39.最後の仲間
名無し発見。
場所は森の中。牛の悲鳴を追いかけて行った先である。
周辺に獣の気配はない。木々は嫌になるほど大人しい。ふだんは足に噛みつく雑草も、今日は遠慮がちな甘噛みだった。
地面がちょっとぬるぬるしている。ぬるぬるした空間を避けるように、木々が身をしならせている。その空間の中央に、どこかで見たことのある、ねじれた紫色の木が生えている。
はい。
久しぶりです神様。
牛さん、足だけ残ってますね。
うーむ、なるほど。上手い具合に死を回避したな?
さすがの名無しも、あのまま森にいたら死に過ぎると思ったのか。ちゃんと対策してきたみたいだ。
しかしこれ、名無しの代わりに私が死ぬやつじゃないですかね。
一歩足を引くと、紫色の木のねじれがほどけていく。無数の足に変わるんですよねわかります。
大豆を投げるが一向に効かない。知ってた。
これはいかんと逃げ出そうとすると、足首を掴まれる。知ってた!
知ってた! これ無理なやつだ! 十回くらい食べられるまで、生還不可能なやつだ!!
足首を掴まれて、ずるずる引きずられて、口だけしかない巨大な体に引き寄せられ。
そのまま、人間そっくりの口の中に放られて、奥歯でゴリッと潰される。
はい死んだ!
私今噛まれた! 体半分感覚なくなってる!
あと十回は味わおうね!
う。
うう…………。
うわあああああああん!!!!
〇
復活。
でも、どうせまた死ぬんでしょ。
まだ二回くらいしか死んでないしね。
けっ。
「起きた!」
ん?
「もう! あんたまた死んで! いや、あたしも死んだけど!!」
んん? ニワ子?
「貴様、自分の命が他人の犠牲の上に成り立っていると理解しているのか?」
お前が言うなオブザイヤー。
「あなたが食べたんじゃないのよ。わたしも、この子も」
誰だ今の。
聞き覚えのない声に、私はうっすらと目を開ける。
天井がある。外は風の音がする。肌が痛むほどに寒くて、背中には藁のチクチクした感触がある。
「ここは……」
山の拠点だ。いつのまに?
私は拠点の家の中に横たわっていた。寝藁の中に埋もれる私を、三者三様に見下ろしている。
ニワ子。名無し。それから…………牛だ。
言いたいことがいっぱいある。
「なんで人に戻ってんの」
名無しに目を向け、私はじとりと言った。
私の死亡カウントは二回。たしか名無しは、私が十回死ぬか、体重の十倍の大豆を食べる必要がある、と言っていたはずだ。
「むろん、貴様らを食らったからだ」
「ら」
貴様、ら?
「貴様と、こいつだ」
「痛かったわ、もう。あんなの二度とごめんよ」
野太い声で牛が言う。心底嫌そうなあたり、そうとうひどい食べられ方をしたんだろう。
へー、牛かあ。たしかに人間の体重の何倍もある。単純に体重換算で考えれば、私の摂取回数も少なくて済むのは納得。
いや納得できねえよ。
「これ」
「指さしちゃ駄目よ、失礼だわ」
この牛、喋ってる。
雄々しい牡牛が、人の言葉をしゃべっている。
「……どこのどなたさま?」
「あらやだ。一緒に食べられた仲なのに」
嫌な仲だ。
「それに、海から助けてくれたでしょう? 助かったわ。もう、あの海で、死んでは生き返りを三年間も繰り返したのよ。浜辺に流れ着いても、すぐに海に流されて、魚にちょっとずつついばまれながら、ゆっくり沈んでは死んで。一番多いのは窒息。だって、そんなに溺れていられないものね。途中で力尽きて、浮き上がることもできずに死んでいったわ。次が失血死。魚の小さな口で肌を齧られ、じわじわ死んでいくの。自殺もしたわ。でも、どうせ生き返っちゃうのよね」
「なんと壮絶な……」
牛の語りは明るく、しかし諦観に満ちていた。とても牛とは思えない哀愁漂う表情に、同情を禁じ得ない。語りながら、ふとした瞬間口ごもり、しばらくどこか遠くを見る。
心に傷を負っているなあ、と思いつつ、私が水がめから水を汲む。喉が渇いたのだ。
そりゃあ、長らく死んでいたからね。水の一杯を飲んで気持ちを落ち着けたいところ。コップ型の土器の中、水が跳ねた瞬間、牛の悲鳴が上がった。
「イヤアアアアアア!!」
同時に、水の入ったコップを蹴り飛ばされた。
眼前一センチ手前を、牛の足がかすめる。
「イヤアアアアアア」
牛そっくりの悲鳴を私も上げた。あっぶね! もうちょっと前のめりだったら死ぬとこだったわ!
「水! 水怖い! 助けて! もう死にたくない! あああああああああ!!」
うーん、すっかりトラウマ。
私も一ヶ月くらい名無しに食われまくったけど、それでもかなり心折れたからなあ。それを三年。ちょっと想像に耐えがたい。
が、それとこれとは別問題。悲鳴を上げる牛を横に、私は名無しにそっと尋ねる。
「なんで牛が、こんなところにいるんです?」
「我とニワ子で運んでやったからだ。貴様らの骨を抱えて、川をさかのぼって戻ってきたのだぞ」
「雪が降っていたから、簡単だったわよ! 動物は冬眠しちゃったもの!」
あ、なーるほど。逆に雪道の方が楽だったんだ。まあ、別の苦労はあったんだろうけど。
名無しが触手に戻っていたから、周辺に動物がいなかったって言うのもあるんだろうなあ。ま、その代償が私の死なわけですが。
「しかし、これで我が保護した三種はすべて揃ったと言うことだな」
三種。
私、ニワ子、それでこの牛?
トラウマを発動して、ニワ子に「どうどう」と宥められている牛?
たくましい角。筋肉質な体。白と黒のホルシュタイン柄。そして、どう考えてもオスの股間。
「オスですよね」
「体だけよ」
ようやく落ち着きを取り戻したらしい牡牛が、げっそりとした顔で答えた。ここだけは、断固とした口調だ。
「いやでも、体はオスですよね」
「体はオスでも、心はメスよ」
あっ、そういう……。
デリケートな心身を持つ牛さんでしたか。
「……名無し、こういうのはアリなんですか」
「アリも何も、彼女はメスだろう」
「いやオスでしょ」
「我にはメスにしか見えん。体の差異なら些末なことだろう。だいたい、体だけで見るなら、貴様だってメスと呼べるかは――――――」
名無しの首がコキッと音を立て、曲がってはいけない方向に曲がった。いや、曲げた。だんだん殺人術が得意になっている節がある。が、こればっかりは当然の報いだろう。
神にとって肉体など些末な物。けっこう。
しかし、牡牛。いや牡牛って。
世界で唯一の牛がオスって。
生産関係ねーじゃん!!
乳製品系の大豆料理どうすんだこれ!!!




