第二幕「日常と非日常」
紅坂命の死を知ってから数ヶ月、僕とあの時の女性徒、一ノ宮怜奈とは奇妙な関係になっていた。最初は先輩の死について知りたくて、彼女に話しかけた。なぜなら、命先輩の死は不自然だらけだったからだ。死因は病死。けれど、僕から見れば、先輩は健康そのものだった。そして、一ノ宮があの手紙を持っていたことから、彼女は先輩の死に立ち会ったはずである。
けれど、最初、彼女は僕を無視して、何も話してくれなかった。あの手紙を僕に届けに来てくれたのにも関わらず、知らず存ぜぬといった感じだった。
知り合った頃の一ノ宮は、クラスで孤立していた。最初は何が原因でそんな扱いを受けているのかと思っていたが、原因は完全に彼女にあった。つまり、誰に対しても、無愛想だったのだ。いつも無表情で、どうみても、他人との接点を意識的に持とうとしていない。
それでも、そんな彼女でも入学当初は男子からも女子からも人気があったらしい。美人で整った顔。腰付近まで伸びた艶やかな髪。一般的な女子高生の平均身長よりはやや高く、無駄な肉付きが一切ないスレンダーな体格。そして、大富豪のお嬢様というステータス付きがウケたのだろう。その無愛想、無表情ですら、陰がある少女として人気の一端を担っていた。
だが、そんなものは長続きしなかった。どんなに人気があっても、いつまでの軟化しない彼女の態度が、周りから人を引き離していったのだ。
そんな彼女をもどかしく思ってしまった僕は、ある日から、登校前、彼女の家に行き、一緒に登校するようになった。
最初は、それは酷いものだった。何を話そうとも、聞こうとも、彼女からの反応は一切なかった。一ヶ月ぐらい経って、やっと相槌をうってくれるようにはなりはしたが、会話とは程遠かった。
そして、月日は流れ、僕たちは三年生になっていた。彼女も今では少しは口を開くようになっていた。そして、いつも無表情だった顔にも表情が見え始めた。おそらく、それが本来の彼女なのだろう。
けれど、まだ、先輩については聞けていない。なぜなら、一度聞こうとしたとき、彼女から殺気ともいえる目を向けられたことがあるからだ。どうやら、何か知っているようだが、触れてはいけない部分らしい。
「それで、最後はどうなったの?」
一ノ宮はこちらに顔を向けず、そう聞いてきた。
「え?ああ、メビウスの輪から脱出した主人公は、後ろから軍人にパーン。おわり。」
僕は、手をピストルの形にして、ジェスチャーを交えながら答えた。
「そ、実験台にされたのね。その人…」
彼女は無表情に言い放った。まずった。どうやら、この映画の話はお気にめさなかったらしい。
しかし、これも珍しいことではない。いつもの登校風景だ。
そうこうしている間に、僕たちは学校に着こうとしていた。校門くぐり、校内に入ろうとした、その瞬間、
ードクン!ー
「う……」
僕は何か不吉な感じに襲われた。
「どうかした?」
校門で立ち止まっていた僕に一ノ宮は少し心配した顔向けて聞いてきた。
「い、いや、なんでもないよ。」
「そう」
僕の答えを聞くと、彼女はすたすたと歩き出した。
(気のせい__か?)
一瞬、不吉に思えた校舎を見上げ僕はそう思った。
ーバチン!ー
「うわっ!」
ぼうっと上を見上げていると、突然、後ろから誰かに背中を叩かれた。後ろを振り向くと、そこには見知った男子生徒が立っていた。
「よう、一輝!なに朝からぼうっとしてんだ?」
元気のいい、張りのある声で聞いてくる男子生徒。
「なんだ…海翔かぁ。」
「なんだとはなんだ!?親友に朝の挨拶をしてるだけじゃねぇか。」
突然、後ろから叩くのが、この男にとっては挨拶らしい。
「ああ、そうかよ。今度から、普通に声をかけてくれ。頼むから。」
この男子生徒の名前は、石塚海翔。僕とは中学の頃から付き合いで、その頃から一緒につるんで遊んでいた。
強面で、短髪の髪は茶色に染め、体格も普通の高校生よりはガッチリめだ。少し癖のある人間で、その容姿も相まって、周りからはよく誤解されがちだが、決して不良なんかではなく、根はいい男である。
「あ、怜奈さん!おーい、一ノ宮さ~ん!」
海翔は前を歩く、一ノ宮を見つけるやいなや、彼女を呼び止めようとする。が、一ノ宮はそんなのお構いなしに一人ですたすたと歩いていく。
「ああ、怜奈さん……いつも凛々しいなぁ。」
うっとりした顔で海翔は彼女を見つめる。
「馬鹿言ってないで、さっさといくぞ。」
時間は既に遅刻ギリギリだった。
これもいつもの朝の光景。毎日の日常。
二限目、体育の授業。
男子と女子で分かれて、授業は行われた。男子の僕たちといえば、運動場での体力測定。
「ああ…だりぃ~」
僕の横で、海翔が不健全な言葉を吐いていた。
「はぁ…相変わらず、やる気がない奴だな。」
そうは言いつつも、僕の方も大してやる気なんかなかった。
「よし、イッチョ、次の50mで競争といいますかぁ!」
突然、海翔は声を張り上げて、競争を提案してきた。
「まぁ、いいけど……突然どうしたんだ?」
「目的だよ、目的!やる気を出すには、それに似合った目的が必要なんだよ。」
「目的ってなんだよ?」
僕がそう聞き返すと、海翔はニマッと笑う。
「負けた方が昼飯おごりな?」
「な!」
小遣いが少ない僕にとって、負ければ死活問題だった。僕は断ろうとしたが、その瞬間、
「次!真藤、石塚!何してる!?」
教師から、さっさとするように言われ、断るタイミングを失った。
「位置について、よーい…」
ーパン!!ー
同時に飛び出す、僕と海翔。お互い、スタートダッシュは上々のようだ。横一線に並ぶ僕たち。しかし、25mを過ぎたあたりで、僕が少し前に出る。そして、そのまま、ゴール手前まで。
(よし、勝った!!)
そう思った瞬間だった。
「ぐっ!」
痛烈な痛みが右脚を襲った。僕はその痛みに堪えきれず、そのまま、前に滑り倒れる。
「おい、大丈夫か!真藤!!」
教師が急いで、側まで寄ってくる。海翔もゴールを通り抜けた後、急いで僕の方に駆け寄ってくる。
「ええ、だ、大丈夫です。」
そう答えてみたものも、自分に何が起こったのかよくわかっていない。
「一輝、脚!血が出てるぞ!」
「え?」
海翔に言われて、自分の足を見てみると、右脚の太腿から血が出ていた。出血部分は何かで切りつけられたようになっており、パックリと傷口が開いていた。しかし、傷そのものは、さほど深くはなく保健室での治療のみで終わった。
周りはこけた時に切ったのだろうと言っていたけれど、こける前に、既に脚には痛みがあった。
(かまいたち?……まさかな…)
太腿に巻かれた包帯を見ながら、そんな事を思った。
昼休み。食堂にて。
何があったにせよ、僕が海翔の賭けに負けてしまったのは事実。僕は海翔に昼飯を奢ることになってしまった。
「ったく!今日だけだからな。」
「へへ、わりぃな。」
僕たちが注文の列に並んで、そんな会話をしていると、
「あれ?真藤先輩じゃないですか?」
前に並んでいる男子生徒が話しかけてきた。
「えっと…君は確か、新聞部の…」
「はい。どうしたんですか?先輩が食堂にいるなんて珍しいですね?」
「はは…まぁね。いろいろあって……」
そう言うと、その男子生徒は、僕にだけ聞こえるように話してきた。
「もしかして…後ろの石塚先輩にたかられてるんですか?」
「はは、そんなんじゃないよ。」
僕がそう言うと、男子生徒はほっとした表情を浮かべた。
「あ、そうだ、先輩。いいかげん、部室に顔だしてくださいよ。」
「え__」
思いもよらぬ事を言われて、僕は一瞬硬直する。
「先輩の気持ちは分かりますど、三年生は先輩一人だし、一年生だって入部してきたんですから。」
命先輩の死を知ってから、僕は新聞部の部室に顔をださなくなっていた。理由は、先輩とのもっとも思い出の濃い場所だったから。あそこに行くと、もう先輩がいないことを嫌でも思い知らされる。
「ああ、わかったよ。都合はつきそうなら、寄らせてもらうよ。」
「ホントですか!?よかった~。」
僕の返事を聞いて、後輩の男子生徒は嬉しそうにしていた。
男子生徒が去った後、海翔は僕の顔を見て、呆れていた。
「なんだよ?」
「いや…ただ、お人好しだなっと思ってな。いいのか?あんな安受けあいして…」
それは、海翔なりの優しさなのか、どうやら心配してくれているらしい。
「いいだよ。もう、三年生だしな……いいかげん…」
『先輩のことは忘れる』、そう言いかけて、僕は言葉を飲み込んだ。
放課後。新聞部、部室にて。
僕は部室に来ていた。が、久々に部室に来たにも関わらず、誰もいなかった。
「あれ…おかしいな…時間が早すぎたか?」
誰もいない部室をぼうっと眺める。あの日以来、部室の様子はあまり変わっていない。
ードクンー
不意に、眩暈に襲われる。
「ふう……どうやら、まだ、ダメらしい…」
未だに、ここに来ると先輩の事を思い出す。どうも、真藤一輝にとって紅坂命の死は、精神的な外傷とも呼べるものになっているらしい。
「仕方ない…誰も来ないうちに帰るか。」
その言葉を呟いた瞬間、後ろで部室のドアが開く音が聞こえてきた。
一人の男子生徒が入ってきた。その男子生徒は僕の顔を見るなり、警戒しているのか、顔を顰めた。
「誰ですか?」
男子生徒は冷たい声で僕に聞いてきた。
「え、あ、怪しい者じゃないよ。昔、ここに所属してたんだ。」
「……」
じとーっとした目でこちら見てくる男子生徒。どうやら信じていないらしい。
「昔はってことは、今は所属していないんですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。今は、訳あって、部室にきてなかったんだけど……」
僕がそういうと、その男子生徒は、はっと思い出したような顔をしてた。
「もしかして、真藤先輩ですか?」
「え?そうだけど……なんで僕の事を?」
「二年生の先輩から聞いてます。三年生の真藤って先輩がいるって。」
どうやら、この男子生徒は二年生を先輩と呼んでるあたり、新入部員らしい。
「君、一年生?」
「はい。御堂志岐っていいます。」
彼は自己紹介し、にっこりと微笑む。その笑顔は一年生らしく、どこか可愛らしい。
ードクンー
また、眩暈に襲われる。頭痛までするようになってきた。気分が悪い。どうやら、長居しすぎたらしい。
「どうかしましたか?」
心配そうに彼は僕の顔を覗き込むようにして聞いてきた。
「ああ、大丈夫だよ。でも、今日は帰らせてもらうよ。」
「そう…ですか…」
御堂は残念そうにしていたが、僕はそのまま、部室を跡にした。




