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竜と聖魔とバツ2亭主  作者: 鳥井雫
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カップ麺と心霊探偵



 意外とアクティブだ、祥果さんが占い師に見て貰うなんて。央佳はその筋に詳しくは無かったが、凄く当たる占い師と言う存在はテレビやネットで何度か聞いた事があって。

 もちろん占いにも色々と種類があって、中には眉唾物もあったりするのだろう。血液から生年月日やタロット、手相などは聞く所によると統計学であるらしい。

 つまりはひとえに占いと言っても、ピンからキリまである訳だ。


 祥果さんが店長に連れて行って貰うのは、霊感持ちのベテラン占い師らしかった。央佳にしてみれば、そっち系の話題は半信半疑ではあるのだが。

 最初から疑ってかかる程、別に毛嫌いしている訳でも信じていない訳でもない。周りにオカルト好きな友達がいなかっただけ、そっちに触れる機会が無かっただけだと思っている。

 そんなスタンスなので、特にその結果に期待もしていなかったり。


 それより央佳は、先輩に言われた別の視点からのアプローチを考えていた。彼の古くからの友人に、物凄く頭の良い奴がいるのだ。例の仲良し6人の内の一人で、名前を加藤と言う。

 帰りの電車を待っている間にメールを飛ばしたら、すぐに返信が来た。つまり今夜は何の予定も無いから、勝手に会いに来ても大丈夫との事らしい。

 相変わらずの性格に、思わず笑みが浮かんでしまう。


 そんな訳で、電車を2駅分乗り過ごしていつもは使わない駅で降りる央佳。祥果さんから、申し訳ないけど夕食も別々でとのメールに返信しつつ。

 彼女の性格からすれば、これは断腸の思いなのだろうと分析する央佳。外食は、祥果さんが嫌う贅沢の中のトップ3である。央佳もどちらかと言えば、奥さんの料理の方が安心出来る。

 贅沢とかそんな理由で無く、一緒のモノを食べていると言う安心感が好きなのだ。


 友人の加藤は変わり者で通っていて、ただし仲良し6人組の中では割とまともだとの評判だ。ただやっぱり、有り余る明晰な頭脳を持ちながら、エリート校への進学を歯牙にも掛けなかったのは、変わっているのかも知れない。

 加藤はフルネームを加藤冬弥(かとうとうや)と言って、仲良しグループからはトーヤと呼ばれていた。そのトーヤの話によると、進学校へ通うよりこの仲間で過ごす方が、有益に感じたからだとの事で。

 取捨選択の結果に過ぎず、何も驚く事でもないらしい。


 まぁ、地元の公立校から大学受験で、結局は難関の国立大学に入ってしまったのだから。能力の無駄使いにはなっていない訳だ、その点友達としては嬉しい限りだが。

 もっと難しい圏外の大学は、やはり歯牙にも掛けなかった辺りは彼らしいとも言える。トーヤに言わせれば、仲間から受けるインスピレーションが何より大事なのらしい。

 その点は央佳も何となく分かる、人生に占める楽しさの割合って大事だ。


 トーヤの通う大学に、央佳は何度かお邪魔した事があった。友達と言うツテで仕事を貰った事が、実は2度ほどあったのだ。そんな訳で、トーヤの所属するゼミまで迷う心配も無い。

 とは言え、夜の大学と言うのも何となく不気味だ。そう考えながら、キャンパスを足早に通り過ぎ。記憶を掘り起こしつつ、目的の棟へと進んで行く央佳。

 心に浮かぶのは、ファンスカのダンジョン探索の風景。


 そこから連想するのは、やはり向こうのゲーム世界のあれこれ。もっと言えば、子供達はどうしているだろうの一点のみ……寂しがったり、不安にしてはいないだろうか?

 入るべき校舎が見えて来た、影に溶け込んだその建物はまるで現実感が無い。考えてみれば、現実と虚構の境界と言うのも曖昧だ。人間の視野や能力で実際に確認出来るのは、果たして世界のほんの欠片ほどでしかないのではないだろうか?

 それで総てを知った風に語る人間も、いかにも傲慢だ。


 脳内では先輩の語っていた、人間の頑迷さに対する推論の言葉が流れていた。たしかに央佳だって、良く知りもしない者から素っ頓狂な話を聞かされても、恐らく信じないだろう。

 トーヤが自分の体験談を信じるか、そこはまぁ特に心配もしていない。信じてくれないなりにも、奴なら立派に推論を披露してくれる事だろう。

 そんな事を考えつつ、夜の校舎へと入り込んで。


 さほど苦労もせずに、目的の教室へ辿り着いた。実験で泊まり込みも珍しくないゼミだと、変に生活感が漂って来るのだけれど。トーヤのゼミ室も、その方式に当て嵌まっていて。

 目的の人物に挨拶をしながら、来る途中で買い込んだコンビニ袋を指し示すと。頷きを返して、パソコン前から立ち上がってお湯を沸かしにコンロへと歩いて行く。

 いつもの通りのトーヤだ、実務的で無駄を嫌う。


「今夜は祥果さん、遅くなるのか? 珍しいよな、央佳が会社帰りに道草喰うの。そんなに相談事って、急を要するのか……明日はお前、休みだろうに?」

「祥果さんは知り合いの勧めで、占い師に相談に行ってる……無駄金を使いたくない俺は、仕方なくお前んトコに寄っただけだよ。カップ麺1個なら、安いもんだろ?」

「安上がりに済まそうとするのは、お前ら夫婦の悪い癖だぞ。んで、相談の内容は?」


 話せば長くなるんだけどと前置きして、結局は全てを話してしまう央佳。そんなに広くないゼミ室内に、央佳の話す声とケトルのたてる湯気を吹き出す音が響く。

 央佳の体験を話し終える前に、お湯は沸いた様子だ。2つのカップ麺に、トーヤは淀みなくお湯を注いで行く。それから一緒に袋に入っていた、お握りで蓋をして。

 続きを催促するように、腰掛けたまま無言を貫く。


 トーヤの態度はいつもの事だ、彼は大抵はこんな感じの無愛想で日々を過ごしている。央佳の方は無愛想に見えて、本当は愛想は良い性格なのだが。

 トーヤは無愛想な性格なのだが、頭の中は常にフル回転している性分なのだ。


 そんな彼は、次に祥果さんの占いの結果を求めて来た。央佳は素直に、自分のスマホをトーヤに手渡す。古い付き合いなので、その中身を無遠慮に眺めまわすのに躊躇いは無い様子。

 央佳はついでに、お昼の時間に先輩と交わした議論についても打ち明けた。つまりは、異世界譚はありふれたものだとか、人はどの世代も頑迷であるとか。

 自分の許容出来るモノしか、認めない程度には。


「面白い議論だね……尤も、反対意見の否定がその体験の肯定になる訳では無いけど」

「それは分かってて先輩も話してたよ……つまりは、俺が納得すれば良いだけの話だって」

「ふむ、なるほど……それで央佳は、その体験が本当にあった事だと納得したいのか? それとも納得したうえで、どうするのが正解なのかを導き出したいのかい?」


 それは静かな問いだった、同時に央佳の虚を突く質問でもあった。自分はどうしたいのか、その肝心な部分が確かに抜け落ちていた。トーヤに聞かれるまで、本当にすっぽりと。

 何を一番に置くべきか、理路整然を好むトーヤにとっては当然の問いである。央佳と祥果さんの気が違った訳では無いと、納得するだけなら確かに病院に駆け込むべきだ。

 確かにそうだ、自分は一体何を納得したいのだ?


 央佳の心中を察したように、トーヤは静かに出来上がったカップ麺の片方を差し出した。ゼミ生の誰かだろう、扉から顔を出し先に帰りますと告げて去って行く影。

 窓の外はとっくに闇の中、静かな室内にトーヤのカップ麺をすする音が響く。それに釣られて、央佳もようやく質素な即席夕食を口にする事に。

 心の中の疑問を、ひたすら整理しながら。


「……そもそも、何で俺なんだ? しかも、祥果さんも道連れなんて異常だろ?」

「異常に文句を言っても仕方ないだろ。敢えて答えを出すとすれば、お前たち夫婦である必然性があったって事になるよな……舞台に呼び出されたのは、お前と祥果さん。それから良く分からない子供が4人。……演出と脚本は、神様って事になるのかな?」


 祥果さんからのメールの内容を吟味しながら、トーヤがそう口にした。占い師の言葉を真に受けるなら、確かにそうなのだろうが。そう言えばと、央佳は向こうの世界で何度も神様に会ったと話を付け加えた。

 トーヤは取り出したコピー用紙に、先程の自分が口にしたキーワードを並べて書き記し。更に全ての人物(特に子供達)の固有名詞まで聞き出して。

 神様の名前まで聞かれたが、央佳はその問いには答えられなかった。


 それからトーヤは、順序立てて推論をして行こうと切り出して来た。先ほど央佳に質問した、こちらが何を一番に置くべきかなど、まるで無視した遣り方である。

 トーヤにはそう言う、人を喰った所が往々にしてある。頭の回転の違う人間は、凡人には良く分からない思考回路を有すると言う謂れの典型なのかも。

 何にせよ、トーヤの思考に沿って推論は広がって行く。


「まずは演出家の神様がいると推測して、その思考に沿ってみよう……例えば央佳が舞台となる場所を用意するとして、劇場なりホールなりを一から作ろうと思うかい?」

「金があっても、そんな面倒臭い事はしないなぁ……誰だって、出来合いの場所を使うだろ?」

「そう、神は自分に似せて人間を作ったとも言われてるしね……そんな所に想像力や労力は必要ないのさ、目的さえ達成出来ればいいんだから」


 確かに無から世界を創るのは大変そうだ、トーヤはだから舞台にゲーム世界が選ばれたと言いたいのだろう。それから不意に、彼はファンスカの世界の創成秘話を尋ねて来た。

 央佳は今度は答える事が出来た、つまりは西洋ファンタジーの王道だったのだ。つまりはありきたりの答えなのだが、トーヤは殊の外興味を示した。

 ゲーム世界の創成と運営に、大抵は神様が携わっている事に。


「一般のプレーヤーは、その事に違和感を覚えないのかな? 央佳はどうだ、ゲームをしていてすんなりと神様の存在や世界の在り方に、素直に従ってるのかい?」

「それはまぁ、そこを否定したらゲームが成り立たないからなぁ。ゲームによっては神職ってのもあるし、こっちの世界よりはよっぽど恩恵を貰える事が多いね」

「面白い現象だね……現代日本ではどんどんと信仰心を失って行くのに対して、架空世界の方が信者も多くて神様にとっては住み易い訳だ。案外、その辺にも要因があるのかもな」


 突飛な推論と言わざるを得ないが、央佳はそれを否定出来なかった。何しろ突飛な出来事の中心にいたのは自分自身だ、そして相談を持ち掛けたのも。

 トーヤは尚も、現在のネット世界の在り方について言及する。そこはもう、1つの別世界と言っても過言ではないと。そこでのみ通じる言語、様式や文化。

 つまりは違う国に訪れた時のような異質感を、人は無意識に感じると。


 神様が本当に、その新しい世界にまで手を伸ばしたのかは定かでは無いが。例えば何か悪い存在に、無理やり引き込まれたと解釈するよりは心臓には優しいなと思う央佳。

 案外、そんな理由でトーヤは神様演出論に乗ってくれたのかも知れない。彼は無愛想な人間ではあるが、友達想いなのは間違いないのだから。

 ただやっぱり、祥果さんまで舞台に引っ張り上げられた理由が分からない。


 トーヤの推理を代用すると、夫婦である必然性があったと言う事なのだが。央佳が思い当たる要因と言えば、子供達の世話をして過ごしたあの10日余りの日々だった。

 やっぱり子供達の存在は、すこぶる重要な要因である気がする。


「つまり……トーヤの推測を整理すると、神様が新たなシェアを求めてゲーム世界で信者の開拓を進めていると? 俺と祥果さんは、その最初のケースに選ばれたと?」

「最初かどうかは分からない、行ったきり帰って来ない者もいるかも知れないし、戻って来ても誰にも喋らない事もあるかも知れない。……行ったきりの奴も、中にはいるかもな」

「それほど、同時存在……ドッペルゲンガーの性能が優れてるって事なのかな? 実際、会社の同僚は全く気が付かなかったし、多分トーヤ達でも無理なんじゃないかな?」

「そりゃあ、別人が成りすましているならともかく……占い師は何て言ってたかな? 魂を分けて存在する、つまりはコピーだ。それだけ用意周到なお膳立てをしたのは、やはり騒がれると困るからなのかな?

さあ、犯人が絞り込まれて来たぞ……それだけの力を持ち、且つお前たち夫婦がゲーム世界で子守りをして得をする奴、それが犯人だ!」


 トーヤの言葉はむしろ静かで、自らの推理を面白がっている様でもあった。犯人がこの謎解きの場に同席していたら、トーヤのテンションももう少し上がったかも知れないが。

 むしろ央佳は、自分がゲーム世界に連れ去られた訳に驚いた。自分達は、姉妹の子守りの為に招かれたと、トーヤは無表情の推理の中で語っていた。

 既に食事も終わった両者は、昔からの癖で机越しに顔を寄せ合っている。


 わざと茶化したようなトーヤの言い廻しの理由も、央佳にはおぼろげに理解出来た。神様を信じない世代の央佳にだって、不敬と言う言葉の意味は分かる。

 そもそもこの一連の推論は、央佳の心情を慮っての導き出しに過ぎないのだ。神様の計画と同等に、悪魔の姦計の確率だって充分に有り得る訳なのだし。

 そうは言っても、そもそもの根っこの疑問は湧き起こる。


「なあ、トーヤ……そもそも神様って何者なんだ?」

「……神についての記載は、歴史上の書物を紐解けば幾らでも見る事が出来るよ。いない国は無いんじゃないかな? 例え部族単位で調査しても、何かしらの崇拝や信仰は見られる筈だ。

ところが神の定義を調べようとすると、途端に曖昧になる。一神教だったり多神教だったり、日本みたいにあらゆる宗教を取り入れたり、実は古来から神道の神様が存在したり、民俗信仰の神様なんてマイナーなモノを挙げればきりが無いよね。しかも日本には、八百万の神って概念もあるし。

 これは森羅万象に神の発現を認めるって、日本の神観念を表してるらしいけど」


 語り始めると、トーヤの独壇場になってしまうのはいつもの事だ。相変わらず、溜め込んだ知識量は凄いなと央佳は感心するが。肝心の正体にまでは、まだ到達していない様子。

 トーヤは尚も語り続ける。神話によっては神にも親子関係があったり、更には位が存在しさえするそうだ。神は万能では無く、修行によって高みを目指しているのだ。

 もっともこれは、宗教にもよるらしいけれど。


「仏教なんかがそうだね、お釈迦様が厳しい修行によって悟りを開いた人だからかな? 俺に言わせると、宗教ってのはもう神様の手を離れて人間の手垢にまみれてる感がするかな。宗教戦争なんて、その最たるものだしね。日本の歴史にも垣間見えるぞ、平安京の遷都は権力を持ち過ぎた寺院の排除が原因だし。

 神は利益を得る為の戦争や、自分の信仰者の権力を欲しがるのかな? 古来から人間は、説明のつかないモノに対して、天災や天罰なんて言葉を使って来たけど。実際に日本でも、干ばつや大規模建造物の建築の際には天の怒りだと解釈して人柱とか立ててたけどね。

 果たして天の神様は無慈悲な傍観者なのか、それとも慈悲なる創造主なのか?」


 まるでこちらをからかって、楽しんでいる風ですらあるトーヤの口調に。思わず央佳は知らないよと、素で普通に返事をしそうになって。

 それから一瞬の後悔、コイツのペースに乗せられるなと自分を戒める。って言うか、自分も頭を働かせてしっかりと反論しないと。何にしろ、神とは超常なる存在と定義して差し支えないらしい。

 つまりは、央佳夫婦を別世界へ誘う程度には力があると?


 そんな央佳の返答に、トーヤは薄い笑みで応答するのみ。それから思い直したように、人以上の力を持つ者は、神様以外にも存在するだろうけどねと付け足した。

 個の力を比べた場合、人間の力など取るに足りないのに。増長するのも甚だしいと、その口振りからは窺えた。昔から、トーヤは文明や文化に対して否定的な面がある。

 そんな内面の苛立ちをそぎ落とすように、トーヤはこう締めくくった。


「色々と推測したけど、恐らく神様にも足りないモノが存在するんだろうね。それを補うために、央佳……ひょっとしたらお前の力を、誰かが必要としているのかも知れない。

――そう考えたら、今回の奇妙な事態も少しは救われるんじゃないかな?」





 先に自宅へと帰りついていたのは、祥果さんの方だった。央佳が戻った時には、部屋に明かりが灯っていて、温かな人の気配が作り出す雰囲気に満ちていて。

 お帰りの声と共に、どうやら軽い食事の用意もしてくれていた様子。正直、カップ麺だけでは物足りなかった央佳。有り難く食卓に着いて、今夜の別行動の結末について話し合う。

 多少お腹にもたれる議題なのは、まぁ致し方が無い。


 それによって得た情報は、祥果さんが占い師と面談した時間は30分に満たなかったらしい事。しかも肝心な“占い”の部分は、マナー違反だからと言ってぼかされたそうで。

 そんな事だろうと思っていた央佳は、別に期待外れだとも思わなかったが。祥果さん本人の談によれば、寄り道しただけの価値はあったらしい。

 つまりは、心の重みは多少なりとも取れた訳だ。


「自分が変になったとか、特別に奇妙な体験をしたって訳じゃ無い事が分かったからかなぁ? 愛子さんって言ってね、店長によれば物凄く評判は良いんだって。詳しく教えてくれなかったのは、神様のルールに反するからだって言ってたよ?」

「ふむぅ、神様に目を付けられたって話だっけ? そんな神話だか寓話があったなぁ……信仰心の深い男を廻って、神様と悪魔が賭けをする話。数知れない不幸を背負わされた信仰深い男は、最終的にどうなったんだっけ?」


 その結末は、祥果さんも知らなかった。北風と太陽の結果なら知ってると、その後に付け加えたが。確かにシチュエーションは似ているが、賭けの対象に選ばれた男はどちらも災難だ。

 その対象が自分達だとしたら、一体どんな対応を取れば良いと言うのだ? もちろんそれが本筋だとの確信は無いが、人生って多かれ少なかれそんなモノだ。

 知らず知らずのうちに、社会の歯車の作用であちこちに傷を負っている。


 お茶漬けと煮物を食べながら、央佳は奥さんの話を聞き終わる。確証の無い不確かな原因が、夫婦に提示された訳だ。そこから結論を導き出せばよい、まぁほぼ決まってはいるが。

 君子は危うきに近寄らない、あの世界から抜け出せた事こそ奇跡なのだ。


 央佳の告げたその結論に、祥果さんはハッキリしない態度を見せた。央佳にもその理由は分かる、置いてきた格好になった子供達が気掛かりなのだろうと。

 確かに央佳も気掛かりではある、逆に言えばその事だけはハッキリとさせたいとも思っていた。向こうで姉妹達は、安全に快適に過ごせているのかどうか。

 それさえ分かれば、自分はゲームを辞めても良い。


 そんな決断を自分が下す事が出来るとは、央佳は今の今まで思えなかった。あれほどの熱意と時間を注いだ、自分の分身の住まう場所。その世界の別離の日が、こんな形で来ようとは。

 まぁ、バーチャ仕様でないゲームだって、世の中には幾らでもある訳だし。他の趣味に鞍替えしたって良い、読書とか映画鑑賞とかあまりお金の掛からないモノも含めて。

 本なら図書館でタダで借りれるし、映画だって最近は古い奴はとても安い。


「それはそうだけど、もう少し良く考えようよ……結論を急がないで、央ちゃん」

「他にどんな結論があるのさ、そりゃあ俺だって……」


 子供達の事は心配だと続けようとして、そのキーワードは口にしない方が良いと脳内で警鐘が鳴る。祥果さんの母性本能を刺激するのは、恐らく良くは無い筈だ。

 取り敢えず今夜に限っては、ゲームに接続しないと央佳が宣言すると。ため息をついたような、祥果さんの憂いを見せつける態度。やはり気掛かりは、彼女の心に大きく爪を喰い込ませている様子。

 たった10日程度の、親子関係だったと言うのに。


 それにしても、祥果さんが神候補とは恐れ入った。その話をした時、祥果さんは照れていると言うより憮然とした表情だったけど。多分、全く想像が付かない事態なのだろう。

 俺にとっては君が女神だよと、格好つけて言ってみたい気もした央佳だが。熱でもあるのと真顔で返されそうで、自粛してしまった経緯もあったりして。

 まぁそんな事はどうでも良い、現状は遅い夕食も終わりまったりしている所。


 祥果さんは喋りながらも、手元では編み物作業に余念がない。いつもの行為なので、央佳は全く気にならないけど。逆にこの後の行動を縛られて、央佳は戸惑いを隠せない。

 いつもなら、時間を気にしながらログイン作業に入る時間だ。明日は休みなので、普通なら特に気合いを入れてインしている筈。前もって祥果さんに、ちょっと時間延長を頼み込む事もあるけど。

 大抵は却下されて、翌日の休日インに燃えるのだった。


 それが今は、筐体の方に目がやれない状態である。考える事自体が怖い、まるで自分の意志で子供達を暗い檻に閉じ込めている気分になって来る。

 あの子供達がどこから来たかと言う問題は置いておいて、未だにゲームの世界に留まっているのだろうか? それとも自分達みたいに、元の世界に帰っているのだろうか?

 それなら安心だ、ちゃんと保護してくれる相手がいるのなら。


 こちらは神ならざる身なので、その辺の事情は全く分からない。推測なら幾らでも出来るけれど、そんなのは時間の無駄でしかない。大抵は心配性の輩と言うのは、自分で妄想を肥大させ過ぎて勝手に自分の掘った穴に落ちるのだ。

 央佳夫婦には、まだ子供がいないから分からないけれど。小さな子供のいる家庭では、夜になってもその子が不在と言う事態は、やはりそわそわしてしまうのだろう。

 今の自分達が、全く同じ状況に陥ってしまっている感が。


 祥果さんの内情は、訊かなくても分かってしまう。これでも10年以上の付き合いだ、醸し出す雰囲気が多少せかせかしているのが分かる。

 何か心に引っ掛かっていて、それが自分ではどうにも出来ない時の感情なのかも。それは央佳も同様である、ゲームに接続出来ないのとは別口の鈍重な痛み。

 喪失感とでも言おうか、それが急激な環境の変化から来ているのは分かるけれど。





 ――心の大半を、いつの間にか子供達に占められたと改めて感じた央佳だった。













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