基本、ソロってます
少しだけ、ファンタジーRPGと言うジャンルの話をしよう。そう、少しだけ……話の導入程度に、退屈しない程度に。RPGとはロールプレイングゲームの略だ、つまりは架空の世界で生活し、且つ冒険するキャラを操作するゲーム全般を指す言葉だ。
今ではゲームのタイトル群に当然のように入り込んでるが、昔は探すのが難しいジャンルでもあった。つまりはアクションとかシューティング全盛の頃には、特に。
家庭用ゲーム機が普及し始めて、徐々にそのタイトル数も増えて来た訳だ。
最初のRPGのタイトルは、全てが舶来の移植モノばかりだった。しかもそのゲームの性質上、一人プレイが中心で対戦や協力とは無縁と来ている。それでもあるタイトルの爆発的ヒットと共に、日本中にその名を定着させる事に成功した。
改まって口にするのも野暮ったい、ゲームが好きな人ならば、まず知らないってのは有り得ない有名タイトルだ。まぁ、その圧倒的な認知度故に、日本のファンタジーの王道がそこで固まってしまった感もあるけれど。
つまりは剣と魔法を操る英雄が、最終的に悪い奴をやっつける的な。
その過程で、お姫様を救ったり数々の謎を解いて回ったり。テンプレとしての、冒険者の生い立ちだ。各地の宝箱を開けて回って、レベルを上げたり装備を新調したりして。
その後ある別のメーカーから、双璧となる某有名タイトルが発売された。海中や大空を乗り物を使って自由に冒険し、シリーズでは恋や友情を前面に押し出して喝采を浴びたっけ。
両タイトルとも長期にわたってシリーズ化され、社会現象まで引き起こして。ジョブとか種族とか、武器の種類とか各種魔法とか、変に系統化して子供達の知識に組み込まれたりして。
ゲーマー連中のハートを、がっつり掴んだ感じだろうか。
RPG知名度の普及とともに、たくさんのゲームが販売された。洋風ファンタジーや和製モノ、スタンダードな設定のゲームや海外移植モノ、更にはそれこそ珍妙設定の色モノまで。
売れる時にはどんどん出す、市場の摂理に沿う形で。
時代は進んでネット普及世代、常時接続が当然のサービスになって久しい頃。一人プレイが当然のRPGに、とても大きな変革の波が押し寄せた。ネットに繋がった者同士の、対戦及び協力プレイの到来である。
俗に言うオンラインゲームの時代が、ここに始まった。
ここでも当初から海外作品が目立っていたが、日本のゲーム業界も頑張った。様々なヒット作品が世を賑わし、ユーザー連中に支持されて主流の座を勝ち取って行ったのだ。
同時にポリゴン性能やパソコン機能の進化により、ゲーム内のキャラや景色が格段にリアルになって行った。これによって、更に独特の世界観や生活感が表現可能になった訳だ。
ネットの普及により、ネット内に新世界が生まれた事になる。
ゲームの進化は、まだまだ止まらない。ユーザーたちがコレは来るだろうと常々から感じていた、バーチャルステージへの階段。何しろこの分野、医療や軍事、建築や災害訓練など多岐に渡って活躍応用範囲が約束されているのだ。
世間に必要とされる技術と言うものは、思ったよりも短期間に発展する。当然の如く、各ゲーム企業がこぞってこの分野に参入して行って。ほぼ時を同じくして、数々のタイトルが世に放たれて。
そんなタイトルの中に、『ファンタシースカイ』もあった。
このゲームの世界観を一言でいうと、至って標準的な異世界ファンタジーだろうか。売りと言うか、変わったシステムとして“カルマシステム”と言うのが目を惹くけれど。
これを簡単に説明すると、良い事をしたら良い縁が、悪い事をしたら悪い結果がやって来ますよって意味だ。自分の造ったキャラを中心に他PCやNPC、更にはモンスターにまでその縁は影響を及ぼす。
今ではオンラインゲームの良さは、その自由度に起因するのだけれど。自由に、つまり自分勝手に行動し過ぎると、後で厄介な破目に陥りますよと。
つまりはそんなシステムで、一風変わったアルゴリズムではある。
桜庭央佳は、そんな売りや世界観に魅せられてこのゲームを始めた。キャラ名は桜花で登録、ネトゲ経歴は通算10年以上の23歳だ。
他にも自由度の高さは、他のゲームと較べても全く遜色ない。最近のゲームの風潮として、ゲームはまったり簡単操作系と、やりこみ複雑世界系の2つに分類されるが。
ファンスカは完全に後者で、マップも自由度もとことん広く深く作られている。
央佳は根っからのゲーマーで、ファンスカに辿り着くまで色々と試して回ったのも確かで。その結果、このゲームの自由な設定や奥深い世界観に魅了された訳だ゛。
そんな訳で、『ファンタシースカイ』――通称ファンスカのサービス開始の割と当初から、央佳はその架空世界で冒険に勤しんでいた。まぁ一応、全てのクエやカテゴリーを網羅する程度にはのめり込んで。
その結果、ファンスカではトップクラスの冒険者になっていたりして。
ファンスカはアイテム課金制ではなく、月額契約制である。その為、他のプレーヤーに先んじようと思ったら、とにかく時間を掛けて強くなるしかない。
ただこのゲーム、やたらと期間限定イベントが多いのも売りのひとつで。その勝者は結構良いモノを貰えるものだから、イベント開催の度に白熱した争奪戦が行われる訳だ。
そしてその勝者は、羨望と賞賛の目で周囲から称えられる。
央佳がトップクラスになったのは、別に廃人並にゲームにログインした結果では無い。何しろ彼は社会人で、しかも結婚していてお嫁さんまでいる身なのだ。
イン時間は極端に限られてしまうし、まぁ奥さんはゲームに理解のある方なのだけど。それでも同じ室内で過ごしていて、片割れが何時間もバーチャ世界に浸っていられる訳もなく。
自然とゲームは、一日2時間までとの約束が出来てしまっていたり。
それでも央佳は幸せな方だと、自身でも思っている。同じ境遇の既婚者ゲーマーに訊いた話では、そんな嫁さんは稀なのだそうで。中には大喧嘩の果てに、筐体を窓から投げ捨てられたりとか、ネット自体解約されたとか、怖い話がどんどん出て来る始末で。
とにかく、そんなネット事情でトップになれたのは、親切なギルド仲間と限定イベントでの勝率のお蔭である。短いので5日間、長くて4週間で開催される限定イベント、勝者には名声と特別報酬が与えられるのだ。
そこで幸いにも、2度の優勝と何度かの入賞を果たす事が出来て。
そこから話は、やや複雑になって来てしまう。そこで勝ち取った景品と言うか褒賞が、ちょっと皆の予想から掛け離れたモノだった訳だ。それはもちろん、桜花にとっても。
この出会いを端折ると、後に色々と不都合も生じて来るのだが。そこを敢えて結果だけ言うと、彼はいつの間にか子持ちになっていたのだった。
そんな訳で現在の彼の肩書きは、バツ2の4人の子持ち冒険者である。
ファンタジーRPGでは考えられない肩書きだが、事実なのだから仕方が無い。それでどんな恩恵を受けるのかと問われれば、とにかくその子供NPC達が強烈に強かったりするのだ。
それこそ、ゲームバランスが崩壊する程度には。
ゲーム世界で、プレーヤー同士がパーティを組むのが普通になってから、キャラには役割が付いて回るようになった。盾役や削り役、回復役や支援役など、各々が責任をこなして戦闘を有利に運んで行くのが通常のスタイルである。
この役割分担をそれぞれ責任を持ってこなすのが、ゲームの面白い部分でもあるのだが。桜花の娘達に限って言えば、それをぶち壊すやんちゃ振り暴れっぷりで。
命令を聞かない娘達のお蔭で、パーティでは肩身の狭い思いをする破目に。
言ってしまえば、それは現実世界でも当て嵌まるのかも知れない。小さな子供のいる家庭に聞けば、大抵子供は凶暴なモンスターだと答えが返って来る筈だ。
そんな事は、まぁどうでも良いのだけれど。央佳も結婚はしているが、子供はまだいない。周囲の既婚者の言葉で、厄介なのは承知してはいたけれど……。
まさか、ゲーム内で早々に知る破目になろうとは。
嫁さんにはナニ浮気してるのと、散々愚痴を言われてしまった。アレを浮気と確定されると、央佳としても辛いものがあるのだけれど。とにかく大きなものを得た代償に、彼は気楽にパーティに加わる自由さを失った勘定だろうか。
そんな訳で、最近の桜花は――基本、ソロってます。
「ただいまぁ……祥ちゃん、アイス買って来たよ~?」
「お帰り央ちゃん、夕ご飯出来てるよ~」
愛しの我が家と良く言うが、央佳にとってまさにそこは楽園そのものだった。可愛い嫁さんとネトゲに接続出来る環境、現実と空想世界がバランス良く混ざった空間。
よくある造りの安コーポ、古い上に部屋数も多くない。その分家賃が安い訳だが、駅からも程々に近いし文句を言うほどボロくもない。ご近所さんも既婚者ばかりだし、治安も悪くない。
理想を高く設定し過ぎない限りは、良い環境だと央佳は思う。
その上、家事のほぼ全般を奥さんの祥果さんがやってくれるし。彼女も仕事を持っているので、実はこれは不公平なのだけど。ただこの取り決めは祥果さんから言い出したモノで、央佳も多少申し訳なく思っている次第である。
その代わりと言っては何だが、未来設計図は大幅に祥果さんの意向に沿う事が決まっている。つまりは家計のアレコレとか、将来のマイホームや家族計画とか色々。
どうやら祥果さん、郊外で慎ましくも子沢山な家庭を夢見ているらしく。
その為の預金に余念がなく、このカップルは結婚式も新婚旅行も行っていない始末である。お互いに仕事を持ったまま同棲⇒籍だけ入れるパターンとでも言おうか。
両方の親から散々小言は貰ったものの、デキ婚と言う訳でも無く報告もきちんとしての入籍だった為。そんなに波風も立たずに、現在の幸福な家庭を手に入れる事が出来たのだった。
お互いに満足の行く、この安コーポの一室と言う居城を。
祥果さんにしても、旦那のネトゲ趣味はとやかく言う程の悪癖でも無かったりする。月額契約制なので、お金が物凄く掛かる訳でも無いし。むしろ月にたった1千円程度、何をとやかく言おうかだ。
その代わり、時間は結構取られるけれど。それでも外に遊びに出られたり、毎晩帰りが遅くなられるよりマシ、祥果さんは結構寂しがり屋な性格だったりするので。
画面に映る異世界も、彼女は割と楽しくて好きである。
戦闘シーンは、ちょっと派手で眉を顰めるけれども。一緒にしようと誘われても、今一つ乗り気にならない理由もその辺にある。全般的に争い事が嫌いな性分なので、まぁ仕方が無い。
央佳もその辺は心得ていて、だから嫁さんには競売のチェック程度しか頼んだ事は無い。このゲームの筐体のバーチャシステムも、そもそも2人用には作られていないし。
一応モニターにもゲーム画面は表示されるので、祥果さんも視認には困らない。
本格的にプレイしようと思ったら、ヘルメット型の操作コントローラーを被らないといけないけれど。これと付属ハンディコントローラーで、バーチャ世界で不足なく動ける仕様だ。
何とも凄い進歩だと、切り替え時の騒動を知る央佳などは思うのだが。それに合わせて幾多のゲームタイトルがサービスを開始して、淘汰の波に晒された訳だ。
それを生き延びたファンスカを誇らしく思いつつ、用意された食事を口にする央佳。
「央ちゃん、最近また帰りがちょっと遅いねぇ……残業あるほど忙しいの? ……あっ、煮っ転がし上手く味付け出来た♪」
「ん~、大きい仕事と小さい仕事の納期が、重なっちゃったからなぁ……煮っ転がしって、スキル技の名前みたいだな」
間の抜けた返しを聞き流し、祥果さんはじゃが芋の煮っ転がしを続けて頬張る。旦那の央佳は残業が好きではないので、帰りが遅いのはほぼ仕事が忙しいと言う理由な筈。
まぁ、真っ直ぐ帰って来る理由付けの大半は、ゲームにログインする時間の捻出なのは情けないが。それでも孤独な室内が嫌いな祥果さんには有り難い話、考えてみたら良い夫婦かも?
少なくともお互い若い内の結婚は、失敗では無かった模様。
旦那がネットにログインしている間、祥果さんは隣に座って色々と趣味に興じる。これはまぁ、恋人時代から変わらないスタイルで、他の友人達に言わせると「なんだかなぁ?」的な付き合い方なのだそうだけど。
そもそもこのカップルの馴れ初めは、2人の小学校時代にまでさかのぼる。教室の仲の良い6人くらいのグループの中の2人で、つまりは最初から波長は合っていた訳だ。
中学も高校も同じ所に通っている内に、いつの間にかくっ付いていたパターンで。
そんな感じに、一緒に過ごした期間の長いカップル。室内に漂う、リラックス的な雰囲気は半端では無い。そんな中で祥果さんは読書をしたり編み物をしたり、イラストを描いたり音楽を聴いたりする。
一人っ子だったので、独りでの時間の潰し方は抜群に上手ではあるのだけれど。それに加えて最近は、ネット内の桜花の子供達の動向も気に掛かってしまう。
保護者魂とでも言おうか、最初は浮気だ何だと騒いでいた癖に。
その事に関しては申し訳ないと思う祥果さんだったが、友達から刷り込まれた先入観も手伝っていたりする。例えば「共にログインして冒険してる他♀キャラとか、いつの間にか仲良くなって直接手段で連絡取り合うパターンって多いらしいよ」との友人の忠告とか。
情緒不安定だった時期に吹き込まれてしまったので、多少大袈裟に反応してしまったかも知れないが。ネット世界だからと言って、好きにして良い理屈は微塵も無い訳である。
まぁ、その騒いだ埋め合わせ的に、子供達を気に掛けてしまうのかも。
「……そう言えば、子供達は言う事を聞くようになったの、央ちゃん?」
「全然、全く駄目なままだなぁ……ゲーム的には、意思疎通出来そうなモノなのに。ペットジョブみたいに、指令スキルが必要なのかなぁ?」
子供とペットは違うでショと、一応突っ込んでみた祥果さんだったけど。親子でコミュニケーションが取れない今の現状は、察するに想像以上に大変らしい。
ゲーム内の話なのに、何だか身につまされる会話の内容だったりするけれども。システムの不便さを熱心に語られても、いまいち分からないのが少々辛い。
分からないなりにも、ネット世界に興味が湧き始めている今日この頃。
「んっと、冒険? にお出掛けすると、いっつも一緒に付いて来るんだっけ?」
「うん……この前、ようやく長女だけ連れ出す事に成功したんだけどね。何故か残された四女が暴走して、街の一角を半壊させちゃって。幸い死傷者は出なかったみたいだけど、その街は完全に出入り禁止」
「子供が暴れただけで、街が半壊する理屈が良く分からないんだけど。真ん中の子供達は、その時どうしてたの?」
「良く分からんが、俺に置いて行かれたのに拗ねて、勝手に出歩いていたらしいな。それで寂しくなった四女が、半泣きで暴れちゃったみたいだ」
それは央ちゃんが悪いねーと、適当に相槌は打ってみたものの。相変わらず子供が暴れた程度で、街が半壊する理由は皆目見当もつかない祥果さん。
その件で、子供達の信頼度はがた落ちだったらしい。長女は逆に上がったみたいだけれど。ひょっとしたら、子供達への指示出しは信頼度の上昇が必要なのかも。
何か救済措置が無いと、全く動き難くて仕方が無い。
さて、もう少しだけファンスカの“カルマシステム”の話をしよう。いや、くどいとは思うけどもう少しだけさせて頂きたい。何しろこれは、この物語の核でもあるのだ。
袖刷り合うも多生の縁と言うけれど、人と人、キャラとキャラ同士の繋がりは強くも弱くも存在する。それこそ人の数だけ、キャラの数だけ、出会いの数だけ。
それを数値化して確認出来るのが、ゲームならではの世界観とでも言おうか。
つまりは仲間やNPCと親しくなるにつれ、信頼度はどんどんと高く加算されるよう設定されている。数値が高くなると、行動を長く共に出来るようになったり、お金や物品を貸し借り出来るようになったりと恩恵も多々ある。
この辺は、社会の縮図とでも言えばそうなのだが。誰だって信用していない人間に、お金や借りを貸しはしない。この数値が名声などに直結していて、果てはドロップ率にまで効果を及ぼすらしいとの噂だ。
要するに、たくさん縁を築いて信頼度を上げて行くのが、良いサイクルを生む秘訣なのだ。
そしてそれは、逆もまた意味する。PKを含めたキャラ同士の抗争や軋轢、嫌がらせの類いまで全てが数値化されるのだ。信頼度とは逆の、敵対度と言う数値で。
この数値は、もちろん低い方が良い。敵対度が高いと、街での買い物や活動にまで支障が出て来るらしい。狩りをしてもドロップ率は悪くなるし、冒険者としてパーティも組みにくいし。
だがしかし、そちらの世界にも救済措置は存在しているらしく。
裏側の住人のみが受けれるクエが存在したり、犯罪系のギルドからスカウトされたり。普通に生活するには不都合が多いけれど、決して世界には見放されないと言う。
選ぶのはプレーヤー次第、自由度の高さは伊達では無いらしい。
そんなファンスカの世界で、央佳は冒険家業を始めて既に4年近くが過ぎていて。ギルドにも所属しているし、ゲーム内にそれなりの縁は築いている。
限定イベントでの優勝に端を発し、新たに結ばれた扶養義務とでも言おうか。4人の娘たちは、それぞれが個性豊かで戦闘力は桁外れている点では類似している。
その縁にどう立ち向かうか、今後の課題なのだろう。
ぼんやりとそんな事を考えながら、央佳は夕食を食べ終える。食後のデザートにと、お土産に買ったアイスを奥さんと一緒に食べながら、脳内で今夜のイン活動をしっかりと整理。
遊ぶ時間は限られているので、インしてからもたもたしたくないのだ。祥果さんが食器を片付けているのを視界の端に収めつつ、申し訳なく思いつつネット接続の準備など。
本当に、働き者の嫁さんを貰った自分は果報者だ。
「それじゃあ、俺は今からインするけど……祥ちゃんは、今から何する予定?」
「んっと、央ちゃんの作ってくれたホームページをチェックして、出来たら更新しようかな? 載っけてる商品に注文が来てたら、発送の準備もしないとだし」
「了解、操作で分からない所があったら、遠慮しないで呼び戻していいから」
分かったと返事をしつつ、別世界へ旅立つ旦那を見送る祥果。央佳の仕事はWebデザイナーと言う奴で、とにかくそっち系の扱いにはとても強かったりする。
祥果さんの仕事は、子供服や雑貨の専門店の店員である。ほとんど趣味と実用を兼ねた就職先であるが、お給金はそんなによろしくない。そこで服飾の専門学校を卒業した実績を生かすために、自分で作った子供服や雑貨をネット販売してるのである。
これが意外と好評で、良い副業になっていたりして。
ちなみに央佳はそのまんま、パソコンの専門学校の卒業生である。2人の専門学校は立地的に近かったので、専門学校時代も行き来は頻繁だったこの2人。
学生時代からのお付き合いが、専門学校時代もそのまま続き。央佳が就職を機会に独り暮らしを始めると、祥果さんも自然と通い妻状態に突入して。
同居⇒籍入れと、流れでここまで来た感じだ。
特に波乱の無い人生だが、そもそも臆病な性格の祥果さんは、人生に“特別”など望んでいない。普通で良いとの心情は、子供時代から崩れる事の無い信念だったりする。
ところが、いざホームページのチェックを始めて数秒後。予期せぬ事態に、思わず悲鳴を上げてしまった。数量限定でページに載せた幼児服に、予約が殺到していたのである。
これにはびっくり、何でこんな事態に?
そう言えば、央ちゃんがどこかとリンクを張ったとか何とか言っていたような? それが現状の結果を招いたのかも、カウンターの数も結構な数増えている。
この限定品の販売には、載せる前にひと悶着あったのも事実。つまりは限定品なのだから、お値段は高めにしなさいよと央佳のアドバイスがあったのだけど。
元の布代はそんなに掛かってないので、そんなに高く出来ないよと突っぱねたのだ。
今になって後悔しても遅い、とにかく完売の札に張り替えないと。確か何度も、央ちゃんがそんな操作をやっていたっけ。それを隣で見てたのだが、一向にその方法が思い出せない。
元々、パソコン関係は全くの苦手分野な祥果さん。記憶の底を攫うのを早々に諦めて、申し訳ない思いを感じつつ旦那の央佳にそっと声を掛ける事に。
隣にぴたっと寄り添って、小声で名前を呼んでみる。
「央ちゃん、あのぅ……用事を頼みたいから、ちょっとだけこっちに戻ってくれない?」
「……………………」
小声過ぎたようだ、バーチャゲームは潜り過ぎるとリアルの音や事象に気付かない事がある。それが問題として、ニュースに取り上げられた事も何度かあるらしいけれど。
要するに、予期せぬ災害や犯罪が起こった時に、危ないと言う防災目線からの批難であるらしい。ただそれは、普通に人が寝ている時も同じ事だとは央佳の弁。
確かにそうだ、祥果さんも一度寝るとなかなか起きないタイプ。
それを念頭に、今度は祥果さんは突っつき攻撃に転じる。腕や胸元を指先で突きながら、何度か名前を呼び掛けて。ついつい好奇心から、ヘルメット型の筐体をノックしてみる。
入ってますか~、みたいな軽いセリフと共に。もちろん冗談だが、精神は遥か彼方に飛んで行っていると言う認識の元に。それでもなかなかアクセス出来ない状態に、いよいよ祥果さんも焦れて来て。
もう少しだけ力を入れて、筐体をノックする。
不意にバチンと言うモノ凄い音と共に、完全な暗闇が訪れた。圧倒的な質量を備えたそれは、祥果さんの方向感覚さえ奪ってしまう。小さく悲鳴を上げて、彼女は近くの旦那にしがみ付こうとした。
それが空振りに終わった途端、祥果さんは恐怖に襲われた。央佳がいない、少なくとも近くにいない。誰かの騒がしく話す声が、喧噪となって周囲に拡散して行った。
全身に変な電気が走っているような感覚、まるで冬場に熱い風呂から上がった時のような。
全てを無視して、祥果さんは旦那の名を呼び続けた。央佳さえいてくれれば、停電なんてへっちゃらだ。心の中では、恐らくこれはただの停電では無いと、冷静な自分が結論付けていたけれど。
不意に、引っ張られる感覚が全身を襲った。どちらにとも分からない、強引にエスカレーターに放り込まれた様な、こちらの意思を無視する移動だ。
拒む事など出来ない、それは天災の到来に等しい所業に他ならなかった。
――祥果さんは為す術もなく、どちらへとも分からない落下に身を任せていた。