27.鶏卵
で、ちょっと気になっていたんだけど。
「ニワ子ってなんで卵を産まないの?」
ニワ子は純然たる雌鶏だ。
先日、不慮の事故で彼女の体を捌いたときに、内臓も拝見している。キンカンと呼ばれる、卵未満の卵黄の存在も見かけた。卵が産めるはずなのだ。
カルシウム不足?
栄養不足で卵を作れない?
それとも卵詰まりを起こしているのか。インコだったら生死にかかわる事態だ。
私の心配をよそに、ニワ子はカッと毛を逆立てる。
呆然としたように口を開け、体を大きく震わせたあと、彼女は前動作なく私の顎を蹴りあげた。えぐれる、えぐれる!
「さ、さ、サイテー!!」
血の付いた蹴爪を握りしめ、ニワ子がわなないた。
えっ。私なにかいけないこと言いました?
「お、女の子になんてこと言うのよ! 下品だわ! 不潔だわ!!」
「あっ……そういう」
そういう系の話なのか、これ。
単純に食料の確保のつもりでいたけど、思いのほかデリケートな話題だったのか。失敬。
「そりゃあ、あたしくらいの年なら、もう卵を産む子も多かったけど……」
ニワ子は歯切れ悪く、口を曲げながら言う。彼女はどうも、この手の話が苦手らしい。
いや、この手の話ってなんだよ。下ネタを話しているんじゃないんだから。
「そもそも、ニワ子くらいの年っていくつよ」
声からして、十五、六くらいか? もう少し下か?
「四か月」
「四か月とな」
思った以上に若い。
若いっていうか、鶏の年齢なんてピンとこないわ。人間換算してくれ。
「たしかに、四か月だと、卵を産まない子のほうが珍しかったわよ! あたしの友達だって、みんな卵を産みはじめて……でも、みんなまだ不定期で、形だってまばらだったわ。だいたい、小屋だって違うのよ!」
言い訳でもするような口ぶりで、彼女は羽全体を広げて威嚇する。小屋だって違うのよ、ってなんやねん。
「卵が産める大人の鶏が移される卵小屋よ。常識だわ」
鶏の常識は難しい。
思えば、私はニワ子のことをろくに知らない。私のことも特別ニワ子に話したことはない。
元の世界でどうだったか。なんてことは、この世界では鼻をかんだティッシュよりも役に立たないんだから仕方ない。おそらく彼女は、私の名前すらも知らないはずだ。
しかし、今はズボンを作るために再び布を編む日々。腐るほどある時間の中で、ちょっと互いを知るのもいいだろう。あわよくば、鶏卵を得られるかもしれない。
ということで、ちょっと聞いてみた。
人工孵化器出身。養鶏農家のニワ子。
生後四カ月の雌鶏である彼女は、同じ孵化器の生まれである友人たちと、鶏小屋で暮らしていた。
ニワ子のいた農家は比較的自由が利く場所だったらしい。小屋は小さな庭につながっていて、そこを自由に行き来することができた。
庭に出ると、たまに知らない人がご飯をくれる。菜っ葉だったり、豆だったり。網越しに差し出されるそれを齧ると、人間たちがきゃっきゃっと騒いだという。
…………牧場とかでよくある、一袋百円の餌だな?
ニワ子はその餌の中にあった大豆に中って、運悪くこの世界へと来てしまったのだ。
「闘鶏じゃなかったんだ!?」
ニワ子の素性を聞いて、うっかり私は口を滑らせてしまった。
血の付いたニワ子の足が、再び私の顔面を蹴りあげる。
「失礼だわ!」
私の頬肉を削ぎ落し、彼女は憤慨した。そういうところだぞ。
「あたしは普通の雌鶏(女の子)だったの! ただ、この世界に来てから、生きるために仕方なく……」
なるほど、わかる。
やらなきゃいけないと思うと、熊も仕留められるもんだよね。
ただ、ニワ子の手が早いのはやっぱり性格的なものだと思う。もちろん、この思いは黙っている。これ以上傷を増やしたくないからね。
しかしそうなると、やっぱりニワ子は卵が産めてもいいんじゃないだろうか。
ニワ子は養鶏農家の、おそらく一般的な卵を産ませるための鶏だ。同世代でも卵を産みはじめたということは、ニワ子の年齢的にも問題ないはず。卵黄自体は体内にできているのだ。
栄養的なものか。でもここのところは、さほど食事に困っているわけでもない。
そうなると、精神的な部分だろうか?
「…………ニワ子って、卵を産みたいと思ったことはないの?」
「なっ! なにを言ってんの!?」
「ニワ子の口ぶりだと、卵を産むのが普通みたいな感じだったから。嫌がるニワ子が不思議だなあ、と」
本当に、なにを言っているんだろうか。自分でもよくわからない。
「……嫌がっているわけじゃないわよ」
ニワ子はぷい、と横を向く。
「いつかはあたしも卵を産むんだわ。わかっているわよ。ただ…………」
「怖い?」
私の言葉に、ニワ子は振り向かない。ただ、しゅんとしたようにうなだれた。
「少し前までみんなひよこだったのに。ピヨピヨピヨピヨ言っていたのに。どんどん毛が生え変わって、羽毛が白くなって……」
思春期だなあ。
体に変化の出てくる時期。自分たちが変わっていくことが怖いと思う気持ちは、私も覚えがある。だからこそニワ子は潔癖で、強い言葉を吐く。
「この世界に来たら、そんなこと考えなくて良くなったのよ。一年たったのに、年も取っていないの。変わっていく友達も今はいない。ずっと、このままでいられるの」
この世界は、ニワ子の不安を遠ざけてくれる。厳しく険しいけど、優しい世界だった。
「…………ニワ子」
私はニワ子の頭をそっと撫でた。白い毛並みが柔らかく、少ししっとりしている。
「本当にこのままでいいの?」
「なによ」
「変わりたくないってことは、ずっとこの世界にいるってこと。元の世界を壊してできたこの世界を、そのままにするってこと。ニワ子の友達も、仲間の鶏も、みんな二度と帰ってこないってこと」
柔らかい手触りは、まだニワ子が若い鶏という証だ。
「友達と新しい話もできない。もう一回会うこともできない。この世界を戻すためにニワ子が選ばれたのに。このままニワ子は、なにもしないまま何年も暮らしていけるの?」
ニワ子の命は、全世界の鶏の命だ。それだけのものを背負いながら、なにもかも目を逸らして生きていくほど、ニワ子は薄情にはなれない。
「友達に会いたい?」
「…………会いたい」
「じゃあ、変わらなきゃ」
私の言葉に、ニワ子が振り返る。
「…………なによ」
ふてくされた表情に、私は微笑みかける。ニワ子は一度目を伏せると、すぐにカッと目を見開いて、羽を大きく広げて飛びあがった。
「――――偉そうに、お説教なんかして! あんたの言葉なんて、ぜんぜん響かないんだからね!!」
彼女はそう叫ぶと、私の額を鋭い爪で蹴りあげた。
「あ――! すっきりした!!」
鶏も思春期は難しいものだ。
〇
翌日、ニワ子が卵を産んだ。
普通の鶏卵よりも小さく、少しいびつで細長い。しかし、確かに卵だった。
彼女は両羽で卵を抱きかかえ、私を見上げて呟いた。
「どうしよう、私…………」
続く言葉を、ニワ子は感極まったように飲み込んだ。
せっかくなので茹で卵にしてみた。
ニワ子はその後、しばらく口をきいてくれなくなった。
思春期の鶏の扱いは、本当に難しい。