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31.石鹸

 生活を整えるうえで、最初に必要なのはなにか。

 風呂である(乙女心)。

 異性から臭いと言われない環境である。


 臭いと言われてから、私はまだ服を替えただけだ。

 誤飲すると血を吐く川では、水浴びもろくにできない。

 そうこうしているうちにも私は汗をかき、垢をためているのである。


 着替えは用意した。

 ちょっと布質に不満はあるけど、バスタオルとタオルに使えるくらいの布もある。

 あと必要なのは、湯船と石鹸。そして浴室だ。


 生活環境を整える第一歩として、私は最初に石鹸を作ろうと思う。


「海に行かなくても良いのか?」

 そう聞いてきたのは名無しである。

 海があると告げたと言うのに、逆に居を構える決意をした私を、彼はいぶかしそうに見ていた。

「ちゃんと準備をしてから、一年後くらいに行くことにします」

「……早く行ってやった方がいいと思うんだがな」

 まあまあ、そう焦らない。

 まずは第一優先事項。身だしなみからだ。


 そういうわけで、石鹸を作る。

 石鹸。作り方はわからないけど、化合式はわかる。油脂を塩基で鹸化させて、脂肪酸とアルコールに分解するあれだ。

 と考えると、なんとなく材料が浮かぶ。

 油は、先日罠で捕獲したタヌキがいるので、ちょっと拝借いたしましょう。

 塩基は…………ええと、ミネラルかな?

 水酸化ナトリウムとか、炭酸ナトリウムとか。ナトリウムなら火山岩から手に入りそうだけど……。

 いや、待てよ。ミネラルなら、カリウムもそうだ。これなら植物にも含まれている。炭酸にするのも難しくない。燃やせばいいんだ。

 ああ、これ――――草木灰か!

 畑の肥料にも使われるやつ。大学では、専門じゃないけど近しいところをやっていた。


 私は大学の生物学科で、生化学を専攻していた。まだ二年次だったから、まあ深いところはやっていないわけだけど、そっち方面にうすらぼんやりとした知識がある。

 生化学は、生物の体を化学的に分析する学問だ。化学式や組成を覚えているのは、この辺りが影響している。目指していた研究室は遺伝関連で、遺伝子の変化の観察や遺伝子操作を行っている場所だった。まあ、目指していただけで専門知識はないわけなんだけれども。

 そして、生物学部の別の専攻では、農学に近いこともやっていた。二年次では、専攻はあまり関係なく生物学科の単位に加算されたので、いくつか顔を出していた授業もある。

 草木灰は、そのあたりで仕入れた知識だ。化学式も覚えがある。炭酸カリウム以外にも、リン酸や、場合によってはカルシウムも含む。草木灰は塩基性なので、酸性の土壌を中和する役割があったはずだ。


 草木を燃やして作る灰。

 ……ということは、大豆でも一向にかまわないわけだ。


 この世界の生物は、死んでなお牙を剥く。大豆のワンクッションを置かなければ、もれなく血反吐を吐く代物だ。

 そんな生物の脂で石鹸を作った場合。もしかして、全身の毛穴から血が吹き出すんじゃないだろうか? 間に大豆を挟んだ方がよくない?


 死にたくないので、大豆石鹸を作る。

 大豆の枯れ草ストックはまだたくさんある。というか、使い切れない。粘土に砕いて入れると言っても、粘土のほうに上限があるので、余った大豆の茎は捨てるしかなかったんだよね。

 草木灰にすれば、来年の肥料にもなるかも? 今後使う当てがなければ、全部燃やしてしまってもいいかもしれない。

 けど、最初なのでちょっとだけ。


 大きな皿状の土器の上に、大豆の葉っぱや、収穫後の殻のさやを集めて、火をつける。

 燃えきって灰になったあたりで回収。

 小さめの鍋に動物の脂を入れ、灰と一緒に火にかける。熱しすぎると脂が空気と反応しそうなので、若干弱火。

 それからしばらく、ぐるぐる混ぜた結果。


 産廃が出来上がった。



 油に灰を混ぜただけだこれ。

 固まらないし、触ってもぬるぬるしているし。ただの動物性油脂だ。

 ええ……。


 どうすればいいんだろうなあ。

 灰そのままが悪いのか。水に入れてみるか?

 と水に溶かした後でやってみるけど、これもだめ。

 うーん。

 濃度不足か? アジサイでもあればどのくらい塩基性の強さがわかるんだけどなあ。時期を逸してしまったか。

 まあ、このへんでアジサイなんて見たことないんだけどね。見つけられたとしても、使用する前に一戦を交えなければならない。


 配合を変えてみるかなあ。

 灰多め、脂多め、同程度。水多め、水少なめ。いろいろやってみたけど、いろんな産廃ができた。

 いかん、心折れる。

 もう寝よ。



 で、翌日。

 …………ん。


 あ、あれ?


 昨日放置した産廃の様子が、少しおかしい。

 表面が少し固くなっている。半数以上は全然変化がないけど、いくつかかたまりができているのがある。

 ためしに表面を回収。薄くてもろいこの感じ、なめらかなチョコレートみたいだ。

 ぬるぬるするのは変わらず。水につけて擦ってみる。

 ……泡立たん。

 んん……上手くいっているのかいないのか。


 でも、表面が固まっているなら、反応はしているってことだ。

 まだ反応途中なのかな? もうしばらく様子を見ておくか。



 大豆の煮汁による虐殺が終わり、森の木々を伐採して数日。

 もう一度石鹸チェック。


 …………。

 固くはないけど、固まった。

 つ、使えるのかな……?

 というか、これは石鹸なのか?

 なんとなく、私がイメージするものよりだいぶ柔らかいんだけど。

 固体というよりも、固めのクリームみたいだ。ハードタイプのヘアワックス程度の強度しかない。


 ぬるっとするのは、脂も石鹸も同じだから、なんとも言えない。

 水につけて擦ってみても、相変わらず泡は立たない。

 ……あ、待て待て。

 水を換え、もう一度手を洗ってみる。水が汚れたらまた交換して、もう一回。

 あっ、泡立った。ちょっとだけ。私の手が汚かったんだ。


 おお……。

 これは、石鹸……なのか?



 結局、何度やってみても石鹸が固形化することはなかった。

 灰を水で溶かして、砂と布を使ってろ過してみたり、煮詰めて濃度を上げてみたりしたけど、なかなか固形には至らない。

 純度が足りないのか。なんか材料が不足しているのか。今のところ見当がつかない。


 ただ、まあ、このクリーム。いちおう界面活性剤の役割は果たしているらしい。

 泡立つし、油汚れがちゃんと落ちる。

 もう、これでいいんじゃないかな。


 ということで、石鹸(仮)の完成です。


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