15.食べるということ
鶏の朝は早い。
コケー! という突然の鳴き声に飛び起きたのは、まだ空が明るみ始めたばかりのころだ。
眠い目を擦って周囲を見れば、狂ったように鳴き声を上げる鶏の姿が見える。
空になった餌入れを蹴飛ばし、片羽を羽ばたかせながら、鶏はなんども頭を振っていた。
なにごと。
よくよく見れば、鶏のくちばしに血がついている。
すごい勢いで振っている頭の先は、傷ついた右羽の付け根に向かっていた。
付け根の肉を、自分のくちばしでえぐっているのだ。
「ど、どうした!? どうした!?」
ついに発狂したのか!?
慌てて止めようと手を入れても、蹴り飛ばされるだけだった。
ど、どうすれば……!?
おろおろ以外になにもできず、私は鶏の前を何度も往復した。そうする間に、鶏の羽はどんどん血に染まり、傷ついていく。
肉が見え、折れた骨がむき出しとなっても、鶏は止まらない。数々の獣の目をつぶしてきた強靭な足も、右羽を乱暴につかみ、体から離すように引っ張る。まるで、引きちぎろうとしているようだ。体柔らかいな……!?
そうしてついに、鶏の体から、折れた右の羽が離れた。
おおおおお……。じ、自分で自分の羽をちぎりとった。
鶏はゴミでも放るように、足に掴んだ右羽を投げ捨てる。その断面の生々しいことよ。無理に引きちぎったから、血管やら筋やらが丸見えだ。体からも羽からも血は流れ続け、洞穴内を赤く染める。
私は、相変わらず「どうした」のみを発するマシーンみたいになっていた。
だって、他になにを言えっていうのだ。あるいは、なにも言わずに黙って様子を見ろと言うのか。無理無理。この光景観て落ち着いているなんて、そんな胆力ないって!
おろおろの極致に達し、周辺を歩き回るだけの私に対し、鶏の胆力はたいしたものだ。
つんとした顔で自分の右羽を見下ろし、それからまた座り込んで目を閉じる。
まさか、このまま二度寝でもするつもりか。
おののく私の目の前で、異変が起こった。
鶏の傷がみるみる癒えていく。
通常の自然治癒を百倍速くらいしたスピードで、血が止まり、むき出しの傷がふさがり、鶏の傷が消えた。
だけじゃない。
ふさがった傷口から、なにかがちょっと生えている。なにこれグロい。
触ろうとすると烈火のごとく怒られたが、これ…………手羽だ。
店でよく見かける、生の手羽先だ。
はじめは小さな手羽の先だったが、昼を過ぎ、夜になる頃には、ほとんど元の羽に戻っていた。
まだ羽毛は生えていないけど、むき出しだからこそ、たくましくて立派な羽であることは見てわかる。
鶏は平然としている。
この異常な現象を当然のように受け入れ、うとうと眠ったり大豆を要求して私を蹴りあげたりする。
あの、これ、ラスト大豆なんだけど。
猪騒動からこっち、大豆の消化量がヤバかった。猪に投げた分は、回収できるだけ回収したけど、行方不明のものも数多い。加えて、鶏の体調不良に情を出し、残る大豆のほぼすべてを差し出してしまったのだ。
残るは護身用にポケットに入れていた大豆が二、三粒くらい。その大豆の存在を鶏は熟知していた。
私を蹴りあげ、おもむろにポケットに頭を突っ込んで大豆を浚い、食べて満足してまた寝ていた。枝豆も食べた。
そして翌日。
鶏は全快した。
羽は綺麗に生えそろい、元気に歩き回っている。枝豆を食べたり、単独で川まで遠征したり、畑の虫をつついたり。
私は洞穴内でそれを眺めつつ、しばし呆けた。
えーと。
えー、ちょっと考える。
鶏の羽が生え変わった。羽毛じゃなくて、翼の方。
一方で、引きちぎられた方の羽は、猪の踏み跡周辺が酷く膿んで、若干の腐臭を放っていた。内心で、焼いて食べられないかと思って見たけど、いろんな倫理観に触れたので断念したことは横に置いて。
これ、私の腕が生えたのと同じことだよね?
傷が表面化したから、再生がはじまって羽が生えてきたってことだよね。
あのまま腐るのを待っていたら、たぶん治るのはもっと時間がかかったはずだ。
だから鶏は、自分で羽を引きちぎり、傷を作ることで治りを早くした。
鶏は、自分の傷が治ると知っていた。
それで、ためらいなく自分の羽をもいだ。
事実をまとめるとこうなんだけど、頭の中がぐるぐるする。いろんな謎が一気に押しかけて来た気分だ。
鶏、何者?
傷への対処も手慣れている風だし、戦いも慣れているし、大豆も平気だし。
それから、傷を噛み切って治せるのなら、どうして傷を負ったその日にしなかったんだろう。
このときはまだ治る見込みがあったにしても、割と早い段階でアウトだと気付けそうなものだ。なのに、昨日まで待った理由はなんだろう。異様に賢い鶏だし、無意味に痛みを長引かせるようなことはしないと思うんだけど。
と、そこまで考えて気がついた。
私の半身やけども、そういえば治っている。
少し前までいたくて仕方がなかったのに、いつの間にか全快している。昨日、鶏に蹴られた傷まで治っている。
回復が早まっている?
こっちに来たばかりの時よりは遅いけど、狼に襲われたときよりは、ずっと早い。あの時は小さな傷さえ、三日四日は治らず、一週間たってやっと跡がなくなるくらいだった。
なんで? 原因なんだ?
鶏も、傷の治りが早まったってわかったから、自分の腕をちぎったってこと?
………………もしかして、食事?
私はここ数日、猪の肉のおかげでかなりしっかり食事をとれている。
鶏にも、枝豆や大豆を十分な量あげていた。
それ以外に、生活に変化らしい変化はない。
だからこれしか考えられない。
食事の質、量。あるいは単純に、摂取した大豆分の多さなのか。
いずれが影響したのかわからない。
でも、食事とわかっただけでも重大な事実だ。
よかったー!
徐々に回復能力が消えていくのかと震えていたけど、違った違った。
ちゃんと食べていけるなら、ひとまず死ぬことはなさそうだ。
いっそ飢え死にレベルまで絶食して、手っ取り早く死んだ方が幸せじゃない? って少し頭をよぎったけど、ここまでしぶとく生きておいて、今さら死ぬなんてできないでしょ。鶏が何者なのかもわからないし、私がどうしてここにいるかもわからないし、気になって死んでもいられない。
それに、死ぬまでの辛さに耐えられる気がしないしね。飢え死にはきついでしょ。そのうえ、死にきれずにゆるゆる回復しちゃったりしたら、それこそ死んでも死にきれない。
こうなると、ますます食生活の充実が重要になってくる。
食料のストックは山ほど欲しいし、美味しくなければ食欲もわかないので、味も大事になってくる。大豆以外は毒物なので、毒消し用にも大豆はますます必要になってくるわけだ。
猪の備蓄がある今のうちに、今後の食料の目途をつけておかないとね!
久々に体の調子もいいし、やるぞー!