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日記冒頭&第一節


   12月23日、日記冒頭


 ――昨日は一人で誕生日を。

 ――明日はこの間の約束を。

 ――今日はずっと前の約束を。


   第一節 冷たいもの、あたたかいもの


 十二月の日暮れは滅法早く、十分に温まらなかった空気は鋭さを増して、(とおる)の肌を繰り返し襲う。とくに、紙袋の紐が両手に食い込み、(わだち)に似た跡が幾筋も走るところに隙を見つけては縫うように、冷えた空気が幾度も刺し入れていった。

 徹は手元を、腰を曲げて覗き込む仁美(ひとみ)の姿に、白い息を吐く。

「何だよ。何か言いたそうだな」

「分かっちゃったか、徹ちゃん? うん。寒くないのかなって」

「おい、誰が原因だと思って……」

「徹ちゃんじゃないの?」

「仁美のせいだから」

「そ、そんなことないよっ」

「まったく。今さら返せなんて言わないから。その着膨れて、有るのか無いのか分からない胸に、俺の手袋を押し付けないでくれ。自分のことのように寂しくなるから――ってのは、冗談だ。ったく、仁美はほんと寒がりだよな」

 呆れながら徹の瞳は、実用ばかりを重視した、あまりにも見てくれを軽視した装いの少女の姿を視界に入れていた。

 以前に、徹はその内容を訊いたことがある。肌着については「いろいろだよ」とはぐらかされたものだが、ブラウスだとか、ベストだとか、トレーナーとか、セーター、その上にマフラーとジャンパーと、平安時代の貴族女性も驚きの着膨れの程であった。十二分という意味で。

「しかし、だ。仁美が手袋をしてなくて、俺が着けて来る日がまさか来るなんてな」

「本当だよね。それも半日もなかったのよね」

「だから、仁美が原因なの。そろそろ自覚しようね!」

「でもね、女の子は手先を冷やしちゃダメなんだよ」

 そっぽを向いて、頬を膨らませる仕草はまさに仁美らしいと瞳の裏に映すも、それとこれとは別と、徹は誤魔化されなかった。

「それを言うなら手先じゃなくて、足先じゃないのか?」

「フンだ。徹ちゃんのいじわるっ!」

 ベーッと舌を出す様は堂に入った、よく知る子供の頃の仁美であったが、徹はその目まぐるしく喜怒哀楽の移り変わる様を懐かしく見ていた。

 そして、飲み物の一本でも奢ろうものならば、たちどころに機嫌を治すのは実証済みだった。

「今は温かいから、冷たいジュースがいいな」

「奢るなんていつ言ったよ?」

「ケチィ」

「ケチって、奢るのはいいんだけど……ね」

 徹はたったの半日で随分と薄く、軽くなった財布に、やれやれと手を伸ばす。紙袋を見ておくように仁美に頼むと、数メートル先の自動販売機まで足を運び、慣れた手付きでジュースを買う。

「あったと、あった。あったか、冷たいの……うー(つめ)た」愚痴とも違う、妙な調子で呟き慣れたぼやきを溢す。

 ホットとコールドの缶を手に入れたところで、仁美を残した辺りに人の気配を感じて、当たりをつけて戻った。


 案の定、それは仁美の母親の仁枝(ひとえ)に間違いなく、徹は缶を上着のポケットに仕舞って声を掛けた。

 この寒い時期に冷たいジュースを好き好んで買う変わり者とは思われたくない、そんな一心からである。

「仁枝さん、お帰りなさい」

「何だ。徹君のだったか、この荷物は」

「あたしは何度も言ったんだよ。けど信じてくれないの、お母さんったら」

 ひどいよね、と話し掛けてくる仁美の直ぐ隣りに立つ仁枝。後頭部で団子状にまとめた髪が、より仁美の短めの髪と似て、数十年老けさせた仁美を彷彿させる。

 徹の母親の香純と共に仁美を引き合わせてくれた(ほか)にも何かと世話になっており、第二の母とも呼べる存在である。

「足元ならともかく、こんな道端に荷物は置かないものよ」

「視界の端に映ってたから大丈夫だよ、仁枝さん」

「そう言うものじゃないのよ。それに相変わらず女物ばっかり。徹君、大丈夫?」

 小言が続くかと思いきや、袋の中身を目にした仁枝に心配される。

「大丈夫ですよ。暖かそうな服やら、あいつに似合いそうなアクセサリーやらは約束なんですよ、明日渡す――」

「そっか。もう、そんな時期なんだね。明日はイヴか。早いね、本当に。……じゃあ、見逃してあげないと母親失格かな。夕御飯には帰ってくるのよ」

 仁枝はそう徹に告げ、先に家路に着いた。

「俺らも帰りますか?」

 すっかりコールドでなくなった缶を取り出し、ホットだった缶と比べてより冷たい方を仁美に渡す。

「んーとね、優しい仁美ちゃんは徹ちゃんにあげちゃいましょう!」

「ハハハ……何をトンチンカンなことを言っているのかな? ええい! それじゃあ、奢ったことにならんだろうが」

 徹はにこやかに缶を押し付けた。

「徹ちゃんの気持ちは受け取ったよ?」

「奢りを断るなんて、それは薄情なんじゃないか、仁美さんや? いいから、飲みなさいって」

「むぅ。あたしはキンキンに冷えたのが飲みたかったのにぃ」

 しぶしぶ缶を受け取る様を、徹は見る。

「仁枝さんの前で渡されなかったことを感謝されても、渋られる理由はないはずなんだがな」

 あまりにも寒さに弱い為、本当に仁枝さんの娘かと疑い、もしかしたら変温動物なのでは、と慌てて仁枝に訊いたのは徹の忘れがたい思い出だった。

 しかし、寒さ対策をほぼ完璧にしておきながら、冷えた飲み物を口にする姿を仁枝も目にすれば、きっと防寒具の一つや二つは取り上げるはずだと徹が考えていると、仁美は「でも」と切り出した。

「お母さんだったら、『病弱なら、何でも通ると思わないの』――そう言うわね、きっと」

 正面に人差し指を立てて声音を真似る仁美を映した徹は、およそ外れではない想像に「うしっ」と満足を表す。

 そして、「俺たちも帰るか」と一気に熱い息を吐くや、徹の頭上にある街灯が同時に点灯した。

「さすがは徹ちゃん。だけど……スポットライトを浴びて言うようなセリフじゃないよ?」

「だよなぁ」

 いつかのようにお腹を抱えて笑いに涙する仁美に、徹は肩を落として、この二度目の奇跡にため息を吐いた。


 商店街から住宅地に向かって街灯が足早に(とも)る中を、荷物両手に徹は小股に歩いていた。

「あー、もう! 指先がイカれるからっ」

「なら、手袋とかして来なさいよ」

「いや、だからさ……捕られたの。仁美に。覚えてない?」

 原因を華麗に棚に上げる仁美の声を頭に響かせる中、かじかんだ両手はそろって血の気が引き、徹は言葉も引き上げた。十分に手袋の有用性を理解していたが、普段はポケットに手を入れて何とかしのいできた。買う余裕がなかったというのは、理由の一つだが、仁美にわざわざ言うことはなかった。

「風邪ひいても知らないわよ」

「そう言う仁美は、いつ見てもぽかぽかだな」

 少し前を歩く仁美は見ただけでも丸い毛の玉のついたニット帽にマフラー、トレーナーにジャンパー、手袋と完璧なまでの防寒対策をしていた。

「普通でしょ、これくらい?」

「いいや、やり過ぎだな」

 徹は滑舌よくキッパリ返す。

 商店街は明日という日を控えて賑わいと共にあったが、仁美は不満そうな顔であるのを、徹は見た。

「寒いんだから、どんな格好をしようとあたしの勝手だよ。そんなことよりも、どうして、あたしが徹ちゃん個人の買い物に付き合わされたのかな?」

「どうしても何も、理由は昼間言ったろ。明日のイヴに、女の子にプレゼントを贈りたいって」

「ええ、そうね。それで?」

「それだけだけど?」

「だから、なんであたしもなのよ!」

 合点がいったとばかりに、徹は仁美を正面に捉える。

「暇そうに、部屋でゴロゴロしているのを見たからだな」

「レディーの部屋を覗くなんて、犯罪だわ!」

 仁美は憤然と怒るが、徹は余裕綽々に時代劇風におどける。

「覗きではございませぬよ、お代官様。……仁枝さんにことわってから部屋を見たからな。携帯にも撮ってあるぞ」

「盗撮なんて本当に犯罪じゃない!」

「仁美からの返事も入ってるぞ。『ふにゃ~』って。かわいかったぞ、そこで赤くなっても駄目なんだからな。言質は撮ってあるから、ハハハ言い逃れも出来まい」

 さあ、どうだと、徹は口早に探偵か刑事風に指を突き付ける。

「……し、知らないわよ、そんなこと。それよりも知らないからね」

「ん? 何の事だ?」

「プレゼントのこと。徹ちゃんが教えてくれなかったから、あたしの趣味になってるわよ」

 徹は仕方ないんじゃない、と笑う。

「普通、女の子は嫌がるわよ。他の女の選んだものなんか貰ったら」

 しかし、徹はやはり仕方がない、と笑った。

「まだ脈はあるからな。とりあえず物量作戦みたいな?」

「徹、それサイテーの考え方だよ。一つ忠告するけどねぇ、心はお金じゃ買えないの」

 仁美の冷たい言葉に、つい徹は冗談を返していた。

「ん、体は良いのか?」

「なっ――駄目に決まってるじゃない! バカじゃないの、徹ちゃん?」

「でも、大人は」

「でもも、なんででもないの! あたしも徹ちゃんもまだ学生だよ、そこんとこ分かってるの?」

 徹は「寒いのぅ寒いのぅ」と身を震わせて仁美に別れを告げた。

「……今日はありがとな。で、よろしければ明日も買い物に付き合ってくれはしないか?」

「何よ、ふざけているの? まだ買い足りないの? 両手いっぱいに紙袋釣って?」

 仁美の呆れる様を瞳に映し込み、徹は苦笑、鼻頭を掻きながら答えた。

「一番大切なものをこの手に掴み損ねているんだ。大切だから機会を伺っていたんだけど……俺が優柔不断だからかな。見つからなかった」

 大量に買い込んだ包装も碌にされていない剥き出しの衣服やアクセサリーなどのプレゼントを示して、仁美にアイコンタクトを飛ばす。

「それが理由? 言い訳にもならないと思うけど?」

「ダメか?」

「それが理由になるなら、あたしが家でぬくぬくするのも立派な理由になるけど?」

「『ふにゃ~』って?」

 徹の見る仁美は再び頬を赤らめ、声を上擦らせた。

「そ、そうよ! な、何か悪いわけ?」

「そんな滅相も」

「じゃあ、繰り返さないの! あたし、帰る! 手袋は、あったかかった」

 徹のお願いには答えずに、チカチカと切れかかった街灯の下で、仁美は手袋を投げ返すや姿をくらませた。

「本当に。繰り返してばっかだな、俺」

 仁美から返された手袋を落とさず受け取ると、徹もゆっくりと仁美の消えた先の街灯を通り過ぎた。

 しかし、今日まではある意味で日常の続きに過ぎないことを、数年掛けて身に染みて知る徹であり、部屋に入るなり、手袋を放り、机の上に置かれたノートを(めく)った。

 それは、まだ求めるものがいつでも手に入ると勘違いしていた頃の一昔前の日記。

 明日が駄目だった時、その時はどうしようもないのだといい加減に認めなくてはならない。

 考えていれば良い時間は疾うに過ぎ、行動してきた徹が迎える明日も、とにかく行動でなければならない。そうでなければ、徹は何度目かの惨めな時間を、また独りで送らなければならない。

 何度も繰り返し読み直してきた日記を改めて目で追い、徹は思いを新たにする。

 その一方で、これまでのどうしようもない結末に、指はいつまでも冷えたまま、徹はただ吐息を当て続ける。

 (くる)まる布団の中で、――くん、ごくんと嗚咽をひたすらに我慢して、徹は其の日を迎えた。


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