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55.蜜月

 マメオはゆっくりと知恵をつけていった。

 少し遅れて手術をしたマメコの経過も順調だ。

 脳の要領を広げ、脳細胞を活性化させる薬を投与し、知能は犬から幼児程度へ、幼児から小学生、中学生を経て、ごく一般的な大人並みへ。

 マメオとマメコの成長を、みんな喜んでいた。

 クロの手で不老を与えられてしまった私たちにとって、この世界で変化があるものは、彼らしかいないのだ。



 そうだ、マメオが言葉を発したあの後は大騒ぎだった。

 呆けた様子のマメオを、誰もが息を呑んで見守る中、クロの野郎がフライングしやがった。

「マメオよ、わかるか。我が貴様の父である」

 洗脳しようとするな。

「父と呼べ。あるいはパパでも許可する」

「ぱ……ぱ……?」

「そうだ。我がパパだ」

「ぱぱ……」

 洗脳完了した。許さん抜け駆けだ。いったい誰がここまで育てたと思っている。

 品種改良に尽力したのも、研究開発を一手に担っていたのも私だ。お前、途中参加だろうが!

 元の世界で、愛犬を躾ける私の傍ら、一日一本と決めていたジャーキーを勝手にあげて懐かれていた兄を思い出す暴挙だ。許せるはずがない。

「愛いやつよ」

 クロは目を細め、マメオの体をそっと撫でる。マメオは言葉にならない高い声を上げ、くすぐったそうに身をよじった。

 ぐぬぬぬぬぬ……。

 ぬぬ、と唸る私の横で、牛がぬっと顔を突き出した。マメオに顔を寄せ、彼女は笑うように歯を見せる。

「じゃあ、わたしはママよ。ママって呼んでみて」

「……まま?」

「ずるい! あたしもママって呼ばれたい! マメオ、ね、ね、あたしもママ!」

「まま……?」

 ニワ子に突かれ、マメオが首を傾げる。あーもう、めちゃくちゃだよ。ママ二人目だよ。

 そして私の入る余地なし。

 一番の功労者であり、もっともマメオと共に過ごした私の立場はいったい。

 手術台に手を置いて、思わず肩を落とす私に、マメオはまた首を傾げてみせた。それから、麻酔にふらつく体で私ににじり寄ると、軟体動物めいた手をそっと伸ばし、私に触れた。

「…………まま」

 ぎこちない声で、拙くマメオはそう言ったのだ。



 マメオの容態が安定したころ、マメコの手術をした。

 知恵を得たばかりの二豆は、まるきり子供だった。疑問と好奇心のかたまりで、舌足らずで少ない言葉を操って、あれはなに、これはなに、となんでも私たちに尋ねた。

 その好奇心の一つが、厄介ないたずらだった。禁止されていることを、あえて破りたくなるのが子供という存在なのだろう。

 いたずらをするのは、だいたいがマメコの方だった。

 気が強くてはっきりとした物言いのマメコは、大人しいマメオをすっかり舎弟扱いした。良くも悪くも素直なマメオは、マメコには逆らえないらしい。申し訳なさそうにいたずらを仕掛けるマメオの姿は慣れっこだった。

 何度注意しても、マメコはマメオへの態度を改めない。マメコからマメオを離すべきか迷っていたときに起きたのが、あの事件だ。

 危険だから、目の届く場所に行かないようにと言ったのに、マメオとマメコは二豆だけで町を出て行ってしまった。誰も行方を知らず、夜になっても二豆は帰らず、一晩中探し回ったことは忘れられない。

 着の身着のまま洞穴に放り出されたときよりも、クロに掴まって食べられそうになったときよりも、あのときが一番怖かった。声を枯らして名前を呼んで、町沿いの川の傍でようやく見つけられたときは、膝から崩れ落ちる心地だった。

 二豆は川で溺れて、ふやけきっていた。一歩間違えれば、マメオもマメコも揃って腐ってしまうところだったのだ。慌てて連れ帰って乾かして、乾かしながら散々説教をした。

 さすがのマメコも、今回ばかりは反省したらしい。泣きながら自分の部屋へと戻って行った。そのあと。

 消灯の確認のためにマメコの部屋を訪ねると、泣き疲れて眠るマメコの傍で、マメオが丸くなって寝ているのを見つけた。わざわざ自分の部屋から毛布まで引っ張り出して、マメコに半分かけてあげている。

 静かなマメオの優しさに――なぜだろう、私は嘆息していた。

 これが、知恵を得ることなのだ。

 ただの大豆から、私の手を離れて、心を得た存在なのだ。



 マメコが外に出て遊びたがる一方で、マメオは次第に部屋にこもるようになった。

 私の書き残した本に興味を持ち、知識を得ることを喜んだ。

 いつしか私の研究を手伝い、時には意見を交わすようにさえなった。

 マメオはもう、中高生程度の知能がある。薬の投与を続ければ、さらに賢くなれるだろう。ずっと私が望んでいた、研究助手ができるのだ。

 だが、同時に私の中にためらいが出てきていた。物言わぬ大豆では感じなかった、罪悪感だ。

 これは人体実験だ。私の欲望のままに、マメオという存在を操作しようとしている。知恵を得れば、マメオは元のマメオではいられない。要らぬことに悩み、迷い、苦しむことになるだろう。

「母さん」

 注射器を手にためらう私へ、マメオは呼びかけた。

「母さん、僕は知恵を与えてくれたことに感謝しています」

「マメオ……」

「知恵がなければ、僕は喜びも悲しみも知りませんでした。もっと賢くなれば、きっともっと悩むことも増えると思います。後悔することも必ずあるでしょう。今の方が、幸せだったって。でも」

 マメオは私を見上げた。つややかな豆の表面に、固い決意がある。

「知恵がなければ、後悔することさえ知りませんでした。僕は、なにも知らない大豆でいるより、後悔を知っている大豆になりたいです」

 それは、私を決意させるには十分すぎる言葉だった。



 私はマメオとマメコの研究を進めた。

 私にできるすべての技術を注ぎ込んだ。

 そして二豆は成熟する。きっとこれは、必然だったのだろう。

 雄株と雌株に別れたときから。マメオとマメコの二豆が同時に突然変異として発現したときから。


 マメコは快活な性格はそのままに、少しだけ大人びた。

 マメオの大人しい性格は変わらず、少しだけたくましくなった。

「父さん。母さんたち」

 マメオはマメコの手を握り、私たちにそう言った。

「僕たち――――子供が欲しいです」


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