54.新しい時代
全員復活!
あとは作った大豆料理をクロの口に押し込むだけだ。
冷凍保存していた鶏肉や牛肉も使って、思いつく限りの大豆料理を作っては食べさせ、作っては食べさせ。フォアグラを作るつもりで食べさせること数年。
「まだ思い出せないか……!」
味噌料理も醤油料理もきな粉のスイーツも湯葉やおからのヘルシー料理も、思いつく限り詰め込んだのにまだ駄目か。
大豆油、大豆燃料、大豆粕を使った飼料に至るまで、とりあえず食べさせたけど、それでも駄目か。
現在は食堂にて、大豆インク提供中だが、それも駄目か。
「ほぼ思い出してはいるのだがな」
クロは大豆インクを舐めつつ、他人事のように言いやがった。
「記憶からなにが不足しているのかは、我自身わからぬ」
「我もわからぬ……」
我の記憶もだいぶ欠落しているからなあ。本に残してはいるけど、そもそも本を書き出した時点で結構な欠落があったし。もしかして記憶の闇に葬られているなら、もう二度と元の世界には戻れないってことになりませんかね。
大豆以外の知識なら、クロの記憶でだいたいなんとかなるんだけどな。
クロペディアの復活に伴い、世界はまた一歩進歩していた。私の知識が生物系に偏っていたのと、必要性の薄さが相まって、工学、特に通信系が壊滅的に遅れていたのだ。
だが、今では現代とほぼ遜色ないくらいに工学も発展している。つまり、元の世界にあった大豆料理は、理論上はすべて作れるはずなのだ。
残る料理はなんなのか。もはや、私の頭ではまったく思い浮かばない。
まさかの手詰まりか。ここまできて、もう元の世界には戻れないと申すか。
……。
正直、戻れなくてもそんなに困っていない。
困っていないけど、そうすると生きる目標がなくなってしまうんだよね。かといって死ぬに死ねない身の上だから、あとはひたすら趣味の研究を続ける日々になるのだろうか。
それはそれで、やぶさかではない。全人類の求道する不老不死を得て、ずっと好きなことできるならそれは幸せじゃないだろうか。
などと思う一方で、私の中にわずかに残った倫理観が、それは人としてどうよと告げている。今さら人としてって言われても、散々人の尊厳捨ててきたし……。
でもなあ、研究は楽しいけど、成果を発表する場がないのは辛い。論文を書いても読むのは自分だけ。クロは興味を抱かないし、ニワ子と牛は読んでも理解できないし。研究だけしていて幸せ、というタイプもいるんだろうけど、私はどうもそれだけでは不足らしい。調べた結果に対する称賛がないと物足りない。
うーん。と思っているところに、マメコがお茶を持って入ってきた。私に一杯。クロに一杯。そのまま去ろうとしたところで、クロがマメコを抱き上げた。
クロは豆類がお好みらしい。よく抱き上げたり、膝に乗せたりして遊んでいる。豆も大人しいもので、撫でられるとちょっと体を柔らかくして気持ちよさそうに揺れている。
私は、ぼんやりとその姿を眺めていた。
マメオ、マメコ。もともとは、助手を求めて生み出した大豆の突然変異だ。クロの復活に伴い、手が足りたので重要性は薄まったが――いや待てよ。
称賛。彼らにしてもらえばいいのではないだろうか。
脳の要領を増やして、学習能力を上げて、思考させるようにすればいい。犬程度の知能を、人間にまで上げるのだ。
現在は手詰まり。他にできることはない。しかし、私には時間がある。クロという人型の助手もいる。
それに、私以外の知的生命体ができれば、大豆料理の可能性を広げることだってできるはずだ。大豆が大豆を料理するのかって? かまへん。人間だって猿の脳みそを食べるんだし、よくある話よ。
どうよ、この考え。クロもかわいがっている大豆たちだ。感情ができたら素敵だと思うでしょう?
私の話を聞くと、クロはかすかに目を伏せた。
マメコの頭を撫で、浅く息を吐く。
「これらが愛いのは、大豆であるからだ」
いつになく真面目な顔である。いや、こいつ顔だけはいつも真面目だった。
「知能が上がれば、無邪気さは失われ、いらぬことを考え始める。貴様らの神も、知恵の木の実を与えようとしなかっただろう?」
それ、私の神じゃないから。うちは仏だから。
しかし、うーん。クロが反対するとは意外だった。誰よりも倫理観が壊れているのに、ここにきてまともなことを言いだすとは。けしからん、とか口先だけで言いながら、普通に協力してくれるものだと思っていた。
豆類を可愛がっているようには見えるんだけどなあ。この子たちが賢くなったら、より可愛く思わない?
「そう思っていた時期もある」
復帰から一週間足らずでその発言。お前にマメオとマメコのなにがわかる(モンペ)。
「知恵は諸刃の剣だ。我は何度も経験して、痛い目を見ている。…………貴様らでな」
私?
「その慈悲が、悪意なき行為が、世界をどう変えたのかを我は見てきた。与えた知恵は子らを狂わせる。感情を産み、欲望を知り、親を裏切り、最後は自らを殺す」
「……それって人間のこと?」
私が尋ねると、クロはマメコを撫でつつ息を吐く。肯定も否定もしない代わり、無言で私を見据えた。
底知れない黒い瞳に、私が映っている。クロのくせに、なぜだか背筋が寒い。どうしようもない神ながら、これで一応、クロは超越者なのだ。
「やめておけ。どうせ、ろくなことにはならんぞ」
うむ……。
うーむ、真面目に諭されてしまった。
もっとも、クロの言わんとすることは、わからなくもない。知恵というのは抜き身の剣だ。不満の種であり、不満を解消するための武器だ。
今は大人しくクロに抱かれているマメコも、知恵を付ければ愛玩動物のような扱いを拒むかもしれない。私や他の者たちを疎み、知恵でもって逃げ出したり、反抗したりするかもしれない。
ロボットみたいに厳密に制御できる存在であればまだいい。しかし相手は大豆。予測不能の生命体だ。いかに上手く付き合っていると思っていても、内心の不満をどこであふれさせるかはわからない。
一方で、この世界は今のところ手詰まりだ。私の中にある大豆料理は出尽くした。偶然に任せて、なんかよくわからないけど元の世界にあった大豆製品を生み出すのを待つ以外に、もはや手段がない。
偶然を加速させるためには、手が必要なのだ。私以外の存在によって、試行回数を増やしていくほかにないのだ。
危険を覚悟で大豆類を進化させるか。安全だが停滞した世界で、いつ来るとも知れない偶然を待つか。
ぐぬぬぬぬ。
ぬ。
と唸ってはみたものの、私の心は最初から決まっていた。
なんせ私も知恵のある人間。好奇心には勝てないのだ。
大豆料理うんぬんはさておいて、単純に賢い生き物を作ってみたい。私の手で新生物を生み出したいし、それをさらに洗練させたい。
リスクなんて、どんなことにも付き物だしね。失敗を恐れていては、成功は生まれないのだ。普通に今後、二豆と仲良く付き合っていく未来もあるわけだし。
うん。やりましょう。
クロの言い分もわかるけど、悪いところだけ見ていたらなにも始まらないでしょう。
「………………そうか」
マメコと戯れながら、クロは小さく頭を振った。
「警告はした。それでもなお、と言うのであれば、いいだろう。我の手を貸してやる」
いえっさ! 助かるぜ!
〇
失敗。だめだめ。うーん。
マメオのクローン、一号、二号、三号……。
マメオオリジンを傷つけたくなくて、クローンを作って臨床試験をしていても、亡くしてしまうと心にくる。
研究所の裏手に小さな墓が点々と増えていく。
ごめんよ。
ごめんよ。
ごめんよ。
「……ここにいたのか」
墓の前でしゃがむ私の背に、淡々としたクロの声がかかる。どうやらマメオオリジンも一緒らしく、にゅっと豆から手足の伸ばし、私の方へと駆けてきた。
私の足元を、マメオオリジンは忙しなく走り回る。手を伸ばすと頭を伸ばし、自分から撫でられにくる。
ごめんよ。
クロは無数の墓を見て、静かに目を伏せた。クロも、マメオクローンの死を悼んでいるのだ。私と一緒に研究を続けているのは、クロだから。
……ごめんよ。
「……辛いなら、もうやめればいいだろう」
うなだれる私に、クロが声をかける。珍しく人の気持ちを汲んでくれたらしいが、私は無慈悲に首を振る。
今さらやめられない。それこそ、このマメオクローンの死を無駄にすることになるのだ。
次だ次! きっと次こそ上手くいく!
〇
失敗。
失敗失敗失敗。
うーん。
「大丈夫?」
研究所で頭を抱える私に、ニワ子が心配そうに声をかける。
「もう夜よ。根詰めすぎじゃない? ご飯も食べてないでしょう」
そう言って、ニワ子は私の頭を羽でよしよしする。
「マメコにご飯持って来てもらったわよ。とりあえず食べちゃって」
「うん……」
うなだれる私の足を、柔らかい手がつつく。手というか、軟体動物特有の触手めいた物体だ。
触手の持ち主は、マメコである。きなこ色の丸い体の上には、簡単な食事の乗ったお盆が乗っていた。
私がお盆を受け取ると、ニワ子がマメコをねぎらって、頭を撫でた。マメコに言葉はないが、喜ぶように跳ねている。
かわいいものだ。
うん。
……うん、もう少し頑張ろう。
〇
失敗。
いや、うん、でも待て?
ここ、ちょっと変えてみたらどうだろう。
「乳牛! ちょっとマメオ貸して!」
「ええー」
庭で二豆と遊んでいた牛が、不満げな声を上げる。背中に豆を二つ乗せ、走ったり揺らしたりしてあやしていたようだ。
なんのかんの、みんなマメオとマメコを可愛がっている。まあ、この環境で純粋無垢な生き物って、あの二豆しかいないからね。ニワ子も純粋ではあるんだけど、子ども扱いすると怒るし、無垢って感じともちょっと違う。
要は、子どもを可愛がるような感じなのだろう。
だからこそ、私のやっていることに対する不安や関心も強い。
「…………マメオにひどいことしない?」
「大丈夫! 今回は大丈夫!」
「……マメオ」
牛が不安げに、背中のマメオを見やる。私が手招きをすると、マメオはにゅっと手足を出して、素直に私の方に駆けてきた。
飛び込んでくるマメオを、私は腕の中で受け止める。いいこいいこ、かわいいやつ。
「一人で勝手なことはしないで。なにか大事なことをする場合は、わたしたちも呼ぶのよ」
「わかってる」
大丈夫。わかっている。
〇
マメオは研究所の手術台に体を横たえていた。
手足が弛緩し、だらりと伸びている。その状態のまま、ぴくりとも動かない。
私は手術台に手を置いて、マメオの体を見下ろした。反対側からはクロが覗き込み、ニワ子が手術台の上に乗り、牛がマメコを頭に乗せて、同じく覗き込んでいる。
息を呑む。マメオオリジン。クローンではない、本物のマメオ。
彼の体には手術跡がある。すでに縫合済みであり、豆乳の血はもう流れない。人工皮膚である湯葉も、じきに体になじむだろう。
あとは――彼の目覚めを待つだけだ。
誰もなにも言わない。ごくりと生唾を呑む音さえ、手術室に響いた。
ふやけたマメオの体が、ゆっくりと大豆の丸みを取り戻していく。弛緩した手足に力が入り、彼の体をぐっと押し上げた。
マメオは半身を起こした。私たちの顔を、つるりとした顔で見回している。
周囲からため息が漏れる。喜びと、安堵が手術室を包んでいる。私は思わず、みんなの顔を見回した。
みんな私を見返している。思わず頬が緩みそうになるが、まだ早い。気を引き締め、私は再びマメオに向き直った。
「マメオ……!」
私が呼びかけると、マメオはかすかに傾いだ。首を傾げるようなしぐさだ。
それから、ギギギ、と作られたばかりの声帯を鳴らす。
ギギ、ギ、ウ……ア……。
ア……。
――――マ。
「マメ…………オ…………」
そう。
それがお前の名だ。