バレンタインデー
出会ったのは中学の入学式。
真新しい詰襟の学生服の君は、新入生代表の挨拶を緊張する風もなく、淡々とやってのけたね。
僕はその姿に憧れ、そして…恋をしたんだ。
バレンタインデー
なんとか中学の入学までに間に合うようにと新築の住宅へ越してきた僕達、仁井部一家の生活は、それまでの暢気な社宅暮らしとは一変した。
毎日二時間を通勤する父親とはほとんど顔を合わせる暇もなく、母親は新築したばかりのインテリアコーディネートを毎日楽しんでいた。
六歳上の姉は、大学進学で待望の独り暮らしを始め、新築の家には寄り付かない。
僕はと言えば…
友人も知り合いもいない新しい中学生活が不安でたまらなかった。
「大丈夫よ~。周りのみんなだって新入生じゃない」と、能天気な母には僕の心細さはわからない。
だがラッキーなことに、彼が…憧れの君、あの柊木栄嗣が僕のクラスメイトになったのだ。
話しかける勇気は出なかったが、彼の姿を眺めるだけで、登校拒否にはならずに済みそうな気がした。
そして、幸運は続いた。
部活は同じバスケ部。しかも…僕の家と柊木栄嗣の自宅は近所だったのだ。
「あれ?君…確か同じクラスの仁井部くん…だったよね」
彼が僕を認識したのは、新学期が始まって一週間目の朝だった。
その時はまだ新入生の部活動は始まっていなかったから、同じ部活になるとはお互い知らなかった。
僕はいち早く、朝、彼が登校する時間を見計らい、その時間に合わせて家を出ていた。そのうちに彼が気づいてくれるのを期待していたんだ。
だから色々なシチュエーションは頭の中で想像してはいたんだけど、実際彼が振り返って僕に声を掛けてくれた時は、マジで心臓が飛び出すかと思った。
「う、うん」
「君、新しく越してきたんだよね」
「そうなんだ。だから友人というか…知ってる子もいなくて…」
「そう、じゃあ、俺が君の友人一号ってことで…俺、柊木栄嗣。よろしくな」
そう言って爽やかに笑いかけてくれたことが嬉しくて…友達になれたことが幸せで…病気になってもぜったい学校休むもんかって、真剣に思った
そして、僕と柊木栄嗣は親友になった。僕ではなく、彼が「親友だからな」と言ってくれたのだ。
当然部活動の帰りも一緒、朝の通学も時間を合わせて通うようになった。
最初の不安なんてどこかへ吹き飛び、僕は毎日夢心地の気分でいた。
柊木栄嗣はどこから見ても非の打ちどころのない中学生だった。誰が見ても好感のもてる整った顔つきと、十分な体格を持った姿形は言うに及ばず、品行方正で頭脳明晰、スポーツも難なくこなし、分け隔てなく誰にでも親しげで、弱い者には優しい言葉を掛けた。
目上の者に対しては、大人びた言葉を使い、納得いかなければ、先生からすれば青臭いヒューマニズムではあろうが、真向から反論した。
誰もが…成績しか興味のないインテリも悪ぶった悪たれ達も、柊木栄嗣に楯突くことはなかった。むしろ悪ぶった生徒たちは、彼の真っ当な正義感に憧れさえ抱いていただろう。
そんな柊木栄嗣と親友であることが、僕には神様がくれた奇跡の恩寵のように思え、彼と一緒に居る時は、喜びと共に少しだけ緊張もしていた。
「俺の事は栄嗣でいいって言ってんだろ?漣」
「う…うん。でも呼び捨てってなんか柊木くんっぽくないかな~って思ってさ」
「なんだよ柊木くんっぽいって。ふふ…漣は変な奴だなあ~」
「そうかな」
「でもおまえの名前ってかっこいいよな」
「え?」
「クラスの名簿見た時さ、仁井部漣ってなんて呼ぶんだろって思ってね。『さざなみ』って書いて『れん』ってさ」
「父さんが学生時代にボートをやってて、そのボートの名前が『漣号』だったんだって。酷いよね。息子にボートの名前を付けるなんてさ」
「いいじゃん。『漣』ってかっこいいじゃん。俺、好きだな」
「…」
栄嗣の「好きだな」と言う言葉に僕の鼓動が高鳴った。
生まれて初めて性的な興奮を覚えたと言っていい。何の事は無い。
彼は僕の名前が好きだと言っただけというのに、僕の恋心は確実に芽生え、そして一気に上昇してしまったのだ。
そんな彼がモテないわけもなく、栄嗣は何度も女子から告白をされていたが、何故か特定の女の子と付き合っているという噂も聞かなかった。
一年の秋、僕は偶然にも栄嗣が告白されている現場に居合わせた。と、言うより、体育館の裏の柱の陰で、こっそりふたりの会話を聞いてしまったという方が正しい。
相手の女子は隣のクラスのマドンナ的存在の子で、バスケ部の中でも人気があった。と、言うのも、体育館の窓から見えるテニス場が、彼女の部活の練習場で、そのスコート姿が可憐でその頃の男子にはたまらない、と、言う極めて俗っぽい趣向で人気があったのだ。
栄嗣も周りの部員と一緒になって、「あの子かわいいよな~」と、はしゃいでいたから、この現場を見た時、栄嗣はその女子の告白を受け入れるものとばかりに思っていた。
女の子の告白は真剣で、精一杯の想いを栄嗣に伝えようとする気持ちがこちらにも伝わってくるほどだった。
だが、栄嗣は頭を掻きながら、その女子に言った。
「悪いんだけどさ…俺、好きな子がいるんだ。ごめんね」
しばらくして、女子の涙ぐむ横顔が、見えた。
その日の帰り、栄嗣と並んで歩きながら、僕は栄嗣に聞いた。
「あのさ…さっき、偶然に見たんだけどさ…栄嗣が女子に告白されるところ…」
「え?」
「盗み見じゃないよ。ホント偶然だったの。ゴメン。黙っていようと思ったけど、なんか隠し事をするのが嫌だから…」
「…そっか~見られてたのか~」
「ゴメン。でも…なんで断ったの?あの子のこと、君もかわいいって言ってたじゃないか」
「う~ん…なんつうかなあ~。客観的に観てかわいいと思う事と、付き合いたいって思う事は違うんじゃないかな。俺、結構女の子に付き合ってくれって言われるけどさ、あんまり付き合いたいなあ~とは思わないんだよね」
「…他に好きな子がいるから?…その子って僕の知ってる女子?」
「いや、あれは嘘だよ」
「嘘…なの?」
「昔…って言っても小学六年の時さ…好きだった子に告白されて喜んで承諾してさ…まあ、小学生だから付き合うって言っても、一緒に下校するくらいじゃん。それでもあっという間に付き合ってるってクラスで噂されて…それはいいんだけど、今度はその子が怒るわけ」
「何を?」
「『どうして他の女子と楽しそうに話すの?』『どうして昼休みに男の子たちとばっかり遊んで、私と一緒にいてくれないの?』最後には『栄嗣君には私がいるのに、どうして他の女子を見るの?』…だって。ぞっとするだろ?」
「それは…まあ…そうだね」
「もう面倒臭くて付き合うのを止めた。それからも色々揉めたりしてさ。もうしばらく好きになったり、付き合ったりするのは止めようって決めているんだ。まだ中学生だし、恋とかより、みんなと遊んだり、バスケやったりする方が楽しいじゃん」
「…そうだね。なんとなくわかるよ」
「女子と喋るより、漣と居る方がずっと楽しいじゃん。なあ、そう思わねえ?」
「…うん。僕も…栄嗣と居る時が、一番楽しいよ」
…好きな相手がいないのは嬉しいけれど…
親友って存在が、どれだけ尊いものかもわかっているけれど…
僕は君の恋の相手にはなれないんだね…
ねえ、栄嗣。
僕の恋心は君にとって、罪になるのだろうか…。
中学二年になり、柊木栄嗣とは別のクラスになったけれど、朝の登校も、帰りの部活帰りも一緒だから仲の良さは変わらない。
栄嗣みたいな完璧な男が、僕みたいなどこから見ても平凡な奴と親友でいることが、きっと周りの同級生は訝っていただろう。だって僕自身がそうだったから。
でも栄嗣は言うんだ。
「俺、こう見えて事なかれ主義というか…案外小心者っていうか…周りの期待を裏切らないようにかっこつけてるんだよな~。でも漣には気を使わずに素直で自分の気持ちを曝け出せる。そういう奴って見つけようとしてもなかなか巡り会えないって思うんだ。だから俺にとって漣は大事な存在だ」
「…なんか…照れるよ」
「ホントだって。でも、俺ばっかりがいい思いしてもそれは親友じゃないよね。俺も漣の為ならなんでも力になるからな。遠慮なく言ってくれよ」
「…うん」
無邪気な笑顔を僕に見せる栄嗣…。本当の僕の気持ちを知ったら、その笑顔は僕に向けられなくなってしまうんだろうか…
二年生の後半からは、バスケ部の部長と生徒会役員の掛け持ちで毎日忙しそうな栄嗣だったけど、僕との友情は変わらず、そして栄嗣の愚痴を聞いたり、励ましたりするうちに、僕は自分自身の人間性が少しずつ成長していることを感じていた。
そして、このままずっと栄嗣の傍に居て、彼に必要とされるよう自分を磨いていきたいと思うようになった。
三年生になると受験が待ちかえている。
当然、栄嗣はこの地域で通える一番レベルの高いA校を受験することにしていた。僕は栄嗣には到底かなう成績ではなかったが、どうしても栄嗣と一緒の高校に行きたかったから必死に頑張った。
同じ高校へ入学できたら、少なくともあと三年間は一緒にいられる。
栄嗣は僕がA校合格の為に必死になっている本当の理由も知らずに、僕の傍でいつも勉強を教えてくれた。
「一緒にA校へ行こうな」と、力強く励まし続けてくれた。
それなのに…
12月になって、栄嗣は突然予想もしていない事を言いだしたのだ。
栄嗣は高等専門学校を受験するというのだ。しかもここからずっと離れた東京の高専だ。
俺は驚いた。そんな話を今までに栄嗣の口から聞いたこともなかった。
「高専を受けるって…なんで急に?」
「そんなに急でもないんだ。本当はずっと前から考えていた。今年の春ごろにちょっと親に言ってみたら、強く反対されてね。特に母親がね。ほら、俺、ひとりっ子だろ?家から離れて寮暮らしなんて、まだ早いし、心配で仕方ないって言うんだ。だから何度も諦めようとしたんだ。でも…やっぱりどうしても行きたいって思ってさ」
「どうして…高専なのさ」
「うん。ほら、この間、すげえ地震があったろ?俺たちは被災しなかったけれど…その後の原発の事故なんかでさ、今でも色々と手間取ってるじゃん。ああいうのさ、なんとかしたいって思うんだよね。人間ができない場所で処理をしているロボットとかの先端技術工学を学んで、もっと早く元の環境にしてやりたいってさ。…そういうの甘いとか言われそうだけど、本気でやってみたいんだ」
「…」
…知らなかった。栄嗣がそんなことを考えているなんて…こんなに近くにいるのに全然気づいてなかった。
僕はなんて馬鹿なんだろう…
「…だったらハイレベルな高校で普通の勉強をやるより、早く専門的なものを学んだ方が道は早いし、そこからまた近道を選べるかもしれないし。…俺さ、人間の人生ってどれだけ人の為に働けるかで価値が決まるんじゃないかと思うんだ。別に他人に褒められたいわけじゃない。勿論褒めてくれたら嬉しいけどな。俺にとって…大事な人たちを守る為に自分がやれることを見出して、頑張ることが幸せな人生なんじゃないかって…ずっと考えてた…」
「…栄嗣はすごいね。…僕は自分のことばっかりだ」
「そんなことないよ。…ホントはなんども諦めようと思ったけれどね、漣が俺に教えてくれたんだよ」
「え?」
「毎日毎日一生懸命に勉強している漣の姿を見てるとね、俺自身が漣に励まされてる気がするんだ。なあなあでここで自分の想いをはぐらかせて、楽な道を選ぼうとしている俺は、漣みたいに懸命に何かを目指して頑張って生きているのか…ってさ」
「そんなんじゃないよ。僕は…ただ栄嗣と一緒の高校に行きたい。また一緒に三年間を楽しみたいって…ただそれだけだよ」
「その想いが俺にとって、どれだけ誇りになっているかわかる?漣。おまえが俺の為に頑張っている姿に恥じないように、俺も自分に嘘を吐いちゃいけないって思ったんだ」
「栄嗣…」
「漣との約束を破ることが、一番辛かった。一緒に行くって約束したのに、ゴメンな、漣。でも一緒に行けなくてもこれからもずっとおまえと親友でいたいって思ってる。…駄目かな?」
「駄目じゃないよ…駄目じゃない…寂しいけれど…僕も応援するよ、栄嗣。T高専絶対合格しろよ」
「ああ、頑張る。漣に負けないぐらい必死に頑張る。だから絶対合格しような」
「うん」
それから自宅に帰った僕は、自分の部屋のベッドの中で泣き崩れた。
栄嗣の前では我慢したけれど、ホントは泣き喚いて、詰ってやりたかった。
おまえと一緒にいたいから、したくない勉強だって必死に頑張ってきたのに…あれだけ一緒に高校生活を楽しもうって約束したのに…栄嗣の嘘つき、バカ、僕の気持ちなんて少しもわかってないっ!
泣きつかれて涙も枯れてしまった後、なんだか可笑しくなって笑ってしまった。
ただの友情だったら、こんな風に泣いたりしない。合格するように応援してやればいいだけだ。
…片思いっていうものは本当にやっかいなものなんだな…
翌年の二月、滑り止めの私立も合格し、後はお互いの志望校受験を残すのみになった。
日曜日、久しぶりに帰ってきた姉に連れ出され、街に買い物に出た。
「漣と一緒に買い物なんて何年振りかな~」
「お姉ちゃん、僕、受験生なんですけど…」
「たまの息抜きは必要でしょ?それよりあんた、ちょっとチョコ買うから付いてきて」
「チョコ?」
「そうなの。もうすぐバレンタインだから、ここの人気のチョコレートショップに行きたいの」
「お姉ちゃんにチョコをあげる彼氏がいるの?」
「バカね、漣。彼氏ぐらいいるわよ。あんたはどうなのよ。本命チョコを貰う彼女のひとりぐらいはいないの?」
「…」
「…いるわけないよね。漣は控えめだもん。でもあんたのそういうとこ、私は好きだからね」
「お姉ちゃんに褒められてもねえ~」
「義理チョコぐらいは買ってあげるから、さ、行こ」
無理やり姉に腕を惹かれ、女の人で一杯の店の中へ入った。店の中に入った途端甘いチョコの香りに包まれる。
学生っぽい女子はあまり見かけなく、大人の女性が多い。それもそのはずだった。
ケースを眺めたら、綺麗に並べられた小さいチョコひと粒が…え?五百円?こんなに小さいのに?
あまりの衝撃に僕は固まってしまった。
それなのに周りの女性たちは、あたりまえのように指を差し、いくつかのチョコレートを選んで買っていく。
みんなウキウキとした嬉しそうな、そして愛おしそうな顔をして…
姉貴も同じだ。彼氏のことでも想っているのだろうか。いつもとは違い、少し頬を赤らめ、照れながら店員さんにチョコレートの味を聞いている。
そうか…バレンタインのチョコっていうのは、相手を想いながら、その想いをチョコに込めて買うんだな…
「おまたせ~」
「欲しいチョコ買えた?」
「うん。ああ、そうだ、漣。せっかく来たんだからあんたもひとつくらい買ってみたら?」
「え?僕がチョコを?」
「そう、バレンタインってね。本当は男も女も関係ないのよ」
「ホント?」
「そうよ。あんたも好きな女の子にここのチョコをあげてみたら?すごく喜ぶと思うよ。ここの店有名だし~」
「そうかな…男の僕が送っても変じゃない?」
「変じゃないよ。想いを込めて送っちゃえ~。シャイボーイ!」
姉貴にそそのかされ、小さなボンボンショコラ二個入り千二百円の箱を買った。
綺麗な箱にシックなリボンに飾られたチョコレート…僕の精一杯の栄嗣への想いを込めたチョコだ。
栄嗣に手渡すことができるかどうかわからないけれど、机の引き出しに大事にしまったチョコの箱を眺めているだけで、何故だか幸せな気分になった。そして考える。
果たして本当に栄嗣にこれを渡すべきなのだろうか…と。
もし、これを渡し、栄嗣に僕の想いを告白してしまったら、僕と栄嗣の親友という絆は、変わってしまうものなのだろうか。
親友でいられなくなるのだろうか…
渡そうかやめようかと悩んでいるうちにバレンタインの日はやってきた。
俺は手の平サイズのチョコの箱を学生服のポケットに忍ばせ、登校した。
学校内は私立入試がひと段落つき、少し前の緊張感が緩和され、チョコを渡す女子と貰う男子たちがどちらとも浮き足立っているようなふわふわとした空気が漂っていた。
栄嗣は勿論数えきれない程貰っていたし、僕も義理チョコだったけど三個もらった。
その日の帰り道、栄嗣とふたり並んで歩いていると、重たげな紙袋を下げた栄嗣が突然言う。
「なあ、漣。このチョコさ、おまえにあげるよ。俺、あんまりチョコレート好きじゃないんだよなあ~。漣は甘いもの好きだろ?」
…そういやそうだった。栄嗣はケーキ類は食べるけど、チョコはあまり食べなかったんだっけ…すっかり忘れていた。
「でも栄嗣がもらったチョコなんだから、僕は受け取れないよ」
「だってこんな一杯あるんだぜ?去年はバスケ部の連中に分けたけどさ…」
「…」
つうか僕の手にあるこのチョコはどうすればいいんだよ~。好きじゃないってわかったのに、今更チョコを渡せるのか?
「なんつうか、バレンタインデーなんてメディアに踊らされてるだけじゃないか。別に本当に好きなら、バレンタインとかチョコとか関係なくいつでも言えばいいんだよ。なあ、漣」
「…」
「ああ、なんかもうメンドクサイからこのチョコ、全部、漣にやるよ。いらなかったら捨ててもいいし…」
「栄嗣っ!」
「え?…なに?」
「面倒くさいからって、僕にあげるとか捨てるとか言うなよ。みんなおまえのことを好きだからプレゼントしたんだよ。義理チョコもあるだろうけれど、本当におまえを好きで、でも打ち明けられなくて…バレンタインデーっていうイベントの力を借りて、やっとおまえに告白した子だっているかもしれないじゃないか。そういうプレゼントを、簡単に捨てるなって言うな」
「…漣」
「チョコが好きじゃないなら全部食べなくていいよ。でも一粒でも、一欠けらでも食べて、これをくれた子たちの想いを感じてもいいんじゃないのかな…そうじゃなきゃ、彼女たちが可哀想だよ」
「…」
僕の言葉に栄嗣はしばらく黙り込んだ。
まずい…つい本気で口走ってしまった。
…いつになく気まずい雰囲気だ。
「ゴ、ゴメン。おせっかいだったね。栄嗣のもらったチョコなんだから栄嗣がどうしようと僕が色々言う立場じゃなかった。ゴメン」
そう言うと、栄嗣はくるりと僕の方を向き、いきなり抱きついてきた。
「ちょ…っと、栄嗣」
栄嗣はスキンシップが好きでそれを気にしない奴だ。
バスケの試合なんか、勝っても負けても部員ひとりひとりに抱きついては、喜んだり悔しがったり…みんな、そういう栄嗣が大好きで、こいつの為に一緒に頑張ろうって思わせるんだ。
「…栄嗣、もういいだろ。他人が見たら誤解するかもしれないよ」
「かまうもんか。勝手に誤解してろ」
「…」
「ホントに敵わないよ、おまえには」
「え?」
「漣の言うとおりだ。人を思いやる気持ちがなくて、人に役立つ物作りができるかって…なあ」
「栄嗣」
「漣が俺の居てくれてホント良かった。漣が居なきゃこんな大切なこと、気づかずにいたよ。漣はやっぱり最高の親友だ。ありがとな」
「…そんな…」
栄嗣はやっと抱きしめた腕を緩め、僕の頭を撫でた。
「じゃあ、無理してでも貰ったチョコは食べるようにするよ。ニキビが増えたら漣の所為だからな」
「無理はしなくていいよ…それより栄嗣…」
「なに?」
僕は右のポケットに入れたチョコの箱を握りしめた。ここで渡さなきゃ…今、栄嗣に僕の気持ちを言わなきゃ…
「…」
だけど、僕を見つめる栄嗣の瞳が眩しすぎる。栄嗣のまなこに映る僕は、彼に必要なのは「親友」である仁井部漣なんだと、訴えているようだ。
栄嗣の絶対の信頼を裏切っていいのか?
失望させてもいいのか?
「友情」を捨ててまで「恋心」を打ち明けることが、栄嗣にとって…僕にとって本当に良い選択なのか?
…栄嗣の信頼を、失いたくない。
「あ、見ろよ、漣。雪だ…きれいだな」
「うん…そうだね…」
僕は握りしめたチョコをポケットから出すことを諦めた。
そして、栄嗣の肩に降り積もっていく雪を、空いている片手で払った。
「ありがとう、漣」
「どういたしまして、栄嗣。それより早く帰って、塾の時間まで僕の家で勉強しようよ。本番の試験まで時間がないよ」
「ああ、そうしよう。肉まん買って一緒に食べよ」
「うん」
これでいい。
これで…いいんだ。
僕は自分にそう言い続けた。
その春、柊木栄嗣も僕も第一志望の高校へ進学した。
別れは辛かったけれど、おそろいの携帯電話を買って、頻繁に連絡をし合うように約束した。
別々の高校へ行き、離れ離れになっても、僕と栄嗣の仲は揺るがなかった。
携帯電話、メールのやり取り。栄嗣が帰省する時は、必ず僕に会いに来てくれた。
夏休みには海水浴、隣県のキャンプ場まで自転車で飛ばしたり、映画を観たり…ふたりだけで楽しんでは笑いあい、至福の時を過ごした。
僕は相変わらず栄嗣が好きで仕方なく、恋愛感情も消えてはいなかったけれど、それを栄嗣に告白しようとは、思わなくなっていた。
こうしてふたりきりで栄嗣と一緒に楽しめるのなら、普通の恋人たちがやっていることとなんら変わりがないではないか。
ただ、僕達の間では、性的なものが発生しないだけだ。
キャンプ場の夜、降るような星空を寝転んで見上げながら、話したことがある。
「ねえ、栄嗣は恋人はいないの?」
「ん?ああ、うちは女子が少ないからな。それに毎日課題をこなすのが大変で、色恋沙汰に時間を掛けている暇がないんだ」
「そう…」
「漣はどうなんだ?好きな子とか付き合いたい子とか、いないのか?」
「別に…いないね」
「おまえ、女子にはそっけなかったからなあ~。見かけは悪くねえのにさ」
「栄嗣がモテて困っているのを見慣れてるから、僕もあんまり女子に関心はなくなったんだ」
「なんだよ。漣に彼女ができないのは俺の所為か?」
「そんなんじゃないよ」
「…実は俺さ。半年ぐらい前かな。うちのクラスのすげえ美人の女子に告白されて付き合ってみたんだ。一緒に食事したり映画観たり…キスもした」
「…」
「でもなんかな…別にその子に不満があるわけじゃないけど、ワクワクしない。そんなに楽しくねえし、この子とセックスしたいとも思わない。それなりに気を使って、共通の話題を探して、無理やり笑いを誘って…なんか恋愛ってこんなつまんねえものなのかな…ってさ。これなら漣と一緒に居た方が、ずっと楽だし、楽しいし…こんな風に正直に話せるし…。やっぱ俺には恋愛って向いてないのかもしれないなあ~って思えてさ」
「…」
「まあ、それならそれでいいし。恋愛しなくても楽しく生きていく道はあるし、今の俺は機械やプログラムの勉強してる方が楽しいからな」
それだけ打ち込めるものを栄嗣に持っている栄嗣が、僕は羨ましい。
僕だって本も読むし、音楽も聴くし、スポーツだって観るのもするのも嫌いじゃない。だけど結局本気で夢中になるものって…僕には栄嗣しかいない。
「…僕は…恋愛したいって思うよ。好きな人がいて、その人も僕を好きでいてくれて…そんで恋人同士になって…その人の為に精一杯尽くして、幸せを沢山与えて、ずっと一緒に…死ぬまで一緒に暮らすんだ。…それが僕の夢だよ」
「なんだよ、漣…まるで好きな人がいるみたいな言い方だな」
「たとえばの話だよ。今は…栄嗣と同じで好きな女子はいないし、欲しいとも思わない。僕も栄嗣と一緒に遊んでいる時が一番楽しいし…」
「…」
何も言わず、僕の顔をじっと見つめる栄嗣の視線を逸らすように、僕はただ星空を見つめ続けた。
高校三年の夏、栄嗣は帰省しなかった。
高専ロボットコンテストにエントリーするロボットの製作に取り組んでいるらしい。
栄嗣からの電話は多くなり、疲れた声を出し愚痴を吐いたり、声を荒げて怒ってみたり、思い通りにならないことの苦労話を聞かされた。その度に僕は栄嗣を宥め、励まし、大丈夫だと何度も繰り返した。
秋になった。
羊雲が空を覆い尽くす様を、部屋のベッドに寝転んで見上げていると、栄嗣からの携帯が鳴った。
「はい」
『漣!俺、地区予選突破した!』
「え?、ロボコンのこと?」
『そうなんだ!優勝は逃したけれどアイデア賞で全国大会に出場が決まったんだ!』
「良かったじゃん!おめでとう、栄嗣。あんなに頑張ってたもんな」
『あのな、驚くなよ。ロボットの名前、「漣号」って付けたんだ』
「え?…どうして?」
『漣の…応援があったからここまでやってこれたんだ。漣が俺に作り続ける力を与えてくれたから…漣がいたからできたんだ。だから漣の名前を使わせてもらったんだ。ほら、漣の名前の付いたロボットなら、すげえ頑張って最後まで動きそうな気がしないか?…ねえ、漣…漣?』
「…」
僕は息をのんだ。鼓動の音が耳鳴りのように響いて、次第に強まってくる。
息ができない…
驚きと嬉しさで、涙が出そうだ。
栄嗣、栄嗣、それは…僕への告白なのか?
それとも…相変わらずの能天気な君の友情の証なのかい?
『漣?どうかした?』
「…いいや、あんまり嬉しかったから…言葉が出なくなった」
『馬鹿だなあ~。まだ予選突破だよ。これから優勝目指してもっと精度を高めていかなくっちゃな』
「うん、そうだね…ねえ、栄嗣。これからも僕は君の…傍で応援し続けてもいいかい?」
僕の問いに栄嗣はしばらく黙った。
そして応える。
『漣の存在が、俺を勇気づけてくれる。だから…傍に居て欲しいよ』
「…うん、わかった。じゃあ、全国大会頑張ってね。必ず会場に観に行くよ」
『うん、待ってる、じゃあ』
栄嗣からの電話の後、僕は机の引き出しを開けた。
あの時、渡せなかったバレンタインのチョコレートの箱を取り出した。
中身のチョコは腐ってしまう前に食べちゃったけれど、箱も、リボンも、チョコを包んでいたパラフィン紙もそのままに残しておいた。
箱の蓋を開けるとまだ甘いチョコの香りが漂った。
三年前のあの時の気持ちが、蘇ってくる。
今も変わらない栄嗣への想いは、ちゃんと育っているかい?
僕は自分に問いただす。
「大丈夫だ」と、答えた。
そして、今ここで誓おう。
これからもずっと栄嗣の傍で、栄嗣との絆を育てていこう。
栄嗣が求めるものと、僕が求める愛が異なるものであっても、僕は決してこの恋を諦めたりしない。
渡し損ねたこの空のチョコを、今度こそ栄嗣に渡そう。
三年前の想いと、三年分の想いを込めたこの箱を。
「栄嗣、好きだよ。ずっと好きだった。栄嗣と触れていたい。キスしたい。抱きしめあって離れずにいたい。でもね、何よりも、栄嗣に幸せになって欲しい。だから、僕は…そのためにならなんでもするよ。これからもずっと…愛してる、栄嗣」
空の箱にありったけの想いを告白し、僕は蓋を閉め、リボンを掛けた。
そう、今日が僕のバレンタインデー。




