマスター、ハウエル。そして剣士であるフレイ、ヒーラーのアイリス。だがアイリスは回復に手を割かれてしまっていて、ハウエルとフレイに対する回復が追い付いてはいない。完全に押しこまれてしまう未来が、直ぐそこまで迫っているのが見えた。
彼らが相対しているのは――たった一目見ただけで怖気づくような、恐ろしい程の威圧感を振りまいた女性。雪上まで伸びた白銀の髪を躍らせ、激怒の感情を瞳に込めている。風に吹かれ、美しい蒼銀のドレスが閃いた。ロイとその女性の、僅か一瞬だけの視線の交錯。それだけでロイは悟る、こいつ――俺をこの空間へ招いたな、と。
「――さて、新たな客人が来たようだな。丁重なもてなし等、期待して頂きたくはないが」
突如として止んだ女の攻撃、そして次いで結ばれた言葉に、ハルエルは背後を振り向いた。そしてロイの姿を視認すると言葉がでないようで、口をぱくぱくと開け閉めする。フレイやアイリスも同様に、驚愕に顔を歪めるのみ。その様子をみて、ロイは場の状況を頭をフル回転させ、考える。
「(――多分あいつら体力は限界だ、アイリスも声さえ上げる余裕がないと見える。この女を速攻でシバき倒すか、又はここの連中が逃げ帰るまで俺が時間を稼がな……いや、駄目だ。あの雪山は、こんな疲労した連中じゃ降りられない。途中で遭難して死ぬのが落ちだな)」
「どうした、客人。どうせお前はここの連中を助けに来たのだろう。何もしなくて良いのか?」
こりゃ三途の川見る寸前まで行くかもなぁ、と思い溜息を零して、ロイは一歩を踏み出した。吐息は白く染まり、この場の気温の低さが窺い知れる。
「いや、あんたが余りにも奇麗で見とれちゃってさ。どう、今夜? 俺と床の間まで一緒に来ない?」
「――……随分と肝が太い。そして余りに、愚か」
女が手を振った。何気なく、日常の挨拶としてまたね、と言わんばかりの気安さで。だが生み出された現象は凶悪。女の背後にロイと等身大の氷の槍が幾つも生み出されていく。十を超えた。二十を超えた。三十を超えた。そこからロイは数えるのを止め、頬を引き攣らせながら腰に下げた三本の剣の内、一本を引き抜く。
「いやいや……」
直ぐにでも襲い掛かってくるだろう槍を警戒してロイは構えていたが――それが降り注ぐことはなかった。女が疑問を投げかけたからだ。
「いい加減姿を現せ、客人達。私には見えている、奇襲など考えるな。見えないところで殺しても愉悦は感じられぬ」
おいまて、客人達? 慌ててロイが振り向くと、そこに現れたのは二つの黒い影。遊楽、桜から窓を開けた時に見えた、存在感の薄い連中はこいつか――と一瞬にしてロイはそこへ辿り着く。一人はロイよりも身長が小さい、黒の外套を羽織った黒髪の女だ。浮かべた楽しそうな笑みはどこか嗜虐的で、今にでも噛みついてきそうな、そんな怖さが感じられる。
その隣に立つのは無表情の男。女とお揃いの黒髪、黒の外套。興味の無さそうな瞳で、ロイを見ていた。
「……なぁ、もー疲れたよ、帰ろうぜ。あのクズは悪鬼羅刹じゃねー、興味も失せたわ。ま、でも殺すけど」
「姉さん、ここで蒼穹の方々を殺すのが本来の仕事だ。可能であればあれも殺す、頑張って達成しよう。暫くは見学していましょう、どうせ放っておいても勝手に争ってくれそうですから」
あれとは女のことを指しているのだろう。無機質な声に、ロイは眉を顰める。この掴み処がない、まるで人間を相手にしていないような気持ちの悪い感覚を、以前どこかで味わったことがなかったかと記憶を検索するが、幾ら漁ってもこんな二人組、見た覚えがなかった。
それに蒼穹のメンバーを殺すとも発言している。ロイは警戒の度合いを、最大限まで引き上げた。
「……ロイ様、お下がりください!」
突如として響いたアイリスの声に、ロイは一歩、アイリスのいる方向へと引き下がる。すると、丁度ロイが立っている部分を最外周とし、アイリスを中心に新緑色の魔方陣が浮かびがった。エリア・ヒール、範囲内の生存者の傷を癒す、ヒーラー特有の魔術である。だが、それを見ても銀髪の女も、黒の二人組も、手を出してこない。
「(やべぇな。手を出してこないっつーことは、そんなことしなくても余裕ってことか……)」
冷たい汗が心中を伝う。ロイ自身が、蒼穹のメンバーが陥った状況は最悪だ。何せ前方にはSランクギルドのメンバーが複数名で立ち向かっても歯が立たない、謎の魔術師。そして背後には突如として現れた、戦力不明の不気味な黒の存在。謎の魔術師といっても、これだけ大規模の事象を起こせるのだなんてアレで確定だろうな、とロイは目星をつけている。
「……なんかドンチャン騒ぎになりそーだから初めに聞いておきたいんだけど、そこの美人のお姉さん――いや、セルシウス」
ぴくりと女の眉が反応する。ビンゴだ、とロイは思うも、同時に絶望もした。セルシウス、それはこの世界において「氷」を冠する原初の精霊であり、人間様が立ち向かって許されるような存在ではないのだから。精霊とは神の分身体でもある。特に原初の存在ともなれば、それが振るう力は考えるべくでもない。
「あんた、なんでそんな怒ってるんだ。俺の軽口程度の話じゃねーよな、一体……何をされた」
「身に覚えがないのか、まぁ構わないが……そうだな、人間とはそういうものだった。一人のエゴで何人も死ぬし、一人が富を求めて他の何人もの人間を犠牲にすることもある、それが人間だった」
激怒の色の中に、僅かながら悲哀の色が混じる。
「やはり――私にはお前たち人間の気持ちは、理解できないよ。もう見たくもない」




