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56.成熟と腐敗

 突然変異種のマメオとマメコに、生殖能力はない。

 二豆とも、それはわかっているはずだ。

 でも――でも、。今までだって、私は散々そうしてきた。

 ――クローンだ。

 マメオとマメコの細胞からクローンを生み出すことによって、疑似的に彼らの子供とすることはできる。クローン生成時に意図的に遺伝子を操作し、特製の異なる子供を作るともできるかもしれない。

 ためらいがなかったわけではない。マメオとマメコは、突然変異種にさらに手を加えた存在だ。彼らの細胞を用いても、知能にはあまりに差がついてしまう。

 それに、クローンはしょせんクローンだ。あくまでもコピーに他ならない。この不自然な増殖を、私は受け入れることができるのだろうか。

 ……いや、今さらか。

 私は二豆を見下ろした。小型犬ほどの大きさをした、つややかな肌を持つ二つの大豆は、緊張の面持ちで私たちを見ている。

 巨大ではあれど、彼らはまさに大豆だ。つるんとした、凹凸の少ない表面。軟体動物めいた、出し入れ自由な無数の手足。目もなく、口もなく、耳もないこの生き物もまた、不自然である。

 なのに、私は強張った面持ちの彼らをかわいく感じている。何度も考えての告白なのだろう。緊張に震える姿に、健気さを感じているのだ。

 ニワ子が、私の足をつついた。見れば、おずおずとした様子で、私を見上げている。

「ね、……できないかな?」

 牛が鼻息荒く、私に顔を寄せる。

「まさか、無理なんて言わないわよね」

 クロは……クロだけは、少し渋い表情を浮かべていた。腕を組み、一度私に目を向け、マメオとマメコを見やってから、息を吐いた。

「……判断は貴様に任せる」

 む、と私は口を引き結ぶ。

 私に判断を任せる。それは――。

 それは、肯定と同じことだった。私には、この子たちの真摯な訴えを無下にすることはできない。


 〇


 マメオとマメコの子供は、彼らの細胞を元にして作った。

 コピーの際にX線を照射し、遺伝情報に変化を付けたのは、結果としては成功だったのだと思う。

 クローンとして生まれてきた子供の中に、寿命と引き換えにして、生殖能力を持つ者が現れたのだから。

 マメオとマメコの子供たちは、成長し、子をなし、死んでいった。そのさらに子供たちもまた、同じことの繰り返し。繰り返しながらも、少しずつ変化していく。

 まるでマメオたちを追うかのように、生まれてくる子供たちは、知恵を付ける方向へ進化した。知恵を付けながら数を増やしていく。

 町はどんどん広がって行った。

 はじめこそ、私たちが住処の提供をしていたが、そのうち彼らは自らの手で歩み始める。

 狩りを覚え、畑を耕すことを覚え、集うことを知り、社会を築き上げた。

 世代を重ね、知識を受け継ぎながら知恵を増し、彼らは世界中に散らばった。

 大豆を恐れるこの世界は、彼らにとっての脅威ではない。他の生き物たちを駆逐しながら生息域を広げ、発展をし続ける。森は切り拓かれ、山は削られ、海は埋められた。大豆たちは服を着て、建物は高く伸び、道々は食用大豆で固められたころ。

 私は最初の町で、マメオたちと静かに暮らしていた。


 もう、一万年くらいは過ぎただろうか。

 海拠点と呼んでいたこの町に住む大豆は、今はほとんどいない。ここは人間である私が作った場所であるため、大豆にとっては少し暮らしにくいのだ。

 マメオの子々孫々。多くの大豆たちは町を出て、外の世界で暮らし始めた。私たちは誰も、彼らを引き留めはしない。子供はいつか巣立つものだ。寂しさがないと言えば嘘にはなるが、彼らが世界を広げていく姿を見るのは、それ以上に喜ばしかった。

 それに、マメオとマメコは、今もここに残ってくれていた。

 二豆はすっかり年老いた。死こそ訪れないものの、豆の表面はすっかりひび割れ、薄皮には皺が寄り、寝ている時間もずいぶん伸びた。一日の大半を寝て過ごし、あるいは一日中眠る二豆の姿を眺める暮らしは、これまでからは考えられないくらいに穏やかなものだった。

 生き延びるのに必死だったころ。世界を元に戻すため、大豆料理を作り続けていたころ。文明の発達に心血を注いだころ。マメオとマメコの成長に一喜一憂していたころ。

 すべてはもう、遠い時代だ。

 凪いだ無限の時間を、私は遠い子供たちの成長と、彼らの生み出す世界を眺めて過ごしていた。

 そんな日々の中にあっても、たまに騒がしさが訪れることはある。

「神さま」

「神さまー!」

「かみさま! かみさま!」

 町で生活する私の元へ、大豆たちが駆け寄ってくる。

 マメオから分かたれ、独自の進化を遂げた彼らは、姿かたちは多少変われども、今もなお大豆の丸さを保っていた。

 大豆は私の足元へやってくると、膝をついて手を合わせた。大人豆をまねて、握りこぶしくらいの大きさの子豆たちも手を合わせるが、すぐに飽きて走り出す。それを、私は笑って眺めていた。

 この町は今、大豆たちに『神域』と呼ばれている。現在の大豆にとって、マメオとマメコこそは彼らの源流オリジナルであり、父と母。そして、彼ら二豆を生み出した私たちは、いわゆる神である、と。そう思われてしまっていた。

 はじめこそはくすぐったく思ったが、今ではその扱いも慣れた。神域の周囲には神官たちが住まい、私たちに大豆たちの世界のことを教えてくれる。世界の開拓、文明の発達、大豆たちの生み出した娯楽なんかを伝えてくれるのも彼らだ。

 神官以外の大豆は、巡礼と称してこの場所を訪れる。言ってしまえば、観光地みたいなものだ。訪ねてくる大豆たちを拒むものは、私たちの中には誰もいない。彼らの姿を見ることこそが、私たちにとっての喜びなのだ。

「かみさま!」

 大人豆たちの制止を振り切り、足元に子豆が寄ってくる。子豆は私の足を、興味深そうにぺたぺたと触り、「おっきい」と笑った。

「も、申し訳ありません! 私の子がご無礼を……!」

「いや。構わないよ」

 私は大豆たちに笑いかけると、足元の子豆を拾い上げた。手のひらであどけなく転がる子豆は、幼いころのマメオやマメコを思い出させる。興奮に体を震わせ、「すごーい!」と声を上げる子豆も、ハラハラとした様子でこちらを見上げる大人豆も、みんな――。

 みんな、愛しかった。


 大豆製の機械が生まれ、豆乳エネルギーが世間を沸かせ、夜の灯りは消えなくなる。

 大豆同士が争い合い、大豆の種類ごとに国が分裂し、大豆のかたまりが空を飛び、大豆だけを殺すガスが生まれ、幾多の死体が大地を埋め尽くす。

 豆々を半減させた戦争ののち、死体の上に新しく町が築かれた。

 戦争が禁じられた世界で、豆たちはなおも進歩していく。宇宙旅行が民衆に浸透し、時間旅行にさえ手をかける。大豆の同性株婚が認められ、食用大豆に対する豆道問題が顕現。食用大豆から生み出していた豆乳エネルギーに代わる、新たなエネルギーが模索されていたころ。

 マメオとマメコは、もう数十年に一度目覚めるか、目覚めないかというころ。

 いつしか、かつて人が築いた文明をはるかに凌駕し、もはや世界から謎が消えうせたころ。


 神域は破壊された。

 蓄えてきた武力は一斉に私たちに向けられた。

 停滞していた私たちに、抵抗する手段はなかった。いや、そもそも抵抗する気すらなかっただろう。

 マメオとマメコの子供たちを、私たちは傷つけることはできない。ニワ子も乳牛も、彼らのなすがままに捕らえられた。

「……だから、我は止めておけと言ったのだ」

 無抵抗のまま、クロが呟いた言葉が忘れられない。

 マメオに知恵を与えたとき、私はクロから警告を受けていた。彼はそのときから、この未来を予感していたのだろう。

 他ならぬ愛しの子供たちに、私たちが裏切られることを。


 〇


 ぽこん。泡が浮かぶ。

 私の体は、液体の中にある。

 狭くて丸い、液体の満ちる箱の中に私はいた。

 手を伸ばせば、箱の壁に触れる。透き通るそれは、どうやらガラスのようだ。ガラスの向こうで、私を見ている無数の豆たちがいる。

 彼らは何事かを喋っているようだ。ガラス越しに声は聞こえないが、音声を発する彼らの胚から、言葉を読み取ることができた。

「準備はいいか?」

「はい。数値も順調です」

「わかった。では開始しよう。これが上手くいけば、豆乳エネルギーなどもはや問題ではない」

「ええ、ええ!」

「この世に残された、最後の神秘。それがこの、神の再生エネルギーだ。この無限のエネルギーさえあれば、我々は世界をも越えられる。――我々がこの偉業を成し遂げる勇士となるのだ!」

 力強い言葉に、大豆たちがわっと歓声を上げる。興奮した様子で、それぞれは持ち場に向かい、一豆の大豆だけが私の前に残った。

 大豆は私を見上げる。彼の視線には、畏怖と期待が満ちていた。

「神よ」

 大豆は私に語り掛ける。

「慈悲深き神よ。どうか、我らが世界の礎となりたまえ」

 彼は手を上げる。ゆっくりと頭上にあげ、一呼吸。そして、意を決したように振り下ろした。

 瞬間、私の体に痛みが走った。脳が焼ける痛みとともに、私は自分の死を理解した。体から力が抜け、視界は失われ、意識だけが宙に放り出される。もう何年も忘れていた感覚だった。

 すべての視界が喪われる直前。私はガラスの外にいる大豆を見た。

「やはり! やはりだ! 神の再生は!」

 歓喜を浮かべて彼は叫ぶ。やまない笑い声も、そのうち私には聞こえなくなった。それでも、なお――。


 私は彼らが、愛しいのだ。


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