第六幕「過去と過ち」
その日は、雨が降っていた。
僕は走っていた。左手に刀を携えて。
向かうは、自分が通っている学校、如月学園。そこに奴がいる。
遡ること、24時間前。
僕たちを助けてくれた男は、僕がよく見知った人だった。名は間島新一。この人は、僕の姉さんと大学時代からの知り合いだ。現在は、探偵業を営んでいると聞いている。
彼は一ノ宮を見ると、急いであるところに電話を入れた。そして、そのまま近くの病院へ一ノ宮を運んだ。
病院に運び込まれた一ノ宮は、すぐに手術室に搬入された。
数時間後、手術は成功したものの、後は彼女自身の生命力次第だと医者は話していた。
僕と新一さんは、集中治療室に入った彼女を窓越しに見ていた。
「とりあえず、待合室の方に行こうか?」
新一さんにそう誘われて、僕らは待合室の方に場所を移した。
「厄介なことに巻き込まれたね?」
そう切り出したのは新一さんの方だった。
「え、ええ……」
一時の間。お互い聞きたいことがあるのだが、どう切り出していいのか分からないといった感じだ。
「ふぅ…まいったな。彼らの間にいたんじゃ、話さないわけにはいかないな…」
そう切り出したのも、新一さんだった。
「どういう意味ですか?」
「まぁ…僕のどういう経緯かは長くなるから話さないけど、僕の立場は一ノ宮家専属の探偵ってことになってるんだ。」
「一ノ宮家専属!!」
つい声を張り上げてしまった僕。新一さんはシーッと人差し指を口元で立てる。
「まぁ、そういう立場上、彼女の事もよく知ってる。もちろん、彼女の人間離れしたところも。」
「人間離れ……って、あの『風』のことですか?」
「うん。僕らはアレを『鬼の力』と呼んでいる。」
「鬼のって……」
「もちろん彼女は、昔話に出てくる怪物なんかじゃないよ。」
「あ、当たり前です!!」
僕はつい感情的な反応をしてしまう。
「ごめんごめん。まさか、そこまで過激に反応されるとは、思わなかったから。でも、鬼ってのは、あの怪物を指すだけの言葉じゃないんだよ?」
そう言われて、昨日の朝、姉さんと話した内容を思い出す。
「畏怖なる対象ですか……」
「そう。鬼は人間にとって怖れの対象の意味。だから、あの能力を『鬼の力』と名付けた。」
「あの力は…一体……なんで、あんな力が一ノ宮に…それにあの殺人鬼にも…」
僕がそう聞くと、新一さんは顔を曇らせた。
「一輝君…外に行こうか。」
そういって、新一さんは立ち上がり、病院の外に行く。僕はその後をついていった。
「人は過ちを繰り返す。踏み入ってはならない領域に平気で踏み入る。」
外に出ると、新一さんはいきなりそんな事を言った。
「踏み入ってはならない領域です…か?」
僕がそう聞き返すと、彼はこくりと頷いて、こう続けた。
今から20年前、人間はあるもの手に入れた。それは、人間が『神様』と呼んでいたもの。人はそれを手に入れて大喜びした。だが、人の欲望は、それでは終わらない。手に入れたものは使わなくてはならない。だから、人は『神様』と呼ばれたそれを使おうとした。だから、罰が当たった。
『神様』と呼ばれていたからと言って、それが生物の形をなしていたわけでない。それは人で言うなら遺伝子。DNAといっていいだろう。人はそれを使い実験を行った。
言うまでもない。人体実験だ。生まれる前から、または幼い子どもに『神様』の因子を埋め込んだ。それを埋め込まれた子どもたちは、ある施設で徹底的に管理された。
その因子の効果はすぐに見て取れた。どんな病気にもかからない。怪我をしても、すぐに治癒する。肉体も普通の人より強靱なものになった。
それを見た人間は、ある事を思いつく。この因子を使えば、不老不死に、神になれるのではないかと。それからは、様々な実験が行われた。
それは既に子どもたちを人間とは扱っていなかった。人類が神の道に辿り着くための踏み台としか思っていなかったのだ。
しかし、考えてもらいたい。そんな都合のいい因子、遺伝子があるだろうか。もし、本当に神様がいたら、そんな行いが許されるだろうか。
答えはノーだ。
故に、彼らは『力』を持ち、自我を失った。
子供たちは、五歳を過ぎたあたりから、様々な『力』が使えるようになっていた。ある者は風を操り、ある者は雷を操り、ある者は炎を操る。個々に違い、そして、それは人外なものばかりだった。
だが、人はそれすらも喜んだ。人が神になるのなら、人のままでは無理だからだ。故に、人はその力が『神』への道だと信じた。
それは大きな間違いだった。
否、間違いというなら、この実験を行った時点で間違いなのだ。
能力を使うようになった子ども達は、同じ頃に、次第に自我を失いだした。凶暴化し、ただ、闇雲にその力を振るう。その力で、子供同士が殺し合うことも起きた。
そうなった時、人は初めて気づいた。これは危険だと。自分たちが過ちを犯してしまったと。既に、子ども達は、人の力ではどうにもならないようになっていた。だから、人は子ども達を消してしまおうとした。
だが、それを良く思わない人間もいた。それは善意か悪意からか、それもと、その両方だったのかもしれない。どちらにしろ、その者達によって、幾人かの子ども達は救われた。
しかし、それは火に油を注ぐようなものだ。施設から解き放たれた子ども達は、その因子故に、自我を失い、人外の力で人々に危害を加えていく。そうして、いつしか、その子ども達を人は、『鬼』と呼ぶようになった。だが、人間にはどうしようもできなかった。ある一人の人間を除いて。
それは、同じく『神』の因子を埋め込まれた子ども。しかし、その子どもは他の子どもとは違っていた。成長しても、自我を失わなかったのだ。そして、人外の力を自由自在に扱う事ができた。その子どもの名は『怜奈』。後に、富豪、一ノ宮家に引き取られ、一ノ宮怜奈となった。
彼女の役目は、以前、『神の子』と呼ばれ、『鬼』となった者達を狩ること。それは彼女にしかできないこと。
『鬼』を狩る、『神の子』。そう言えば、聞こえはいいだろうか?だが、それは詭弁。同じ時を過ごし、同じ境遇である者に刃を向ける。それは、彼女にどんな思いをさせていたのか。
僕はガラス越しに一ノ宮を見ていた。
『心配しなくてもいい。鬼として力が彼女を守ってくれている。幸か不幸か、鬼の力が彼女を死から救ってくれる。』
ードクンー
(体が熱い。)
新一さんが言った言葉を思い返す。鬼の力。それは彼女の心を蝕み、そして、彼女を死から救う。
ードクンー
(頭が重い。)
僕は、新一さんの話を聞いてから、朦朧としていた。信じられない話ばかりで混乱しているのか、それとも何か他に理由があるのか。
気づいた時には、朝になっていた。
新一さんが言っていた通り、一ノ宮は助かった。それも驚くほどの回復力で、もう一般病棟に移れるほどになっていた。まだ、意識は回復していないが、そのうち目を覚ますだろうという事だ。
それを聞いて、僕はホッとした。と同時に、ある事が気がかりになる。あの時の殺人鬼の言葉。
『それじゃあ、どうする?あの女のように僕を殺すかい?』
あの言葉は一体どういう意味なのか。否、聞かなくとも、分かっているのかもしれない。僕から自分とあの人の記憶を消してまで、彼女が秘密にしている事は……。
椅子に座って、一ノ宮を見ながら、そんな事を考えていると、少しずつ意識が薄れていく。徹夜明けのためか、僕はその眠気に勝つことができず、眠りの中に入っていった。
クライ。ココハドコダ?
『ここは夢の中。』
突然、声が聞こえた。
「だ、だれだ!」
『だれでもいいだろう?ここは夢の中なのだから。』
感情のない声。だが、どこかで聞いた覚えのある声だ。
「なら、これは悪夢だな。こんな真っ暗な世界。」
『悪夢かどうかは知らないが、暗いのは、お前の意識がこの世界を見ようとしてないからだ。』
「なんだって?」
『問う。覚悟はできたか?』
「覚悟?なんの覚悟だ?」
『まだ、覚悟できていないのか?だが、もう時間がない。お前の覚悟あるなし問わず、お前は思い出す切っ掛けを得てしまった。』
「何を言っているんだ!?何を思い出すっていうんだ!」
『お前はあの時、一ノ宮怜奈や紅坂命のことを思い出しただけではないはずだ。それと一緒に自分の過去を見たはず。』
「僕の過去?それは、僕が貰われてくる前の記憶のことか?」
『未だに思い出せないのは、お前がその記憶を避けているだけに過ぎない。お前は既に記憶を取り戻している。もう一度、問う。覚悟はできたか?』
「僕は……」
『この子がそうなの?』
『ああ。にわかには信じがたいがね』
『神の遺伝子を持つ子か。』
『神様かどうか知らないがね。』
『だが、我々の手に入れた神の遺伝子と酷似していることは事実だ。』
『まさに生きた標本ね。』
『この子は我々の子だ!お前たちの好きにさせん!!』
『困りますなぁ。これは人類とって大事な実験なんです。わがままは困ります。』
『我侭だと!?お前たちはどうなんだ!大事な実験だと!!ふざけるな!単なる欲望だろ!』
『わが子よ。よく聞きなさい。
わが子よ。強く生きなさい。
他人に優しく、自分に厳しく生きなさい。
困っている人を見かけたら助けてあげなさい。そして、もし大切な人ができたなら、その人を命を懸けて守りなさい。例え、それが人の道にから外れるとしても。
あなたはこの世界のすべて。あなたが守りたいと願うなら、それがどんな人でも許される。だって、あなたは神様なのだから。』
あの日、父と母は僕を連れて、施設から抜け出した。その行為は全て僕を助けるため。けれど、一緒に抜け出したのは、僕だけでなかった。他の子も一緒だった。
車に乗って、追っ手を振り切った時、それは起きた。突然、一緒に乗っていた子が暴れだしたのだ。
車はカーブを曲がりきれず、崖へと突っ込んだ。
気づいた時、父と母は動かなくなっていた。一緒に乗っていた子は……。
そこで目が覚めた。
僕は思い出してしまった。自分が何者であるかを。
「う…うぅ…」
「!!い、一ノ宮!目が覚めたのか?」
「うぅ……真…藤君?」
「まだ、起き上がらない方がいい。いくら、治りが早いって言っても、その傷じゃあ無理だよ。」
「……そうね。」
「先生を呼んでくるよ。」
「待ちなさい。」
「え?」
「そんな事はどうでもいいわ。それより、私に聞きたいことがあるんじゃない?」
「……そう…だね。」
彼女は僕の気持ちを見透かしていた。例え、いつも通りに振舞っていても、彼女には分かるのだろう。
今、彼女はどんな気持ちなのか。自分が何者であるか知られ、これから一番聞かれたくないであろう事を聞かれる、今この瞬間。
想像すれば、辛いことだと、安易に分かる。しかし、聞かなければならない。
「紅坂命を殺したのは……君かい?」
彼女は容易く、首を縦に振った。けれど、その目はとても悲しそうだった。
「彼女は私同様、因子に適合したと思われていた。けれど、あの3ヶ月前から、彼女の様子が変わった。彼女は……」
「もういい!もういいよ。話さなくいい。一ノ宮が悪いわけじゃない。だからもういいんだ。ありがとう。」
ただ、知りたかっただけだった。何故、命先輩が死ななければならなかったのか。何故、一ノ宮がそれを隠す必要があったのか。でも、すべて聞かなくても分かってしまった。
先輩は死を望み。一ノ宮は殺すことを決意した。そのどちらも、僕を、僕らを守るためだった。だから、あの手紙が僕の手元にある。
だから、僕も覚悟を決めなければならない。
僕は病室を出て行こうとする。
「行くの?」
一ノ宮が後ろからそう問いかけてきた。
「うん。大事な人は……命を懸けて守るって母さんと約束したんだ。だから……」
「そう……」
僕はそのまま病室から駆け出した。
僕が病院から出てくると、そこに新一さんが待っていた。
「やあ、やっぱり行くのかい?」
「ええ。止めても無駄ですよ。」
「はっはっは。そんな野暮なことしないよ。ただ、これを君に渡そうと思ってね。」
そう言って、新一さんは僕にある物を差し出した。
「これって……刀ですよね?」
それは刀とは言うのもではあるが、一般的に認識されている刀とは刀身が短い。
「うん。そうだよ。まぁ、脇差だね。」
「脇差……なぜ、僕にこれを?」
「これは君の本当の父親が持っていたものだ。」
「父さんが?」
「うん…あの人が持っていたものなら、きっと意味があるはずだ。
それを君に託すよ。」
「……ありがとうございます。」
「僕にできるのはここまでだよ。ここからは、君が……」
「わかっています。僕にしかできないことですから。」
そして、僕はその場から立ち去る。既に、日は落ち、夜。空からは雨。向かうは如月学園。そこに殺人鬼が待っている。運命の3日間。その最後の夜。
彼は走り去った。それを眺める間島新一。そして、物陰から見送る女性。
「これでよかったのかい?香里さん」
「ええ。いいのよ。これで。」
真藤一輝の姉、真藤香里。彼女もまた、初めから全てを知っていたうちの一人。
「ここで引き止めれば、普通の暮らしを与えてあげることもできたんだよ?」
「う~ん…それはどうかしら?私なり、弟を真人間になるように育ててきたつもりだったけど、どうやら失敗したみたいだし。」
「いつかはこうなる?」
「ええ。逆に変に皮肉れられても困るし。」
「はは、そうだね。彼を止めるのは、それこそ命懸けになりそうだからね。」
「私たちできることは、過去の過ちを反省することだけよ。」
「そうだね……」
そこで会話は途切れる。
既に、真藤一輝の後ろ姿は見えなくなっていた。