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45.高野豆腐・厚揚げ・油揚げ(3)

 ド――――――ォジテェ………………。


 ドォジデ――――――…………?


 獣も鳥も逃げ去った静寂の地に、風のざわめきのような音が響く。

 低く、ざらついたその音は、地の底から吹き上げる風のようにも、苦悶に満ちた悲鳴のようにも聞こえた。


 ――――ドォジデ…………ラ……ハ……。


 否。それは確かに声であった。

 血を吐くような、砂を噛む様な、身の毛のよだつ不気味な声だ。

 そしてそれは、嘆きだ。

 人ならざる者。触れてはならない荒ぶる神の、人々への失望だった。


 ――キサ…………ダ……。


 雲さえも、怯えて空から逃げ出した。だというのに、周囲は薄暗い。

 おぞましく黒い大樹の枝が、鮮やかな青空を隠しているからだ。空を覆うように広げられたその枝は、まるでこの世の檻である。

 大樹の幹は、どこか艶めく漆黒である。木にあるべき凹凸はなく、代わりに一点だけ、黒い大穴が開いている。

 穴の中に覗くのは、白い歯と、そこだけ鮮やかな赤い舌。舌が生き物のように蠢き、醜悪な言葉を紡ぎ出す。


 ――――ドォジデ……キサマラハ…………イツモイツモ、ナカヨクデキンノダ…………!!




 解析完了。

 怒りの理由がわかりました。


 ここまでの死亡回数、約二十回。

 年単位で死んでいる。

 なにか言ってるなーとは思っていたけど、その前に食べられるし、牛の悲鳴がうるさくてうまく聞き取れなかったんだよね。

 そして、これだけ食べられても戻らない理由も理解した。

 そもそもあいつ、戻るつもりがない。


 クロは触手が本体だ。となると、人間の姿は変身していることになる。

 変身するためにエネルギーは必要だけど、エネルギーがたまったら即、変身する必要はない。変わりたい、と思ったときに変わるだけだ。

 で、今のクロは人型になりたいと思っていない。

 なぜなら、怒っているからだ。

 私と牛が仲良くできないことに。


 ――ナカマ……ダ……ウ……! キ……ク……シ……サイ……!


 仲間だろう、協力しなさい?

 うーん、この元凶。


 なりたくて仲間になったわけでもなければ、協力する義理もない。だってあいつが大豆食べるのが悪いんだし。あの牛にできる協力なんて、食事になることくらいだろう。


 と言ったら食べられた。理不尽。


 牛は牛で、「いきなり閉じ込められて殺され続けて、なにが仲間よ!」と言って咀嚼された。

 もうだめだ。あれは「クラス全員仲良くしましょう」って言って強引にみんなで遊ばせる、悪気のない先生みたいな存在になってしまった。

 ああなってしまうと、言葉は通じない。生徒側で対策を立てるしかない。


 幸いにして、今回は牛と生存時間が被った。足が触手に捕まって、残り時間は少ないが、交渉と行こう。

 かくかくしかじか。


「仲の良いフリ……?」

 いえす。私は頷いた。

 あいつは私たちが喧嘩することに腹を立てているんだから、こっちで仲良くしているアピールをしてやればいい。人型に戻ればこっちのもんだ。今よりはまだ、言いくるめができる。

「なんでわたしが、あなたと協力しないといけないのかしら」

「そんなこと言ってる場合じゃないって!」

 今の私たちは、触手に引きずられ、口の真ん前まで来ている。喰われる前にアピールを決めなきゃいけないのだ。

「あなたと仲良くするなんて死んでもごめんだわ!」

「状況を理解しろ、この牛――――!!」

 ぷい、と横向く牛に向け、私が心から叫んだ瞬間、まとめて口の中に放り込まれた。

 死んでもごめんなら、牛も本望だったかもしれない。



 再チャレンジ。

「一回だけ! 物は試しだから!」

「ふっ、みじめね。あれだけのことをしておいて、今さらわたしに泣いてお願い?」

 はん、と牛は私を見下ろして笑う。なお、ともども触手に捕獲され済みだ。

「……そうね、いいわ。一度だけ聞いてあげる。あなたが這いつくばって、わたしの足を舐めるならね!」

 この牛――――!

 お前も同じ状況だってわかってるのか!

 と言いつつ、プライドはないのでぺろぺろぺろ。

 生まれたての牛の足なので、かなり清潔。無味無臭。

「いい気味」

 あとでローストビーフにしよ。


 無事に牛肉の協力を取り付け、捕食寸前で仲良しアピールを決行。

 クロの口の前で、私と牛肉は肩を組んだ。と言っても、私が牛肉の肩に手を回し、牛肉が私に頭を押し付けるだけなんだけど。

「クロ! ほら、私たち仲良し! トモダチ!」

 作り笑いを浮かべ、私は声を張り上げる。いつもならノンストップで口の中だが、今回は触手の手が止まる。

 お? 効果あり?

「もう喧嘩しない! 協力する! だからもうこの辺で」

 ――――ヌ。

「はい?」

 ――――シンジラレヌ。

 思ったよりも疑り深い。

 今回も駄目だったよ。




 再復帰。

「ちょっと! あなたの言う通りにしたのに、全然だめだったじゃないの!」

 起きて早々にそう言われては、温厚な私もちょっぴり激おこである。

「はあー? 自分じゃ何のアイディアも出さないくせに、人のせいにはするんですかぁ?」

「あなたからお願いしてきたんでしょう!」

「へえええ? 助かるための意見出した方が悪いんだ? そういう理屈、人間社会では聞いたことないなあ?」

「牛を馬鹿にしているの!?」

「馬鹿にしてる、なんて一言も言ってないですー。もしかして、脳みそまでホルシュタインなんですか???」

 ――――ヤッパリ、ナカワルイ、デハナイカ!

 いやはや、ご慧眼。




 もうこうなった以上、仲良しアピールによるクロの説得は無理だ。

 ならば逃げるしかない。


 現在、クロの大樹を中心に、枝が私たちを取り囲んでいる。

 復活後は、この囲んでいる枝が集まってきて、私たちの手足を捕まえ、そのまま口の中へ引きずり込むのだ。

 武器なし。体力なし。四方はぐるりと囲まれている。触手の腕は強力で、一度捕まれば逃げられない。

 だけど、チャンスが全くないわけではない、と思う。

 触手は復活後に私たちを捕まえる。すなわち、復活直後はまだ自由の身なのだ。

 そして、復活する場所は予測が可能だ。一番大きな食べ残し部分が、私たちのリスポーン地点になる。


 すなわち、触手の囲いの外に死体を放り出せれば、触手を振り切り逃げられる可能性があるのだ。

 ただし、これは一人では不可能な作戦だ。

 食べ残しは基本、クロの周囲にしか散らばらない。復活するほど大きな部位を、わざわざ範囲外に飛ばすには、自分以外の、生き残った誰かに協力してもらう必要がある。


 というわけで、かくかくしかじか。

「なるほど……」

 牛肉は神妙に頷いた。

「いいわ。わたしに損もないし、協力してあげる。…………でも、逃げるのがわたしでいいの?」

 うむ。と私は首肯する。私だけ先に逃げても罪悪感はないのだが、たぶんそれをすると、牛肉(本物)とクロが永遠に戻らなくなる気がする。

 クロのこの惨状は、私と牛肉の不仲が原因だろう。だから、とにかくまずは二人が生き残らなければ、彼の気を鎮めることはできないはずだ。

「ただし、逃げた後で、斧を持って戻ってきてほしい。外から投げ入れるだけでいいから」

「斧? そんなもの、あれに効くわけないじゃない! わたしの蹴りも効かないのよ!」

 まあそうなんだけど。

「……ま、わたしが助かるならなんでもいいけれど。じゃあわたし、先に行くから。ちゃんと助からなかった場合は、覚えてなさいよ」

 牛肉はそう言うと、触手への抵抗を止め、大人しくクロに食べられた。

 私は残された牛肉の後ろ足を抱え、それこそ死ぬ気で放り投げる。あ、失敗。

 やべ、触手包囲網の中だ。やっぱり一般女子の腕力で、牛の足一本を投げるのは無理があった。やべやべやべ。

 えーっと、は、早めに食べられよう!

 クロ、ちょい早めに食べて! ゴリッ。よし!

 さあ生き返るぞ生き返るぞ生き返るぞ!


 はい生き返った! 牛肉よりちょっと早い! セーフ!

 復活しはじめた牛の足を触手の外に蹴り出し、事なきを得る。


 牛肉は触手の外で復活すると、私を無言で見下ろした。

 だが、それは一瞬のことだ。触手が伸びていることに気がつくと、彼女はすぐに踵を返し、遠くへ去って行った。


 …………あいつ、戻ってくるかなあ。





 戻ってきた。

「使いなさい!」

 牛はそう言って、触手包囲網の中に、青銅の斧を蹴り入れる。

 この時の私は、復帰した直後。すでに触手に足を取られた状態だった。


 ナイスタイミング!

 もしかして、ちゃんとタイミングを計っていたのか? 意外に義理堅い牛だ。


 私は投げ入れられた斧を手にすると、迷いなく振り上げた。

 足は掴まれているが、触手の口はまだ遠い。今が一番のチャンスであり、これ以外のチャンスはない。

「触手なんて切れないわよ!」

 触手範囲外から、牛が叫ぶ。もちろん、そんなことはわかっている。この黒くおぞましい触手は、きっと地上のどんなものでも切断できない。

 でも。

「切るのは触手それじゃない」

 私は斧を振り下ろす。

 まっすぐに――――。

「――――私の足こっちだ!!」

 触手に絡まれた右足の膝半分。それを切り落とすように、私は膝に斧を突き立てた。

 血が溢れる。衝撃に、頭の奥が白くなる。痛みが火花のように弾け、全身に染みていく。牛の悲鳴が聞こえる。私自身も、悲鳴を上げているかもしれない。

 でも、気を失ってたまるか。

 骨が砕け、繊維がちぎれ、触手は私の足の半分だけを引きずる。その隙に、私は斧を支えに立ち上がった。

「は……っ、早くなさい! また来てるわよ!」

「わかってる!」

 私を逃すまいと、触手たちが向かってきている。でもあと少し。体が触手範囲外にさえ出ればいい。

 あと少し。あと一歩。あと――――。

「…………しまっ」

 た。

 ぬるりとした触手が、私の手をつかむ。私の足が、触手の範囲から出た瞬間だ。冷たくて、ねとりとしていて、決して逃れられない。絶望的な感覚だった。

 ふんばれない。足に力が入らない。

 ここまできて、くそ……!

「なにやってんのよ、のろま!」

 ぐい、と私の肩が掴まれる。

 掴まれる? ――いや、違う。牛の口にくわえられ、引っ張られている。

「あだだだだだだ!!」

「早く! 早くなさい!」

「あががががががが!!!」

 無理。

 いや。

 無理。


 牛と触手。どっちも頑として動かない。

 その強さ、万力並みである。両側から、万力で引っ張られている。

 股裂きの刑に遭った天邪鬼の気持ちがわかる。全身が軋み、引き裂かれる感覚だ。両腕持って行かれそう。

「痛がっている場合じゃないわ! 戻りたくないでしょう!」

 わかっている。

 境界線でもがく私に向けて、触手がさらににじり寄る。今は手の先だけだから拮抗していられるが、これ以上触手の力が増したら、牡牛だって敵わない。

 やるしかない。

 う…………。

「うおおおおおおおお!!!」

 ガン、と斧が地面に落ちる。触手に握られた、私の手首ごと。

 触手の拘束が消えた一瞬、牛は渾身の力を込めて私を引っ張り、触手の外へと放り出した。


 二人とも領域外へと逃げると、無数の触手はするすると引き、幹に捻じれながら絡みつく。

 あとには、不気味な黒い大樹が、まるで何事もなかったかのように生えているだけだった。



 …………拠点内に生えちゃったよ。


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