8.うねうね
それで、辿りついたのが森の奥。
私は狼に囲まれていた。
大豆の道をたどったはずなのに、おかしくない?
あの道の上を走っている間、たしかに他の生き物の妨害もなかった。走っている間、足の裏がちょっとねちょっとしたけど、草も避けるように生えていたし、狼さえもその道の上には乗らないようにしていたのに。
あの道はいったいなに?
私以外の誰が、あんなものを作ると言うんです?
と困惑しきりだけど、真相追及はあとだ。
下手すると、永遠に真相にたどり着けないまま、狼の無限ご飯になってしまう。
しかし、なにやら狼たちの様子も変だ。
ここまで追い立てておきながら、狼たちもこの場所に戸惑っているように見える。
目の前に私という獲物がありながら、警戒するように周囲を見回し、唸り声を上げていた。
どういうこと?
周りになにかあるの?
首をひねっても、普通の森にしか見えない。鬱蒼とした木々と、妙に存在感のある大木が狼の背後にあるだけだ。
……いや、待て。
狼の背後にあると言うことは、私が逃げてきた方向だ。
だけど、私が逃げたときには、大木なんてなかった。妙に存在感があると言うように、思わず目を引く木なのだ。他の木々よりも色濃く、捻じれた蔦を合わせたような、禍々しさを感じる。そのくせ、葉の類はほとんど見られない。あんな木、嫌でも視界に入るはず。
なのに、記憶にない。
なぜ――と思うより早く、その疑問は晴れた。
捻じれた木が、捻じれた方向と逆に――すなわち、ほどけるような向きに回転した。
巨大な一本の木に見えたものは、今はばらばらにほぐれ、無数の蔦のかたまりとなっている。色は木々よりもずっと濃く――月夜のせいだろうか、なんだか紫色をしているようにも見えた。
率直に――とても率直に、安直に言ってしまうと、触手だ。
一本一本が意思を持つようにばらばらにうねり、周辺の木々をなぎ倒しながら這い寄ってくる。腐臭めいた悪臭と、触手の表面をぬらぬら照らす謎の粘液。
見るだけでおぞましいとわかる。触れてはならない、人知を超えたなにか。名状しがたい、とは、きっとこのことを言うのだろう。本能があれを、危険であると告げている。
それは、狼たちも同様だった。私よりも近い位置にいる狼たちは、その存在を認知した瞬間に、背を向けて逃げ出そうとした。
だが、『あれ』は逃げることを許さない。なんということはないように、狼の体を絡み取ると、口――――口なのだろうか? 触手の内に隠れた暗い穴の中に放り込み、ゴキリ、ゴキリと不穏な音を立てて咀嚼した。
「ひっ――――」
悲鳴にもならない声が、私の喉の奥から漏れた。
狼たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ始める。もはや、私など目にも入らないようだ。
私も同じだ。
狼たちと共に、できるだけあのおぞましいものから逃げようと、両腕を失った痛みも忘れて走り出した。
背後では、また別の狼が捕まったのだろう。
悲鳴のような鳴き声と、骨を砕くような、重たく乾いた音が響いた。
〇
無事に元の洞穴に戻って来ることができたのは、ただ運がよかっただけだ。
あの化け物のおかげで、狼たちを撒くことができ、他の獣たちも大人しかった。化け物から離れるにつれ、だんだん元のように襲ってくるようになったのだけど、そのころには陽も昇り、大豆の道を見つけやすくなっていた。
水音のする、ひらけた場所を目指して進み続けたおかげで、どうにか元の川原までたどり着き、そこから洞穴まで戻って来たという寸法だ。
もうすっかり疲れた。
鶏が大豆をつまみ食いするのも、咎める気にならない。
両腕が使えるようになるのは、今度はいつごろになるだろう。
まあ、こんな状況になっても、死ななかっただけましと思うべきかな。
それにしても、あんな化け物がいるなんて聞いていない。
ここって地球準拠の世界じゃないんかい。大豆以外が襲ってくるだけで、他は真っ当だと思っていたのに、もしかしてそうも言っていられなくなった?
大豆の道だと思っていたものも、たぶんあいつの通った跡だったんだ。
足の裏にこびりついた、ねちゃりとした粘液がそれを証明する。
あの化け物が通った跡は、草木すらも生えなくなる。化け物の傍には動物たちも寄らなくなる。きっとこの世界では、大豆以上に恐れられている存在なんだ。
私はそれを、大豆のせいだと勘違いしてしまった。うかつにも、化け物の足跡を追ってしまっていたのだ。
今回は運が良かっただけだ。たまたま、狼たちがあれの近くにいただけで、化け物の居場所によっては、私たちが……。
…………いや。
いやいやいや、ちょっと待てよ。
化け物の居場所?
あの化け物の通った跡?
それってつまり、あの化け物は場所を移動できるってことにならない?
…………もしかして、この近くまで、来る可能性もあるってことじゃね?




