38.海の怪
いや、死んでない。
すぐに大豆を飲み込み、一命はとりとめた。
この世界の食事ルール厳しくない?
付け合わせに大豆必須って、全部醤油か味噌味で食べろってことでしょう。
シンプルな塩味、いいじゃん! 味のバリエーションが欲しいじゃん!
と言いつつ、今までバリエーションもなにもない無調味料生活だったんだけども。
まあ、それはすべて波に流して。
一夜が明けました。探索開始です。
ニワ子と少量の大豆は浜辺の仮拠点に残し、斧を持って海岸沿いを歩いてみる。
第一目標は、まずは水。今朝飲み切っちゃったので、水の残量は完全にゼロ。切羽詰まっている。
第二目標は川。海に流れ込む川があれば、さかのぼって元の拠点まで戻れるはずだ。
第三目標に名無し。これ、見つかるのかなあ。逃げ回っているうちに森の中も通ったから、そこで落としたんならもうバラバラ死体確定だよね。木の養分になるよね。獣に見つかっていたら、食料として持ち帰られて、行方知れず確定。
名無し、戦力的には全く不要なんだけど、世界を元に戻すには必要不可欠なのが厄介だな。あいつに大豆料理を食べさせないと、いくら生き残ったところで一生このままだ。
見つからなかったらどうしようかなー。命の残機を使い切る前に、森を丸裸にするしかないだろうか。一体何年かかるんじゃい。
悶々としつつ、とぼとぼ歩いていると、私はふと違和感に気付く。
そういえば、この辺、昨日獣の骨が転がっていた場所だ。が、今はない。きれいさっぱり消えている。
自然の掃除屋さんかな? この世界では、バクテリアも爆速で働くのか。
……ん? どこからかばちゃばちゃ音が聞こえる。
音の方向は、すぐにわかった。海からだ。
本日も晴天。水平線が良く見える。波は穏やかで、規則正しく寄せては返す。その音に逆らうように、沖の方からばちゃばちゃ聞こえる。
んん? 魚でも跳ねているのか。遠くてよく見えないや。
まあ、見えたところでどうするわけでもないし、それよりもっとやらなきゃいけないことがある。
水だ。水。
食料はなくても一ヶ月生き残れるけど、水はないと一週間で死ぬ。こんなことしてる場合じゃなかったわ!
水発見。
水と共に、海に注ぎ込む川も発見。幅広の川は、中央に小さな洲を作り、反対岸の浜辺とこちら側を分断している。ためしに水を飲んでみたら、ちょっとしょっぱい。汽水だここ。
少しさかのぼると、ちゃんと真水になっている。水筒に水を入れ直して、やっと一安心。
それにしても、思ったより川からはぐれていなかったらしい。まあ、人ひとり抱えて鶏一匹抱えていたんだから、そんな遠くにも行けないか。案外、名無しも近いところで落としてないかな?
となると、仮拠点は川付近に引っ越した方がよいかもしれない。この周辺、草原になっているわりに、雑草が大人しいし、動物の気配もぜんぜんない。虫や鳥たちも見当たらない。
やばいくらいに生物の気配がないのは気になるけど、それはさておき過ごしやすそう。ちょっとニワ子の遺体と荷物、持ってこよ。
戻り際。また海面が揺れていた。
水と帰り道を発見した余裕からか、私はなんとなく立ち止る。
ばしゃばしゃと激しい水面は、目を凝らすとなんとなく、誰かがおぼれているように見える。水面の周辺は、ぼんやりと赤い。
うーん、血?
私が海に飛び込んだら、たぶん同じ目にあうだろうなあ。だって、魚の類が全部的に回っているわけでしょう? ピラニアのいる川に飛び込む様なもんだわ。
魚どころか、わかめや昆布さえもアウト。あいつら全員噛みついてくる。
……海で死んだら、リスポーン地点はどこになるんだろう。海の中だったら完全に詰んでる。浜辺にでも流れ着いてくれればいいけど――あ、浜辺もだめだ。この辺は蟹やら貝やらが無数に潜んでいる。私も往復のたび、足を挟もうとする蟹を踏みつぶしまくってきた。靴がなかったら、今頃足なんてボロボロよ。
あるいは、浅瀬の魚にでも捕まって、また沖に流されちゃうかもなあ。そして食べられ、死体が浜辺に流れ着く、と。無限ループって怖くね?
などと考えていたところ、どうも海の様子が変だ。水面の揺れがこっちに向かってきている。赤い血の糸を引き、浜辺にばちゃばちゃとしぶきを上げる。
おお?
犬かきみたいな動きは、どう考えても人間ではない。これは、名無しの線も消えたか。
というか、なんとなくわかっていたけど、あれって第三の種なんじゃないのか? さもなきゃ、あんなに海で暴れる生き物いないだろう。血が出てるし、凶暴化している魚に齧られたんじゃなかろうか。
それが、なんとしてでも生き残ろうと、浜へ向かってきている。となると、手を貸すこともやぶさかではない。
海岸の漂流物。朽ちた丸太を発見したので、海に向かって伸ばしてみる。もちろん、丸太と言ってもかなり細いものなので、一般女子の腕力でも大丈夫。グッと持ってガッと海に放り込むだけだ。
水しぶきの主は、丸太に気がついたらしい。必死に泳ぎながら近付いてくる。水音がだんだん大きくなり、しぶきがますます大きくなり、ついにその姿に気がついた。
牛だ。
いや、牛は無理。
丸太の端に捕まられても、一般女子の腕力で牛は引き上げられない。引き上げるどころか、抑えることも無理。
ひいっ! 腕持って行かれる!
持って行かれなかった。
私が悲鳴を上げつつ丸太を掴んでいる間、牛もさんざん悲鳴を上げた。ブモモブモモと悲痛な声を上げ、どうにかこうにか浜辺までたどり着けた彼は称賛に値する。
彼。
そう、彼である。
立派なホルシュタイン柄に、立派な角と体を持つ、どう見てもオスである。
分厚い牛皮は、現在は無数の噛み傷がある。海産物たちが噛みついた跡だろう。現在も尻に三匹くらいくっついていて、きっちり肌を噛んでいるんだから、この世界の生き物は恐ろしい。
オスかー。
名無しの言葉を信じるのであれば、この世界に呼ばれたのは全員メスおよび女性である。
ということは、この牛は無関係のどなたかだ。
「あのー」
念のため声をかけてみたが、返ってきたのは「ブモモ」という鳴き声だ。牛だしね。喋る鶏の方がおかしいよね。
ついでに、鳴き声と共に彼の驚愕もちょうだいしてしまったらしい。横にいた私に気がつくと、牡牛は鳴きながら大きく飛び跳ね、そのまま夢中で浜辺から離れて行ってしまった。
向かった先は森の中。あっちも危険だと思うんだけど……。
まあいっか。オスだし。関係ないべ。
牛の悲痛な叫びが聞こえてきたのは、それからすぐのことだった。
これは間違いなく、断末魔の叫びですわ。