6.川の水
あれから、鶏が居ついてしまった。
追い出しても出て行かないから、逆に羽をむしって食料及び生活の材料にしようと思ったけど、逆襲され続けたので無念の断念。致し方なく、生存を許している。
その結果、私は鶏の肉を、鶏は私の大豆を虎視眈々と狙う、油断ならない日々が続いていた。
まあ、それは些細なこととして。
結局私は、初夏くらいまでは死んでいたらしい。空がすっかり青くなり、太陽が近い。蝉の声がちらほら増えはじめ、気温は明確に上がっている。
死んだのが春だから、回復まではだいたい一カ月くらい?
そんだけ経てば、私の死体はすっかり腐るというもの。
液状化の始まった死体は、洞穴内に悪臭をもたらしていた。ここに私がいるのに死体って言うのも意味不明だけど、一から作り直されてしまったからには仕方ない。私とは別に、私一人分の肉塊があったのだ。
外に捨てるのは難儀した……。でもさすがに一緒に暮らしたくはない。手ですくっては外にやり、手ですくっては外にやり……。
土の中に埋めたから、来年には立派な肥料となるでしょう。私の死体から作られた大豆を、私が食べる。これが真の食物連鎖なのだ。
当たり前っちゃ当たり前だけど、やっぱり死んで生き返るには、かなり時間がかかるみたい。
死んでいる間は日付間隔が曖昧で、自分が今どうなっているかわからないってところがかなりきつい。
どこかで、ちゃんと日付をチェックできるようにしておきたいなあ。
大豆の育成にかかる期間も調べたいから、これからはちゃんと時間管理しよう。ほらあれ、壁に石で日付を刻んでいくやつ。
四本縦に線を引いて、五日目に四本線に平行に線を入れる。漂流映画なんかでよく見るやつやりたい。ああいうの、たいてい発狂エンドなんだけどね。
そして、死んでいた間の大豆ちゃん。これが意外にもすくすく育っていた。
鶏と野犬の戦いを見るに、もしかして鶏が守ってくれていたのかな? と思うけど、相手は「コケー!」としか言わないから真相は不明。大豆の苗と引き換えに大豆を消費していたわけだし、感謝も特にはしないけどな!
おかげで残大豆は結構減って、二百と少々になっていた。大豆が育つのが先か、ストックが切れるかの勝負。私の消費分に鶏の強奪分が加わって、かなりギリギリになっている。
大豆の苗は、生育の良いもので二十センチくらい。葉が青々と茂り始めて一安心。十センチ間隔だと少し狭そうで、他の株とかぶさっているのがちょっと気になるか。できれば植え替えてあげたいけど、畑にはもう余裕はない。
それと、トイレのために作った大豆道も、ちゃんと伸びてくれていたみたい。畑と違って柵がなかったから、育たなかったものも結構あるけど、生き延びた大豆が道に沿って生えている。
ここまで成長すると、他の植物も簡単には手出しができないらしい。大豆の苗周辺から、植物が減っている。大豆の葉に齧られたような跡があるので、もしかして喧嘩して追い払っているのかも?
なんにせよ、強く育ってくれるのはありがたい。芽が出たての頃のような心配はしなくてもよいのだ。
大豆が育つまでの間、私ものんびりはしていられない。
夏が来るのであれば、次に訪れるのはおそらく、水問題だ。現時点でも日中は、洞穴内の水分で不足を感じている。大豆の苗も、伸びた分だけ必要な水も増え、地面が乾きがちになっている
雨なんて不確かなものも待ってはいられない。きちんとストックできるようにしておかないと。
火についても再検討をしたい。前回の失敗で気持ちはこりごりなんだけど、実際問題としては必須事項。火があるだけで野生動物が寄ってこないはずだし、可能であれば絶やさず燃やせるようにしたい。
なので、火を焚く燃料探しと水探しを兼ねて、ちょっと探索に行ってきました。
残豆量は二百ちょい。洞穴の安全確保のために百と五十ほど残して、残りはジーンズのポケットに詰め込んだ。
このジーンズも、はきっぱなしのまま久しい。私の血と汗と、その他染みちゃいけないいろんなものが染み込んだ逸品。洗濯できるのはいつの日になるだろう。
豆だって、ポケットじゃなくて本当は袋に入れて持ち歩きたい。きんちゃく袋くらいなら、私でも作れる。でもそのためには、針と糸と布の持ち合わせが必要だ。いつまでこの世界にいるのか不明だけど、長期生活になるのなら、そのうち針もつくれるようになりたいなー。
布と糸は、原材料で考えれば同じかな。糸の材料は、原始時代で考えると、麻とか木綿か。麻は知らんけど、木綿だったら見ればわかる。野生でも生えていた気がするから、この近辺にも植わっていればいいけど。
などと考えながら、せっせと道に大豆を置き、雑草を黙らせたところで刈り取っていく。
この刈った草は、知っているものは食用に。知らないものは乾燥させて燃料にする。
この工程があるから、洞穴から遠出するのは時間がかかる。
進行方向は、水音を頼りに決めた。洞穴からでも聞こえた音なので、そう遠くはないと思う。進む際は、藪や茂み、見晴らしの悪いところは避ける。
普通の森なら、他の動物に見つからないよう、茂みの中を隠れて進むのだろうけど、今の私は茂みにすらも襲われる身だ。刈り取る手段が見つかるまでは、草木の密集地帯も避けねばならない。
私がコツコツ進んでいる後ろで、なぜか鶏も付いてくる。大豆を置くとあふれ出てくる小虫をついばみ、殺すだけ殺して、食べることなく捨てていた。
いたずらに殺害するとは、鳥の風上にも置けぬやつ。
まあでも、邪魔する気もなさそうなので無視。
草を抜きながら進むのは結構しんどい。
迷子にならないよう道づくりも兼ねているけど、この工程の一番の意味は、最後に大豆を回収しやすくするためだ。
深刻な大豆不足解消のため、置いた大豆はそのままにしない。リユーズをモットーとして、大豆を置いて進み、大豆を拾って帰るエコロジーを推奨している。
そのためには、生い茂る草が邪魔なのだ。どこにあるのかわからなくなる。
それに、大豆回収時に余計な草があると、回収した途端に襲われかねないし。
そうやって、じりじりと進むこと、さらに数日。
私は念願の川へとたどり着いた。
天気は上々。気温は上昇。
せせらぎの音は心地よく、なんだかテンション向上気味。
などと若干ウキウキしつつ、私は夏の川原を見回した。
川幅は結構広く、五、六メートルくらいはありそうだ。
水の流れは速い。以前にここを山だと感じたことがあったが、この川もけっこう上流の方なのかもしれない。
川の周囲は、石の川原になっている。森林地帯をえぐりとったように、少しくぼんだ形をしていて、大きく蛇行していた。
他の生き物気配は――――今はいないらしい。こんなところで襲われたらひとたまりもないわ。
洞穴からも若干離れているので、逃げるにも逃げられない。手持ちの大豆で応戦するにも限界があるし、ここは慎重に行く必要があるだろう。
川原の石に大豆を置きながら、私は厳戒態勢で川に近付いた。
川の水は澄んでいる。中には、魚が泳いでいるのも見えるが、こちらに気がついていないのか、近寄ってくる気配はない。
――――水だ……!
気分はさながら、砂漠の遭難者である。
たしかに、洞穴の壁や水滴を舐めれば死なない程度に水分が取れていたが、やはりあれでは物足りない。飲んだと言う感覚もないし、飲み口がなんかざらざらしていた。
大豆の苗に水をやるのだって、滴る水を苦行僧みたいな気持ちで手のひらに受け止め、ちょっと集まったら外へ。ぜんぜん足りないから、また一滴ずつ集めての繰り返しだ。
なのに今は、水がこんなに豊富にある。
ばんざーい!
とにかく、この清い水に口を付けたい。のどを潤したい。
その一心で、私は両手で水をすくい上げた。
そのまま一口。うん、おいしい! ゲフッ!
飲み込んだ水が腹から逆流する。
倒れたくないのに、体は素直に正面に倒れた。ようするに、水の中に顔面から突っ込んだわけだ。
顔を水に浸しつつ、しかし私は起き上がれない。口からは泡が出続けるが、息を吸うことができない。
次第に息苦しくなっていく。だけど頭が上げられない。全身にのたうち回るような痛みがある。それとは別に、酸素不足の窒息感もある。
水……お前までもが……!
お前さえもが私の敵になるのか――――!?
よくよく考えれば、水自体は無機物。
しかしそこらの川の中には、もちろんのこと、無数の微生物が潜んでいる。
な、なるほど――――ぐふっ。
人生二度目の死亡体験いきまーす。
洞穴の外。見晴らしのいい川原。周囲は一面敵だらけ。
おわった。




