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竜と聖魔とバツ2亭主  作者: 鳥井雫
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マイスウィートホームグラウンド



 土曜日は休みの日だ、央佳にとっては。ただし、週末2日が休みの旦那と違って、祥果さんはサービス業なので。土日が一番お店の繁盛する日で、従って出勤日でもある。

 そんな訳で、まだベッドの中の央佳を気にしつつ、祥果さんはお出掛けの支度に追われて。局所的に慌ただしい朝の雰囲気の中、やがて人の気配は扉を開けて街へと出て行った。

 行ってきますと、小声の掛け声と共に。


 祥果さんの休日は、お店が定休日である火曜日と決まっている。それから水曜日が、半休で遅出だったり早帰りだったりとシフトが組まれている。

 だから土日が休みの央佳とは、休みが重なる事が無いのが悩みの種で。一緒に出掛けようと思えば、央佳が休みをずらしたり、祥果さんが無理を言って土日に休みを貰ったりと。

 あちこちに気を遣って、休みを取っているのが現状だ。


 央佳にしてみれば、休みが別々な事に関しては特に文句など無かったりして。何しろゲームがし放題なのだ、たまにメールやラインでチェックされるけど。

 さすがに祥果さんも鬼では無い、休みの日ばかりは1日2時間の制限は解除される。だからいつもの休みなら、飛び上がらんばかりに喜んでゲームに接続するのだが。

 今日ばかりは、さすがにそんな気にならないのが実情。


 それでも休日だからと言って、ウダウダと寝てばかりもいられない。ボサボサに逆立った髪を気にしながら、ようやく起き上がってバスルームへ。

 トイレと洗顔を済ませ、リビングに戻ってみると。しっかり者の祥果さんが、朝食とついでに昼食のサンドイッチまで準備をしてくれていた。

 央佳はぼんやりと考える、いつもの日常だと。


 慣例でスマホをチェックすると、陽平からメールが入っていた。昨日のあらましをトーヤから聞いたらしい、詳しい話を聞かせろとの内容だ。

トーヤと琴子さんも来るらしく、午後のスケジュールはこれで埋まった事になる。


 石内陽平(いしうちようへい)と佐々木琴子(ささきことこ)は、子供の頃からの仲良し6人組のメンバーだ。もう一人女性で、椿七海(つばきななみ)と言う名前の同級生がいるのだが。

 七海さんは祥果さん同様、サービス業勤務で土曜日もお勤めがある。その彼女からも、行けない事の文句と埋め合わせについて、長々としたメールが届いていた。

 つまりは、日を改めて食事会を開きなさいよと。


 仲間の通達の中で、当然のように央佳のコーポが集合場所になっていた。夕食の材料は買って行くと書いてあったので、恐らくは琴子さんが腕を振るってくれるのだろう。

 そこら辺は何と言うか、多くを語らなくてもしっかりと準備は整ってしまう。昔からそうだ、阿吽の呼吸と言うか意思が通じ合う仲間ではある。

 誰かが落ち込んでいると、自然と仲間で集合を掛ける的な。


 学生時代には、陽平の実家に集まる事が圧倒的に多かった。学校からは少し離れているが、とにかく家が広いのだ。家族の邪魔にもならないし、少々騒いでも平気なのが良い。

 央佳と祥果さんが結婚した今では、圧倒的にこの安コーポを使用する頻度が高くなっている。それはまぁ仕方が無いのだろう、その心情は央佳にもわかる。

 珈琲を自分で淹れながら、埒も無い事を考えつつ。


 そう言えば、ゲーム世界の珈琲には最初の頃苦労した。央佳は珈琲が好きなのだが、向こうでは味が薄いのだ。色々試して、砂糖を少量入れるだけで良いと知った時の勝利感。

 つまりは、それも自分での調理と認められる訳だ。解消された時の喜びは、何にも勝っていたような気もするが。今味わうこの珈琲の味は、果たしてそれに勝るのだろうか?

 央佳の思考は、自然とゲーム世界での出来事に捉われて行く。


 不思議な体験だった、今となっては懐かしさすら感じてしまう。だけどもう一度行く気にはなれない、天秤の片方に乗る現実の重りが大き過ぎるだけに。

 向こうを選ぶと言う事は、こちらの世界の人間関係を捨てる事を意味する。或いはそうで無いのかも知れないが、果たして次に無事に戻れると誰が保障してくれる?

 何にせよ、リスクが高過ぎて話にもならない。


 例えばこちらの世界の人間関係、親兄弟や親友知人、会社や地域との繋がりを捨ててまで、向こうの世界が大事かと問われれば。さすがにそれは無い、ただ子供達は心配だけど。

 あの子達も、別の場所から連れて来られたと仮定しよう。央佳夫婦が元の世界に戻って来れた瞬間に、彼女達もあちらの世界を後にしたとは考えられないだろうか?

 心配して戻った際に、子供達が普通のNPCに成り下がっていたとしたら?


 そもそも、ゲーム世界に再び戻れるかも定かでは無い。そして彼らのドッペルゲンガーが、留守を預かってくれる保証ももちろん無い。仮に央佳夫婦が10日間こちらを不在にした結果、大騒ぎになっていた事態だってあり得た訳だ。

 警察の捜索願が出されていたとか、最悪の場合、会社をいつの間にか首になっていたとか。考えれば考えるほど、リスクは高くなって行く気がする。

 気付けば、央佳はいつの間にか食事を終えてしまっていた。


 シンクで食器を洗って、それからお昼までの時間の潰し方をそれとなく考えつつ。友達が来るのだから、少しは部屋を片付けないと。だがリビングは、いつも通り綺麗に片付いていた。

 祥果さんらしいと言えるが、これでは暇潰しにもならない。


 ふと、部屋の隅の2人の趣味置き場に、昨日は無かったものを見付けた。本屋の紙袋だ、祥果さんが買ったものだろう。それとなく中身を確認したら、計算ドリルが出て来た。

 それから数冊の絵本に、別の袋にはお絵かき帳と色鉛筆。誰のためのモノか、一目で分かってしまう。これは駅前の100円ショップで買ったのだろう、袋に見覚えがある。

 祥果さんにしては散財だ、持って行けるかも分からないと言うのに。


 それとも彼女は、勇んであの世界へ舞い戻るつもりだったのだろうか? 恐らくは、有り余る母性本能の発露だと思いたい、つい気が付いたら買ってしまっていたのだと。

 10日と言うのは、短いようで長くもある。その間ずっと、祥果さんは子供達につきっきりで面倒を見ていたのだ。急に現実に戻れと言われても、それは戸惑ってしまうだろう。

 央佳にしてもそうなのだ、強く意識して考えない様にしているだけだ。


 そう考えると、昨日の祥果さんの編み物も怪しいモノだ。一体誰を想って編んでいたのか、改めて問い質す気は無いけれど。明らかに子供用、それだけは央佳にも分かった。

 編み掛けの編み物用具の隣の、祥果さん手作りの人形を目にしてしまうともう駄目だった。思わず、泣き虫の四女のネネの事を考えてしまう。

 両親の突然の不在に、あの子は泣いていないだろうか?


 焦燥が、こんなに辛いと思った事など央佳は一度も無かった。苛ただし気に、部屋の中を目的も無くうろつき回りながら。次に思い出すのは、長女のルカの事。

 あんな掛け値なしの信頼を受けたのは、央佳の人生では初めての事だった。最初の戸惑いを、彼は良く覚えていた。そしてかつては自分も、親に対して同じ感情を抱いていたのだと。

 子供と親との信頼関係は、本当に不思議だと思う。


 自分は果たして、その無償の信頼と期待に応えられるのかと、常に問い立たされている気さえして来る。その点アンリは、逆にこちらのサポート役に徹していた風でもあった。

 あの娘に関しては、多少出生が異なるせいで、無意識に気を遣っているのではないかと思う事もある。それでも央佳は、自分から居場所を作るアンリの作法は凄いとさえ思う。

 寄生では無い、彼女は共存を望んでいるのである。


 しっかり者と言えば、やはり一番はメイだろう。あの子は何となく、子供の頃の祥果さんを思い出させる。独立心が強い割には、自分の立場を理解して振る舞うしっかり者だ。

 子供の頃の祥果さんは、まさにそんな感じだった。未来への進路をしっかりと定め、周りの友達とも協調していて。率先して仕事をこなし、それを楽しいと感じている。

 ムードメーカー的な感じだろうか、それをメイにも強く感じる。


 心の中を整理するように、ゲーム世界で過ごした日々が脳内を目まぐるしく駆けて行った。央佳は諦めて、その流れに身を委ねる。時折スマホを弄りながら、懐かしい日に思いを馳せ。

 気が付けば、お昼はとうに過ぎていた。ラインには仲間達の伝言が、無意識にそれに返事をしていた自分にビックリしつつ。そして集合時間のかなり前に、一番手が家のドアをノック。

 このけたたましさは、間違いなく陽平だろう。


「起きてたか、央佳? あんまり暇だから、予定より早く来ちまった。浦島太郎は、どうも冴えない顔付きに見えるな……ひょっとして、玉手箱開けちまったのか?」

「トーヤに何て聞いたのか知らないけど、玉手箱なんか貰ってないよ……いや、ゲームの筐体自体が玉手箱なのかな……? そう考えると、言い得て妙だな……」

「トーヤが凄い喜んでたぜ、別にお前が巻き込まれた騒動をって意味じゃないけど。あいつがエリート街道より、地元の定住を選択した理由は知ってるだろ? つまりは、俺達といた方が特別なイベントを目にする機会があるって……あいつは今頃、自画自賛してるだろうよ?」


 陽平の理屈は、結構面白くて色々と的を得ていた。浦島太郎の事も、トーヤの自画自賛についても。なるほど、一歩引いた位置の方が良く見えると言うのは本当らしい。

 勝手知ったる何とやらで、ズカズカと遠慮なしに部屋に入る陽平と。どこか居心地悪そうな央佳は、傍から見たら立場が逆なのではと思うだろうけど。

 心情的にはそんな感じで、無遠慮な陽平の襲撃は続く。


 テーブルの上の手付かずのお昼を発見した陽平は、それを頬張りながら珈琲を沸かし始める。袋いっぱいの差し入れをキッチンに放り出し、我が家のようにやりたい放題。

 いつもの事なので、央佳は気にも留めないが。せっかく祥果さんが用意してくれた、昼食が無くなったのには軽い痛恨の念が湧く。大して食欲も無いのに、変な話だ。

 代わりに陽平に、自分の分の珈琲も頼んで。


 改めて席に座って、湯気を立たせている珈琲を前にお互いに一息ついて。コレが例のゲームの筐体かとの陽平の問いに、まぁそうだと短く返答する央佳。

 いっそ壊れてくれていれば、再度のインの諦めもつくのに。それでもあの世界は、溢れるネットの中にあり続ける。それこそ別世界だ、央佳にとっては外国よりリアルに存在する。

 そこで生活する人々もまた、同じ感想を持っているに違いない。


「トーヤからほとんど聞いたのか、全部理解してるって解釈していいんだな、陽平? その上での浦島太郎発言なんだよな、何か核心突かれた気分だなぁ……」

「そうか? 口から勝手に出たんだけどな……でも異界から帰って来た物語って、割とあるんじゃないか? ギリシャ神話だったか、毒蛇に嚙まれて死んだ妻を黄泉の国に連れ戻しに行く物語もあったじゃん」


 その話は確か、バッドエンドになるんじゃなかっただろうか。最愛の妻を連れ帰る際の条件に、男は現世に戻るまで決して後ろを振り返ってはならないと言い渡されて。

 本当に付いて来ているのかと疑心に駆られた男は、最後の最後に振り返ってしまい。妻は結局、生き返る事はならなかったと言う結末だった筈。

 浦島太郎を含め、やはり異世界譚にハッピーエンドは存在しないのだろうか?


 考えれば何か思い出すかもと、2人で角を突き合わせて唸ってみるが。珈琲の湯気ばかり元気で、さっぱり思い浮かばない。いや『不思議の国のアリス』とか『オズの魔法使い』とか、有名所はもちろん存在するのだが。

そう言う著者の分かっている作品より、昔話とか神話系の話から選りすぐろうと。パンドラの箱はどうだと陽平から進言されるが、アレはそもそも異世界は出て来ない。

 同じギリシャ神話ではあるが、あれも考えれば悲劇譚である。


「でも最後に残ったのは希望でしたって、一応綺麗にまとめてるじゃん。お前も祥果さんも、無事に帰って来れたんだから、良かったんじゃないか?」

「まぁ、結果だけ取ればそうなんだけどさ……トーヤは絶対、原因から因果からほじくり返して検証したがるんだ。俺も実際、巻き込まれた者として正直心穏やかじゃいられないし」

「そりゃそうだ」


 陽平の軽い調子はいつもの事、これでもこちらの心配はもちろんしている筈だ。その後も他愛ない話を続けるうちに、他のメンバーも玄関前に到着して来た。

 トーヤと琴子さんは、一緒に到着した様子。ひょっとして、差し入れの買い足しも一緒だったのかも知れない。そこは突っ込まず、歓迎の挨拶を述べるにとどまる央佳。

 陽平の前で、話をややこしくしたくなどない。


 この場にいない七海さんの話になったが、琴子さんがその情報はしっかりキャッチしていた。どうやら仕事終わりに、祥果さんの職場に寄るとの話だ。

 疲れていなければ、そのまま一緒にこっちに寄るかもとの事で。サービス業は大変だねぇと、土日きっちり休みのOL勤務の琴子さんの素直な感想に。

 それじゃあ夕食の支度は頼むと、トーヤの率直な言葉。


 お前は相変わらずだなと、陽平のからかい言葉にも肩を竦めてスルーするトーヤ。簡単なモノしか作れないよと、琴子さんも改めて買い足し食品をチェックし始める。

 一応鍋の具材を買って来たけどと、行き当たりばったりな雰囲気を醸し出しながらの口調に。祥果さんとは大違いだなと、陽平の茶化し文句は止まらない。

 そこから話は、何とも思わぬ方向へ。


「確かに祥ちゃんって、物凄く計画的で無駄を嫌う性格だよねぇ……本当に、何年先まで計画立ててるんだろって思う時あるよ?」

「あぁ、学生の頃だったかな……? 遠足先で、ここら辺の地価とか物件とかどの位だろうって質問されたけど。アレは確実に、将来の一軒家を念頭に喋ってたよ。あれほど現実的な女性って、あんまりいないんじゃないかな?」

「央佳が夢見がちだからな、夫婦のバランス的には丁度いいんじゃね?」


 落ちを言いたくて仕方が無い陽平はともかく、央佳と祥果さんは昔から変なカップルだったと言う証言は概ね一致を見せ。カップルって、もっとピンク色だろと今更の批難に。

 現実的で何が悪いと、友達からの口撃を躱しつつ。結婚は現実そのものだぞと、フワフワと夢を見ているのはそっち側だと改めて反論をしてみる央佳だが。

 自分たち夫婦がちょっと変な事も知ってるので、勢いは無かったりして。


 腰の定まらない陽平は、確かにそうだと今度は央佳サイドに付く構え。最近は刹那的な快楽におぼれ、出来ちゃった婚の挙げ句に育児放棄や幼児虐待をやらかして。

 離婚率は上昇の一途で、ちゃんと現実を見据えているのやらな未熟な大人ばかり。弱い立場の子供が可哀想だ、その点央佳夫婦の家庭に生まれる子供は幸せなんじゃないか?

 そこんとこどうよ、そろそろ報告あんじゃね??


「子供が出来たかって話なら、まだだって返すしかないけど……うん、ひょっとして一連の不思議騒動は祥果さんに子供が出来たからって考えてるのか、陽平は?」

「向こうで子供の世話とかしてたんだろ、夫婦揃って。何か関連があるって考えるのが普通だよな、トーヤ?」

「そうだな……はっきりさせたい事を確立して、仮定と検証で浮き出して行く。久し振りに学者の血が騒ぐよ、それで祥果さんが妊娠してないのは本当なのか?」


 問い質された央佳は、思わず琴子さんを見詰めてしまうけど。私ゃ知らないとの仕草の返しで、してない筈との弱々しい返ししか出来ない有り様。

 琴子さんも話は聞いたのかとの央佳の問いには、私も七海ちゃんも全部聞いてるとの明快な返事が。不思議系の話は、陽平君の専売特許だったのにねと、呑気な琴子さんの物言いに。

 学生時代から金縛り等の霊経験を持つ陽平は、本当にねと間の抜けた同意。


 陽平の実家は大地主だけあって、大きな屋敷で庭も広くて羨ましい限りなのだが。古いだけあって、傍から見ても何か潜んでいそうだ的な雰囲気も盛りだくさん。

 そのせいでと言う訳でも無いのだろうが、陽平の自分の体験した怪談話は軽く十を超える勢い。大抵は金縛りにあったと言う単純な話なのだが、妙なモノを室内で見たとか、変な音や声を聞いたとかバリエーションに富んだ話もたまに聞ける。

 友達の言う事なので、他の連中もそれを真摯に受け止めているけど。


 要するに、神様や幽霊や、輪廻転生やあの世の存在を否定的に考える者はこの場にいないと言う事だ。友達の恐怖体験を、コイツ頭がおかしくなったと考えるのは簡単だ。

 そう言う穿った思考に至らなかったのは、やはりトーヤの存在が大きい。トーヤも案外と、現実的なモノの見方をする傾向にあるものの。意外と不思議な話にも目が無くて、それを理論的に解説しようとその明晰な頭脳を回転させてくれる。

 そう言った議論を繰り広げるのが、彼らのお気に入りの時間の潰し方なのだ。


 例えば神様がいないとすると、人間が万物の霊長となってしまう。欠点だらけ、エゴイズムの塊の人間が頂点では、構図として収まりがつかない筈だ。

 輪廻転生にしたってそう、死んで全て終わりだと人間関係の損得の価値観が急激に変わってしまう。死んでその先が無いのなら、我が儘放題に生きる者が増えてもおかしくない筈。

 人間は本質的に、自分の中の神性に縛られているのではないか?


 それを磨くのが人生のテーマで、だから人の一生は波乱に満ちているのだ。トーヤの考えはそんな感じで、逆説的に理論を組み上げてそれを立証して行くやり方である。

 世界が変わる瞬間はどこにでもあり、例えば最近ではネットや携帯の普及で我々の生活は以前と大幅に変化した。昔は地面は平らだと考えられていた、心がある場所は胸だとされていた。

 時代と共に、意識や考えは呆気なく変容して行く。


「世界の変容は、昔から閃きによってもたらされて来た。元からそこにあったモノを逆説的に理論立てて、偉人たちは地動説や万有引力を導き出したんだ。これからも人間は、新たな発見をして行くだろう……それが神学やネット関係でも、俺は驚かないね」

「トーヤ、お前神学部か何かだっけ? ってか、神様とネットって全然関係ないじゃん」

「俺は理工学だけど、就学はもっと多岐的に行なうべきだといつも思ってるよ。例えば日本製の携帯は機能を詰め過ぎて、世界の市場では低評価だったりするじゃないか? 例え高性能の商品でも、造っただけじゃ駄目なんだよ。ニーズやコスト、更にはマナーやサービスや再利用に至るまで考えないとね」

「最近の電化製品は、廃品を引き取って貰うにもお金が掛かっちゃうもんねぇ……全くサービスの事考えてないよ、環境だって悪化するに決まってるじゃん」


 トーヤと陽平の難しい話に、愚痴で割って入ったのは琴子さん。身近な話だけに、物凄く感情がこもっている気がする。ちょっと気を削がれた感のある陽平だが、ここに女性に逆らう愚か者は存在しない。

 多岐的な流れで物事を考えるのは分かったけど、要するに神様とネットの関係性って何だと、陽平は話を戻しに掛かる。央佳もさっぱり分からない、秀才の頭の内の事は。

 トーヤの思考は、なるほど複雑で独創的だった。


 それは日本が戦争に負けてからの、劇的な生活様式の変化から始まったらしい。日本は次第に洋式の文化に染まって行き、日本人もそれによって変容を余儀なくされた。

 三世代で暮らす家庭は極端に減少し、嫁姑問題は減って行ったモノの。子育てや生活の金銭面で、逼迫する者は増えて行き。専業主婦は贅沢と敵視され、結果家庭には誰もいなくなり。

地域のコミュニティ制は薄まって行き、隣に誰が住むか分からない環境が増えて行き。頼る者のいなくなった現代、己の生活を守る基盤と言えば。

 全ては金とネット環境で賄う、人の価値観はそんな風にシフトして行ってしまった。


「……随分と極端な日本史だな、トーヤ。まぁ、言ってる事は何となく分かるけど。今の日本の習慣はアメリカの物マネ、その結果の生活スタイルの変化はお前の言う通りだけど。……全部をそのせいにするのも、何か間違ってないか?」

「もちろんだ、時代ごとに社会問題は変化する、その生活様式と共に。別に洋式の生活が悪い訳じゃない……ただ、向こうは地域のコミュニティに宗教がその役目を担っている。休日には家族でミサに、ところが日本にはその基盤は存在しない」

「確かに、日本人の孤独数値は高いかもねぇ……あれほどにツイッターやラインが普及してるの、日本人くらいじゃないかな? 異様だよ、あれじゃ依存症か新興宗教じゃないかって感じ」


 またも2人の遣り取りに、琴子さんのオチが入るが。今度は陽平は、確かにその通りと同意の構え。今を賑わす暗いニュースの数々は、人々の孤独が根底にあるのではと。

 家庭の温かさを知る者は、罪を犯す前にブレーキが掛かるモノだ。そして金や権力のほかに、もっと生活を満たすモノが何かを知っている筈だ。

 足るを知るは、幸せの第一歩だと央佳も思う。


 どの道今の消費社会での幸せの探求は、資源の枯渇で将来簡単に行き詰るのは目に見えている。利権を貪る者達の私欲で、国家が滅びるのとどちらが先か。

 大きな転換期が訪れているのは、推理を働かせればすぐに分かる。幾つかの滅びの予言を乗り越えて来た人類だが、神の啓示を無視して進んでも行き着くのはドン詰まりだ。

 人類は謙虚になって、早々に生活を見直すべきなのだ。


「……うん、ようやく神様の尻尾が見えて来たな。人は昔から変わらないけど、その愚かで怠惰な人類が今まで何とかやって来れたのは、神様のサポートがあったからだと?」

「どうだろうな、俺にも良く分からんよ……ただし、神様の方にも愚かな人間を放り出せない利益が存在するのかも? 崇拝者の多寡によって力を増すとか、指導者的な立場とか?」

「神様も色々と大変なんだねぇ? 出来の悪い生徒を持つと、苦労も多い筈だよ」


 今度の琴子さんの相槌には、トーヤが盛大に笑い出す始末。確かにそうだと、央佳も内心で思う。知らぬうちに多大なる迷惑を掛けているのかも、そう思うと申し訳ないが。

 そう考えると、なるほどトーヤの言いたい事も段々と見えて来た。怠惰で愚かな生徒を導くために、神様が選んだ新たなツールがネットな可能性があると言う訳か。

――いや待て、本当にそんな事が有り得るのだろうか?




 結局古馴染みのメンバーは、9時近くまで居座って話に興じて去って行った。仕事から帰って来た祥果さんは、琴子さんと一緒に皆の為に夕食を作り。

 軽いアルコールと一緒に、夕餉はひときわ賑やかに進行して行って。4人で昼に交わした変な討論会の重みは、もうそこには存在してなどいなかった。

 ただひたすら、友達の距離を縮めるための時間が過ぎ。


 賑やかだった友達が、いなくなってしまって一際静かになった室内で。央佳と祥果さんは、2人きりの時間を持て余すようにテレビを見たり片付けをしてみたり。

 まるで何かに怯えるように、暇な空間を意識しない様に努める素振りな夫婦。実際央佳は、ゲームの筐体に視線を向けようとはしなかった。

 2晩続けてインしないのは、オンラインゲームを始めて初の事だ。


 その微妙な敬遠の空気は、広くも無い室内を満たすのには充分過ぎて。その話題に触れる怖さを、夫婦は無意識に遠ざけようと振る舞いながら。

 そんな演技をしている様な立ち振る舞いは、央佳と祥果さんが籍を入れてから初めての事だっただろうか。ぎこちない雰囲気で、会話の糸もとぎれとぎれの有り様だ。

 結果、今日は早く寝ようかとどちらからともなく言い出して。


 布団を敷くのは、随分前から央佳の役目になっていた。結婚前は2人共ベッドを使用していたので、本当はそちらの方が良かったのだが。

 部屋数が少ないので、寝室などと贅沢なスペースは望めないのが現状だ。趣味が少ないとは言え、生活していればそれなりに雑貨が空間を占める様になって来る。

 それを部屋の隅に押しやって、央佳は寝るスペースを確保する。


 それからスマホをチェックしたり、寝る前のあれこれを片付けたり。灯りが完全に落ちるまで、もう少し時間が経過して。それから消灯後の、静かに纏わり付く闇の中。

 央佳の脳内を、駆け回るのは小さな子供達の姿だった。その姿を割り切るように考える、ゲームは楽しむためにプレイするものだ、家族サービスの為じゃない。

 本末転倒だ、自分の家族は隣町の2人の実家の両親と、隣で眠る祥果さんのみ。




 混乱する思考を払いのけて、央佳がようやく眠りに落ちたと思った頃。思いも掛けず、彼を揺り起こす力を感じ。慌てて目を覚まし、何事かと周囲を窺う。

 祥果さんだった、当然と言えばそうなのだが。


 一瞬で意識が覚醒したのは、彼女が泣いていたから。暗闇の中、何とか照明の明かりを灯して奥さんに語り掛ける央佳。彼女は何かを握りしめていた、それがチャラリと音を立てる。

 ボタンの束だった、紐を通した塊が全部で4つ。意識がフワッと彼方まで拡散する、これは祥果さんが子供達に与えたモノだ。これが10個貯まれば、確かご褒美をあげる約束で。

 子供達と祥果さんの絆だ、それを手にして彼女は泣いていた。


「ゆ、夢を見たの……子供達が泣いてて、それでどこにいるのって。さ、探し回って、クタクタになるまで……」

「……分かった、泣かないで祥ちゃん。何とか出来ないか、2人で考えてみよう」


 妻の言う事は絶対だ、疑うなど今まで考えた事もない。他人の痛みが分かれば、世の中に諍いなど存在しないと良く言うが。その方式に従えば、この夫婦に破局など来ないだろう。

 実際央佳が何をしたかと言うと、祥果さんを泣き止ませてからゲームの接続だった。メット式の筐体は被らず、飽くまでモニターで伺うだけのつもりで。

 これでも上手く行けば、子供達の様子が分かる筈。


 央佳がゲーム起動作業中、何やら隣で祥果さんがゴソゴソやっていると思ったら。例の買い込んでいた絵本や文房具を、胸元にしっかりと抱えて真面目顔を作っている。

 ひょっとして、向こうに戻る気満々なのかも。その事に関して、不安や猜疑心は全く感じていない様子なのがかえって怖い。まぁ、考える役は自分が担うのだろうと央佳は思う。

 ……それにしても、何故モニターの呼び込みがこんなに遅い?


 通常では有り得ないローディングの遅延に、央佳は少し不安になって来た。設定やネット環境は弄ってないから、ゲームをするのに問題は何もない筈なのだが。

 モニターの中の昏い色めきは、央佳に何かを訴え掛けて来ているようでもあり。それをじっと見つめている内に、彼は不意に身体の感覚を消失している事に気付いた。

 ここはどこだろう、上も下も存在しない、誰もいない世界。


 祥果さんはどこだ、さっきまで隣にいた筈なのに。モニターも部屋も存在しない、完全な暗闇なのに恐怖も感じない。自分は眠ってしまったのかも、夢ならこの状況も説明が付く。

 まずは祥果さんを探そうと、央佳の平坦な理性は確実な正解を導き出す。感情が湧きたたないのは謎だが、こんな時こそ自分の大切な物が何かハッキリとする。

 後は何を探そう……そうだ、子供が4人もいたんだっけ?


 思考がそこに至った途端、暗闇が物凄い速さで動き出した。その進行方向、足元をじっと眺めると明るい何かが窺えた。遠目に拡がるのは、彼が冒険に勤しむ広大な世界だ。

 何かの気配を感じ、央佳は振り向こうと身体を動かした。ようやく行き先が判明したのに、邪魔が入った苛立ちを隠そうともせず。そこにいたのは、一体のピエロだった。

 胡乱な目で眺める央佳に、ソイツは華麗に一礼する。


『余は常に変わって行きます、支配者然と画策する人間の手に由って。破滅の方に天秤が傾けば、神の計画も無に帰す事と相成る訳です。困りますね、縁を自分に都合の良いように解釈して、怠惰に世を造り替えようとする人間の我欲振りは』

「……アンタ誰だ、俺に何の用?」

『九九を覚えたての小学生に、高等数学が難解なのは当然の理。乱れ切った世を正すのも、本来は人間の役割なのですが。人徳や縁、情愛の大切さを、教え諭す者は一体どこへ?』

「要するに、人類はまだまだ子供だから、もう一度簡単な授業からやり直すって事か? アンタの教育論はともかく、俺の邪魔はしないでくれ。俺は自分の大切なモノを、護るだけだ」


 ピエロは奇妙な衣装を着込んでいて、しかし妙に威圧感だけはあった。向き合ったこの感じを、央佳はどこかで体験した事があった気がする。

 この奇妙な格好のピエロが、世の乱れとか我欲の蔓延を憂いている事は良く分かった。ただし、それを自分に愚痴ってどうするのだと央佳は思う。

 自分の望みはただ、家族との再会だけだと言うのに。





 ――なおも喋り続けるピエロを無視して、央佳は唯一それだけを願うのだった。












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