日記冒頭&第三節①
12月24日、日記冒頭
――今日はこの間の約束を。
――昨日はずっと前の約束を。
――明日は二人で聖誕祭を。
第三節 つめたいもの、温かいもの
「というわけで――、元気ですか?」
スパンッと良い音をたてて、衾が開け放たれた先には、音にびくり布団から身体を起こしたところの仁美が現れた。
「何ナニ、何事――って、徹ちゃん? あれ、どうして?」
「それは仁枝さんが『あらあら、まあまあ、さあさあ、どうぞ』とまあ、お約束?」
「レディーが寝てるっていうのに、お母さんは」
仁美は自分の母親の調子の良さを思い出して、こめかみを押さえる。
「俺にしてみれば役得ってもんだ。いいじゃん、減るものでもないし」
「穢れたわ!」
「おいおい、ひどい言いようだな。役得とかフォローしてみたけど、正直なところ髪はぼさぼさ、寝間着はよれよれのパジャマ。まさかとは思うが、ドテラは標準装備じゃないだろうな? レディーとはよく言ったもんだな」
「うるさいな、もう」
頭を掻く仁美の寝起きから、低血圧であることが容易に想像できる。
「あたしは行かないからね」
「そうそう、その事で伝えることがあって来たんだ」
「……何よ」
「あれから仁美に言われたことを考えたんだ。そして、気が付いた。大切なものだから、見られたらいけないんだな」
徹は窓の外に目を向けた。
「一人で探せるの?」
「その方が渡されて、断れないだろ。……おいおい、何でそう憐れそうに見るんだよ。大丈夫だって。約束には間に合ってみせるから」
遠く、窓向こうに視線を合わせる徹に、仁美の態度は軟化していた。
「ただ、徹ちゃんに呆れてるだけだよ。でも一言だけ。徹は女の子に夢見過ぎだと思う。女の子はリアリストだから、要らないものにはバッサリだよ」
「それは仁美にも当てはまったり?」
「あたしは……分かんない、かな。貰った縫いぐるみとか、だけじゃないけど、いつも手に届くところにあってほしいから。うん、一途なんだと思う」
「確かに仁美は頑固だよな」
「フンッ。言って置くけど、相手を間違えないでよ。徹ちゃんも分かっているみたいだし、あたしは今日はのんびりと部屋で過ごすんだからね!」
「つまり、商店街の頑張りを真っ向から否定するということか?」
「か、関係ないでしょ、徹ちゃんには」
ふむ、と頷くと徹は「まったくな」と笑う。
「けどな、そこは怒るところじゃないか」
「怒ってるじゃない」
「そうじゃない。頼んでおいて、反古にする俺に怒るところであって、人の予定を狂わせたことに怒るところだろ?」
徹は仁美の諦めの良さに、そう言った。仁美は強いと思っているから、一層気持ちも入り、理不尽な言葉に聞こえたかも知れない。
「……な、何よ。勝手ばかり言って」
そして、今度は何も言わないのだ。反応があることを信じているから。
「ひ、人を誘っといて、連絡もしないで。全面的に自分が悪いって決め付けて……」
仁美は言いながら頭を垂れ、それ以上先を伝えなかった。弱々しく、徹にも届かない言葉で呟きはしたが、それは誰かに聞き届けられたのだろうか。
「……わりぃ。でも、休日祝日に関係無く寝るなんて、仁美らしいよな」
自分でもその言葉をきっかけにどんな切り返しになるか分かっていても、徹は沈黙が続くことを嫌がり、心にもないことを言う。
「うるさいな」
しかし、いつもなら間髪入れずに「それは徹ちゃんが」と言い返す仁美も、一息置いてから語気に気を付けながら答えた。
徹は手応えを感じて、手のひらを返した。
「俺、バカだからさ。さっきの言葉は撤回するわ。やっぱし買い物には付き合ってくれ」
「でも……」
仁美は徹から断られた、その理由に納得していた。だから、その返事には躊躇した。
だが、徹は改めて手を差し伸べる。
「確かに、俺と仁美は幼馴染みなだけだ。でも、だから頼めるんだ」
「…………」
「一緒に来てくれ。その代わり、買い物には口をはさませないけどな」
「じゃあ、何の為よ?」
「強いて言うなら、つまらないから」
徹は今一度、窓の外に目を向ける。そして、一人でその彼女へ上げる大切なものを探すことを「つまらない」と言いきった。
「そ、そりゃ徹ちゃんはいいでしょうね。でも相手はどうなるの?」
仁美は徹の袖を引っ張って、自分の方に徹を向かせた。
「ただ付いて行くだけにしろ、それを目にした彼女はどうなるの?」
プレゼントの贈り先である彼女の側にたって考えたらしく、仁美は続ける。
「徹ちゃんの言う女の子がどんな人か知らないよ。でも、あたしなら嫌だよ」
「でも、プレゼントはいつも一緒に買ってたじゃないか」
徹は、バカだから違いが分からないと言い加えた。
「あれは、徹ちゃんにセンスがなかったから、あたしへのプレゼントになりそうなものを教えてあげてたの。でも、今日はそうじゃないんでしょ?」
「ああ。お前へのプレゼントじゃない」
目の前の仁美以外に、プレゼントを買った覚えのない徹は、ただ俯いて応えた。
「一人で考えてよ」
「問題ないから、来てくれよ」
「どういう意味よ?」
徹の答えがいまいち分からず、仁美は訊くも、望んだ説明は返ってこなかった。
「彼女は強いから大丈夫だよ」
「大丈夫なんかじゃないよ! きっと誰も見てない所で泣いてる」
「そうだったかもしれない。でも……、来てくれ!」
一向に理解を示してもらえない仁美に、ついに徹は語気を荒げた。
「う、うん」
突然怒鳴られ、仁美は瞬くと共に頷いてしまった。
「じゃあ外で待ってるから早くな。いつまでも寝間着だと風邪引くし。着替えまでは覗かないから、なるべく速くな」
「え、あ? ちょっとぉ、いつまで女の子の……って、居ないじゃない!」
徹の言葉を受けるまで、仁美はその格好に何も思わなかったらしい。
徹は用件を済ますと、捨て台詞を掛けて、さっさと背を向けて仁美の部屋を後にしていた。
「ころころと考えを変えるんじゃないわよ、バカ」
仁美の、毒づくも心なしか口元を綻ばせているような声音を壁越しに、徹は静かに階段を下る。
そして、昨日とそう変わらない服装で現れる仁美を待つだけと外に立つ。
仁美いわく、一応外を歩ける程度の格好である――らしいことを思い出す。
見るものに寒さを覚えさせる白い息を吐き、徹は冷え切った塀に寄りかかっていた。
そこへ仁美が姿を見せる。やはり昨日と大して差のない色褪せたジーンズに、上はジャンパーを羽織っている。首回りはマフラーを巻き付け、腰辺りにはサイズが大きいのか白いトレーナーの裾が見える。加えて手には毛の玉の付いたニット帽を用意していた。
「お待たせ~」
その言葉には、先程の遣り取りに垣間見せた頑なさは鳴りを潜め、お楽しみを待つ女の子のような明るさを覗かせていた。
徹は紫色に変わりつつある唇を開いた。
「遅ぇ」
「お、女の子は支度に準備がかかるのよ」
「昨日とほとんど同じ服装に一時間もかけんなよな。雪でも降りそうな天気でマジ寒いんだからな」
「そんな徹ちゃんに優しい仁美さんからプレゼントです。はい、手袋。貸したげる」
両手に息を吹きかけていた徹に、仁美は帽子の中から紺色の手袋を差し出した。
「お父さんの部屋にお古があったから使っていいよ。何でか机の上にあったの」
仁美は徹が黙って手袋を取ったのが何故か面白く、くすりと笑った。
「何が面白いか!」
「全部。強いて言えば、徹ちゃんの顔が面白かったかな」
「面白くて当然だ! これは俺の手袋だ。イニシャルもここに……『T・W』と」
徹はムッとしつつ、手袋の裏地を見せる。
「あれ~、何で徹ちゃんのが?」
理由は徹こそ聞きたいだろうが、徹はさっさと手袋を着け、「行くぞ」と仁美の手首を取って引っ張った。
「待ってよ、帽子がまだ……」
帽子を被ってから、徹の引っ張るままにさせて数分。行き先を知らないことに気が付いた仁美は、徹の手を振り払って訊ねた。
「どこに行くの?」
「どこに行きたい?」
今さらそれなの、と仁美は肩を落とす。
「方面は良いと思うんだよ」
「方面って、じゃあ、どこに向かっていたのよ。先にあたしが訊いたんだから、きびきび答えてよ」
しかし、徹は頭を掻いて苦笑した。
「本当に決めてなかったり。こんなこと初めてだから。なあ、どこに行ったらいいと思う? 少なくとも、プレゼントって、ショーウィンドウに並んでいる物ばかりじゃないだろ?」
「まあ徹ちゃんにしては、良い着眼点かも」
「そうだろう?」
プレゼントが商品を指す言葉でないことに気が付いたのは、本当に初めてのことだった。歳の差が毎年開いていく中で、年頃の女の子から少し距離が生まれて、贈られて喜ばれるものこそがプレゼントなのだと理解したのだ。
「この方角ということは……じゃあ、公園だね」
指定の公園は、徹と仁美が通うことを志望していた大学に隣接する比較的広い公園。そこには仁美が贔屓にしていた自動販売機が設置されている。
「よし、分かった」
「あたしを休日にわざわざ外出させたんだから、飲み物くらい奢りなさいよ」
「仁美の、土気色の、いやいや緑色の青春の一コマを預かった身としては、その青春に色を添えますとも」
「何よ、その青春に似つかわしい色は?」
土気色もとい濃緑色に添えて綺麗な色……果たして何色か。
「買ってくるぞ。何が飲みたい?」
ちょくちょく買っていただけに、徹も仁美も何が並んでいるか、把握している。
「冷たいものなら何でもいい」
仁美の漠然とした回答も、徹には「キンキンだな。了解だ」と応じて買いに行く。
「何でも、か。相変わらずだな、暑いなら減らせばいいのに」
チラリと仁美の顔を見て、呟く。
毎回同じ物を買う仁美は、友人から『はっち』の愛称で慕われているが、徹はそう思うのだ。
「……大切なもの、か」
徹の心を空に映し出したように晴れない雲模様に、徹はため息を漏らした。