9.豆のスープ(無味)
あんな化け物がいるなんて聞いてない。
ここって地球じゃなかったんですかー!? やだー!!
怖くて外も歩けない。
引きこもっていてもあっちから来るかもしれない。
狼すらも軽くボリボリ食べるようなやつに、どうやったら勝てるって言うんですか!!!
としばらく怯えて暮らしていたけど、よくよく考えてみた。
うん、勝てないよね。
ダイナマイトで爆破でもしたら吹き飛ばせるかもしれないけど、現在の手持ちじゃどうやっても無理。棒で叩いても石を投げても、かすり傷も与えられる気がしない。
可能性があるのは大豆くらいかな?
その大豆も、現在の手持ちは百と少し。全部投げても倒せなかったときが、私の終わるときだ。
というか大豆残量少なすぎ。
こっちは扶養が増えて、消費量が二倍になってるんじゃい。それをわざわざ、勝てるかどうかもわからないあの化け物退治に使うなんてもったいなさすぎる。
たしかにあの化け物は怖い。
でも、それより差し迫った生活が私にはあるんじゃないすかね?
当面の化け物対策は、神様にお祈りという方針で、今は大豆栽培に専念しよう。
両腕が回復するころには、そんな結論に至っていた。
腕の回復には、だいたい十日くらいかかった。
初日に狼から受けた傷は即日治ったことを考えると、相当遅れていることになる。
回復前提の捨て身戦法は、今後はできるだけ避けたいなあ。
回復するまでの間はほとんど動けないし、無駄な時間を過ごす羽目になる。
これが、すごく居心地のいい部屋とかならいいんだけどね。
固い床の上で座るか転がるかしかできないのは、心身ともにけっこうきつい。
せっかく鶏がいるんだし、羽毛布団でも作れないかな?
と荒んだ目で鶏を見れば、躊躇なく頭を蹴られる。なんだこいつ。
と思う私の顔を、鶏も「なんだこいつ」と見ている気がする。
この鶏も、かなり謎だよなあ。
蹴られたり突かれたりはするけど、他の動物と違って殺そうってわけじゃないし、大豆は平気だし。
それに、鶏のくせにちょっと賢すぎない?
妙に闘い慣れているような気もするし。
しかし、呼びかけてみても返ってくるのは「コケー!」という耳に痛い鳴き声だけ。
鶏のくせに日本語も話せないのか。
悠々と羽繕いを始めた畜産物は置いておいて。
せっかく腕も生えそろったんだし、そろそろ活動を開始しよう。
ここ最近は日照時間も伸び、気温もどんどん高くなっていっている。
真夏までもう少しというところだろう。
外の大豆の苗は、かなり立派に育ってきている。
柵が窮屈そうだったので取り払ってみたけど、もう周辺の草木からいじめられることもないみたいだ。
そうなると、私の役目は単純明快。健やかな生育を促すために、定期的な水やりをすることだ。
ついでに、畑の拡張もしたいと考えている。
十センチ間隔の種まきは、ちょっと狭すぎたみたいだ。大豆同士で葉が重なって、日光の取り合いになっている。下の方の葉なんてほとんど光が当たらず、しおしおしてしまっている。
こうなるとむしろ、トイレ沿いの大豆の方がのびのびして見える。あの辺は、他の雑草たちにいじめられて、適度に間引きされたからなー。生き残ったのも強い大豆だろうし、これも自然のおきてなのかもしれん。
しかし私は自然に逆らい、大豆を増やす身なのだ。
畑拡張のため、炎天下の中でひたすら雑草を抜く。
あ、だめだこれ。喉カラッカラになる。これはもう干からびる。
洞穴内の水なんて、こうなるともう水じゃない。汗で流れ出るほうがずっと多いわ。
川の水が飲めたらなあ。
あれをどうにかして、安全な飲み水にできないものだろうか……。
茹であがりながら雑草を引き抜いている目の前で、涼しい洞穴の中で羽繕いをしていた鶏が、不意にむくりと起き上がった。
あくびをすると、我が物顔で大豆を一粒くわえて歩き出す。とことことした足取りで、どうやら川原の方へ向かうらしい。
いやいやいやいや、それ私の大豆だから。勝手なことをするんじゃない。
内心ではこれ幸いと思いつつ、畑仕事の手を止めて、私は鶏を追いかけた。
川への道は、回収できなかった大豆から出た新芽が、転々と生えている。
長らく手が使えなかったこともあり、大豆が落ちていると知りながら、発芽するのを止められなかった。無念の大豆道である。
すでに新芽のいくつかは、虫やら鳥やら他の植物やらにいじめられ、育つことなく昇天してしまった。無念。無念である……。
と大豆に思いをはせるのは後でもよい。
とにもかくにも、鶏はひとりで勝手に川へ行き、あろうことか、大豆をその川に落としたのだ。
なんてもったいない!
…………いや、いやいやいや?
鶏に憤怒しかけて、ちょっと様子がおかしいことに気がつく。
大豆を水面に落とした後、鶏は嘴を水につけ、そのまましばし動かない。まったく動かないわけじゃなく、ときおり身じろぎをしているから、自殺しているわけでもないっぽい。
んんんん?
もしかして、水を飲んでいらっしゃる?
あの、私を溺死させかけた毒水を?
しばらくして、鶏は大豆を再びくわえ、水から顔を上げた。
背後に私がいることに気がついても、特に驚く様子もなく、ふん、と鼻で息を吐き出し、目を細める。
そして、悠々とした足取りで、もと来た道を戻って行った。
あの鶏、本当に何者。
思うところはいろいろあるけど、なんでもやってみようの精神。
ポケットの中には、日々の用心のための護身用大豆が常に数粒入っている。
要するにあの鶏がやったことは、もやしと雑草の食べ合わせみたいなものだ。
これまでは、雑草の後にもやしを食べて毒抜きをしていたけど、今回は先に大豆を水に入れて、浄化してしまおう――ってことだと思う。
理屈はまあ、わかるかな?
どうしてあの鶏が知っていたのか疑問だけど、細かいことは気にしたら負けだ。
でもまた溺死するのは怖いので、念のため水面に直接口つけるのは控える。
大豆を手のひらに乗せたまま、両手で水をすくい上げ、川原に体を向けてゴクリ。
うん、死なない!
大豆ってすごい!
なるほどなるほど。こんな使い方もできるんだ。
大豆一粒でこれだけ無害化できるってことは、雑草とかも大豆一粒と一緒に煮ちゃえばいいのかな。生食の場合、同時に口に入れないといけないから、どうしても消費量が多くなっちゃうんだよね。
問題は、どうやって煮るのかってところだけど。
その辺は考えている。
考えているっていうか、そもそも川の水は畑に撒く用に求めていたわけで。つまりは、運搬が大前提なのだ。
運ぶためには器がいる。器があれば、煮物だってできるでしょう。
器はどうするんだって?
例によって例のごとく、作るのだ。
原始時代の体験学習で、土器製作もやったしね!
ほんと、小学生時代の知識が大活躍だ。
大学の生体化学専攻なんて、設備も器具もないこの状況じゃ、なーんも役に立たんもんやね。ペッ。
じゃ、実践行きますか。
小学生には最初から材料が与えられていたけど、今回は材料集めから。
まずは粘土。
これは川周辺を物色する。
川に削られてむき出しになった地面だとか、川の水が運んだ土なんかを見て、それっぽいものは触って確かめる。子供のころの泥遊びで、天然の粘土はよく触ったことがある。粒が細かくて、ちょっと水を含ませると、売り物の粘土みたいに弾力が出るのだ。
色は、赤茶けたものが多かったかな。あんまり自信がないから、とりあえずいろいろ触ってみる。
しばらく探し回った結果、川に突き出した地面の一角に、粘土の層を発見した。
普通に触ると、土の中の虫が噛みついてくるので、必要な分だけ石で削り取ることにする。
ついでに、川原で石も物色。
平らだったり、尖っていたり、持ちやすかったり、なんか使えそうなものを見つけるたびに、洞穴内までお持ち帰り。なんか石器時代に生きている気分。せめて縄文時代に進化したい。
あとは、黒曜石でも落ちてないかなって期待していたんだけど、そうそう見つからないね。
川辺なら転がっていることがあるから、もうちょっと行動範囲が広げられたら探してみよう。
それまでは鈍器で我慢のこ。
粘土の次は、混ぜ物。
たしか、土器は粘土に砂とか繊維を混ぜ込んで、割れにくくしていたはずだ。
どのくらい混ぜればいいのかわからないけど、その辺はいろいろ試してみるしかないね。
ってことで、砂やら枯れ草やらを集めてきた。
これらの材料を水と混ぜ合わせて、弾力が出たら成型。
出来上がったものがこちらになります。
作ったものは五つ。どれもコップより少し大きいくらいの器。
無地の至極シンプルな作りだけど、縁にだけはちょっとくぼみを入れてある。
一つ目に作ったものは、くぼみひとつ。二つ目に作ったものは二つ。一つ一つ、混ぜ物の内容や量を若干変えているから、これで強度を計ろうと言う寸法だ。
うーん、なかなか良い形にできた。
自分で言うのもなんだけど、私、なかなか手先が器用だ。図工も得意だったし、技術では本棚を器用に作ったものだ。勉強は嫌いだけど実験系は結構好きで、あんまり失敗したこともない。
その器用さがこんなところで生きて来るとは思わなかった。
とにかく、作ったものは形を崩さないようにして、冷暗所に保管。しばらく常温で乾燥させた後、素焼きにする必要がある。
土器の乾燥中に、畑の拡張を進める。
今までは素手だったけど、これからは石器の時代。川原で拾ってきた手ごろな石を、さらに他の石で叩いて成型。拾った枝と、枯れ草をよって作った糸状のもので結んで、打製石器を作る。
スコップ――――というよりも、鋤かな?
地面を掘り返す専用。今まで素手で雑草を引っこ抜いていたけど、これでちょっとは楽になるはず。
鋤で強引に周辺の地面を掘ったら、周囲の雑草からすごいブーイングが飛んできた。
直接触るわけじゃないし、大豆をケチって掘り返した結果、周りの雑草がすごい種を飛ばしてくる。花粉も飛ばす。
うるせえ! こちとら人間様じゃ!
と無視して強引な再開発。なんだか私の方が悪役の気分だ。
畑の拡張とは別に、もう少しだけ広めに地面を掘り返す。
ここは、土器を焼くための焚火エリアだ。以前、洞穴内で痛い目にあったからね。私も学習するんです。
焚火エリアは、だいたい二メートル四方。前と違って、今度はちゃんとかまどを作る。
川原の石を丸く、二段くらい積んだ後、一か所だけ穴をあける。直径は、三十センチより一回り大きいくらいかな? 高さは二十センチあるかどうか。
かまどの上部は特に閉じない。本当に丸く囲うだけだ。
で、そこに火を入れる。
きりもみ式の説明は省略。とにかく火がついた。
作った種火を、かまどの中で大きくして、安定したところで、数日間常温乾燥させていた土器を並べる。かまど内部にぐるりと配置し、しばらく。
焼き加減はどのくらいがいいんだろうね?
よくわかんないから、適当なところで燃料を再投入。土器を焼くって聞くと、火の中で燃えているイメージがあるから、全員火だるまになるように豪勢に燃やす。
火の中をじっと見ていると、土器が焦げるように真っ黒になるのが見えた。
これは……いいの? 悪いの??
不安になったので、ひとつだけサルベージ。
長めの枝を火の中に突っ込み、黒こげの土器を一つ引きずり出す。
火の外に出すと、黒い色はすぐに収束して、赤茶けた元の粘土の色に戻った。
うーん、仕上がりが全くわからん。
とにかく他の土器は、燃料切れまで焼ききってみる。
火が消えた後は、冷ます工程だ。
最後まで焼いた土器はまだ触れないけど、先に出した一つはもう乾いていた。
乾いていて、側面に亀裂が走っている。
出すのが早すぎたのか、粘土の質が悪かったのか。一応器の形自体は保っているから、なにかに使えなくもないかな……。
他のも、冷めた順にチェック。
けっこう焼きムラがあるなあ。あと、思った以上に収縮する。普通のコップより小さいくらいになっちゃった。
器の口は割れていたり、欠けていたり。だけど、早くに取り出してしまったものよりは割れ方がマシみたい。
混ぜ物の違いは、パッと見ではよくわからない。こっちは固さに依存かな……。割れやすさとか、長持ちするかとかに影響するのかも。
まあ、次に作るときにまた実験してみよう。
乾燥時間、焼き時間、火力、土器の形。いろいろ試せる部分がある。
……で、ついに土器ができたわけだ。
試しに川の水を汲んでみたけど、きちんと焼き上げた作った四つは、ひとまずのところ水漏れはしていないっぽい。
失敗したやつは、しかたないから大豆置き場にしてる。今までずっと地面に直置きだったし、ちょうどよかったのかな?
移し替えるときにまた大豆数を数えたけど、ついに百を切っていた。
大豆が実るまで、あとどのくらいなんだろう。
まだ花も付いていない状態だから、最低でも数か月はかかりそう。できるだけ節約しないとなあ。
そこで出てくるのがこの土器だ。
拡張した畑に水をやったあと、私はもう一度だけ水を汲む。
そこへ、ちぎったたんぽぽやカラスムギなどと、大豆を一粒放り込む。
かまどの中に土器を置き、火を焚いて沸騰させる。
しばらくすると、土器の中の水がくつくつ煮えてきた。
ちょうどいいところで取り出して…………ん?
どうやって取り出すんだ。
設計ミスだわ。
〇
枝で引きずり寄せようとしたけど、失敗してバシャッてなった。悲しみが深い。
こんな状態だし、落ちたものも平気で食べるけど。やっぱり土まみれのものをじゃりじゃり食べるのは切ない。
鶏が横でハッと鼻で笑っていた。火が用意できたから、あれも焼き鳥にできるんだよなあ。腹の中に大豆を詰めて、七面鳥みたいに焼くの。美味しそうじゃない?
ま、返り討ちに合うんですけどね……。
再チャレンジ。
前と同じように沸騰するまで土器を煮たてた後、今度は普通に火を消した。
火をつけるのも大変だから、できればあんまり消したくはない。でも、寝ている間に消えちゃうわけだし、今回は今後の大豆消費量にも関わってくるので目をつぶる。
コップの中に、煮られた青菜と一粒の大豆がある。土器に触れるくらいまで冷めるのを待ったので、今はそう熱くもない。
よ、よし……。
おそるおそる口をつける。
感じるのは青みのあるお湯の味。生だと食べにくかった雑草も、火を通すことで多少マシになっている。
大豆なしでも、毒を感じない。煮汁に大豆のエキスがあるからだろうか。
おお……。
雑草サラダよりもずっと食べやすいし、一大豆の効果が高い。大豆自体に火も通せて、ここでようやく大豆が見知った味に変わってくれた。
これはアリだ。ずっと雑草ばかり食べてきて、もしかして自分は草食動物なんじゃないかって思い込みがちだった日々に革命が起きる。
火を入れることで、消化吸収も助けられる。煮沸消毒もできる。ちゃんとした料理感もある。
なにより、温かいと言うのがいい。今は夏だし、外はかなり暑いんだけど、それでも温かいスープというのはほっとする。ちょっとだけ文明人に戻った気分だ。
ただし、決して美味しいわけじゃない。
なんせ味がない。いや、素材の味はあるんだけど、素材の味しかしない。
味気ない――そんな言葉がぴったりだ。
今はまだ、暮らしていくのに精いっぱいで、贅沢なんて求めている余裕はない。
だけど、この先もずっと生き延びることができたなら。
……もっと、美味しいものが食べられる生活がしたいなあ。




