19話
中央都市とも言われるこの国の片隅、日々の仕事や人間、魔物との戦いに疲れた冒険者が疲れを癒しに訪れる場所があった。遊楽街である。昼間は閑散としているが、夜が始まればそこは賑やかな色街と変化する。美人な客引きのお姉さんもいれば、道端で吐いている冒険者まで。様々なタイプの人間が交わるのがこの場所であった。
すっかりと日は沈み、夜の帳が降りた中。一際目を引くのは古風な建物。決していやらしくない程度の明かりでライトアップされたその場所は、この色街の中でも特に有名な店舗であった。店名は桜、言わずともがなロイが良く足を運んでいた店である。
今、その桜のエントランスでは筋骨隆々とした男が自らの獲物でもある斧に手をかけようとしていた。その前では、金髪の長い髪を片側で結った女性が、一歩も引かず鋭い眼光でその男を睨みつけている。言わずともがな、トラブルであった。
「……お引き取り願えないかね? 悪いがハルはロイが買ったんだよ、おたくらだって知ってんだろう、当事者なんだから。潔く引きな」
「だから何度も言わせるなよ、俺はそれを買い戻しに来てやったんだ。あんなクズに任せておく方が不安だろう、救ってやりたくないのか貴様は?」
高圧的な態度で女性へと語りかけるのは、筋骨隆々とした男の正面に立つ小柄な存在。明るい赤色のウェーブがかった髪が特徴的な男だった。来ている服は端から見ても高級品だとわかるほど艶があり、細かな金の刺繍が施されている。
呆れたように女性ーーこの遊楽の女店主でもあるレンは深いため息を零すと、イラついたように金の髪を搔きむしり、着込んでいた着物の懐から煙草を出すとそれに火を点して大きく息を吸った。
「おい、店主。この店では店主が客の前でそんなものを吸うのか?」
その男の取り巻きは他にもいた。一見客に見えるが、今エントランスにいる殆どの男は、七面倒なこいつの息がかかった者たちである。レンは虎の威を借りた愚図が、と内心で毒付いて視線を周りへと向けた。おおよそ、十人ほど。レン自身は店長でありながら冒険者畑出身の人間であるため、いくらでも身を守れるが他の女はそうにもいかない。冒険者ではない女では筋力の差で男には勝てないのだ。
「……ラグナさん、もう止めましょう」
その時、取り巻きの一人ーー白い髪をした気弱そうな男が、偉そうに語りかけていた男、ラグナへ向かって意見を上げた。何かを決心したような顔で、自らの雇い主に静止を求めるその行動は、レンを感心させる。見てくれはまだまだだが、育てれば光そうじゃないの、と。
だがラグナという男にその思いは一切何も伝わらない。今までラグナは貴族である親の力で自由に翻弄に望むがままの生活を続けてきたのだ。プライドは人よりも遥かに高かった。そんな男が大衆の面前で部下に口を出されたのだ。ラグナは、顔を赤く染め、進言した白い髪の男の頬を殴り飛ばす。
鈍い音を響かせ白髪の男は床へと崩れ落ちていく。殴られた拍子に口を切ったのだろう、その噛み締めた口からは赤い雫が溢れていた。バイオレンスなシーンを見た店主以外の女たちは、悲鳴を上げながら店舗の奥へと引っ込んでいってしまう。
「あまり生意気な口を挟むな下郎が。お前、名前はクロウといったな? 覚えていろ、ハルを連れもどしたらお前はいの一番に処分してやる」
ぐっと白髪の少年、クロウは倒れたまま拳を握り締める。こんな約束の一つも、二度とハルに手を出さないと約束した主人を止められない自分に腹が立っていたのだ。別にクロウがハルに惚れているとかそんな話ではない。こんなものが主人で、あまりにも情けなかったのだ。
「ふん、貴様の親も報われないな。あんな勝ち戦で命を落とした人間の息子はこんなものか、全く使えん」
我慢の限界だった。クロウは血が出るほどに己の拳を握りしめ立ち上がる。その姿を見て危険だと判断したのだろう、筋肉ダルマのような男がその大きな腕を振り上げた。その様子を見かね、レンは思わず立ち上がる、それはやりすぎだと。あんな細い体で、あの腕の全力なんて受け止められるわけがない。
「あんたら、人の店で暴力沙汰はーー」
「そうだな、人の店で暴力沙汰は良くないなぁ。親の皮被ってイキってるクソガキが!」
突如として店舗の扉が開き、一人の男がその間に割って入る。この街では知らぬ人間がいない程に有名なSランクギルド、蒼穹の制服を着込み、適当に切られたような茶髪を翻してロイが割り込んだのだ。ロイ自身も体格がいい方ではない、見た目は普通の青年だ。だが、その身体に詰め込まれた戦闘経験は町人と比べるまでもない。
「貴様、あのクズが!?」
「うるせぇぞ趣味悪! お前に、そんな赤色のコート似合ってねーんだよ!」
迫った腕をロイは慣れた手つきで左手で受け流す。その勢いを利用して、左に流された腕をしっかりと抱え込むと、自分よりも巨体な男をそのまま体ごと一回転し背負い投げの要領で床へと叩きつけた。いびつな音と共に肘はあらぬ方向へと曲がり、叩きつけられた衝撃でその男はくぐもった声をあげ動かなくなる。
「……お、おい見たか!? 俺はお前に手を出してないのにお前は手を出してきた、暴行の現行犯だぞ、国へと突き出してやるからな!」
「てめーこそ国のお巡りさんに突き出すぞ。女々しくここに来やがって、いい迷惑だろうが! 第一に前に契約したよなぁ、もう来ないって。規約違反ですよー脳味噌ついてますかー?」
完全におちょくるような調子のロイに、ラグナは堪忍袋の緒が切れたとでも言わんばかりに周りの部下へと指示を出す。
「おいお前ら、そのクズを捕まえて外に連れ出せ!」
「おいおい、仮にも俺は蒼穹にいた人間だぞ。舐めすぎじゃないの、ぼくちん?」
弾かれたかのように男たちが立ち上がって迫り来る中、ロイは余裕の笑みを崩さない。こんなCランクにも満たないかき集めただけの連中は、自身の障害にさえならないと知っているからだった。事実その通りであり、ロイが迫り来る男たちに殺気を振りまくと、それだけでロイに近い男から次々と床へと倒れ落ちていくのだ。
「わりーね。魔術は苦手だけど、離れ技は得意なもんで」
ーー魔術に関してはてんで駄目なロイであるが、このような応用に関しては強かった。自らの殺気を魔力に乗せ相手へと直撃させて意識を奪う「当て」という技である。
一瞬にして辺りは静まり返る。日頃、街中では実力を出さないロイがその一片を表したのだ。付き合いが深いレンでさえも、咥えた煙草から灰が零れ落ちるまで、それをぽかんと見ていることしかできなかった。
静まり返ったのを察したのだろう、入り口の扉が開き、外で待機していたハルがエントランスへと入ってきた。大量に倒れている男たちにひっと声を漏らしたが、座り込むようなことはせず、ロイへと一直線へ駆けていく。
「……てな訳で今夜ハルは俺の貸し切りなんだよ。引っ込め、二度と来るんじゃねーぞ」
引っ込めと言われて引っ込むような男であれば、この場にはいないだろう。ラグナは怒りに狂った目で遂に腰へぶら下げていた剣の柄へと手をかけた。その心境は、この場で下がっては家のが折れると、ロイを倒せばハルの好意が自分に向くと、都合の良い妄想と自己顕示欲で満ちている。
「ふざけるなよ、俺を、俺をラグナと知っての狼藉か……!?」
剣を鞘から抜き放ち、ラグナは一歩を踏み出した。だがそれでは遅かった。致命的に遅いのだ。一瞬、エントランスがまばゆい光に包まれると轟音が遅れて響き、口から血を吐き出してラグナは床へと崩れ落ちる。皮膚は焼けただれ、焦げた服の下からは気持ちの悪い煙が漂っていた。
「馬鹿野郎、仮にもSランクギルドにいた人間だぞ。苦手って言っても、使えない訳じゃねーんだわ」
指先をラグナへ向け、制服の裾でハルの視線と口元を隠しながらロイは冷めた目でピクリとも動かないラグナを見下していた。ロイは魔術が苦手だったが、決して使えない訳じゃないのだ。様々な属性があるが、ロイはその中でも雷だけに関してはそれなりの威力を持って放つことができる、珍しいタイプの人間だった。
ハルを抱え込んでエントランスの奥へと送っていくと、ぽかんと事の顛末を見ていたレンにロイは声をかける。
「わりーな、来るのが遅れた。んで、ちっと汚したわ。掃除してくっから、ハルの事よろしく頼んで良いか?」
「あ、あぁ。それは構わないが……お前も相当に戦えたんだな、魔術まで使ったし……」
「そりゃそーだろうが、ロイさん舐めんな。つーかお前また煙草吸ってやがるな、ったくよ。ほら、これでも舐めとけ、健康に害だぞそんなもん」
有無を言わさずロイはレンへと懐から取り出した棒付きの飴を渡す。倒れ伏せた男たちを外に出そうと振り返ったが、忘れ物があったらしく、再度レンへと振り返った。
「あとこいつはハルに渡しとけ。ハルにだぞ、お前が食うなよ!」
もう一個飴を渡したロイは、倒れ伏せた男たちを両手で引っ張って店の外へと放り出していく。そんな途中で白髪の男、クロウも我に返ったのか、無言でロイの手伝いをするように倒れた男たちを外へ、外へと引っ張り出して行った。
「……おい、クロウとか言ったか」
「っ!」
ビクッと体を震わせ、ロイへと振り向くクロウ。当然だろう、目の前で一婦的に十人を超える人数を倒した男なのだから。自分も同じ目にあわされるのか、でも仕方ないか、とどこか観念した様子で目を固く瞑ったがーー予想外にも、自分の肩を軽く押されただけであった。何をされたのか、と目を開けば、にっこりと笑ったロイが親指を立てて、グッジョブと言っていた。
「やるじゃん、立ち上がったシーンはかっこよかったぜ」
「あ、ありがとうございます……ロイさん」
「こんなクソみたいな主人について大変だったな。こいつにゃ俺から親御さんに一言申しておくから、安心して帰れや」
ラグナの家名は有名だ。ロイでも知っている程度には。というか、以前のゴタゴタでこいつの親とは知った顔なんだがなとロイは内心で溜息を零す。気の弱そうなじいさんだからな、強く言えなかったんだろう。と納得するも、今回ので親がやっている商売にも影響は出るだろうとロイは推測していた。
「(商人は信用が命だ。それを失えば落ちるのはあっという間。今回ばかりはこれも厳しく罰せられて、ここまで顔を出すこともないだろうよ。……もっとも、立てるかどうか知らんけど)」
ラグナを貫いた雷魔術だが、ロイは命は失わずとも後遺症を残す程強めに打ったつもりだった。こういうものは好みではなかったが、何度も何度も迷惑をかけるようなやつなら仕方ないと。それに後遺症が残ると言っても、レベルの低いヒーラーに治療してもらった場合の話だ。この程度の傷、どれだけ時間が経ってもSSランクにもっとも近いヒーラー、アイリスであれば即座に治せるものだ。
「(もっとも、アイリスにも根回しして暫くは痛い目見てもらうがな)」
一番最後にぐったりとしたラグナを引きずり出すと、クロウに向かってあとよろしくーと言い残してロイは遊楽、桜の中へと舞い戻っていく。クロウはその背中に向かって一礼し、扉が閉まるまでそれを続けていたのだった。




