データ
「未来予知ってのは、本当に可能だと思うかい?」
森田はコーヒーを啜りながら、パソコンの画面を眺めている。
「普通に考えたら、そんなことはあり得ない」
「人は、脳みそを使って世界を認知している。しかしその脳みその使用率は、およそ30%程と言われているじゃないか」
こつこつと、爪で机をたたき始める。森田が考え事をする時のクセだ。
「残りの何%かを使えば、超能力が使えるって話か?それも眉唾だと思うね俺は」
「佐竹よ、物事を決めつけてかかるのは良くないぞ。世の中の物理現象はおよそ解明できているが、人の脳においては分かっていない事の方が多いのだよ」
こつこつのテンポが速くなる。
「私は、ある程度の未来予知は可能だと思っている」
森田は大きな胸を揺らして、勢いよく佐竹のほうを振り向いた。
「例えばだ、サイコロを振って出る目を事前に知るには、どうすればいいと思う」
佐竹は見当もつかない、と肩をすくめる。森田が勝ち誇ったようににやりと笑い、答えを口にする。
「計算をするんだ。サイコロが描く放物線、着地面の状態、サイコロの回転数やバウンドの回数等々……。サイコロが人間の手を離れた瞬間から、実は物理法則によって答えが出ているようなものなんだよ」
「そんな計算を、一瞬で出来るわけないだろ」
「そこで、先程の話に戻るわけだ。人間の脳の残り70%がもし使えたなら、処理速度は大幅に上がりそんな計算も可能になる。どうだ、未来予知は可能だろう?」
こつこつが止まり、森田はまたコーヒーに口を付ける。森田の濡れた唇を眺めながら、佐竹は反論する。
「物理法則の計算を予知と言うんだったら、今の脳でも可能だろ。例えば、この鉛筆を手に取り、そのまま手を放す。俺はその鉛筆が下に落ちることを知っている。ほら、これは未来予知だ」
森田はしばらく考え、確かに、と呟いてから頬を膨らませ、怒ったように顔を背けた。
「そんなことはどうでもいいんだ。今問題なのは、これはどう考えても説明が付かない、という事だ」
森田は真っ直ぐに伸ばした指をパソコンの画面に突きつける。
画面上には、未来の事が書かれたテキストが表示されていた。
そのテキストファイルは、森田がどこかから拾ってきたUSBメモリの中に入っていたものだった。帰宅後中身を見て驚き、佐竹を電話で呼び出したという寸法だ。交番に届ける気はなかったのかと佐竹が聞くと、私は好奇心が強いんだ、という答えが返ってきた。
テキストの一行目はこうだ。
『2015年1月22日19時36分:窓が割れる』
どこの窓が割れるのか、具体的なことは何も書かれていなかった。
その時は2015年1月22日19時22分だったため、どうせ悪戯か何かだろうと決めつけつつも、どうせだからとその時刻まで待ち続けていたのだが、時刻ぴったりに外から窓の割れる音が聞こえてきた時には、思わず2人で顔を見合わせた。
「あの窓が割れたのは、近所の夫婦喧嘩によるものだった。このファイルの作成者はなぜそれを知り得た」
森田は回転椅子に座りぐるぐると回りながら、首をひねった。
佐竹はぐるぐると回る森田の長い足を眺めながら、口を開く。
「さっき話してた物理法則云々ならまだしも、人間の行動なんて予知出来る訳がない。つまり、これが偶然じゃないとしたら、超能力的な何かを持つ人間の仕業なんじゃないか」
「超能力」
森田は椅子の回転を止め、ふんと鼻で笑った。
佐竹は一瞬だけ膨らんだ森田の鼻から視線を逸らして言う。
「今一つだけ言えるとしたら、このファイルは本物かもしれないという事だ」
「その問題は時間が解決するだろう。次の予知はどうなっている?」
パソコンに近づき、声に出して読み上げてやる。
「えー、『2015年1月23日14時55分:隕石落下』」
「……ついに地球滅亡か」
森田は椅子から立ち上がると、投げやりな様子でベッドに身を投げ出した。
部屋着にしているパーカーの裾が少しだけ捲れ、現れた素肌の背中を眺めながら佐竹は溜息を吐く。
「最後の晩餐は何にしようか」
「時刻をよく見ろ。最後になるのは昼食だ」
枕に顔を埋めたまま森田は続ける。
「もう帰っていいぞ佐竹。そのファイルの真偽は、明日地球がどうなっているかで分かる」
佐竹は最後に森田の背中を一瞥して、部屋を辞した。
星が輝く空を見上げ、明日はあの中のどれかが降ってくるのかな、とぼんやり考えながら帰途につく。
佐竹が森田の恋人となってから2年、体を重ねたことは、未だ一度もない。
翌日、結果から言えば、地球は無事だった。
「見ろ佐竹、ファイルはやはり本物だ」
森田が興奮気味にパソコンの画面を指さす。ニュースサイトにはでかでかと『隕石落下』の文字が躍っていた。
テキストファイルの予知通りの時刻、ロシアの辺境に小さな、とても小さな隕石が落下したらしい。
昨夜、実家の両親に別れの電話をしてしまった佐竹は、しばらく顔の火照りが引かなかった。あとで謝罪と言い訳のメールを送っておこう。
「なぜ顔を赤くしているのだ佐竹。ほら、次の予知に備えるぞ」
「備えるって、どういうことだ」
森田は長い足を組み換え、こつこつと机を爪で叩き始めた。
「隕石が落ちてから、考えたのだ。この予知を何かに利用できないものかと。このファイルには、大体悪い予知しか書かれていない。窓が割れる、隕石が落ちる、次は銀行強盗が起きる、だ」
「銀行強盗が起きる」
思わずおうむ返しにしてしまった。森田は先程、予知に備えると言った。悪い予感しかしない。
「防ごう、悪い事が起こるのを」
「なぜ」
「自己満足だ」
森田の爪をじっと見つめ、言葉の続きを待つ。
「いいか佐竹、人生において重要なのはただ一つ、幸福感だ」
今度は耳たぶにあるイヤリングの跡を見つめる。
「例えそれが他人から自己満足だと言われようが、自分がそれで幸福だと思うのなら、何も問題はない」
「つまり森田は、銀行強盗を未然に防ぐことが、幸福だと?」
「自己犠牲の精神を語るつもりはない。ただ、単純に」
「単純に?」
森田は口角をくいっと持ち上げて笑った。
「楽しそうじゃないか」
こういう顔をする時の森田は、すごく綺麗だ。
銀行強盗が起きる時刻の10分前、佐竹と森田は銀行の前に立っていた。
「強盗が現れるのが、この銀行じゃなかったらどうするつもりだ」
テキストの予知は曖昧だった。起きる事象は書かれていても、具体的な場所は書かれていない。
隕石はロシアだったことから、強盗だってテキサスじゃないとは限らなかった。
「その時はその時だ。仮に違う銀行を強盗が襲っても、数十分を無駄にしただけで私は痛くも痒くもない」
「良心は?」
「痛まない」
好奇心が服を着て歩いているような人物なのだ、森田は。
どうせここは襲われないだろうとタカを括って暇を持て余していた佐竹は、森田の鋭い声に背筋を伸ばした。
「来たぞ」
いつの間にか道の脇に黒いバンが止まっており、その中から黒尽くめの男3人が姿を現した。3人とも目出し帽をかぶっている。強盗です、と街に宣伝しているかのような格好だ。
男たちは銀行の前に立っている佐竹と森田を見つけると、なにやら焦ってその場で揉め始めた。
「ちょっと君たち、話を聞かせてもらえるかな」
婦警の格好をした森田は臆する風もなく、堂々と彼らに近寄っていく。警官服に身を包んだ佐竹もそれに続いた。
ちなみにこれらは、ドン・キホーテで2980円もした代物だ。
「そんな格好で、銀行強盗でもするつもりかい」
「いや、これはあの、コスプレで……」
目出し帽から聞こえてくる声は、ずいぶん若い者のように思えた。
強盗達はコスプレをした森田に対し、しどろもどろになりながらバンを止めてある方へ後退りしていく。
「いいか、もし悪戯だったとしても、軽い気持ちでこんなことをするもんじゃない。良心は痛まないのか」
森田は100均で買ったおもちゃの拳銃をおもむろに取り出し、強盗に銃口を向けた。
「おい、逃げるぞ」
リーダーらしき男が発したその掛け声と同時に、強盗達は一目散に逃げ出し、バンで走り去っていった。
しばらくその姿を見送った後、森田の笑い声が弾けた。
「愉快だ」
森田の自宅に戻る途中も、森田は始終満足げな様子だった。
「事件を未然に防ぐというのは、まさにこういう事だな。あのファイルさえあれば警察などお払い箱だ」
あの後本物の警官に声を掛けられ、一目散に逃げた事は既に忘れているようだ。
「さて、次の予知はどんなものだったかな」
部屋に帰り、USBメモリをパソコンに差し込んでファイルの中身を確認した瞬間、佐竹と森田は顔を見合わせた。
「これは一体どういうことだ」
テキストファイルの、3行目以降の記述がきれいさっぱり消えていた。
「森田が消したのか?」
森田がかぶりを振った。
「昨日の夜確認した時には、確かに強盗以降の予知も書かれていた」
佐竹は思いついた単語を口にする。
「……バタフライエフェクト」
「なんだそれは」
うろ覚えだが、と前置きして佐竹は説明する。
「タイムパラドックスの一種だ。例えば、過去に戻ってあるおじさんに石を投げつけたとする。するとそのおじさんは元の世界とは違う行動を取り、それが波紋のように他の人々にも影響して、結果的に未来は大きく変わってしまうんだ。確か、蝶が羽ばたくと地球の裏側で竜巻が起こる、なんて話もある」
いつの間にか森田は、机をこつこつとやり始めていた。
「つまり、この件に当てはめて考えるとだ。銀行強盗は起こるべき事象だった。それを私たちが阻止してしまったために、未来は変わってしまって、これから起こりうるこの予知が当てはまらなくなった、と。そういうことか」
「恐らくは」
森田はしばらくこつこつを続けて、それからゆらりと立ちあがった。
「この不思議事件はこれでおしまいだ」
そうつぶやくと森田はベッドに倒れこんだ。
「もう帰っていいぞ、佐竹」
枕を顔に押し付けたまま言った。
佐竹は素直に帰り支度を済ませ、部屋を後にする前に森田に言葉を投げかける。
「俺たちは、ずっとこのままなのか?」
「……予知してみろ」
森田は顔を上げないままだった。
佐竹は帰路の途中、考えていた。
森田の言うこの不思議事件は、本当にこれで終わりなのかと。
これまでの3件の予知は、辛うじて「偶然」でも説明が付く。しかし、テキストデータの一部だけが勝手に消えるなんてことは、物理的に不可能なはずだ。
もしかしたら、物理を超越した何かが存在するのかもしれない。
「まぁ、いいか。どうでも」
難しいことを考えるのは、面倒だ。
森田には後日、猛アプローチをかけるつもりでいた。
別に予知なんてしなくても森田の反応は、大体分かる。