57.世界の秘密(裏)
死からの目覚めは早かった。
肉体を失った後、意思だけになると、時間の感覚が曖昧になる。
それでもなお、早かったとわかった。
私は再び、液体の中で目を覚ました。体が再生されている。目の前には、死の際に見たばかりの大豆がいる。服装も変わっていない。
どういうことだろうか。今まで、肉体の再生には数週間を要していた。この大豆が、数週間を経て同じ服を着ているだけなのか――――。
思考は途切れた。再び頭を焼き切られる。全身に激痛が走る。手足から力が失われる。視界が霞み、消えていく。
そして再生する。目覚めると、また同じ大豆が同じ服を着て立っている。疑問を疑問として考える前に、頭を焼き切られる。
五度くらいそれを繰り返したあたりで、目の前にいた大豆が居なくなっていた。大豆が居ないまま生と死を繰り返し、二十回目辺りでガラスの外が暗くなる。
消灯したのだ。――となると、夜だろうか?
夜になっても、この地獄は終わらなかった。死んで、生きて、また死に続ける。
――だから、我は止めておけと言ったのだ。
クロの言葉が頭に響く。
あのとき、止めておけばよかったのだろうか。新たな命を生み出すなんて、傲慢だったのだろうか。
いや。
私はそれでも、マメオとマメコを生み出すことは止められなかったはずだ。
繰り返す生と死の中で、水の中に揺蕩いながらも、私は二豆のことを常に考えている。
物言わぬ大豆だったころ。はじめて言葉を発したとき。私を母と呼んだこと。後悔はしないと言った幼い豆肌。手を取り合い、恋をするマメオとマメコ。年老いて、神域で眠り続ける二豆。彼らは無事だろうか。もう一度、無事な姿を見ることはできるだろうか。
あの二豆に会えない世界は、私にとって存在しないも同じだった。
どれほど警告を受けても、止まることはできない。それはあの男だってわかっていたはずだ。
……。
…………?
聞き覚えがある。
妙に引っかかるのは――そうだ。この言葉を聞いたのは、二度目だからだ。
もはやはるか遠い昔。記憶の奥底に、かすかに残っている。
――まだ死と隣り合わせの生活を続けていた時代。クロが失った記憶を取り戻したときに、同じ言葉を聞いた。
だから、我は止めておけと言ったのだ――と。
〇
一度経験して、痛い目を見ている。その慈悲が、悪意なき行為が、世界をどう変えたのかを我は見てきた。
どうせ、ろくなことにはならんぞ。
……警告はした。
かといって、止まるような連中でもないことも、我は理解していた。
こうなることは、運命だったのかもしれない。
それによって、世界が崩壊することも、また。
〇
あの時は意味が分からなかった。クロの記憶というのであれば、過去の――人間についての話かとさえ思っていた。
でも、そうか。
そういうことか。
クロは大豆にまつわるすべての記憶を失っていた。
それは、これまで人間たちが生み出してきた大豆製品だけではなく――。
大豆たちの歩んだ歴史も含めてのことだった。
あいつ、クロの野郎――未来の記憶を思い出していたんだ。
明かりがつくと同時に、私の死は止まった。
混濁した意識がはっきりとしはじめる。水の中で目を開ければ、前にも見た大豆が私の前に立っていた。ただし、服装は異なっている。
「変化はないか?」
大豆が声をかけると、彼の背後に控えていた別の大豆が頷いた。
「は、昨日と変わりありません」
……昨日?
「そうか、なら今日は、少しサイクルを早めてみよう。濃度を高めて再生を早めるんだ」
「は、準備してまいります」
そう言って、背後の大豆はどこかへ早足に去っていく。
目の前の大豆は、また別の大豆に声をかける。
「父神の様子はどうだ?」
「はい。抵抗の様子はありません。……貴様らの望むように、と」
「そうか……。記憶の切除はできそうか?」
「可能です。ただ、この世界での切除では意味をなさないでしょう」
「……やはり、神話の再現が必要なのだな」
大豆は顔を上げる。私の元へ歩み寄り、ガラスに手を当てた。
「神を殺して、世界を生む勇者となる――神秘の消えたこの時代に、まったく、なんて皮肉だろう」
ガラス越しに、大豆は表情をゆがめた。表皮にしわが寄る。
「神よ」
苦渋の表情で、彼は嘆息した。
「それでも、我々はやらなければならない。我らが、ここにあるために」
それはまるで、贖罪の言葉のようでもあった。
私を満たす液体が濃さを増す。指先に、しびれるような痛みを感じた。この液体はなんだろう。
思うよりも早く、激痛が走る。痛みにもがく私の前で、大豆はひっそりと膝をついた。
祈りを捧げる大豆の姿が消える。私の体からは力が抜け、視界は消失した。
……きっと、今の私は彼らのエネルギー源になっているのだ。
効率的にエネルギーを獲得するため、一日当たりにおそらく、何十、何百と死に続けている。このまま続けば、私は人類の命を使い果たし、きっと本当に死を迎えるのだ。
私が死ねば、クロの命もじきに終わる。この世界は永遠に、元の世界に戻れないまま。
ニワ子や乳牛も状況は同じだろう。
クロも、おそらくそう変わりあるまい。
これからなにが起こるのか、私には想像がついていた。
クロの未来の記憶にあって、まだ起きていない事象――『世界の崩壊』だ。
――慈悲深き神よ。どうか、我らが世界の礎となりたまえ。
――……やはり、神話の再現が必要なのだな。
――それでも、我々はやらなければならない。我らが、ここにあるために。
……私の再生は、光速を超えていると言った。
物理に疎い私にも、この意味は分かる。これは私の体の再生の仕組みのことだ。
光速を超えるとは、すなわち時間の超越。再生の原理は、時間の逆再生なのだ。
大豆たちは、時間を飛び越える力に手をかけた。
彼らは私たちの死を原動力に、時間遡行をしようとしている。
目的は神話の再現。
この世界の成り立ちを、自らの手で実行すること。
神に挑み、神を討ち、世界の礎となることだ。
だって、そうしなければこの世界は存在しない。
ここは、世界から大豆の記憶が抜け落ちて、生み出された世界なのだから。
――私がこの世界に来たとき、大豆以外のすべては敵になっていた。
ここは『大豆が存在してはいけない世界』だからだと聞いていた。世界の存続のために、大豆を排除しなくてはならないのだ、と。
でも、真実は逆だ。
世界が大豆を排除するのは、いわば自浄作用のようなものだ。大豆があの場で滅びていれば――私たちが居なければ、そもそも、未来からの干渉による、世界の崩壊自体がなくなっていたのだ。
大豆以外が敵になっていたのではない。
――私たちと大豆が、世界の敵になっていたのだ。