44.ざる豆腐・絹ごし豆腐・木綿豆腐(2)
虫注意
蚕発見。
完全に家畜化された唯一の虫と呼ばれる蚕。
完全に野生化していた。
真夏の山近辺の森。
近付いた途端に、白くて大きな虫が襲い掛かってくる恐怖。クワの代わりに齧られる痛み。しかして、生存状態で捕まえなければならないもどかしさ。
十数匹の白い芋虫が体に張り付き、あの草を食べる専門の口で、ちょっとずつ私を端から齧るおぞましさは、トラウマとしか言いようがない。蚕の白い体が若干赤くなったのは、どう考えても私の血である。
が、大豆及び大豆水の放出でどうにか死地を乗り越え、蚕を二、三匹だけ捕獲。他の蚕? 全部死んだよ。
凶暴蚕を飼育するために、大きな飼育箱を作る。
細くてまっすぐな枝を集め、糸で結び合わせて、板状にしたものを四角く組み合わせる。中には蚕とクワの葉を敷き詰め、蓋をして封印。私が近づくと襲い掛かってこようとするので、木の枝の隙間から桑の葉を押し込むようにして飼育することにする。
……いや、待てよ?
こいつら大豆の葉を食べんかな?
そしたら無害化して育てられるべ。
食べない。
はー、食べない。なんだこの贅沢者。クワの葉のどこが美味いんじゃ。
仕方ないから、森のクワの木に通い、せっせと葉を回収。
蚕もせっせと葉を食べる。本当に、尋常じゃないペースで食べる。この体のどこに入るのだ、というくらいに食べる。
が、あるときふと、食べなくなった。
葉っぱの上でじっとしたまま、体を丸くしている。
季節は晩夏。まだ暑い日が続くころ。終齢まで育った蚕は、クワの葉に包まるように、ゆっくりと糸を吐き出した。
繭を作るのだ。
蚕が繭を作るころ、私はせっせと農作業をしていた。
山の周辺は、ずいぶん開拓したと思う。煮汁を撒いて木を伐採し、大豆レンガを敷き詰めて安全地帯を確保。農地は広がり、大豆以外の生産も増えた。有用な食料の取れる木々は植え替えて、定期的な採取をできるようにした。
畑の一角を綿花に当てて、綿の量産もしている。冬の間は塩づくりの傍ら、ずっと綿を糸にする作業だ。糸にした後は布を織る。折り機のない今、大物を織ることはできないが、とりあえず必要最低限の布は作った。
必要最低限。すなわち下着用の布であるが、ここは割愛させていただく。
大豆の品種改良も続けている。
原種大豆に比べて、収穫量が多く、成長の早い大豆を優先的に選択し、大豆の特徴を確定させていく。その中でも、粒が大きく味が良ければなおよし。ときどきふと生まれる上質大豆を選別し、また来年に持ち越しをする。
そうこうしているうちに、繭が割れた。
中から蚕の成虫が。
出てこなかった。
うおおおおんウジバエだ――――――!
穴の開いた蚕のすぐそばに、黒い豆粒みたいなかたまりが、二つ、三つ。よくよく見ると、それも蛹である。卵の状態で芋虫に寄生し、宿主が蛹になった途端に孵化。内部を食い荒らしたのち、蛹の殻を破って這い出して来るという。悪名高い寄生虫だ。
しかも、二匹とも寄生されていた。もともと寄生されていたのか、それとも私がとってきたクワの葉が原因か?
おおお……せっかく捕まえたのに……あの死闘はなんだったんだ……。これだから虫というやつは……!
このウジバエの蛹、孵化したら絶対に襲ってくる。蚕はともかく、ハエは断じて無理。なので問答無用で圧殺。
「もったいなーい」
横で見ていたニワ子がぽつりと漏らす。
ニワ子やめて! 食べている姿、見たくない!
失意のまま、翌年に蚕を再捕獲。
慎重に育成した結果、今年も無事に繭になり、今年は無事に成虫になった(安堵)。
ふたを開けると襲い掛かってくるので、木箱の隙間から、中のランデブーを覗き込む。
この蚕……飛ぶぞ!
木箱の中を普通に飛び回っている。これってもしかして、蚕じゃない? 野蚕かな?
野蚕とは、ヤママユやクワコなど、いわゆるひとつの野生の蚕のことだ。別に人間が居なくても生きていけるタイプ。クワを食べていたあたり、クワコだったのかな? たしかに、普通の蚕にしては、繭の形が悪くて、ちょっと黄ばんでいると思った。
よくよく考えれば、蚕って野生では生きていけないもんね。すなわち、私以外に人間のいないこの世界において、家畜化した蚕は絶滅している可能性が高い。もとよりシルクの取れる環境ではなかったのだ。
まあでも、クワコの糸でも、絹は絹でしょう。
幸いなことにオスとメスが入り混じっていたらしく、きちんと交尾もしてくれた。
しばらくすると、木箱に残っている桑の葉に黄色い卵を産みつける。その数、びっしり。
葉っぱの裏がグロいほど卵で埋まる。虫が駄目な人は卒倒するレベルで気色悪い。が、私は駄目でないので無問題。蝉は手づかみできるし、アゲハチョウの幼虫はもれなく突いて触覚を出すタイプです。
それにしてもこれ、全部孵化したらかなりのもんよな。数百匹単位じゃないのか?
さすがは家畜。蚕育てるの余裕すぎる。わはははは。
なんて余裕を出すからいかんのか。
翌年、バイオハザードが起こった。
卵の状態で越冬し、翌年春。海辺の拠点から山に戻った私が見たのは、木箱の隙間から這い出す無数の蚕の幼虫だった。
蚕の幼虫、小さい。蟻程度の大きさなんだね。箱の隙間くらい通り抜けるんだね!!!
この小ささで、この量。大豆を当てればすぐに大人しくなるけど、散り散りになった幼虫たちは、そもそもすべてを見つけ出すことができない。ふとした瞬間に物陰から大群で現れ、襲い掛かってくるホラー。小ささゆえに大豆は当たらず、知らない間に体を齧られ、皮膚の下に入り込む。
皮下の幼虫たちは、人体を齧りながら、さらに奥へ奥へともぐりこむ。さながら、クワの葉を食べるかのように。
幼虫の食欲はすさまじい。この体のどこに入るのか、というペースで食べる。
食べられる方はたまらん。体の中、小さななにかが動き回っているのに、もはや引っ張り出すことも叶わない。はじめは数匹。次第に払いきれず、増えていく虫たち。
じわじわとした痛みは、悶絶するほどの苦痛に変わる。引きずり出そうと傷口をひっかき、血のにじむ穴を押し広げ、指を突っ込んだって、もう虫なんか手の届かないところにいる。
そんなことわかっていても、この体内の痛痒に耐えがたい。痛み、異物感、うごめく不快感。それが虫であるという、嫌悪感。堪えがたく、地面にもんどりを打てば、それを良いことにさらに虫が集まってくる。
真に恐ろしい生き物は、狼や猪ではなく、この小さな虫けらであったか。
獣であれば刺せば死ぬが、小虫は潰しても潰してもきりがない。
普段は大豆レンガで周囲を囲い、虫の侵入を防いでいたが、この虫たちは、私自ら招き入れたもの。
インガオホー。南無三!
食い破られた体は、次第に動かなくなる。動かなければ動かないほど、虫たちはたかってくる。
発狂は許されず、痛みは明確。じわりじわりと死が近づいてくる。
その死は、最後の瞬間まで苦しいものだった。
はい復活! 大失敗!
今回はニワ子やクロともども全滅したので、復帰にえらい時間がかかった。おかげで蚕が繭になっていたので、怒りのあまりすべて煮え湯にドン。中身をニワ子が欲しがっていたので、大豆入りの無毒な煮蚕にしてプレゼントした。
……その蚕、私たちを食べたやつなんだけど、倫理的に大丈夫? 食物連鎖厳しすぎない?
おかげさまで、大豆の種蒔き時期をちょっと逃してしまった。まあ一ヶ月くらいなら平気でしょ。と選別大豆を蒔く。
それから、煮締めた蚕から糸を取り出しつつ、反省会をする。
そもそも、隙間を作ったら駄目だったね。あるいは、隙間をもっと小さくするべきだったか。
しかし、今の私の木工技術だと、隙間なくぴっちりは難しい。なにせ磨製石器時代の人間だもの。木材と言えば丸太。丸太と言えば木材。同一規格で板材を作る技術も、表面をやする能力すらない。
せめて、かんなくらい使えれば、平らな板が作れるのに。そうは思えど、かんなを作る技術もない。
かんなって、だって鉄器でしょう?
カミソリみたいに細く鋭く、鉄材を加工する技術が必要でしょう?
…………。
蚕の繭は、細くしなやかな一本の糸でできている。
これを布にまで仕上げるのは、手作業では骨だ。しかし、折り機を作るにしても、木を削り、組み立てる必要がある。
削るためのかんな。整えるためのやすり。組み合わせるための釘。
これは……文明開化の予感?