21.増員
大豆……大豆の大量生産……。
醤油を作るとなると、年単位の話になってしまう。
生活用大豆があるので、来年の植え付けに使えるのは百か二百程度。
……場所が足りない。
洞穴外は、木々の生えない小さな空き地となっているが、かまどとトイレ、小さな畑で手いっぱいだ。あの畑は二十株分だから、百大豆植えるとしても単純計算で五倍は必要になる。
どう考えてもスペースがない。
木を切って拡張するか? 川原方面なら、森よりは木々がまばらだから、開拓は少し楽かもしれない。
そういえば、川原周辺でちょろちょろ生えていた大豆はどうなっているだろう? あっちは畑よりも後に植えたから、まだ未収穫だったんだよな。後で様子見に行ってみよう。
ま、それはそれとして。
大豆の植え付けが春だから、それまでには畑の拡張が必要。
それから、拡張した後の手入れも必要だ。
前回の経験から、幼大豆は周辺生物のいじめに遭いやすい。対策も必要だし、単純に水やりの手も足りない。
やることが多すぎる。
どうしようどうしよう。
「……ところで」
一人、今後のことを思案していると、触手男が声をかけてきた。
「これから冬になると言ったはずだが、冬支度は大丈夫なのか?」
洞穴内に、冷たい風が吹き込む。
いつの間にか日が暮れていたらしく、外は暗い。肌に触れる空気の冷たさに、私はようやく気がついた。
なんせ、私は夏全開の姿だ。半袖のシャツにジーンズ、靴下どころか靴もない。
その服も、今は半ズボンとへそ出しシャツに変わっている。今時、小学生だってここまで軽装じゃないわ。
やばいやばい。
大事な実りの秋を、死んで過ごすとはなんたる失態!
慌てて私は洞穴を飛び出した。
食料は!?
全滅していた。
干した肉類は、カラカラに乾いた表面に、ふわふわのカビが生えていた。かまどに置いた猪肉も、なんかへばりついて変なにおいがする。あと、ここもやっぱりカビが生えていた。
そりゃあ、野ざらし雨ざらしだからね。残念だけどゴミゴミアンドゴミ。
肉と一緒に干していた毛皮の類もダメダメのダメ虫。同じくカビにやられていた。全部肥溜めに投棄。
日干しにしていたレンガとタイル!
せ、セーフ!
きちんと乾燥して、風雨の中でも、カビていない。これはやはり、有機物か無機物かってことなんだろう。
刈り損ねた大豆!
あっだめだ。大型獣でも出たのか、根元を噛み切られて踏み荒らされ、根っこしか残っていない。
乾燥させていた大豆の葉や茎類も駄目。ほとんど腐っている。茎の繊維だけが少し残っているくらいだ。
この辺は、ほとんど粘土に練り込み済みなので、まあまあ仕方ない。諦める。
在庫チェックはこんなところ。
やばない?
あんなに余裕のあった食料ストックが品切れ。
冬に役立ちそうな毛皮も生ゴミ化。
追加大豆はなく、土器生産用の大豆の枯れ葉すらもない。
そしてなにより、今までずっと頼りにしていた食べられる野草類が枯れ始めている。
食料の危機だ……!
さらに言えば、私の服装では凍死不可避。
洞穴内で火を焚けば、一酸化炭素中毒で死ぬことも実証済み。火で暖を取ることもできない。
い、いっそ死んで冬を乗り越えれば……?
死んでいる間は痛みや感覚はないわけだし、凍死は比較的楽な死に方だって言うし、もう結構死に慣れているわけだし。
洞穴内には大豆バリアもあるから、死んだところで安心して復活できるよね?
となると、心配事はこの鶏だ。一匹で残すのはしのびない。
なので、ちょっと聞いてみた。
「触手神様、ちょっと」
「……我のことか?」
私の呼びかけに、すごい不満そうな顔していらっしゃる。
「私は死んだら生き返るけど、鶏も生き返るんです?」
「ああ。その生物も貴様と同じ、我が呼び出したものだからな」
触手男は、視線を鶏に向けて頷いた。
「種の残数があれば、生き返ることは可能だ」
ん? 聞きなれない単語。
「種の残数ってなんです?」
「元の世界における、貴様らの種族の総数だ。そうそう費えるものでもないが、無駄にすればそれだけ失われる」
「……種族の総数。私なら、人間の総数ってことですかね」
人間の総数――――世界人口、今何十億くらいだ? 触手のせいで相当死んだけど、さすがに億は超えていない。まだ十数回くらいのはずだ。
鶏はどのくらいだろう。人間より多そうな気もするけど、見当がさっぱりつかないや。
まあ、生き返ることはわかった。死んで乗り越える説も現実味を帯びてきたところで、また疑問が浮かぶ。
「そもそも、なんで種の総数が私の復活と関わるんです?」
「我がそのように定めた。貴様らは、この世界を戻すために残された、種の代表だ。ゆえに、貴様以外の人間種はこの世界にはいない。代わりに、貴様の命となっている」
ん?
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。
「……私以外の人間が、私の命、って、どういうことです?」
「そのまま。貴様が生き返る代わりに、別の人間の命が消費されているということだ」
んん……。
こいつはヘビーだ……。
私が死んだら、私の代わりに誰かが死んで、私が生き返っているってことになりません?
私、もう何度か死んじゃってるんですけど……。
「あ、あの……その消費された命って、今後も消費されたままなんでしょうか……」
「当り前だろう」
まったくためらいもなく男は答える。
おお……もう…………。
「リセット方法とか、なんかないんでしょうか……」
恐る恐る尋ねると、男は少し考えるように、ぎこちない仕草で腕を組んだ。
「ある」
「あるんか」
「世界を元に戻せばいい。大豆の記憶を取り戻せば、世界は記憶が失われる時点まで戻るはずだ。その時点で生きている存在であれば、生きたまま戻ることができる」
おお、よかった。よかった……!
元の世界に戻っても、ずっと罪悪感を抱えて生きていくところだった……!
しかし、こうなると下手に死ぬことはできなくなった。
何十億の死亡ストックがあるとはいえ、数に限りがあると判明したのだ。それに、私が死ねば他の誰かが代わりに死ぬ。これはちょっと、荷が勝ちすぎやしませんかね……。
なんでそんなシステムにしてしまったんだ。神というより、悪魔的な所業じゃないですかね。
というかやっぱり、この無限回復は男のしわざだったんだな。精神の回復も、肉体の回復も、命システムとセットでくっついてきたのだろう。
そんなすごいことができるなら、世界崩壊だって事前に止められたんじゃないのか?
なんでこんな、後手に回るような真似してるんだ。
うろんな瞳を向けるが、男はまるで気にしていない。
一人、興味深そうに洞穴の中を見回しているだけだ。
「薄汚いところだな。腐臭もする」
やかましい。
腐臭はおそらく、私由来だ。
「だが、まあいいだろう。これからしばらく厄介になる身だ。我もわきまえてやろう」
「はい?」
「寝る場所はどこにすればいい? 食事はどうする。我も今は人の身をかたどっている。生態は貴様と同じと心得よ」
「はい??」
「襲われれば死ぬ。食わねば死ぬ。寒くても暑くても死ぬ非力な人間だ。無論、貴様同様死ねば他人の命と引き換えによみがえる」
男は不慣れな様子で体をひねり、私を真正面に据えた。
そして、男も女も魅了するような、魔性の笑みを浮かべて言った。
「しっかりと我の世話をするように。以降、よろしく頼む」
なにがよろしくじゃ。
私はお前に食われたこと、一生忘れんぞ。