3.スプラウト(2)
大豆畑襲撃事件を経て、私は学習しました。
大豆を放置してはいけない。
大豆を量産するには、発芽が絶対に必要なのだけれど、この期間が無防備すぎる。
放っておいても植物は育たない。水をやるだけでも駄目だ。この世界には、大豆を狙う悪漢が無数にいる。他の雑草、虫たちに鳥――そう、先日初めて見かけたけど、鶏がいた。畑にのこのこ近付いて来たから、豆を投げつけたら慌てて逃げたけど、今から思うと捕まえて食用にするべきだったか。……逆にこっちが食用にされるかな。
とにかく、そんなお呼びでない連中に、私の大事な大豆を渡すわけにはいかない。
そういうわけで、柵を作ろうかと思う。
今のところは、新規大豆を配置して、再度畑を囲っているけど、この大豆も発芽したら交換する必要がある。二十粒の畑を囲うために、二十粒くらい使ってしまっているので、このままだと収穫前に底が尽きる。
大豆の発芽から収穫までは、たぶん一年はかからないだろう。普通の野菜と同じように考えれば、春に種まき、夏ごろに実がなりはじめ、秋を過ぎるころには枯れる。実が枝豆にあたるはずなので、大豆はその先。遅く見積もって、秋だと考えられる。
現在の季節は、おそらく春から春の終わりくらい。オオイヌノフグリの開花時期が、たしか春頃だったはず。外の気温は、初春にしてはかなり暖かく、半袖でも過ごしやすいあたりから、晩春の可能性もあると考えた。
秋じゃなくてよかった。このまま冬に向かって行けば、蒔いた種もそのまま枯れて、悲惨な凍死地獄がはじまるところだった。
でも、秋まで大豆で大豆を囲み続けるだけの備蓄なんてあるわけがないのだ。
そうなると、物理的な障壁が必要になる。今の私に道具などはないが、そこは創意工夫するしかない。
考えた結果、私は洞穴から少し遠出をして、森の周辺を物色することにした。
もちろん、出かける際は大豆を転がしながら進む。大豆を置いて、雑草たちを沈黙させたのち、容赦なく引き抜いて道を作る。抜いた雑草は、見覚えがあるものだけもやしと共に食す。
水洗いすらもせずに、生のまま雑草を食べていると、草食動物になった気分がする。言うまでもなくマズい。だけど食べ物があるだけマシだと言い聞かせ、どうにかこうにか飲み込むのだ。
そうそう、足の親指は、その後数日で回復した。やっぱり回復速度が遅い気がする。雑草を抜くときに反撃にあってつけられた傷も、そう深くはないけどなかなか治らなかった。
原因はなんだろうなー。とりあえず、一日を過ごすごとに回復速度が遅くなるのでは? と仮説を立てているけど、それが正しいとは限らない。はっきりさせないと落ち着かないし気持ち悪い。いつか、理由がわかる日が来るんだろうか。
悪戦苦闘しつつ、森へたどりつくまでに三日くらいかかった。
大豆で作った道は、距離にすると、だいたい五メートルくらい。あんなに苦労したのに、振り返ってみるとめっちゃくちゃ短い。
大豆の道から洞穴の入り口を見ると、自分がどんな場所にいるのかよくわかる。
この場所は、森というよりも、山の中だ。洞穴は山の斜面みたいな場所に、ぽっかりと開いている。どこからか川のせせらぎも聞こえるが、見回しても見つけることはできなかった。
周囲は一面木々に囲まれているが、洞穴の周辺だけは、小さな空き地のようになっている。
洞穴の上にも木々が茂り、森はどこまでも続いている。
木は大半が広葉樹だ。スギやヒノキはざっと見たところ見つからない。春先だからか、木々の葉は若い色をしていて、木漏れ日をよく通していた。
人の手が入っている気配はない。中学校の林間学校で上った山よりも、ずっと自然の気配が色濃かった。
そして、この自然のすべてが、私を憎んでいるのだとよくわかった。
まずは頭上。木々が揺れ、私の頭の上に毛虫を落としてくる。
毛虫は当然、異世界仕様だ。問答無用で毒針を刺してくる。足元からは蛇が這いより、またしても私を狙っている。鳥の糞が落ちてきたり、熊らしい影がちらちら見えたり、野犬が唸り声を上げながらかけてきたり。
効果範囲ギリギリに配置した大豆では、やっぱり魔除けの効果が薄いみたいだ。洞穴内に入ってこないのは、大豆の量が多いからか。
なんて考えている場合ではない。いたたたいたいいたい! 逃げます!
ひえええええ!
この経験から、さらなる学習をいたしました。
森への遠征は、迅速な行動が必要不可欠。大豆を撒きながら森へ駆け、周辺に落ちた木の枝などを拾い、すみやかに自宅まで戻る。この世界、悠長にしていられない。立ち止らない。鉄則。
そんなシャトルランを繰り返し、私はどうにか必要な物資を集めることができた。
枯れ木、枯れ草、落ち葉に、ちょっと尖った石。特に尖っていないけど、重量感のある石をいくつか。
集めてみてわかったのは、さすがに無機物は襲ってこないということだ。石まで敵に回られたらどうしようかと思ったけど、一安心。それから、死んでいるもの――植物で言えば、枯れているものも大丈夫らしい。
おかげで、枯れ枝集めは案外苦労しなかった。触ってみて齧られれば生木。齧らなければ死んだ木だ。
枯れ草は、落ちているものも集めていたんだけど、別にいらなかったかもしれない。森への道を作るうえで、引き抜いた雑草がたくさんある。食べられるものはより分けて、食べられないものは外に捨てていたら、いつのまにかカラカラに乾いていた。
これでなにをするか。
優先順位に少し悩んだけど、やはりここは初志貫徹。一番大事な大豆を守る方が先ということで。
枯れ草の中から、繊維質で頑丈なものを選ぶ。枯れ木も頑丈そうなもの同士で組み合わせ、枯れ草でぎゅっと結び合わせる。枯れ草の長さを調整したいときは、ちょっと尖った石で擦り切る。
手先は器用だと自負しているけど、こんな野性味あふれる道具だと、さすがにかなり難儀した。力を込めて枯れ草を結べば、手のひらにも傷ができる。しかもなかなか治らない。
これを一メートル四方。一方向は洞穴に向かっているからいらないとして、三つは作る必要がある。集めた材料が足りなくなって、もう一度森へ駆けること数回。
夜通し作業を数日続けて、どうにかこうにか柵を作り出した。
やったー! さっそく設置!
バリッ! 駄目!
絶望しかない。
考えてみれば、人間の足を食いちぎる植物だ。枯れ枝なんかじゃ無謀だよね……。
でも、ここで諦めたら破滅が待っている。
うーんうーん。
あ、そうだ。
無機物であれば、大豆と敵対はしない。
だったら、むしろ無機物で固めてしまえばよかったんだ。
そういうわけで第二陣。
小石と柵のコンビネーション。
大豆畑を柵で囲み、その外側に石を重ねる。土と組み合わせて高く積み、石を壁状にしたうえで、倒れないように柵で支えるのだ。
それを三方。柵の後ろは、転倒防止のために大きめの石を設置。若干日当たりが悪くなるけど、太陽が頂点付近にあるうちは、畑の大豆すべてに日が当たるので問題なし。
これでどうだ!
周辺の草が、狙いを付けて石を噛む。だけどさすがの人食い植物も、石までかみ砕くことはできないようだ。
というか、石と土で完全に視界を覆ったおかげで、内側の畑には目が行ってないっぽい? 大豆の気配を感じてか、雑草はきょろきょろ辺りを見回すようなしぐさをするが、石と木の柵を邪魔そうに齧るくらいで、執拗に追い立てはしないらしい。
なーるほど。こういう方法もあるのね。
もしかしたら、洞穴の入り口も隙間なくぴっちりふさげば、外敵の危険性は完全になくなるのかもね。
問題は、どうやって塞ぐかなんだけど。ま、それは今考えることじゃない。
今はとにかく、畑を救った喜びに酔いしれたい。
やったー! 疲れたー!!
これで他の植物から襲われる心配はない。
空からでも襲ってこない限りは、なにもないはずだ!
――――空から?
なんとなく嫌な予感がして、私は憎らしいほど青い空を見上げた。
見上げた私の顔に向け、空を横ぎるキジバトが、あざ笑うように糞を落とした。
あの鳥、いつか丸焼きにしてやる。