帰ってきた日常
――夢を見ていた、そうはっきりと知覚した訳では無いけれど。
周囲の景色は妙にピンボケていて、時間間隔や自分の存在すら曖昧に呆けている。ただその景色の吸引力の中心は、やはり自分には違いないようだった。
その自分を中心に、コマ送りのように物語は進んでいた。小さな子供達が、はしゃぎながら周囲を走り回る感覚。自分に興味を持って欲しいのか、時には目の前で足を止め、時にはこちらの手を取って。
周囲を窺うと、自分は電車に乗っていた。
何の奇妙さも無い、日常の一コマだ。ただし子供達には、その常識も当て嵌まらない様子。電車の中も外も関係なく、飛び回ってこちらの興味を惹こうと頑張っている。
不思議なのは、自分がそれに対して何の感情も湧かない事だった。電車には目的地がある筈で、自分はそこを目指しているのは、おぼろげに理解出来ていたけれど。
辿り着いて何をするのかは、全く情報を持っていない始末。
それはそうだ、これは夢なのだから。それでも何とか思い出そうと、努力するように央佳は周囲を窺っている。それ以上に早く、周囲の情報が視界に飛び込んで来る。
電車はゆっくりと進んでいる、日常の景色を切り裂いて乗客を目的地に運ぶため。央佳はその中の一員に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。
所詮人は社会のワンピース、零れ落ちても代理は幾らでも利く。
不意に、飛び回る子供達に腕を強く掴まれた。力強く揺すられて、何度も名前を呼ばれる。その声に聞き覚えがあるぞと、央佳の脳はゆっくりと覚醒を始めた。
祥果さんだった、酷く驚いたのは自分が座椅子に座ったままの状態だった事。しかもプレイ中に寝落ちでもしたのか、ヘルメット型の筐体を被ったままだ。
慌ててそれを外して、寝ぼけ眼で辺りを窺う央佳。
左腕が妙に温かいのは、祥果さんがずっと寄り添っていたからだろう。変な形で両者とも寝入ってしまったようだ、今は完全に夜が明けて新しい一日が始まっている様子。
不意に夢の中の出来事を思い出し、芋づる式にゲーム世界での生活が鮮明に脳内を駆け巡った。慌てて隣の祥果さんを見ようとするが、彼女はもうそこにいなかった。
央佳以上に慌てているのは、どうやら時間が関係あるらしい。
「央ちゃん、寝過ごしちゃってる……時間無いから、ゴメンだけどお弁当作れないっ! パン焼いてて、私も支度しなきゃ……!」
「うおっ、本当だ……!!」
考えてみれば、あんな奇妙な体験の反芻より日常の維持の方が貴重である。それでも一考する暇があれば、2人で体験の辻褄合わせをしていたかも知れない。
実際は家を出る時間に追われて、夫婦で大騒ぎしながら部屋中を駆け回って。恐らくは過去最短時間での支度でもって、央佳は家を飛び出る破目に。
その5分後には、恐らく祥果さんも出勤する筈。
ここは2人の愛の巣の拠点だが、決める際に祥果さんの勤め先に近い区域を選んだのだ。央佳の会社は電車で20分圏内なので、そこまで文句を言う筋合いも無いけれど。
そこはもう、家事全般を担っている祥果さんの都合は、最優先すべきだと夫の央佳も思う次第。そんな訳で、祥果さんの通勤時間は歩いて10分程度と言う近場である。
遅刻しそうなこんな時には、この近さは有り難い。
駅までの道をひた走りながら、央佳はすぐに違和感に気付く。いや、これは元通りの感覚なのだろう。フィルターが掛かったような、あのゲーム世界とは完全に異なる、リアルな肉体の醸し出す苦しさ。
息を喘がせながら、何とか定時の便の電車に飛び乗る事には成功して。
少しだけ、これで精神に余裕が出来た。そうすると思い出すのは、やはり夢の中の出来事だ。あの時飛び回っていたのは、やはりゲーム世界の子供達なのだろうか?
そこはちっとも不思議ではない、いやいや不思議ではあるだろうけれど。こちらとあちらを結びつける、唯一無二の存在はやはりあの姉妹には違いないのだから。
あの子達がいなければ、こんな喪失感と向き合わずに済む。
そう、央佳は驚くほどの喪失感を感じていた。電車に乗って出勤する、そんないつもの日常に戻ったと言うのに……。視線を下げれば、いつも周囲にいたあの賑やかな存在。
夢の中で、必死に彼に纏わり付こうと頑張っていたような。そもそも、あの子供達は何だったのだろうか? 央佳や祥果さんと同じく、こっちの世界から招かれた存在??
いやいや、今となってはあの出来事も夢のように感じてしまう。
程々に混んだ電車内で、あまり深く考え込む事も出来ず。ようやく目的の駅に着いて、人の波に素直に従って下車。世界と言うか、社会に完全に溶け込めてない違和感に首を捻りつつ。
そう言えばと、改札口を出た辺りでゲーム世界で感じた違和感の正体に気付く。向こうでは少なくとも、1週間以上の時間が経過していた筈なのだが。
今日は一体何曜日だろう、記憶が曖昧で仕方が無い。
そう言えば、その間の不在証明にギルマスに電話を掛けてくれと頼んでいたが。普通に電話で対応してたよと、ギルマスのマオウは口にしていたような。
もちろん今の央佳に、そんな覚えなどありはしない。ひょっとしてと思いながら、駅の外れでポケットからスマホを取り出し、履歴を確認しようとして。
何気なく見た日付にびっくり、何と今日は金曜日じゃないか!
「……嘘だろ?」
思わず出てしまった呟き、央佳の記憶は火曜日で止まっている。日付を何度も確認して、やっぱり3日間のリアル世界の消失に。今度こそ履歴を確認すると、確かに水曜日のお昼にマオウからの着信履歴が。
ってか、ちゃんと通話もしているらしい。スマホを触っている内に、何となく思い出して来た。それは妙な感覚で、自分がしていない会話を無理やりインストールされているような。
木曜の友達からのライン返信を含め、この3日の全てのスマホ操作が。
ちょっとしたアムネジア感覚だ、それともデジャブとでも言おうか。以前にあったんだけど、忘れていたような、それを不意に思い出したような。
そしてそれは、勤め先でパソコンを立ち上げた瞬間にも再び起きた。
まさに至れり尽くせりだ、仕事の繋がりが完璧に分かって、今から何をどう進めれば良いか迷う事が無い訳だから。この3日間の央佳は、どうやら可も不可も無く勤勉だったみたい。
それを得と思うか不気味と判断するか、少々迷う所ではある。央佳はそっと職場を見回すが、彼を不審がる姿はどこにも存在していない様子。
つまり央佳はこの3日間、普通に出勤して普通に仕事していたと推測出来る。
央佳の仕事場には、無駄に毎朝の朝礼とか全体ミーティングなどは存在しない。そもそも10人ちょっとの小さなスタジオだ、やるべき事は全員が分かっている。
職場も大きくないので、見渡せば誰がどこにいて何をしているのか丸分かりだ。ファンスカをプレイしている牧村先輩も、すぐ近くのボックスでパソコン作業に勤しんでいた。
不審に思われるのを承知で、央佳は思わず尋ねずにはいられなかった。
「先輩、俺この3日間って変じゃ無かったですか……?」
「何を変な質問してるんだ、央佳……? まさか、プログラミングとちって、納期に間に合わないんじゃないだろうな?」
「いやいや、まさかそんな……」
洒落にならない返し言葉に、全員の目がこちらを向いた。彼らにとって、まさに変なのは今の自分なのだと変に納得する央佳。後で話しますと、牧村先輩には伝えておいて。
やはり祥果さんと記憶の答え合わせを行って、何かしら対策を取るべきだったと今更ながら後悔して。そう言えば、祥果さんはこの記憶の齟齬をどう対処しているのだろうと心配に。
まぁ……明日は休みなのだし、無事に乗り切る事を祈ろう。
さて、央佳の出勤から遅れる事約5分。身支度もそこそこに、同じく仕事へと出掛ける祥果さんだったが。実はこちらも、のっけから混乱気味ではあった。
それに輪を掛けて、寝坊して遅刻しそうな現状である。真面目な性格の祥果さんは、今は仕事場に遅れずに到着すると言う使命感で頭がいっぱい。
小走りに、そう遠くも無い職場へと朝の通勤ダッシュ。
運動神経の良くない祥果さんだが、それでも歩くよりはずっと速く風景は過ぎて行く。その視界内に、ふと一緒に走る小さな影を探している自分に気付いて。
歩調を緩めて、思わず周囲を見回すけれど。もちろんそんな影は、彼女の周りに存在しない。考え込みそうになる自分を叱咤し、とにかく先を急ぐ。
お陰で何とか、遅刻せずに職場に到着する。
そして思い知る、央佳も感じた曜日の誤算。どうにも搬入が多いと思ったら、何と今日は金曜日だとの事で。原野店長にそう言われ、続いて何をボケてるのと呆れ口調で叱責されて。
店長は50代の女性で、普段は温厚で祥果さんも親しく接して貰っている人物だ。央佳と一緒に夕食に招いて貰ったり、普段から相談に乗って貰ったり。
ただ、日にちが3日も飛んでますと、今の状況を相談する訳にも行かず。
何となく考えない様にしていたが、どうやらあの体験は実在していたらしい。旦那に相談するべきだったかなと、祥果さんは内心まとまらない精神状態で思うけど。
完全に現実主義の彼女は、思い悩むより今の仕事をこなす事に心はシフトしていた。店長にゴメンなさいと謝りながら、届いたばかりの商品をスタッフと手分けして並べて行く。
金曜日は特に朝から忙しいのだ、思い悩んでる時間は無い。
不思議な事に、自分がこの3日間にどんな仕事をして来たか、お店に入った瞬間に理解してしまっていた。これは便利だなぁと、素直に感心する祥果さん。
とにかく忙しい間は、仕事に専念しなければ。祥果さんは身体を動かし始めると、完全にそれに専念してしまうタイプ。ちょこまかと作業をこなしながら、開店準備に勤しむ。
そんな事をしている間に、いつしか開店時間が到来して。
「祥ちゃん、どうしたの? 今日は何だかぼうっとして、調子でも悪いの?」
「あら、そうなの……? そう言えば、朝から変だったわねぇ?」
年上の同僚と店長にまで心配されて、祥果さんは申し訳ない思いに陥るが。それでも頭の隅にこびり付く違和感は、どうしても拭い去る事は出来なかった。
素直に己に起きた全ての事象を話す事は、親しい間柄にあっても問題外だとは思う。せめて一度家に帰って、旦那とその事を相談するまでは。
少しぼかした表現で、祥果さんは不調を表現する事に。
「何と言うか、その……この3日間、ちょっと不思議な体験をしたもので……」
「えっ、何ナニ? ひょっとして幽霊見たとか、まさか……妊娠したの、祥ちゃんっ!?」
「ええっ、本当に……? それは大変、仕事どころじゃないじゃないっ!?」
変な誤解をされてしまって、祥果さんは大慌てで撤回の意思表示。幽霊も赤ん坊も関係ないが、それに近い体験をしたのは確かな気がする。
とにかく強引に、妊娠でもお化けでも無い不思議な体験だと言い張ってみるけれど。そう言う話に目が無いのか、店長も同僚も詳しい話をしろと求めて来る。
そんな訳で、とうとう昼休みに全て白状させられる破目に。
取り敢えずは夢物語なのかも知れないと、4人の子供達の話は少々ぼかしてみたものの。やっぱり妊娠してるんじゃと、巡り巡ってそっちに話題は戻ってしまい。
挙句の果てに、店長が知り合いの占い師を紹介してあげると言い出して。現実主義者の祥果さんには、あまり嬉しい話ではなかったり。何しろ、数十分で数千円も取られるそうだし。
心情的には、そっちの方が精神に悪い気がする。
「何言ってるの、産まれて来る予定の子供からの、何かしらのメッセージなのかも知れないじゃないのっ! 私が同伴してあげるし、お金の事は心配しなさんな」
「私もカンパしてあげるよ、その代わりどんな鑑定されたか、今度教えてねっ!?」
年上の同僚からもそんな言葉を貰い、店長は知り合いの占い師にさっさとアポを取ってしまった。今夜は帰るのが遅くなりそうな気配、央ちゃんには何て言おう?
そんな心配をしながらも、本当にあの体験の真実が判明するのかとの疑念が心中に湧くのも当然で。くたびれ損になるために、わざわざ出掛ける理由が祥果さんには分からない。
とは言え、ぐずって断わるのも店長に悪いし。
原野店長の世話焼きは、今に始まった事では無い。本人が子供の出来ない体質らしく、とにかく若い夫婦には親身になって相談に乗ってくれるのだ。
それが分かっているので、旦那の夕食が心配で……などと、間の抜けた断わり文句など言い出せない雰囲気。思い余って、休憩時間にこっそり央佳と話をしてみた所。
向こうは意外と乗り気で、幾つか質問事項を言い渡されてしまった。
「珍しいな、央佳が昼飯弁当じゃないなんて……夫婦喧嘩でもしたのか?」
「いえ、単純に夫婦揃って寝過ごしたんですよ……ちょっと前の日に、色々あったもので」
「そう言えば、ゲーム中に変な事言ってたな……ゲーム世界に行って来たんだっけ?」
牧村先輩の笑いながらの質問に、央佳も半分笑いながら曖昧な返事を返す。明らかにおかしいその態度に、先輩も少々軽口を叩くのを自制した様子。
央佳の勤めるスタジオは、休憩室の造りが割とファンシーだ。普段はスタッフが、パソコンに噛り付いての作業ばかりなので。休憩時間くらいは、肩ひじ張らずに寛いで貰おうとの計らいがあるらしく。
スタッフもそれを意気に感じて、色々と家からグッズを持ち込んでいる始末。
そんな訳で、レトロなゲーム機からクッションに至るまで、結構なアイテムが部屋に溢れている。スタッフはそこで、休憩したり食事を取ったりするのだ。
実際、そんな時間が無ければスタッフ同士で喋る事もないので。結構積極的に、皆が触れ合い時間をここで取る方式を採用していたりすると言う現状が。
そんな人間関係の中で、央佳が一番親しいのが牧村先輩である。
「ほら、パンだけじゃ力出ないだろ……お握り1個やるよ、元気出せ」
「済みません、先輩……嫁さんの方は職場の店長に、仕事終わりに占い屋に連れて行かれるみたいですね」
「あぁ、夫婦で異世界体験したんだっけ……しかしまぁ、ゲーム世界ねぇ? そうだ、お前さんは理論的な方面から解析して行けば、夜に夫婦で話し合った時いい塩梅なんじゃないか?」
なるほど、それは面白いかも知れない。元々央佳は、友達と議論を交わすのが大好きな性分なのだ。ゲームの話から好きな球団、お堅い教育論から国情勢まで。
もちろん議論とは、対話する相手がいないと始まらないのだが。幸い央佳は、議論を交わす相手には事欠かない。特に盛り上がるのが、頭の良い連中相手の時だ。
例えば央佳の仲良しグループの中にもいるし、この牧村先輩もそうだ。
水を向けると、牧村先輩は少し考えてこう切り出した。央佳の語った現象には、2つほど異様な点がある。もっとも、何を異様と考えるかは人それぞれだけれども。
つまりは、央佳夫婦がゲーム世界に飛び込んでしまった事。それなのに、央佳夫婦はこちらの世界で普通に生活を送っていたらしい事実。つまり、別々の場所に精神と肉体のセットが2つ存在したと言う事になる。
その事象を科学的に説明するとなると、これは一苦労かと思いきや。
「そんなに難しく考える必要は無いさ、論文にまとめる訳でもなし、お前が納得するレベルでいいんだから。そもそも異世界旅行譚って、昔から存在してるからな。外国文学では『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』、日本だと『浦島太郎』の竜宮城や『かぐや姫』の月世界なんかが相当するのかな?」
「今はライトノベルなんかで、そんな話がわんさか読めますよね。ゲームが発展して、世界観が流用しやすくなったせいかなぁ? アニメとかにも、結構ありますよね?」
「バイストンウェルの設定は素晴らしいよな、確か海底の水と地面の接地面に存在するんだっけ? そう言えば、ガガーリンの『神様はいなかった』の言葉を知ってるか、央佳?」
央佳は『地球は青かった』の言葉しか知らなかったが、外国では神様の不在の証明の言葉に大きな衝撃を受けたらしい。要するに人々は、空と宇宙の接地面に“天国”があるとずっと信じていた訳だ。
宗教的な話をすると、天国だけでなく世界には“黄泉の国”的な表現もあちこちで使われている。あの世だとか地獄だとか、現代の生活に普通に溶け込んでる語彙も少なくない。
先輩はそれを踏まえて、異世界の存在は人間にとって特別でないと断定する。
少々強引な理論に、央佳は眉を顰めて反論する。だが牧村先輩は、存在の証明をしたい訳では無いと前置きして。そもそもそれは不可能なのだし、あまり意味が無い。
神様はいるか、幽霊は存在するか、それを証明しても意味が無いのと一緒だ。例えば“うつ病”と言う症例は、長年ただの仮病だと思われていた。
掛かった事の無い人にとって、それは無いのと一緒なのだ。
「そんな状況って、実は歴史を紐解けば数知れず存在してる訳だよ。世界は平らだと信じられていた時代に、実は丸いって唱えた学者がいただろう? それを発表した結果、彼は他の学者や宗教団体達から総スカンを喰らった。
結局、それが主流になったのは1世代ほど時代が経過してからだってさ」
「つまり信じない世代が全て亡くなって、天動説の矛盾がようやく暴かれた訳ですよね。まぁ、言いたい事は分かりますよ。人間はそれだけ、頑迷なんだって」
「そうそう、ガンダムで言うニュータイプにでもならなきゃ、人間同士は本当に理解など出来やしないさ。だから央佳の体験した出来事を、頭ごなしに否定する根拠も持たない」
つまりは、異世界についても絶対に無いと断言は出来ない訳だ。回りくどい論法だが、人間の感覚なんてそれ程にあやふやな訳で。最初の条件付けに戻るが、央佳が納得出来ればそれで良いのだ。
牧村先輩は、なおも異世界論について話を続ける。考えてみれば現代も、数百年前の過去から見れば異世界そのものではないだろうかと。テレビや携帯、自動車や飛行機、その他諸々の昔には無かった魔法のような文明。
確かにそうだ、寿命だって昔に較べたら倍近く伸びているのが現代だ。
結局は昼休みだけでは、央佳の不思議体験についての根本を理論づけて解析出来なかったけれど。元々が無理難題なお題目なのだ、結論など出よう筈もない。
2つ目の同時存在については、議題にも上がらなかったのはアレだけど。言葉にするなら、ドッペルゲンガーとかそんな感じなのかなと、勝手に定義づけてみたりして。
何にしろ良く分からない、そもそも元からそう言う議題なのだし。
実は央佳には、議題に挙げていない3つ目の疑問点があった。あの4人の子供達は、一体どこから来て自分とどんな関係があるのか? 案外と、それが全ての鍵なのではないか?
ルカとの『契約の指輪』を外した夜に、こちらの世界に戻って来れたのも偶然とは考えにくい。それを軸に考えるとして、つまりはあの姉妹は何なのだろうか。
全く分からない――この議題に関しては、分かったのはそれだけだった。
つつがなくその日の仕事を終え、祥果さんは原野店長に伴われて駅の裏通りへと赴いていた。店長の後ろを歩きながら、人通りの増えて来ていた大通りを抜ける。
裏通りは駅前に較べると、ガクッと熱気と言うか品格が落ちる。こんな場所にお店を出すとは、その占い師さんの気が知れない。しかし店長は、至って気にせぬ素振り。
勿体振る事もなく、祥果さんを招いて古ぼけたビルの2階へ。
原野店長の落ち着き振りは、祥果さんにも安心感を与えていた。得体の知れない場所に赴くと言うより、ちょっとした知り合いに話を聞きに行くと言う感じに解釈して。
店長の話だと、お店のお客さんからよくそっち系の相談を持ち掛けられたりもするので。そんな時に話を振るのが、ここに居を構える占い師さんらしい。
良く当たると、その筋に評判も良いそうな。
「愛子さんによるとね、子供と言うのは5歳くらいまでは向こうの世界との感覚が曖昧なんだって。だから霊感的なものも、普段の人より高いんだって」
「はぁ……私はそう言うの信じてないけど、会っても大丈夫なんでしょうか?」
怒られないかなと余計な心配をする祥果さん、店長は呑気に大丈夫でしょうと返すけど。愛子さんとやらがどんな人か知れない現在、ちょっと怖いと思うのは本能だろう。
ところが扉を開けて出会ったその人は、ふっくらした愛嬌のある中年のオバサンで。わざわざ玄関まで出迎えて貰い、祥果さんは恐縮しきり。
通された部屋も、落ち着きのあるシックな調度品で占められていて。
アロマの香りの中、祥果さんは勧められて店長と一緒にソファに腰掛ける。飾り布もセンスが良くて、たちまち祥果さんはこの狭い部屋の虜に。
キョロキョロしていたら、いつの間にか占いが始まっていた。
「原野さん、今日はこの娘を見ればいいのかしら? ……あら変ね、子供の姿が見えるけど。原野さん、この娘は幾つなの……4人も子供がいる風には見えないけど?」
「あらあら、やっぱり妊娠なの……? 祥果ちゃんは、今年で確か22歳な筈だけど」
「あらそう、それじゃあ10歳位の女の子供がいる筈はないわねぇ? 何が視えたのかしら?」
どうやら何か視えたらしい、自分は何もしなくて良いのだろうか? 4人の子供とか10歳の女の子とか、モロに心当たりがある気もするけれど。
そもそも、この愛子さんが夫婦が体験したゲーム内事情を、知っている訳が無いのだ。店長は霊感のある占い師さんだと言っていたが、本当にそうなのだろうか?
ちょっとヤバいかも、嵌まってしまいそう。
店長からは、しゃきっと説明と聞きたい事を尋ねなさいの合図が。占いなど始めての祥果さんは、戸惑いながら言われた通りに説明を始めるけれど。
自分で言ってて、何とも荒唐無稽だと改めて感じてしまった。こんな話を、よく原野店長は信じてくれたものだ。そして占い師の愛子さんも、真面目に話を聞いてくれている。
その姿に勇気づけられて、思わず祥果さんの言葉にも力が入る。
「……ははぁ、どうもあなたの運勢が視え難いと思ったら、そう言う事かね。神様に気に入られた人なんだね、これは大変な使命を授かったねぇ……」
「えっ……愛子さん、この娘はご懐妊じゃないの?」
残念ながら違うらしい、そもそも祥果さんに関しては、則近の未来が妙にぼやけて視えないらしい。ただし、将来的には少なくとも4人以上の子持ちになると口にする。
愛子さんの話では、神様に気に入られた人間はこの世界で役目を仰せつかるらしく。愛子さんもその中の一人らしい、そう言う人は波乱の人生を送り易いとの事で。
あの体験を波乱と言われれば、確かにそうかも。
それにしても、神様が出て来るとは驚いた。それを率直に口にすると、日本人はとりわけ神様を信じないねと嘆息されてしまった。それなのに神頼みやそっち系のイベントが大好きな、本当に困った種族らしい。
確かに祥果さんも、年始参りとか普通にしてしまう。神社に参るのも好きだし、だからと言って神様の存在を信じている訳では無い。痛い所を突かれ、恐縮していると。
それが日本人の、恐らくは標準だと店長がフォローを入れてくれた。
「戦前は、日本人もそんなに極端な無神論者ばかりじゃ無かったんだけどねぇ。戦後を生き抜くために、日本人は信仰を捨てた訳さね。技術力を磨いて、生産して消費してのサイクルに乗っかって、目に見えないモノは二の次三の次にした結果が今の現代社会さ」
「確かに今の若い人は、昔の日本人の美徳を失ったって気がしますねぇ。暮らし振りが大きく変わって、生活スタイルも激変して。目上だとか目に見えない者への敬いを忘れてしまってますね、残念ですよ」
「その分、心に隙間が出来て悪いモノばかり招き寄せる人間が増えたからね。私の仕事も大忙しさ、最もそんな連中は悪いのは全部他人のせいにして自分を省みないからね。私が幾ら口を酸っぱくして忠告しても、同じ事を繰り返すばかりさね」
それは本当に詮無い事だ、祥果さんは大変な仕事だなぁと同情してしまうけど。彼女もサービス業なので、自己中なお客さんの対応には少なからず苦労した覚えもある。
年上の2人の話を総合すると、昔はもっと生活もおおらかで、信仰も廃れていなかったらしいのだが。神様も住み難くなったものだ、少なくともこの日本においては。
そう言えばと思い出すのは、ゲーム世界で出会った神様たちの存在感。
あれほど圧倒的な包容力と存在感を感じたのは、恐らく人生初だっただろう。人間の枷を感じた瞬間でもあった、今思えばだが。旦那にも訊いたが、彼自身も初めての体験だったらしい。
日本人の変容はともかくとして、神様は一体自分達夫婦に何をして欲しいのだろうか? 愛子さんに問い質しても、それを教えるのはマナー違反だとの事で。
そう言えば、ゲームの世界でも色々と規則には縛られていたっけ。
「そう言えば、私の旦那さんに質問事項を貰ったんですけど……私達は向こうに1週間くらいいた筈なのに、こっちでは3日しか時間が経ってなくて。その間、ちゃんとこちらの私達も動き回って生活していたみたいで……」
「あぁ、同時存在は神様の十八番さね……魂は分ける事が出来るのさ、そして別々の場所で活動する事もね。人間をちっぽけな存在と思いなさんな、人の魂にも神様の成分が使われているんだから」
「それじゃあ、特に心配する必要は無いと?」
占い師の愛子さんは、鷹揚に頷いて肯定の構え。取り敢えず心配の一部は取り除けた、彼女の言い分を信じるなら。愛子さんは尚も、人間の本質を語り続ける。
人の魂は輪廻を続ける、廻り続ける事が物事の本質だからだ。人は不自由な赤ん坊の姿で産まれ、そして不自由な老人になって死んでいく。出発点と終焉は同じ場所だ、つまりは円を描いている。
円は縁だ、誰かの助けが無いと人の人生は全く立ち行かない。
そうして連なって、人は一生を価値のある物にして行くのだ。人間の魂の中の、神性を磨くために。大気を廻る水の流れと一緒だ、雨となって川になって、上流からやがて海に至る。
人間は、例えるなら角張った岩だ。川の流れの中でお互いにぶつかり合い、やがて角が擦れて丸くなる。それが魂を磨く行為だ、だから試練は多くあった方が良い。
そしてやがては、穏やかな母なる大海へと行き着くのだ。
「こんな世の中だけど、人間も捨てたもんじゃないのさ……何しろ歴史を紐解けば、神様と崇められている人間が幾らでも存在するじゃないか。世界に名だたるメジャーどころもいるし、日本にだって神聖視されてる人がいらっしゃる……本当に大したもんさね。
――次がアンタじゃないと、どうして言える?」