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29.おから

 昨晩、大豆を煮込んだ水を、朝一番で外に撒いてきた。

 外の、森に。


 これまでの経験から、大豆は体内摂取が一番よく効くと判明している。

 そして、大豆そのものでなくとも、大豆の茎や葉のかけらなど、大豆派生のものも有用だ。


 大豆水を撒いた周辺は、雑草が一斉に七転八倒しはじめた。

 少し時間をおいて、背の高い草が暴れはじめる。

 昼を過ぎるころには、水を撒いた一帯の木々がざわめき、もがき苦しみ出した。


 この感じだと、無害化されるのは三日後くらいかな?

 念のためもう数日くらい大豆の煮汁を上げて様子をみておこう。

 栄養はあるでしょう。うん。




 外から草木の悲鳴が聞こえる間は、また布造りに精を出す。

 とりあえず、替えの服までは作っておきたい。それが終わったら、外の木々の伐採だ。

 あ、未開拓地へ行くなら靴も欲しいな?

 布を編むのと同じ要領で、わらじ的な物が作れないかな?


 編んだ糸をまとめて太くして、それをきつめに編み込んでいく。なにが正解かわからないけど、とりあえず足の裏より大きくて、頑丈であればよいをモットーに作る。

 なんとなく楕円形になったら、足に合わせて鼻緒の追加。親指に引っ掛けて、ちょっと歩いてみる。

 ………………。

 うん、まあまあ。

 ちくちくするけど、土を直接踏むよりはずっと楽。地面に埋もれた石を踏んで怪我をすることもない。

 履き慣れないからか、鼻緒を引っ掛けた親指の付け根が擦り切れちゃったけど、これはそのうち治るでしょう。靴擦れみたいなもんだ。

 これ、量産しておいて損はなさそう。

 そんな難しいものでもないし、布と一緒に大量に作ろう。



 と、延々と作業をしていると、ついつい考え事をしてしまう。

 気になるのはやはり、先日の名無しの告げた言葉だろう。


 あの男の言ったことは、私にはさっぱりわからなかった。

 かなり断片的だし、確定的なことがなにもない。

 ただ、なんとなく、記憶を取り戻すということがどういうことか理解できた気がする。


 神の琴線に触れる大豆料理が、失われた記憶を呼び覚ます。一つ一つはあまり意味をなさなくとも、たぶん、繰り返すうちにひとつらなりの記憶になるのだ。

 彼の持つ記憶は、世界のものだ。たぶん私にとって理解できるものではないのだろう。

 だから私は、淡々と食べさせ続けるほかにない。


 ただ、どうやら同じ料理では駄目らしい。

 あれ以降、どれだけ水煮を食べても、あの男の口からさらなる記憶が出てくることはなかった。

 だから私は、大豆料理をできる限り思い出す必要がある。

 

 でも。

 もしも私が、覚えている限りの大豆料理を食べさせても、すべての記憶が戻らなかったら。

 私のいた世界はどうなってしまうんだろう。



 ……。

 …………まあ、それはだいぶ先の話やんな。

 考えてもしゃーなし。

 めんどうなことは後回し。切羽詰まったら考えればいいや。



 それより、もっとめんどうで切羽詰まったことば目の前にあるんだしね。


「ニワ子、ごはん」

 返事なし。

「こっち向いて」

 こっち向かない。


 ニワ子の反抗期はますます激化している。

 最近では、すっかり食事も全くとらなくなってしまった。

 今のニワ子は痩せて、毛並みも荒れている。


 ……やっぱり、ニワ子の産む卵を食べ続けたのが悪かったのか。

 一度卵を産んで以降、ニワ子の産卵は不定期だった。二日後だったり、三日後だったり。

 ただ、最近はすっかり止まってしまった。もう、卵を産まなくなって十日目。

 完全に心理的な問題である。


 そりゃあ、自分が産んだ卵を目の前で食べられたらショックだ。

 私だって社会性のある人間なのだ。人の気持ちは想像できるし、鶏の気持ちも想像できる。

 この一年の付き合いで、彼女が暴力的な割に、繊細で傷つきやすい性格であることもわかっている。

 かわいそうだなあ、と思わないわけではない。


 でも、じゃあ卵を食べるのは止めます、とは言えない。

 だって、今後も鶏卵は必要になるのだ。いずれ作る大豆料理のためには、ニワ子の卵は絶対に犠牲になる。

 ニワ子はそれを受け入れなければいけない。未来に先延ばししたところで、なにも変わらないのだ。



 と言ったら、詭弁だと蹴り飛ばされた。

「それなら、必要になったら食べればいいじゃない! あたしのはじめて産んだ卵なのよ! それを、その場で……目の前で……! ああ……あああああ!!」


 完全にトラウマになってる。

 言葉ではもうだめっぽい。



 こうなると、行動で示すほかにない。

 私の力で、どうにかニワ子の心を解きほぐしてみせるのだ。




 悶絶する森の木々の悲鳴を聞きながら、黙々と草履を編みつつ考える。

 若い雌鶏しょうじょの心を開かせる方法。


 うーん。

 うーーーーーーん。


 うーん、あんまり自信はないけど、ここはひとつ、食べ物で釣ってみるか。

 ニワ子に故郷の味を食べさせてあげよう。



 〇



 もともと、なんでニワ子がこっちに来たのか不思議に思っていたのだ。

 触手神に選ばれてしまったということは、元の世界が崩壊する瞬間、大豆と接していたことになる。

 でも、鶏って日常的に大豆に触れるか?

 たまたま大豆が転がり込んで、誰かが投げつけて、それで食べることはあるかもしれない。

 だけどその前に、もっと可能性の高いものがある。


 それが、家畜の飼料。

 大豆粕だ。



 大豆粕は、大豆から油分を搾り取った残りかす。

 どうにかして油を抜き取り、残りをニワ子に食べさせて、そのままなし崩しに和解へ促そうと言う作戦だ。

 大豆油も取れるし、食欲不振のニワ子に栄養もあげられるし、仲直りもできる。

 一石三鳥のすぐれものだ。

 作ったことないけど、早速作ってみるとしましょうか。




 用意するのは、すり鉢、すりこぎ、大豆をひと掴み。

 すりばちに大豆を放り込み、すりこぎで力任せに潰していく。

 ごりごりごりごり。

 油は出ない。

 ごりごりごりごりごり。

 粉々にはなる。

 …………これ、炒り豆でやればきな粉になったんじゃ?

 まあ、それは後で考える。

 どうやら、大豆は潰しただけだと油は出ないみたいだ。

 加熱でもすれば変わるのかな?

 ちょっと火にかけてみよう。


 浅めの鍋にすりつぶした大豆を入れ、火を起こして加熱する。

 しばらくして、鍋に熱が伝わると、やや焦げ臭いにおいがし始めた。

 いかん、空焚きだ。大豆片がチリチリ言い始めている。

 あわてて水を投入。大豆の粉と水が混ざって、ほんのり白っぽく色づいた。大豆水は鍋の端でくつくつと煮え、わずかに重たげなとろみがついていた。

 煮える鍋を見つめつつ、私はぼんやりと考える。

 ……油の抽出というと、あとは圧縮かなあ。


 器に麻布を引っ掛け、鍋の中身を注ぐ。水分は麻布を通して器の中へ。固形の大豆部分は麻布の上に残る。

 鍋を空けた後は、麻布に残った大豆をぎゅっと絞る。圧搾機なんてあるわけがないので、手動もやぶさかではない。

 一年間の野生生活で鍛えた腕力で、ぎゅっと絞った結果。

 油はついぞ出ることはなかった。


 麻布の中に残った、絞り大豆の残りかすを、私は無力さを感じながら眺めていた。

 ぼそぼそとして少し湿った白いそれは、粕は粕でも、私が想定していた大豆粕と違う。

 水を入れた時点で間違っていたのか。そもそも手作業で油を抽出しようとしたのが間違っていたのか。

 えっじゃあ大豆油を作るためには、圧搾機が必要になるの?

 この古代から、現代まで文明を発展させなきゃいけないの?

 何年かかるのそれ。鋼鉄の装置を作るの? まだ青銅器すらも作れていない時代だと言うのに?


 絶望する私の傍で、ふと「コッ」という声が聞こえた。

 しゃっくりめいたその声は、ニワ子の喉から出たものだ。

「…………これ」

 いつも、傍に寄ってきてもくれない反抗期のニワ子が、今はなぜか、私のすぐ傍にいる。

 彼女が見ているのは、私の手の中だ。麻布と、ぼそぼその大豆の搾りかすを、穴が開くほど見つめている。

「これ……おからだわ……」

「おから?」

 おからって、豆腐を作る過程で出るやつ?

「…………食べて、いい?」

 ニワ子はおずおずと私を見やる。その視線には、いつものとげとげしさは抜け、あどけない幼さだけがあった。

「いいよ」

 私が言うと、ニワ子はそっとおからをつつく。一口食べて、彼女は目を閉じた。

「ああ、懐かしい味……ママ……みんな……」

 かすれた声で、ニワ子は言う。人間だったら涙を流していることだろう。

 彼女の瞼の裏にあるのは、きっと元の世界の鶏牧場だ。彼女の母鳥がいて、兄弟たちがいた場所。ニワ子はそこで、思春期特有の悩みを抱えつつも、幸せに過ごしていたはずだ。

 孵卵器から生まれたことは考えてはいけない。

 刷り込みで、たぶんなんか別のものがママになったんだろう。養鶏のおじさんとか。


 ニワ子は私の手の中から、少しずつおからを食べる。

 思ったものは作れなかったけど、彼女の心に変化を与えることには成功したらしい。


 しかし、おからか。

 確かにこれも、家畜の飼料に使われることがあると聞く。

 ニワ子農家がおからを飼料に使っていたのはラッキーとして。

 …………もしかして。


 大豆を絞った残り汁を、私はちょっと飲んでみる。

 む…………。

 甘味のない濃厚きな粉感。ちょっととろんだ舌触り。

 うん。これ豆乳だ。


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