再び現実世界へ
長い夢を見ていた、そんな気分で目が覚めた。それは覚醒と言っても差し支えない程、央佳にしてはクリアな目覚めだった。目覚ましが鳴るまさに1分前、驚異的な出来事だ。
そんな事を思いながら、今日は一体何曜日なのだとスマホで日にちの確認。同時に自分達が借りている、見慣れている筈の室内をじっとりと眺め廻して。
再び現実世界に戻って来れた感慨に、何となく耽ってみたりも。
火曜日だった、つまりは祥果さんはお休みの日だ。央佳にとっては、もちろん出勤日ではあるけど。ただし今日の日の事を思うと、どうしても出勤する気分にはならない。
何しろ今夜のゲームのインで、再び向こうの世界の住人になる確率がとても高い。こちらで過ごす時間は当然少なくて、それを仕事で潰すには余りにも勿体無い気がする。
暫しの逡巡の後、央佳は有給を取る事に。
央佳の勤める会社は、突発的な休みにも意外とアクティブだ。仕事自体が個人主義なので、自宅にいてもパソコンさえあれば進められると言うメリットが大きい。
そんな訳で、央佳は祥果さんを起こさない様に、こそっと布団を抜け出して。更には玄関先にまで移動を果たし、そこから直接社長の携帯へとテルを入れる。
数分後、特にゴネられる事もなく見事休暇をゲットして。
奥さんと出掛けるのかと、体調不良を全く脳内に連想すらされなかったのはアレだけど。央佳も素直に、まぁそんな所ですと白状してしまった。
とにかく無事に休みは取れた、後は久し振りにリアルで友達に会いたいところ。そのままの姿勢でスマホでライン送信、そんな事をしていると祥果さんが起きて来た。
もう少し寝ていればいいのにと、央佳は労わりの言葉を掛けるけど。
「病気でもないのに、寝てばっかりいられないよ……それより央ちゃん、今日は火曜日らしいよ? 仕事に出掛ける準備、しなくていいの?」
「……ゴメンナサイ、病気でもないのに仮病使って有給取りました……」
てっきり呆れられるかと思ったが、祥果さんはそうなんだと納得模様。彼女も内心、こちらの世界に戻って不安を感じているのかも。妙な話だが、央佳も内心は同じ気分である。
本当に妙な話だ、こちらが自分達が本来いるべき世界の筈なのに。朝食の支度を始める奥さんを眺めながら、央佳は自分の内心と向き合ってみる。
このモヤモヤとした落ち着きの無さの正体は、一体何だろう?
答えは割とすぐに出た、つまりは子供達の不在だ。あれほど賑やかな存在が近くにいないのだ、心に隙間が空くのも尤もな事。央佳は暫し部屋内をうろつき回り、代案として仕方なく自分の枕を膝に抱えて落ち着きを取り戻した。
まるで人形を無くした子供のようだ、我ながらみっともないと央佳は思う。
そんな旦那の姿を目にしても、祥果さんは笑わなかった。食欲はあるかと尋ねられ、多分あるよと央佳の応答に。ハムエッグつけるねと、冷蔵庫を漁り始める。
央佳夫婦の朝食は、大抵いつもこんな感じだ。向こうの世界では、子供達の食欲に合わせて朝から豪華に品数が並んでいたけれど。2人だと食パンとコーヒー、食欲に合わせて追加に1品が精々である。
何しろ朝は出勤時間に追われて、2人共慌ただしく過ごすのが常なのだ。
そんな訳で、久々にゆったりした朝の時間である。いや、向こうの世界ではそれが普通だったのだけど。ただ祥果さんに限っては、お昼を含めて食事の支度が朝から大変だった。
いまもその延長か、朝から昼食の心配をしている祥果さん。何人分作ればいいのと、その感覚も向こうの世界と混線している様子。2人とも、しっかり向こう世界の影響を受けている。
それが良い事なのか重大な悪影響なのか、央佳には判断出来ようも無く。
悩んでいると、まずトーヤからラインの返信が来た。夕方過ぎに、時間を作ってそちらに出向くとの事だ。次いで七海さんから、私も半休とって遊びに行くと。
陽平と琴子さんからも、順次返信が央佳のスマホに届いて来る。用件は一緒で、仕事が片付き次第こちらに向かうとの事で。それを祥果さんに告げると、今度は夕飯の心配を始める始末。
どこか心ここに非ずな調子を、央佳は心配するのだが。
それは自分も一緒かも知れない、仕事中毒の人間が、急に一週間の休暇を与えられた気分。央佳は仕事人間などでは決してないが、どこか空虚な気分は否めない。
それにしても、何故こちらの世界に戻って来れたのだろう? 前回の時もいい加減急過ぎて、何の対処も出来なかったけれど。特に残して来た子供達、一言でも言う時間があれば、多少は心の重みも軽くなっていたのに。
寂しがっていなければ良いけど、せめてちゃんと食べて元気にしていて欲しい。
そうそう、戻って来れた理由を考えていたんだっけ。前回との相似点を考えるに……まず最初に『契約の指輪』だろうか、あれを弄ったり使用したりしている点だ。
最初の時は、死亡ドロップ品になるのを恐れて装備から外してしまった。今回はルカと祥果さんが、危機を感じての“相方の召喚”目的に使用している。
実際、そんな隠し効果があるとは全く思ってはいなかったけれど。
それから第2に、多人数での対人戦に参加してしまった事。闇ギルドの連中と事を構えて、やりたくもないPK戦に身を投じた状況は酷使している気もする。
その結果、『契約の指輪』の使用に行き着いたとも考えられるけど。後は……そうそう、限定イベントの時期とも一致していたような、これは果たして偶然だろうか?
分からない、まぁ今日は休暇を取ったので考える時間はたっぷりある。
「みんなが遊びに来る前に、ちょっとお出掛けしない? 食料と100円ショップと、それから雑貨屋と本屋さんにも寄りたいかな……?」
「それじゃあ荷物持ちは必須だな……分かった、出掛ける支度しよっか」
祥果さんの急な外出提案に、何となく従ってしまう央佳。まぁこんな日常は、いつもの事だし気にならない。それより祥果さんの元気が、少しでも出てくれた方が嬉しい。
夫婦は揃って、いそいそと外出の支度を始めて。20分後には、外出着に着替えてコーポからお出掛けと洒落込んでいた。とは言え至って普段着で、所帯染みている感は否めない。
それでも揃って歩き出すと、何となく晴れやかな気分になるから不思議だ。
遠出も考えたが、祥果さんの挙げたお店は地元の駅前近くの商店街でも揃ってしまう。ただ大きい本屋だけは、生憎と電車を利用しない事には辿り着けない。
祥果さんの考えは、相変わらずにシンプルだった。電車賃を使うよりも、地元にお金を落とした方が喜ばれると。実際、祥果さんはどこのお店でも既に顔馴染みらしかった。
この事実を知った時、央佳は軽いショックを覚えたモノだ。
特に編み物関係の品を取り扱っている雑貨屋では、物凄い顔見知り様で。女性店員さんと、嵐のようなテンポでの情報交換振り。そして買う品を次々と決めて行き、何故か商品と関係ない缶コーヒーまで貰ってしまっていたりして。
相手の女性店員も、祥果さんの旦那さん同伴に少々舞い上がっていたのかも。2本の缶コーヒーを戦利品に、ニコッとこちらに笑い掛ける奥さんを目にして。
奥さんの節約精神が満たされて、央佳も何故か満足の微笑み返し。
100円ショップでは、夫婦2人共玩具コーナーにへばり付いてしまう破目に。普段は全く気にしなかったが、改めて見てみると結構低予算で購入出来るオモチャは多い。
ボールの類いはともかく、折り紙セットやトランプや花札、ちょっと高いがバトミントンのセットや簡単な手品用品も置かれている。2人は熱心に相談して、それぞれ2セットずつ購入する事に。
何しろ力加減も整理整頓も不慣れな子供の事だ、破壊や紛失は織り込み済み。
他にも画用紙や何やら買い込んで、ここまで結構時間を掛けてしまったものの。久し振りの夫婦での買い物も、結構な散財も楽しめてしまったのだから結果オーライだ。
更には本屋でも、子供用の計算ドリルや童話本を中心に買い揃えて。最近の本は高いよねぇと文句を言いつつ、節約家の祥果さんが十冊近く購入に至ってしまった。
呆れる央佳だが、彼も半分の本を選択したので強く文句は言えない。
本屋を出る頃に、陽平と七海さんから携帯に連絡が入って来た。何とか都合をつけて、今からそちらに向かえるとの事で。それに対しては、夕ご飯のリクエストだけ祥果さんに訊ねてくれと言われて。
七海さんは何でも良いとの事だったけど、陽平は久し振りに焼肉パーティがしたいとの返信。それを受けて、祥果さんは新鮮な肉と野菜を求めて、商店街を行き来する。
大荷物を抱えた央佳にしたら、それなりに苦行の時間だったり。
そんな訳で、夫婦が帰路に着く頃には、央佳は安堵の表情を浮かべる始末。コーポの前には既に陽平と七海さんがいて、主達の帰宅を待ち構えていた。
その手には、陽平の好みで買い足した追加のお肉とビール缶のパックが。七海さんはワインの瓶と、どこぞのケーキ屋さんで購入したらしい袋を携えていた。
2人共結構な稼ぎ頭なので、差し入れはいつもゴージャスなのだ。
「祥ちゃん、アップルパイをホールで買ってきちゃった! 後は白ワインとおつまみのチーズ……琴ちゃんも夕方には来るって話だから、飲み会形式ね!」
「こっちは肉とビールな……肉は祥果さんの目分量じゃ、絶対足りなくなるの分かってるから。トーヤにも何か買って来るよう言ってあるから、久々に宴会しようぜ!」
残すよりは良いジャンと、むくれた様な奥さんの呟きはさておいて。こっちの世界では、6人揃っての宴会は久し振りらしい。央佳と祥果さんの分身は、どうも付き合い下手らしく。
と言うより、内情を分かっている陽平達が遠慮していたのが事実らしい。どこか抜け殻かドッペルゲンガー風味だと、恐れて連絡を密にしなかったと言う事情があるようで。
その分、ゲーム内で存分にコミュニケーションを取っていた訳だが。
こうやって、面と向かって話す方が何倍も良いに決まっている。ウキウキ気分なのは両者とも同じ、央佳も酒が強くない事実を忘れて、今夜は飲み明かす所存である。
まぁある程度まで行けば、祥果さんがストップを掛けてくれるのは分かっているが。どの道陽平も、言う程には強くないのだ。トーヤは日本酒党で、アレは底無しだとの噂もあるが。
人格が変わるトーヤを、未だ誰も見た事が無いと言う。
「お昼ご飯どうしよう、ナナちゃんのアップルパイで済ます? それとも3時のおやつに取っておいて、パスタか何か茹でようか?」
「おっ、祥果さんがパスタって珍しいな……央佳があんまり好きじゃないから、お昼の麺類はうどんか焼きそばがこの家じゃ定番なのに」
「本当だねぇ、何か心境に変化でもあったの、祥ちゃん……?」
陽平と七海さんの驚き顔は、まぁこの家の事情を知っていれば当然導き出される推測ではある。央佳がパスタが苦手と言う話も本当で、専門学校時代に単に食べ過ぎて、飽きてしまったと言う情けない種明かしが存在するのだが。
実家では全く親が作ってくれなかったので、その当時は珍しさも相まって。お昼はパスタの一択が暫く続いて、その結果の副産物とでも言おうか。ある日を境に、急に胃が受け付けなくなってしまったのだ。
その経緯を知る祥果さんも、パスタ料理を封印していた訳だ。
ところが向こうの世界で、何気なく子供達に振る舞ってみた所。珍しい料理に大興奮して、お代わりをねだる子が続出。それを見ていた央佳も、数年振りに食べたくなって。
気付けば食傷もいつの間にか克服していた次第、祥果さんも張り切ってパスタ料理のレパートリーを増やしていると言う。その報告を聞いて、じゃあ何か作ってと2人のリクエストに。
冷蔵庫の中身を確認して、それじゃあスープパスタを作るねと祥果さん。
これは子供達に、特に受けが良かったメニューの一つだ。作成時間も、他のメニューとそんなに違わないのが良い。レシピを盗もうと、七海さんが手伝いに一緒にキッチンに立ち。
暫くして、仄かで美味しそうなスープの匂いが漂って来る。
祥果さんのスープパスタは、見た目からして派手で面白かった。スープの部分は至って普通なのだが、浮かんでいる具材が“塊”でその存在を主張しているのだ。
緑色のブロッコリーや茶色のソーセージはともかく、赤いミニトマトや黄色いパイナップルまで入っている。ド肝を抜かれたのは、製作過程を見ていなかった陽平ただ一人。
なんか凄いなと、予期せぬ一皿に呆然としている。
「子供達は大喜びしてたけどな、こういう豪快なのが好きみたいだな。カレーとかも、具材が蕩けて細かくなったのより、じゃが芋や人参がゴロゴロしてる方が好きみたいだし」
「そうだねぇ、見た目とか口当たりも楽しんでくれるから、こっちもついつい色々と試しちゃうんだよねぇ……ハッキリ言って、央ちゃんの好みは最近度外視してるかも……」
「それにしたってこの無法振りは……んむっ、意外と美味しいかも……?」
最初は呆れていた陽平だったが、スープを一口啜ってからガラリと口調を変えてしまった。七海さんも、これはアリだねと、祥果さんに向けてサムズアップの構え。
昼食は、そんな他愛ない遣り取りを交えて進んで行った。軽口や仕事の愚痴から始まって、夫婦の向こうでの生活や子供達との接し方まで。
情報交換をしつつ、悩みや相談を交換し合いながら。
「それにしても、急にこっちに戻されたりしてさ……こっちでの生活に、すぐに馴染めんのか? 例えば仕事の進行具合とかさ、何の前触れも無くバトンタッチされても無理じゃね?」
「あぁ、それが不思議なんだけど……俺の場合だと、仕事場に入ったりパソコンに触った途端に思い出すんだ。例えば夢で見た情景を、不意に思い出す事って無いか? あんな感じ……」
「私の場合も同じかなぁ……? やっても無い仕事を思い出す奇妙さってのは、確かにあるんだけど……でもそれって夢だって同じでしょ、私は割と奇妙な夢をよく見るし」
「あぁ、祥ちゃんの夢の話、聞いてて面白いよね。特に、現実的な性格の祥ちゃんが話す内容とのギャップとか、凄いサイコー」
七海さんのオチはともかく、質問した立場の陽平は納得してくれた模様。それじゃあゲーム世界の話も、やっぱり夢なのかなとの推測は賛同出来ないけれど。
夫婦揃って同じ体験をするとか、日にちがスリップしてる現象とか、不可解な事が多過ぎる。頭脳明晰なトーヤにだって、確かな確証は導き出せていないのだ。
そんな話をしている間に、時間は過ぎて行き。
気付いたらお茶の時間も過ぎ、七海さんの買って来たアップルパイは半分以上が消え去っていた。央佳がスマホを確認して、もうすぐトーヤと琴子さんが来るよと仲間に告げる。
陽平がこの場の面子を眺めて、初期メンバーだなぁと軽口を叩いた。そう言えばそうだ、最初はこの仲良し4人組で幼稚園からずっと行動していたのだ。
小学校の途中から、トーヤがその輪に加わって。
琴子さんに関しては、揃って地元の中学校に進学してからの知り合いである。隣町からの引っ越しか何かで、中学でも新顔として目立っていたのだが。
いつの間にか同じクラスの祥果さんが仲良くなって、自然とメンバーに入って来たような。懐かしいねぇと語る女性陣を尻目に、話を振った陽平は夫婦の今日の買い物を眺めている。
買った本のタイトルを見た陽平は、何となく呆れた様子。
「おいおい、これってモロに子供用じゃんか……周囲に誤解されるぞ、祥果さんご懐妊じゃないかって。ほら見ろ、ナナ」
「……本当だ、童話とか計算ドリルばっかりじゃん! ってか、赤ん坊に足し算や引き算は出来ないでしょ?」
「頑張れば、向こうの世界に持って行ける事が分かったから……そうだ、授業をちゃんと受けた証のボタン、今日お店で買い足しておいたの。2人は何色が良い?」
マイペースな祥果さんに呆れつつ、2人はそれぞれ赤と青を選択する。そのタイミングで一行に合流したトーヤと琴子さん、落ち着く暇も無く祥果さんの質問に答えさせられる破目に。
奥さんの突飛な行動には慣れている央佳だが、トーヤと琴子さんも平然と黒と灰色を選択するのはさすが。そして何事も無かったかのように自分の席を確保、お互い寛ぎモードに。
さすがに長い付き合いだ、あしらい方も心得ていると言う。
そこから女性陣は、軽く夕食の準備に取り掛かり始めた。央佳も焼肉のプレート準備、こんな時の為に割と大き目の奴が買ってあるのだ。
トーヤと琴子さんも、しっかりとお土産を買って来ていた。それを受け取りながら、全員が揃ったのを確認した央佳が重々しく話を切り出す。
ゲーム世界での闇ギルドの襲撃の際に、迷惑を掛けた謝罪と共に。
「あの時は本当に済まん、俺の目論見が甘かった……仲間に不快な思いをさせたうえ、祥果さんまで危険な目に合わせてしまって。元は俺が、皆をゲーム世界に巻き込んだのに。襲撃の備えが不充分だった……正直、朱連がいなかったと思ったらゾッとするよ」
「それはお前のせいじゃないよ、央佳。まぁ平気かと訊かれたら、物凄い悔しいけどな? ただそれは、力が上の連中の暴力に屈した悔しさだよ。そんなの生きてりゃ、幾らでもぶつかる事態だろ……?」
「陽平の言う通りだな……ただあっちは、抗う力を持つ事が可能な世界でもある訳だ。早く強くなって、自分の力で借りを返してやりたいよ」
「私も2人と同じ意見だよ……むしろ真っ先に死んじゃって、祥果を最後まで護り切れなくて申し訳無いって思ってたよ! ……あの時、祥果を護るために颯爽と現れた央ちゃん、格好良かったよっ!!?」
「ナナちゃん……」
照れた祥果さんの反応はともかく、仲間の言葉にはホッとする思いの央佳。琴子さんは蘇生系の魔法が欲しいよねぇと、祥果さんとゲーマー会話に興じている。
後衛同士の話は、結構深い所まで続くみたいで頼もしい気も。キャラの作り込みを含めて、やはりプレーヤーの質は高い方がゲームや戦闘上において有利に運べるのだから。
そっち系の指南役が琴子さんなら、央佳も言う事は何もない。
ところで闇ギルドのPK騒ぎの顛末だが、何とか敵の総大将を討ち取る事には成功して。結構なハンターPや武器防具の報酬はともかく、これで暫く連中はあのエリアへは侵入不可に。
その後何故か、こちらの勝利を知らせる案山子に襲い掛かるアンリの構図に。生き残った面々は、ただ面喰って眺めるのみ。もっともネネだけは、楽しそうに加勢していたけれど。
そして得られる、金のメダルや両手棍などの追加報酬。
ちなみにPK軍団と行動を共にしていた“因業”のルマジュは、不利を悟って従者NPCのワープ手段で逃げてしまった。ずっと相手をしていた朱連は、かなり悔しがっていたが。
従者NPCの数が増えていたとの報告は、ハッキリ言って歓迎すべき事態ではない。今後も絡んで来るんだろうなと、暗澹たる気持ちの央佳だった。
何より仲間に迷惑を掛ける事態の到来が、一番辛くもある。
それでもここにいる仲間は、出来得る限りの援助を無償で申し出てくれる。子供達の教師役だったり、レベル上げの手伝いだったり、自分の時間を削って手助けしてくれるのだ。
だから央佳も、そんな彼らに報いたいと心から思う。そして同時に、連中の“闇”の正体を思い知るのだ。彼らには、無償で愛とか信頼を差し出された経験が無いのかなと。
それとも昔はあったけど、失くして他のモノに八つ当たりしているのか。
同情までは感じない、こちらとしては良い迷惑以外の何物でもないのだから。ただし、いつか彼らにも信頼に足る出会いがあれば良いなとは思う。
それが例えゲーム内であっても、1つの経験としてカウント出来る筈。
焼肉パーティは酒の力も加勢して、随分と賑やかに過ぎて行った。8時を過ぎた頃には、男衆は全員ほぼ出来上がっている始末。女性陣も、七海さんを中心に割と速いペース。
祥果さんが控え目なのはいつもの事、家主としてお持て成しに意識を注ぐ方が気が楽らしく。その分七海さんと琴子さんのペースは早くて、賑やかさは5割増しに。
この辺もいつもの事なので、特に特筆する事も無い感じだったり。
ゲームの話も一段落して、こっちもすぐに新大陸ミッションに取り掛かれるように頑張るよとトーヤの弁。つまりは央佳夫婦から、距離を置かないよとの意味であろう。
央佳としてもそれは有り難い話、子供達の家庭教師は是非とも続けて欲しいのだ。
それから場は、琴子さんの発した何気ない疑問が舵を取って思わぬ方向へ。つまりはこの異世界奇譚、どこがゴールとなり得るのだろう?
陽平の、人生にゴールは無いとの酔っ払いの言葉は、皆の同意で完全に無視された。終わりはある筈だ、例えば夫婦がこのまま二度とゲームに接続しないとか。
逆に向こうの世界で、完全に骨をうずめる可能性だってある訳だ。
「そりゃあやっぱり、一番可能性が高いのは子供の存在だろう……何度か向こうで話をしたけど、あれは絶対にNPCと同じ存在じゃないよな?
子供達の話を聞いた限りじゃ、当人には央佳と祥果さんみたいな戸惑いは存在しない。そこにいるのが当たり前、父親の名前は央佳で間違いなし……。
あの子達があの世界から移動する時が、俺は全ての終焉の時だと思うな」
「移動って……死亡してのキャラロストじゃ無しに?」
「ははぁ、つまりは祥ちゃんがこっちの世界で妊娠すれば、総ては丸く収まるってトーヤは考えている訳だ……なるほどねぇ、何だかあり得そう」
七海さんの呟きに、祥果さんはビックリ顔。4人も産めるかしらと、問題はそこじゃ無い気がする央佳なのだが。だが確かに、トーヤの推測は的を得ている感じもする。
子供達との絆は、魂の奥深くで確かに繋がっている感覚が存在するのだ。祥果さんも恐らく、同じ思いなのだろう。今日の買い物を見ただけでも、それは分かる。
芽生え育った愛情は、子供の人数分確かにそこに在る。
取り敢えずはトーヤの推測を聞いた面々、それならばそんなに心配する事もないのかなぁとの雰囲気が。渦中の央佳にしてもそんな感じ、実際に起きている事件は大変なのに。
もちろん友人達は、引き続き向こうの世界でのサポートを快く引き受けてくれた。それならば央佳夫婦は、全力で子供達の面倒を見てあげれば良いだけの話だ。
今までと変わりがない、これは絆や縁を重んじるゲームなのだし。
酔った友人達は、気が軽くなったと今回の一席を高く評価しながら。それぞれの帰路について、また向こうの世界でねと央佳夫婦のログインを疑いもしない様子。
そこまで気楽になれない当人の央佳も、しかしトーヤの推測を改めて考えてみると。
まるでそれは、友達を巻き込んだ予知夢の様ではないか。祥果さんとの間に生まれる予定の子供達と、ゲーム世界で一緒に冒険をしたり絆を深めあったり。
もしそれが本当に叶ったら、こんなに嬉しい事は無いと央佳は思う。つまりは祥果さんがご懐妊して、最初に生まれて来るのが向こうの世界のルカだったら。
それからメイとアンリが、最後には泣き虫で甘えん坊のネネが我が家に加わるのだ。
身体が熱くなっているのは、何も酒のせいだけでは無い筈だ。未来がこんなに待ち遠しい事など、人生でそんなに無いのではないか。宴会の片付けを手伝いながら、央佳はそう思う。
そして人生のパートナーに選んだ女性を、殊の外愛おしく思うのだった。
その夜、全てが落ち着いた後のゲーム接続は、何やら儀式めいていて妙な気分だった。その一因は、電気が勿体無いとの祥果さんの言葉で暗闇の中でのイン作業のせいもある。
躊躇いが無いのは、良い兆候なのかは判然とはしないものの。央佳にも前回の時のような、奥さんを巻き込んでしまったとの罪悪感は既に無かった。
何しろ子育てはともかく、子作りは一人では出来ない所業なのだし。
今回持って行く予定の品物は、前回より軽く倍以上に増えていた。トイグッズが主な原因だが、何気に本の類いも結構重い。しかも祥果さん、編み物の道具や缶詰などの非常食も持って行くつもりの様子。
いやいや、これは全部子供達の為の道具、央佳にも否は無い。
ヘルメット型の筐体を被っている最中も、隣には温かな奥さんの体温が。絡められて行く指先からは、確かな愛情と信頼が伝わって来る。
異世界へと旅立つのに、それは何よりの推進剤になってくれる――
相変わらず白けた薄暗い空間に、央佳はうんざりしながら周囲を見回した。先程までの奥さんの温かな信頼の証も、子供達の無邪気で真っ直ぐな生命の律動も無い。
そんな場所に興味など無い、当然の答えである。
暗闇は重く、それでいてチカチカと妙な鈍いうねりに縛られていて不快だった。前回は確か、足元に別世界が窺えた筈だ。それを期待して、央佳は視線を彷徨わせる。
今回もその人物の出現は、唐突で央佳の不意を突いた。例のピエロだ、こちらを煙に巻いて楽しんでいる風でもあるのだが。本当にそうなのか、央佳には自信が無かった。
或いはもっと、違う存在なのかも知れない。
咄嗟に思い浮かんだのは、トランプのジョーカーだった。あれはピエロに似てなくもない、切り札でもあり邪魔者・場を乱す者でもあるはぐれ者の存在。
この世界にあって、誰も本当の意味を問わない存在。
それが神様に通じるのかどうか、央佳にはやっぱり自信が無かった。確か向こうも言っていた、自分のフィルターを通して見えるべきモノに視えていると。
まぁ何でも良い、こうして視えているのは恐らく自分か相手に話すべき事がある証拠だ。
『今回は迷う事無く、こちらの世界に戻って来たようだね……君の中で大事な物は、ちゃんと順位付けが出来たのかな?』
「子供達がいないのなら、こんな世界に戻って来たりはしないさ。俺は奥さんが大事だし、こんな野蛮な世界に引きずり込みたくはないからな。でも……彼女がそれを望むなら、一緒にいる事の方が大事だろう?」
『重畳、重畳――絆薄き世にあって、何とも他人を思い思い遣れる心をお持ちであるか。愛情は決して一方通行では無い、絆もまた同じ事……』
ジョーカーだかピエロだかは、どうやら薄く笑った様だった。どうにも真意を計り兼ねて、央佳は思わずその存在をじっと凝視する。
この存在は、人間よりも遥かに格上の筈だった。それこそ向こうの世界で出逢った、風や光の神様よりも。ただの思い込みなのだろうか、どうも良く分からない。
恐らくは、心に掛かっているフィルターが強過ぎるのだろう。
央佳には色々と尋ねたい事があって、それはトーヤとも話し合って来た数々の推論や疑問点だった。例えば、何故こんな風に周期的に元の世界に戻されるのか。
その間の子供達の世話は、一体どうなっているのだろうか?
束の間、何か画像のような物が脳内に侵入して来た。子供達の泣き声、不安と怯え。自分達がいない事に対して、彼女達はこんなにも辛く不安な目に遭っているのだ。
ただ、それが必要な事だとの弁解のような感情も一緒に流れて来ていた。精神と肉体の関係性において、長い間仮の箱に詰めておくのは好ましくないらしい。
はっきりと言葉には出来ないが、つまりは精神に歪みが出来てしまう様だ。
定期的に本来の身体に戻るのは、だから必要な事らしい。子供達には我慢して貰う他は無いみたいだが、何も告げられずに不意に隔絶されるのは何とかならないモノか。
子供達が感じた不安や焦燥を味わったからには、央佳は一刻も早くそれを消し去る為に行動に出たいのだが。それに気付いたのか、ジョーカーはゆっくりと姿を消して行く。
途方もない力を持つくせに、何とも気配り屋さんではある。
――唐突に移動が始まった、願わくば子供達の傷が小さいモノでありますように。




