14.猪鍋
一晩腹痛に苦しみ、私は理解しました。
この世界で物を食べるには、大豆が必須であるのだと。
生前の無害化と、死後の毒化は別物なのね。
毒のイメージから植物に限定されるような気がしていたけど、そんなこともない。肉すら毒に変わるのだから、もっと超常的な理由なのだろう。むしろ、無毒なたんぽぽに毒がある時点で気付くべきだった。
そういうわけで、翌日リベンジ。
今回の食材は、早めの処理が必要なモツにします。
まずは鍋っぽい土器を用意します。
直径三十センチ程度の十号サイズ。かまどの形も組み替えて、土器を乗せられるように小さくする。
土器鍋の中には、厳選された雑草と、細かすぎて加工に使えなさそうな骨を敷いておく。
メイン食材であるモツは水洗いし、血と中身をすべて洗い流しておく。寄生虫が見えても、見なかったことにして続行。腸、心臓、胃っぽいもの、よくわからない臓器。すべてまとめて一口大に切る。かなりの量があるので、切りきれなかったものは次回用に土器に戻す。
今回食べる用は、このまま鍋の中にイン。水で満たして火にかける。
灰汁を取りつつしばらく煮立て、火が通ったところで枝豆を投入。大豆よりも効きが悪いので、一粒ではなく大量に。
枝豆が全体にいきわたるよう、また少し弱火で煮て、火からおろして完成。
枝豆猪鍋です。
小さめの器に移し、警戒しつつ一口舐めてみるが、吐き出したり倒れたりはしない。全身に痛みが走ることもない。無毒化したみたいだ。
それでは、炎天下の中で鍋を食べる苦行、はじめます。
以前に作っておいた箸を持ち、覚悟を決めていただきます。
おおっ、ちゃんとそこそこ美味しい。
人間の食べるものの味がする!
豚骨の出汁も効いてるし、癖のある野草の味も、モツの癖の強さとうまい具合に打ち消し合ってくれている。
モツはちょっと血の味が強いけど、コリコリしていておいしい。えらく苦い部位がちょいちょい混じっているのも、ちょっとしたアクセントとして目をつぶれる。
アクのあるモツの味に疲れたら、枝豆の甘みで一休み。ちょっとした清涼剤みたいな感覚だ。
思えばこの世界に来てから、ろくなものを食べていなかった。
大豆保存のため、食事は雑草が主体。さほど美味しくもない草を延々食べるうちに、食欲なんてほとんどなくなっていた。
最低限、死なない程度に腹を満たすだけ。食事なんてほぼ一日一食。それも、詰め込むように食べていた。
だけど今は自主的に、これまでの分も取り返すように食べている。
もう食べられないと箸をおくころには、五、六人前くらいはありそうな鍋が、半分近くにまで減っていた。
満腹。いやこれ食べ過ぎだわ。
腹が驚いて、すごい勢いで消化を始めている。満腹すぎて動けないけど、体が元気になったような気さえしてくる。
満足満足。やっと人心地がついたような気分だ。
やはり人間、草だけでは生きていけないもの。肉の満足感は心まで満たしてくれる。
ただ、欲を言えば、塩がひとつまみ欲しかった。素材に旨みがあるだけに、物足りなさが際立ってしまう。
ほんの少しの塩味が効いていれば。
――そうすれば、もっと美味しくなっただろうなあ。
うっかり浮かんだその考えに、鍋で火照った体が少し冷める。
ないものねだりなんてしても仕方がない。塩なんてどこにもないんだし、それよりも、雑草生活から一歩前進したことを祝うべき。
とは思えども、食事がちょっと豪勢になったばかりに、逆に要求が上がってしまう。今後の食事の心配も減ってしまえば、次に求めるのは味だった。
塩。万物の味覚の頂点。味付けの基本のキ。
今はなにより、塩が欲しい。