11.獣害
枝豆の皮を地面に落とすと、周辺の草がざわざわとする。
虫は逃げ、ミミズがはい出して去っていく。
ただし、翌日にはボロボロにされている。細切れになったあたりで、他の虫たちも戻ってくる。
ふーむ。
大豆そのものではなくても、大豆由来ならダメージが与えられるっぽい。
大豆の煮汁と似たようなものかな。大豆そのものより効果は落ちるけど、怯ませることくらいはできそうだ。
だから土偶を作ってみた。
材料は粘土、砂、大豆の葉。
枯れかけの大豆の葉をかき集めて、カラカラに乾燥させた後、枯れ草がわりに盛り込んでみたのだ。
土偶の形はなんでもよかった。
普通に丸いだけの物体でもよかったんだけど、なんとなく近くにいたから、鶏の形にしてみた。
さっそく、手のひらサイズの鶏土偶を、未大豆の地へ置いてみる。
――――おっ、効果ありそう。
土偶を避けて、周辺の草がくねり出す。どうにかして退かそうと土偶をつつくが、固さと重さでびくともしない。
ただし、直大豆よりも相当効果は薄いらしい。
直大豆ならものの数分で片付くところ、土偶は一時間たっても雑草の制圧ができないままだ。
放っておいて、大豆の自家受粉。水やり、食事、残大豆チェック。かなり節約してきたつもりだけど、あと五十を切っている。
木を削って箸を作ったり、スプーン的な物を作ったり、鶏の頭を一通りなでたりした後、再度確認。
……周りの植物が、ちょっとぐったりしてきたかな?
結局、土偶による制圧は数日を要した。
土偶を中心とした直径十センチ内の植物は、完全無害化。手を伸ばしても噛まれない。
ふむふむふむ。まあ、悪くないでしょう。大豆本体を使用しないままでも、制圧が可能なのは大きい。これは量産体制を取らねばなるまい。
ついでに気がついたんだけど、大豆って他の植物を枯らすわけじゃないのね。
相手を攻撃して弱らせるとかではなく、ただ単に無害化するだけ。無害化した後も普通に育つし、増えたりもする。
これって動物も同じなのかも?
大豆は相手を殺すことはなく、その凶暴性を消し去るだけ。凶暴性が消えるまでは苦しむけど、その後は大豆に触れても平気なる。悪霊に効くお札とか、悪魔にだけ苦しむ聖水だとか、そういうものに近いのかもしれない。豆って一応、魔除けにも使われるし。
この考えが正解だとしたら、以前の狼たちも普通に生きているのだろうか。
そんなことを考えつつ、大豆の葉入り土偶が三つ目完成。ただし未乾燥。
今回は鶏の中身をくりぬいて空洞にしてみた。水も入るし、プランターにもできる。
なんのためにこんな造りにしたかと言えば、単なる趣味だ。ちょっと凝った形にしたかっただけである。
他にも、火を入れられるランタン型とか、ちょうど鶏がフィットする鶏寝所型がある。
大豆収穫後は、さらに茎やら葉が出てくるだろうから、作れるものがもっと増える。そうしたらレンガでも作ってみようかな? 道にするにも建物にするにも、これはかなり使える気がする。
そうこうしている間にも、大豆畑の大豆は、かなり実り始めている。
今はまだ枝豆状態だけど、秋には大豆になってくれているはずだ。
ここまでくると、もう他の動物もほとんど寄っては来ない。特に、小動物の類はほぼ見なくなったと言っていい。
たぶん、体の大きさと大豆の影響力が比例するのだろう。狼でさえ、一大豆に怯み、口に入れたら倒れるくらいなのだ。こうなると、もう寄ってくることができるのは、熊や猪みたいな大型獣くらいに違いない。
危険の筆頭みたいな狼たちも、以前の一件以降、すっかりなりを潜めてしまった。
今も森のどこかにいるのかもしれないが、その姿も、鳴き声を聞くこともない。
夜の間は、獣避けに焚火を残すようにしていたし、どれほど役立つかはわからないけど、土偶もある。
だからきっと、私は油断してしまっていたのだ。
それが来たのは、夏も終わりかけの真夜中だった。
かまどの火が煌々と燃える中、地響きのような足音を響かせて駆け込んできた。
音割れしたような鳴き声と、地面を踏み荒らす音に、私は飛び起きた。
なにごとかと慌てて外に飛び出してみれば、崩れたかまどと燃え残りの火。そして、火に照らされる獣の姿があった。
黒くて分厚い毛皮。突き出した平らな鼻。ずんぐりとした体に、口から空へ向けて伸びる牙。
その巨躯は、狼をはるかにしのぐ。頑丈な太い四足が、重量感のある体を支えている。
――――猪だ!
一匹の巨大な猪が、大豆畑を荒らしていた。
太い前足で地面を掘り返し、口で大豆の茎を折る。けっして、餌を求めて乗り込んできたわけではない。その証拠に、獣は実である枝豆に一切口を付けようとはしていなかった。
「こ……この……っ!」
私は大豆を一つ掴むと、猪に向けて投げつけた。
巨漢の猪は、大豆を当てるのもたやすい。大豆はみごと、猪の胴体に命中した。
なのに、猪はひるまない。
――なんで!?
狼なら、大豆一粒で逃げ出したのに……!
体が狼よりも大きいから?
もしくは、毛皮が分厚いから?
体の大きさが、大豆効果に影響するのは知っている。
それでも、ここまで大豆が効かない相手ははじめてだ。
ただ、不愉快さは感じているらしかった。顔をしかめて、荒々しく鼻から息を吐き出す。
……まったく無効なわけではなく、たぶん、数が足りないのだ。
そう思って三つ四つと投げてみるけど、すべて振り落とされるだけ。
思えば植物も、ずっと大豆に接触しているから大人しくなるのだ。
大豆の効果は、長く傍にいることで効果を発揮する。
……当てるだけじゃ、駄目なんだ。
接触させ続けなければ、あの巨大な猪に大豆は効かないままなんだ。
なすすべのない私を横目に、猪は再び大豆畑を荒らし始める。
前足で大豆を踏み荒らし、口で器用に折って行く。
――――だ、だめだ!!
折れた大豆の茎が落ちる音。土を掘る音。猪の荒い呼吸音。
すべてが絶望的に響いていた。
丹精を込めて作った大豆畑が、淡々と壊されていく。
大豆に頼り切っていた私には、猪に対処するすべがなかった。
武器らしい武器はないし、戦う手段もない。追い払うだけのものがなにもない。
それでも私は、無駄な抵抗とばかりに大豆を投げていた。
せめて口に入ってくれれば。目に当たればと祈りつつ、残った大豆をありったけ投げるが、それは猪の怒りを買うだけだった。
この大豆では、猪は倒れない。だが、猪にとって不愉快であることは変わりない。
猪は大豆畑から、私に視線を移した。まっすぐにこちらに体を向け、鼻から息を吐き出すと、前足を踏み鳴らす。
それから――――。
大豆を投げる私に向かって、勢いよく走りだした。
洞穴内の大豆は、猪を追い払おうと夢中で、ほとんど外に投げつけてしまった。
洞穴内の大豆バリアが薄くなっているのだ。
多少の大豆をものともしない猪は、少ない大豆程度簡単に踏みつぶすことができる。
私は慌てて、残る大豆を握りしめた。
だけど、この程度の大豆、投げたところで猪にはなんの効果もない。せいぜい、より怒らせるのが関の山だ。
避けるだけの広さは、この洞穴にはない。私の反射神経もない。
猪の鋭い牙が近付いてくる。猪の足音に合わせて、ズドンと洞穴の中が揺れた。
――もうだめだ。
手にした大豆も投げられないまま、私は立ち尽くす。
このまま猪に踏みつけられるか、牙で突き上げられるか。それ以外の未来が浮かばない。
痛いだろうなあ。苦しいだろうなあ。
大豆ももうほとんどない。畑も荒らされた。まだ残っている大豆たちも、私を仕留めた後で、今度こそ完全に駄目にされるのだろう。
今までがんばってきたけど、これで本当に終わりだ。
私は諦念に力を抜いた。大豆粒が手から落ち、洞穴内を転がっていった。そのときだ。
絶望する私の前に、白い影が飛び出した。
「コケーコッコッコッコケ――――!!」
甲高い鳴き声を上げ、猛然と猪に向かって行くのは、鶏だ。
彼女は羽ばたきながら猪の眼前に飛び上がると、そのかぎづめを伸ばす。騒音めいた鳴き声と、突然の鶏の襲撃に、猪は虚をつかれたらしい。 一瞬の反応が遅れ、鶏の一撃――――躊躇ない目つぶしを受けた。
猪は悲鳴めいた声を上げた。洞穴内に声が反響する。びりびり痺れるようなその音に鳥肌が立つが、鶏は止まらない。
潰れた猪の目に頭を入れ、なにかを――――私が取り落とした大豆を押し付ける。
猪は再び、轟音めいた声を上げる。苦しみもがき、必死に頭を振って鶏を払い落とす。
落ちた鶏の姿も、猪には見えていないらしい。足をもつれさせ、あらく地面を打ち鳴らしながら、猪は森へと逃げて行った。
足元にいた鶏を、踏んでいることさえ気がつかずに。
「に……鶏……!?」
猪の姿が見えなくなって、ようやく私は我に返った。
猪の足にもまれた鶏は、ぐったりとしたまま動かない。
私は慌てて駆け寄ると、その体を拾い上げた。
息はある。
だが、あちこちに猪の足の跡がある。
特に右の羽は、もろに踏みつけを喰らってしまったらしい。猪の足型のくぼみがあり、広げられたまままったく動かなかった。
〇
鶏の容体は悪かった。
骨が折れたのか、他のところが悪いのか。朝になってもすわりこんで目を閉じたまま、起きる様子を見せなかった。
右の羽が閉じられることはなかった。羽の付け根からは出血もしているようだが、今の私には治す手段もない。
できることはせいぜい、安静にさせることくらいだ。
畑の様子もまた、ひどいものだった。
大豆畑の半数以上はなぎ倒され、掘り返されている。無事に立っているのは、五本くらいだろうか。それさえ、葉や茎を折られているものがある。
倒れた大豆を見ていると、不安ながら発芽を待っていたこと。
芽を守るために必死に考えたこと。
暑い中、すくすくと育つ大豆を見守ってきたこと。
いろんなことを思い出す。
すべてが順当に育つとは思わなかったけれど、こうして荒らされるとは夢にも思わなかった。
ようやく枝豆まで実ったのだ。
あと少しで大豆だった。ほんとうに、あと少しだった。
なのに。
これから大豆になるはずだった無数の実が、あの猪一匹の手によって、ここまで無残な姿に変えられた。
大豆のみでは飽き足らず、鶏までも踏みつぶした。
――――許すまじ。
体の奥底から、静かな怒りが沸きあがる。
この世界にきて、ゆっくり築き上げた私の安寧の地。よくも踏み荒らしてくれた。
人の領域に土足で入ってきたのだ。
だったら、次はどんな目にあっても文句は言えないはずだろう。