45.高野豆腐・厚揚げ・油揚げ(4)
大・惨・事。
私、片手片足損失。死に続けて栄養失調中につき、完治まで一ヶ月はかかりそう。
牛。五体満足。すなわち、今戦いを挑んでも返り討ちに遭うだけ。
大豆、壊滅的。倉庫が浸水して、大半の大豆が腐っていた。そうでなくとも、過半数を牛に食べられていたのだけど。
棚の上の方に保管していた大豆だけは、どうにか無事だ。これを今年の種大豆にして、増やしていかなければならない。季節が春先で助かったというべきか。今から種を蒔けば、数か月後には安定させられるだろう。
しかし、これを狙うのが牛だ。あの近視眼的な家畜は、大豆を増やすという発想がない。あるものは食べ尽す。たとえ枯れ果ててでも食べ尽す。
物理で倒すのは無理。これ以上関係がこじれても、また同じ地獄絵図が繰り広げられるだけ。なるべく穏便に、しかし確実に、今年は牛に退場していかねばなるまい。
これは…………。
一服盛るしかない。
「ねえ、これからどうするの?」
逃走から一夜明け、翌日の朝。水に流され、更地になった元住居で、牛が伏せたまま言った。
彼女、さすがに疲れたようだ。無事に逃げ出した後はまる一日、泥のように眠りこけていた。あれほど憎んだ私が寄りかかっていても、追い払うだけの気力もないようだ。
かくいう私も、休息中である。牛の体に体を預け、仮眠から目を覚ましたところだ。なぜこんな危険牛に寄りかかっているかと言えば、家もなければ火も焚けず、寒いからである。古今東西、体を温める最後の手段は、身を寄せ合うことなのだ。
牛の体は滑らかで、適度にやわらかい。呼吸で上下する体に、疲れ切った体は眠気を訴える。
が、私はまだまだやることがある。昨日は逃げ出した後、即被害状況の確認。今日からは、生命線である畑作りをしなければならない。
元々の畑は、現在は水に流され壊滅状態だ。雑草も生え放題の危険区域になっている。春の間に制圧が、第一課題。休んでいる暇なんてない。
すなわち、牛への返答はこれである。
「これから、大豆を植えます」
「植える?」
「植えて増やすんです。倉庫にまだ腐ってない大豆があるけど、食べちゃダメですよ」
「大豆あるの!?」
がばっと牛が立ち上がり、寄りかかっていた私は放り出される。だめだ、この牛空腹だ。
目がらんらんとしている。牛の視線の高さの大豆、もうほとんど腐っていたからなあ。
「今年植える用の大豆ですから。こう、まるくて平べったい器の大豆は絶対に食べちゃダメですからね!」
「まるくて平べったい!」
「絶対に、絶対にダメですから――――あっ!」
行ってしまわれた。
私の制止も聞かずに行ってしまった。
……あれほど駄目だと言ったのに。
ああ、大豆を食べられたらどうしよう。困った困った。
しばらくして倉庫に行くと、牛が白目を剥いて倒れていた。まだ息があるのか、息苦しそうに口をぱくぱくさせ、時おり小刻みに痙攣する。
倒れた牛の前には、食べ荒らされた大豆入りの皿がある。
この大豆、よくよく見ると、大豆大の別のものが混ざっている。まるで細い根を輪切りにしたような――――。
……はっ! これはまさか、トリカブトの根!?
花から根までまんべんなく有害で、秋には特徴的な花が咲くけど春は他の草と見分けがつかなくて、探すのに苦労するというあのトリカブト!?
こんな風に大豆と同じ大きさに刻まれてしまったら、混ざっていても気がつかないじゃないか。
いったい誰が、こんなひどいことを……!
南無三!
しかし、死んでしまったものは仕方がない。
生きてる? なら、早く楽にしてあげないと(焦燥感)。
その大きな体は、私の血肉となって生きることでしょう。しかたないね。
あ、内臓はよく洗っておかないとね。こわいからね。
というわけで、不自由な体のまま解体。
皮を剥ぎながら、もしかしてこれが最期の牛肉になるかもしれないなあ、などと考える。
さすがに同じ手は使えないだろうし、あまりに謀殺しすぎては、疑われてしまうかもしれない。
……となると、まとまった脂身の定期的な取得も難しくなるわけだ。
ここ最近、月一で牛がまるごと一頭手に入るおかげで、野生の獣を取る習慣が薄れていた。罠を使えば小動物は狩れるが、脂身という点ではかなりしょっぱい。猪や鹿はうかつに手を出せないし、そもそも獣避けに拠点を柵で囲っているので、めったに見かけることもなくなっていた。
ふむ。
ならば、今のうちに作っておくしかあるまい。
本日の夕飯は揚げ物だ。
まずは木綿豆腐を一丁用意。
半丁は薄切りにし、半丁は厚切りに。切った豆腐は布に挟み、よく水分を抜いておく。
その間に焚火を起こし、脂身の入った鍋を火にかける。
油がすっかり溶け、透明に変わったら、切った豆腐を入れる。このとき、鍋は少し火から離し、弱火でじっくり揚げること。
きれいなきつね色に揚がったら、最後に一度強火にかけて油をきる。
油からあげたら、しばらく冷まして――――。
ほいできた。
大皿の上に、油揚げ六枚、厚揚げ三つ。
揚げたての油揚げはサクサクで美味い。厚揚げは表面はぱりぱり、中身はしっとり柔らかで、これも美味い。
さあ食え、クロ食え。
クロいないんだよ!
あの野郎、木になりやがって。
クロに大豆を食べさせないと世界が戻らないのに、そもそも本人が食べられない形状ってどうよ?
いや待て、あれ、口あるな?
試しに差し出してみようか。
駄目だった。
まず近寄れない。
射程範囲に入った途端に私に襲い掛かってくる上、油揚げに見向きもしやがらない。
ついでだから、射程範囲を確かめて、その周辺に柵を立てておく。ここから先は禁域につき、注意。
そして、射程範囲ギリギリの位置に、油揚げと厚揚げの乗った皿を置いた。
ついでに味付け用の塩と、のどに詰まらせないように水も添える。
それらを前に、食べてくださいの意味を込め、手を合わせる。なむ。
凄みある大樹。
それを囲う柵。
供物と祈り。
これぞ、原初の信仰である。
お供えをした後は、家の跡地に戻って眠りにつく。
布団も流れ、上着も流れ、牛もいない。焚火の前に横になり、私はひとり、体を丸めた。
春とはいえ、夜は冷える。いつもはニワ子とクロとで雑魚寝だったから、余計に寒さが身に染みる。
一人寝は寂しいのう…………。
クロは木になったし、ニワ子は――――。
………………。
ニワ子!!!!