30.生活基盤
――だから、我は止めておけと言ったのだ。
一度経験して、痛い目を見ている。その慈悲が、悪意なき行為が、世界をどう変えたのかを我は見てきた。
どうせ、ろくなことにはならんぞ。
……警告はした。
かといって、止まるような連中でもないことも、我は理解していた。
こうなることは、運命だったのかもしれない。
それによって、世界が崩壊することも、また。
〇
おからと豆乳の投入により、名無し神からまーた断片的な情報が引き出せた。
こっちはさっぱり意味がわからないんだけど、追加で珍しく、役に立つ情報が出てきた。
「この川を下れば海に出る。そう遠くはない。歩いて四、五時間ほどといったところか」
なるほどなるほど?
人間、徒歩で時速四キロほどだと聞いたことがあるから、五時間として二十キロ。まあ、とんでもなく遠いわけでもないといえる。車なら、ちょっと行ってみようかと思える距離だ。
しかし、現状の大豆以外がすべて襲ってくる世界では、拠点から二十キロも離れるのは辛い。二度と戻って来られない可能性もある。
海かー。
いずれ行くべき場所だとは思っていた。
なんといっても、海には塩がある。塩は万物の味の根源。味噌も醤油も塩がなければ成り立たない存在だ。
ただ、このまま特攻しても死ぬだけなので、ちょっと長期計画を立てないといけないだろう。
長期計画。
すなわち、大豆の大量生産だ。
大豆を作るだけ作って、全方位を大豆で埋め尽くし、物量で海へ攻め入る。これなら安全が確保できるはずだ。
今年の大豆は豊作だったけど、まだ湯水のように使えるほど余ってはいない。来年に期待し、今年もここに居を構え、腰を据えて農業を行う必要がある。
そうなると、気になってくるのが生活基盤だ。
私、今もまだ洞穴暮らし。
布団がわりに藁を敷いて、チクチクしながら生活しているのは、ちょっとどうかと思うんですよね。
食事も手づかみだし。椅子も机もないし。だいたい、まだ風呂にも入っていない。
食料の供給も不安定だ。未だ雑草を食べる日々。動物たちも学習しているのか、罠の効率もぐっと落ちている。魚は釣れるが、効率は相変わらずよくない。
今は、草木の豊かな初秋。食料に困ることはないが、そうこうしているうちにまた冬が来る。
そのとき、去年のように運よく乗り越えられるとは限らない。
むしろ去年は、運悪く乗り越えられなかった二人がいる。
冬を瀕死で乗り越えると、春からの活動が遅れる。そうこうしているうちに、また生活に追われ、大きなことができなくなってしまう。
今の私に必要なのは、安定した生活だ。
遠征をすれば、その間の生産活動は完全に止まる。それを補うことができるよう、生活に余剰を持たせる必要があるだろう。
遠征は、そのまま命の危機につながる。
拠点から離れた場所で死ねば、戻って来られる可能性も少ない。
だから、あせらず、じっくり。
大きく構えて行こう。
と決意を固めた翌朝。
私はニワ子のくちばしで叩き起こされた。
「いつまで寝てるのよ! 起きなさい!」
「えっ、ニワ子!? いま何時!?」
あ、時計ないやこの世界。
日が昇るとともに置き、日が沈むとともに眠る生活だ。
しかし、外を見てもまだ日が出ていない。早すぎる。
「日が出てからじゃ遅いわ! キリキリ働きなさい! あたしのために!」
「……は? はあ?」
「あんたの性格は、もうよーくわかったわ! これから、その曲がった性根をあたしが矯正してあげる! まずは労働よ!」
えっなにそれは……。
強制労働? 奴隷契約かな?
「あたしも覚悟を決めたわ。あたしのはじめてを食べられちゃったんだもの! だから、あんたに責任を取ってもらうの!」
はじめて(の卵)。
語弊がありすぎる。
「あたしにふさわしい、まっとうな人間になってもらうわよ! ちゃんと毎日鶏小屋の掃除をして、朝に水を換えて、餌を切らさない立派な人間にしてみせるんだから!!」
ああっ。ツンデレが押しかけ女房に……!
吹っ切れてくれたのはいいけど、そういう方向に行っちゃうか!
その上暴力ヒロインは健在で、彼女は私の背中を蹴りあげる。痛い、痛い。起きるから許して!
「……うむ。その立ち位置に我がいるはずだったんだが」
ひいひい言う私の横で、名無しが腑に落ちないと言いたげに呟いた。
奇遇なことに、私も腑に落ちない。名無しが初手で雄鶏になっていれば、こんなことにはならなかっただろうに。
「いいから働く!」
はい、はい! 仰せのままに!