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100話

 ロイに迫っていた漆黒の霧。真横へ飛び退って回避しようとしたが背後から迫る強烈な気配に気付くと、案外はえーじゃねぇか、と一言だけ零して更に深くリリィ・クルーシャの懐へと飛び込んでいく。触れる寸前で漆黒の霧は全て銀色の閃光――エリシアの太刀で切り裂かれて霧散した。


「――ちっ。あわよくばと思ったが……剣聖の素質は手元に置いておきたかったのだがね」


「余所見してんじゃねーぞカス、漸く、お前の懐まで入り込めたぜ……!」


 眩く極彩色に輝き始めるロイの剣。暴力的な魔力を込めた際に起きる現象だ。不退転の決意がフルで発動した際にのみ放てる最大瞬間火力を誇る一撃である。甲高い異音を響かせ、リリィ・クルーシャは溜息さえ零して片手を掲げる。その姿はまるで――余りにも些事過ぎて、うっとおしいかのような、そんな感情さえ抱かせるものだった。


「ここまで来ると犬というよりも蝿だな、小うるさい事この上ない」


 そして同時に迫るロイの一撃とエリシアの一撃を――あろことか一振りで弾き返す。掲げた手に産まれたものはどこまでも落ちていきそうな漆黒。リリィ・クルーシャの身体にそぐわない程の大きな剣だった、歪な装飾が施されたそれは、直視するだけで心まで汚染されそうな何かを持ちえているようである。


「嫉妬の剣だ、名前はそれしかない。私が持ちえていた感情を象った剣らしいが、まぁ……見れただけ幸運に思って死ね。良かったな、いい冥土の土産だぞ」


 込められた魔力で自壊した剣を手にしたロイに防衛手段はない。かといって、エリシアは剣を弾かれた反動で直ぐに守りに行く事はできないだろう。後は嫉妬の剣を一振りで終わり、退屈そうに蝿が死ぬ様をを見届けようしたリリィ・クルーシャは――それでも尚、ぎらぎらと瞳を輝かせて、噛み付かんばかりの笑みを浮かべているロイをそこに見た。


「――おいエリシア、趣味がクソ程に悪いが、素材は良さそうな剣が落ちてるぜ」


「ああ、趣味が悪いのは分かるが――この際に贅沢は言えないな」


 直後だ。リリィ・クルーシャは掲げた剣が震えたのを感じ――はっとエリシアの方向へ振り向いた。落ちそうな程に青い瞳ではなく、金色に輝いた瞳で大胆不敵に笑い、楽しんでさえいるかのような姿のエリシアがそこにいた。


「その瞳、お前――越えているのか! いや、今この場で越えたのか……!」


 リリィ・クルーシャの瞳にはエリシアはただの剣聖でしかなったのだ。剣に関しては圧倒的才能を誇るがそれだけであり、決して境界越え――人間としての域を超えることはないと感じていた。迷いが在ったからだ。境界越えを達成する人間、いや、化物には共通点がある。

 己の為す事に疑問を持たない。何故なればそれが正解と知っているから。

 

「そんなもの私は知らない。越えたとか越えないとか、どうでもいい――。今はただただ、お前が邪魔なんだ。私はまだこれからやりたいことが沢山ある、剣も振りたいし、美味しいもの食べたいし……ああ、ロイとゆっくり話をするのもしたいな」


 嫉妬の剣の支配権を奪われまいと、リリィ・クルーシャは黒の魔力を迸らせ握る力を倍増させる。エリシア自体を落としてしまえば終わりだ、と漆黒の霧を伸ばしもしたが――それらは全て、エリシアから迸る強烈な剣に当たった途端、軽い破裂音と共に消え去っていった。


「――だがお前は剣聖だ、それは必ず戦いへと誘う。力を羨まれる、そして妬まれる。そのまま生きたとしても、お前はその望みを叶えられない!」


「大いに結構――叶えられなくてもいいんだ、別に。そうしたいと気付けて、動く事が漸く出来た気がするから」


「やはりお前は理解していな――っぶ!?」


 リリィ・クルーシャの顔が捻じ込まれた紫電を纏い捻じ込まれた拳で大きく歪む。ロイが背後からフルスイングで裏拳を当てたのだ。雰囲気良さそうな話をしているがそれはあっちの都合、聞いてやる理由も待つ理由もないロイにとっては好都合なタイミングだったのである。


「……ってー、クソほど強化して殴っても痛いのね。あいつ、どんだけ頑丈なんだよ」


「まあ、締まらないが……いいタイミングだったよ、ロイ。お陰さまで悪趣味な剣一本ゲットだ。これだけ歪だと、屋敷に飾ろうとも思わないだろうけどね」


 エリシアは自身の目の前に突き刺さった漆黒の剣を見て、その柄へと手を添える。吹き飛ばされたリリィ・クルーシャがごきごきと歪な音を立てながら立ち上がると――鬼のような形相で、エリシアとロイを睨みつけた。口の端からは赤黒い血が零れており、ロイはやっぱり死にそうだなお前、と指差して笑ってみせる。


「……蝿、風情が。人の悪感情は尽きん、例えその嫉妬の剣でも、殺せは――」


「ああ、安心しろ。私はお前をきっと斬れる。お前が言う、越えた、影響かは知らないが――見えるんだ。そして感じるんだよ。この剣をどう振ればお前に届くのか、そして――消滅させられるのかが」


「頼もしいことで……で、俺はもう限界なんで……後、任せていいっすか……?」


 情けなく地面に膝を付いたのはロイだった。何せ天道剣聖のエリシアが斬れると断言したのだ。出番はないと考え――少しでも回復に努めようとしたブラフ気味の行動である。まだ動けるし不退転の出力も引き出せる。が、相応に反動も来てしまっている。込み上げて来た何かを吐き出せば、鮮血が地面へと零れ落ちていった。


「……っくそ、瞬間火力は高いのに。ま、凡才にはリスクあるこれしかないのも、確かなんだが」


「それは違うぞロイ」


 真っ直ぐに、肩まで伸びた陽光の髪を躍らせながら金の瞳でエリシアがロイを見据えた。


「凡才じゃない。誰か一人でも――救って導けたお前が、凡才な訳がないさ」


「言ってくれるね……んじゃ導いた分、働いてくれや」


 四方から鋭い槍を象った漆黒の霧が襲い掛かる――が、先ほどのまでのより強化された攻撃なのにも関わらず、それらは全てエリシアまで届くことなく霧散する。自らの思った通りに事が進まない、いらついた感情を抱えたリリィ・クルーシャは――両手を天へ掲げた。


「――落ちてくる夜を見たことがあるか?」


 永久の闇――天より星星さえ隠し、この町全て、いや、地域一帯を飲み込まんと迫るそれは、津波のように全てを崩壊させるだろう。回避手段のないそれを見ても、エリシアは動じない。嫉妬の剣を肩に担ぎ、金色の瞳を輝かせながら、意趣返しのような言葉を告げてみせる。


「――夜が斬られるところを見たことがあるか?」


 深く響く衝撃が走った。まるで星が震えたかのような音さえ聞こえた。ロイは舞い上がった砂煙に思わず目を瞑り――そして再度、瞳を開けたときには。何もない冥府のような黒が割れ――輝く星星が顔を輝かしているではないか。

  嫉妬の剣を振りきったエリシアは、そのまま一歩を踏み出し――わずか一瞬でリリィ・クルーシャの前へと辿り着くと、無防備な心臓目掛けて嫉妬の剣を尽き差す。

 ばぎんという異様な音を響かせ――驚愕に瞳を揺らしていたリリィ・クルーシャが瞼を落とした。そして、そのままエリシアが手放した嫉妬の剣を巻き込み、前へと倒れていく。ぐちゃと肉が潰れる嫌な音がしたが、行動の結果だ、とエリシアは最後まで見届けた。


「……起き上がってこないな」


 遠くへ投げ捨てられていた刀が、主であるエリシアの下へ飛来する。なんの苦もなく手に納めたエリシアは油断なく倒れたリリィ・クルーシャを見据えていた。


「気をつけろよ、エリシア。俺が読んだ異世界転生ものじゃこういうケースは大体起き上がってくるのが鉄板だ、血涙流しながら立ち上がっても不思議じゃねぇ」


 膝をついていたロイは、自らがこの世界に訪れる前にリーシャの部屋で読んでいた本を思い出して警告する。だがそれでも、そんなことがあるかもしれないと思っていても――まだ立ち上がれる状態で戦いが終わりそうな事に、少しだけ安堵したのであった。

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