第三幕「少年と殺人鬼」
僕は部室を跡にした後、屋上にきていた。
部室に行ってから気分が優れなかったが、屋上の風に当たっていると、少し良くなってきた。
「ふぅ……今日はいつもに増して…気分がよくないな…」
やはり、部室に行ったのがまずかったか。
「先輩…か…」
ふっと命先輩の顔が思い浮かぶ。
「あ、あれ……?」
気づくと自分の頬をつたう暖かいものを感じる。僕は袖でそれを拭う。
「やれやれ……いつから、真藤一輝はこんなに軟になったんだ…」
自分で自分のことを、言葉に出して卑下する。
未だに、先輩の死を認めきれない自分がいる。実の親や、育ての親の死はあっさり受け入れたというのに……。
真藤一輝には両親がいない。いや、いたと言うべきか。僕は六歳の頃、真藤家に貰われてきた。所謂、養子だ。
僕の本当の両親は自動車事故で亡くなったと聞かされている。そう、聞かされている。いや、僕もその車に乗り合わせていたはずなのだが、僕だけが助かり、両親だけ死んだ。そういうことらしいのだ。
何故、自身があった、しかも両親が死んだ事故をここまで他人事のように語るかというと、僕自身に両親の事、事故の事、その事故が起こる前に起きた事や出会った人の事に関しての記憶が失われているからだ。
医者曰く、僕は事故のショックで記憶喪失になってしまったらしい。
その後、僕は真藤家に引き取られ、真藤家の夫妻とその娘のもとで育った。
けれど、僕が十歳になったときに養父が、十五歳になった時に養母が共に病気で亡くなった。
その後は夫妻の娘、真藤香里と共に暮らし、現在に至っている。
実の両親の死、自身の記憶喪失、養父母の死、そのどれにも涙を流すことはなかった。養母が死んだ時には、自分はもしかしたら血も涙もないような人間ではないか、とさえ思いもしたものだ。
けれど、命先輩の死だけは違った。
僕にとって、どれだけ紅坂命という存在が大きいものだったかは正直分からない。だけど、僕にとって大切な人だった事だけは確かだ。
彼女の死に納得がいかない事ばかりだったことが、僕が彼女の死を引きずっている原因なのかもしれない。僕はどれだけ経とうとも、命先輩のことを思い出にすることができず、彼女のことを思い出すといつも涙を流していた。
「そんなに悲しい?」
突然、後ろから女性の声がする。僕は慌てて後ろを振り向いた。
「い、一ノ宮……」
何故、彼女がここにいるのか。いつからいたのか。しかも、いつもの一ノ宮とは、どこか様子が違う。いつもの一ノ宮なら、例え僕であっても、自分から話しかけてこない。ただ、いつも通り、無表情で、どこか冷たい眼をしている。
「いつからそこに?」
「……」
彼女は僕の問いに答えない。そのかわり、彼女は僕の横まで来て、外を眺める。
時はすでに夕暮れ。太陽も沈もうとしていた。
どのくらいそうしていただろう。僕たちは隣り合わせに、夕日が落ちていくのをただ見ていた。
そうしていると、一ノ宮が不意に口を開いた。
「紅坂先輩の事は忘れた方がいいわ。それがあなたのためよ。」
「え……」
ードクンー
耳を疑った。彼女はこの数ヶ月、命先輩についてなに一つ語ろうとしなかった。それが今日に限って自分から彼女の名を出してくるとは……。
「君はやっぱり何か知っているのか!?」
僕はつい感情的になり、彼女に詰め寄る。しかし、彼女はそれには答えようとせず、僕の側から離れていく。
「今日は嫌な風が吹いてるわ。早く帰ったほうがいい。」
そんな意味深な言葉を残して、彼女は屋上を去っていった。
「嫌な風?……雨でも降るのか?」
僕は空を見上げる。しかし、空は晴れ渡っていた。もうすぐ、日が落ちる。
午後八時。本来ならば、既に家で帰宅し、課題でもしている時間なのだが、今日の僕は違った。
その課題を学校に置き忘れてしまったのだ。
ここで僕は、課題を諦め、明日教師に怒られるか、それとも今から学校に取りに行くかの選択をしなければならなくなった。
学校は、大体、自宅から徒歩で20分、如月町とその隣町である皐月町の丁度境にある。
歩いても20分だ。足って行けば、往復で30分も掛からないであろう。そう考えた僕は、学校に忘れた課題を取りに行くことにした。
15分後。僕は如月学園の校門前に来ていた。
「まずった…」
校門前まで来て、初めて気づいた。この時間だ。校門なんて開いてないし、学校には既に誰もいるはずがない。
さて、どうしたものかと思案した僕は、周りに誰もいない事を確認し、校門をよじ登り、乗り越えた。
校舎の方は施錠されて入れないかもしれが、とりあえず校庭内に入り、扉や窓が開いてないか一つ一つ確認していく。勿論の事だが、開いている所なんてない。
「そういえば…」
諦めかけた時、ふと思い出す。
如月学園には校舎が二つある。近年、建てられた新校舎と、古くからある旧校舎だ。新校舎を建てる際、旧校舎は新校舎を建てた後に取り壊すことが前提となっていた。そのせいか、新校舎は旧校舎に密接した形で建てられた。まあ、校庭の敷地を無駄に使うわけにもいかないという理由もあったのだろう。
だが、旧校舎は古い建築物であるのにも関わらず、意外と頑丈な造りをしていた事と、部活動の部室が足りていない現状があったことから、取り壊されず残され、多くの部活動の部室として使われる事となった。かくいう、僕が所属している新聞部も旧校舎に部室を持っている。
話を戻そう。旧校舎と新校舎は密接している。といっても、その間を人が一人二人ぐらい歩いて通れる『道』はある。新校舎には、その『道』に面した窓や扉ももちろんあるわけで、そこは良く施錠し忘れているとかなんとかと、海翔が以前言っていた。「お前は夜の学校に何しに行っているんだ」と、突っ込んだものだが、意外と役に立つ情報だったと今になって思う。
けれども、今はやはり夜だ。しかも学校だ。夜の学校。さらに今から行こうとしている所は、校舎と校舎の間にできた裏路地のような所。ここまで薄気味悪い場所はないだろう。
「なんか…肌寒いな…」
季節は春。夏ではないとはいえ、四月にしては寒さを感じる。風も強くなってきた。
ードクンー
路地の近くまで来たとき、僕はまったく別の冷たさを感じたような気がした。
「何だ一体…なんか気味悪いな…」
その時だった。静かな、その場所で突然『強風』が吹いた。
「うわっ!」
その『風』は砂を巻き上げながら吹いた。
その『風』が吹いた直後だった。
ードン!ビシャァ!ー
小さな音であったが、そんな音が聞こえてきた。それは、何かが壁にぶつかった後、水溜りに落ちるような音だった。
「なんだ?」
その音は、僕が今から通ってみようと思っていた路地から聞こえてきた。僕はそこに目を向けた。
ードクン(そこを見るな)ー
夜の学校から奇妙な音が聞こえてきた。それだけで、逃げだしかねないことだ。もちろん、音が聞こえてきた路地になんて入るべきではない。それは分かっていたが、どうしても、僕は聞こえてきた音が気になったのだ。
ードクン(そこに入るな)ー
僕は路地に入っていった。
そこは、とても暗く、周りがよく見えない。
ードクン(見てはならない)ー
しかし、薄っすらとではあるが、大きな水溜りとそこに幾つかの大き目の石のような物体があるのが見て取れた。
ードクン(見るな。みるな、ミルナ、ミルナみるなミルナミルナミルナミルナミルナミルナミルナ!!)ー
否、それは水溜りなのではない。否、それは石なのではない。
僕はそれが何なのか、初めは分からなかった。否、路地に入る前に、僕はそれが何か知っていたのではないか…。
ードクン(ソウ、ヲマエハシッテイタ)ー
「…血……人……」
僕はそれを口に出していた。そう、それは水溜りなのではなく、血溜り。石なのではなく、バラバラにされた人。
否、それはもう人と呼べるには程遠い物になっていた。
初めて見る血溜り、初めて見る、死体。
ードクン(ウソツキ)ー
それはバラバラにされ、人間の中に入っている、あらゆる臓器が飛び出していた。
「う…うぐ…おぇ…」
僕は吐き気を催し、そして、頭がクラリとして、その場に跪いた。
「…っ…うぐ…うぅ…ごほっ!」
僕は耐え切れず、その場で吐いた。それだけではなく、衝撃的な物を見たせいか、僕は呼吸もままならない状態になっていた。
ーザッ…ザッ…ー
それは突然、いや、初めからそこにいたのか、すぐ側で足音が聞こえてきた。僕は遠くなりそうな意識の中で、僕はそれを見上げた。
ードクン(ミタナ)ー
そいつはそこにいた。
(クロのロングコート……)
フードを被った黒いロングコートの人間。季節に似合わない格好。薄暗いせいなのか、遠くなりそうな意識のせいなのか、僕はそいつの顔や性別が分からなかった。ただ、黒いロングコートだけが僕の目に入った。そして、そいつは僕に近づいてきて、口を開いた。
「まさか入ってくるとはね。」
そいつは陽気そうに言った。声だけでは男か女か分からない。
「……ぅぅ…ぁ…」
それは、僕の直感だった。こいつが殺人鬼だと。今、隣町で人をバラバラに解体して廻っている殺人鬼なのだと。
「君はただの人間かい?それとも……鬼?」
そいつは楽しげで、それでいて冷徹さを感じさせる口調だった。
(オニ?ナニヲイッテルンダ?コイツ……)
僕は遠くなりそうな意識をなんとか持ちこたえさせ、そいつの言葉を聞いていた。
けれど、そんなことしている場合ではない。早く、この場から逃げないと…。
ードクン(ソレハチガウ)ー
(コロサレル…)
ードクン(ムシロヨロコベ)ー
しかし、体に力が入らない。立ち上がる事も、声を出すこともできなかった。
「ぁぁ…ぅぅ…」
「クク。もう、声も出せないのか。どうやら、ただの人間のようだね。」
言いながら、そいつは右手を振り上げた。
「何にしても、君が普通の人間であろうがなかろうが、見られた以上、死んでもらうよ。
クク、心配しないで。そっちの仏さんと同様、楽に死なせてあげるから。」
笑いながら、そいつは手を振り下ろそうとした。
その手が振り下ろされたからといって、僕をバラバラにできるはずはない。殺せるはずはないのに、僕はそいつの手が振り下ろされた、その瞬間にバラバラにされると思った。
(ダメダ!ヤラレル!)
僕はそう思って目を閉じた。その瞬間だった。
後ろから突然、『風』が吹いた。それは背中を押されると思ったぐらいの強い『風』。
けれど、それだけだった。何も起こらない。
(イキ…テル……?)
僕はゆっくりと目を開けてみると、そいつは、まだ手を振り上げたまま___否_。
「グッ___!」
一体何があったのか、殺人鬼の右肩から、血しぶきがあがる。
「チッ…運のいい奴だ。」
そいつはさっきとは明らかに声の調子が違っていた。苛立ち、憎悪さえ感じさせられた。
「そこまでよ。もう、あなたの勝手にはさせない。」
突然の女性の声。それは僕のよく知っている声だった。その声の主が僕の前に立つ。
(いち…のみや…!)
「チッ!まさかお前までもここに来るとはな……いいだろう。ここは引かせてもらう。」
「逃がさない。ここで死んでもらうわ。」
いつもの一ノ宮からは、想像できない言葉。背中しか見えないが、今の一ノ宮には寒気さえ感じる。
「いいのかい?ここで殺試合えば、そこの彼だってただではすまないよ?」
「つっ…」
「分かってくれたようだね……それじゃあ、引かせてもらうよ。
それと、そこの君。興味深い存在だね。また逢おう。」
僕は既にそいつが何を言ってるのか分からないぐらいまで、意識が混濁していた。
それを最後に奴は僕に背を向け、何処かに行ってしまった。
(助かった……)
そう思った瞬間、僕はその場に崩れ倒れ、意識が落ちていった。
最後に一ノ宮の顔を見た。彼女のとても悲しそうな顔をしていた。
ードクンー
『ヨロコベ。オマエハ、モウモドレナイ』
落ちる意識の中、そんな声が聞こえた気がした。




