不死の甘露が毒となる
「あのね」
流石に心配したのか、寄り添うように寄って来た師匠に囁く。
「前に師匠、訊いたでしょう?どうして、耐えられるのかって」
「答えは貰えなかったがな。いや、違うだろう。いまは、そんな場合じゃ」
「あのね」
ついには肩まで抱いて来た師匠の言葉を遮って、告げる。
「いつでも逃げられたからなの」
「は?」
「いつでも逃げられたから、今じゃなくても良いやって、思ってただけなの」
どんなに苦しくても。どんなに冷たくされても。どんなに理不尽な目に遭っても。どんなに、辛くても。
いつでも逃げられて、いつか逃げてやると思っていたから。
だから、そう、結局のところ。
「耐えてたんじゃないの。ただ、世界が変わるのに尻込みしてただけ。でもね」
今かもしれない。その、いつか、は。
「いつでも良いなら、今で良いよね」
「なにを、言って」
最期は笑顔が良いと、言ったのは死んだ母だったか。
「もういいや。この世界は、いいや。さよならしよう」
「!?、いや、待て、お前、」
「あのね、師匠のこと、ちょっとだけ、好きだったよ。ありがとう」
いつでも開いて、いつでもわたしを呼んでた。その、小さな隙間に、手を当てる。いつも通り、甘い煙の香りがする。
「強制、転移!?おい、やめろ、行くな、白饅頭!」
あはは、最期まで、名前を呼んではくれないんだ。
「ばいばい、師匠」
わたしも呼ばないから、おあいこかな。
積もりたての大雪に、手を差し込むような。
シャクリ、と言う軽い感触で、わたしの世界は反転した。
ё ё ё ё ё ё
小さく柔らかな雪玉に、熱湯をかけたように。
まるでなにもかも幻だったみたいに、そこにいたはずの女は消えた。
あとに残った水溜りのように、ハラリと女が着ていた衣服が落ちる。カシャンと音を立てたのは、母親の形見だと言っていた首飾りか。
「冗談だろ」
俺のことを、師匠、なんて、ふざけて呼んでいた女。仕返しに俺も、白饅頭、なんて呼んでいた。
「嘘だろ。どこに隠れてる?おい、出て来いよ、白饅頭。なあ、出て来てくれよ、アル、アルシェンタ・アムリタ・ガグナイ!!」
大声で叫び、辺りを見回しても、雪玉みたいに白い肌も、霞のような銀髪も見当たらない。
ガクリと膝の力が抜けて、そのまま床にくずおれた。その反動でフワリと跳ねた彼女の服から、甘く煙る香りがする。
服まで消えたら、彼女の痕跡何もかもを奪われたら、たまらない。
散らばった服を狂ったように掻き集めて、抱き締めた。
ほんとうに、抱き締めたかったのは、こんな抜け殻じゃなくて。
自惚れていた。
師匠、なんて呼ばれて。笑顔を向けられて。
好かれていると、支えていると、思っていた。
そんなこと、なかったのに。
外から、怒り狂った咆哮が轟く。いくつも、繰り返し。
当然だ。彼らを鎮める巫女はもう。
「なぜ、竜が荒れている!?おい、あのクズはどこに行った!早く連れて来て、役目を果たさせんか!!」
アルシェンタを詰り追い詰めていた愚物が、顔を真っ赤にして喚き散らす。
愚物だ愚物だとは思っていたが、本当に、救いようのない愚かさだ。
アルシェンタの遺品すべて抱え込んで、立ち上がった。
「界渡りの強制転移ですよ。アルシェンタはもう、この世界のどこにもいません」
そうだ、いなくなってしまった。
竜の狂化を一手に引き受け、すべて抑え込んでいた奇跡の巫女は。俺の大事な、白饅頭は。
「なんだと!?あの、役立たずが!」
「どっちが」
「あ?」
辺りを見渡す。誰も彼も、アルシェンタを蔑み、詰っていた愚か者ども。
「"役立たずのクズ"が、ひとりでこなせていたのです。そんなアルシェンタを愚弄し馬鹿にしていたあなた方なら、もっと簡単に出来るのでしょう。ならば、ご自身で収めてはいかがですか」
アルシェンタが、いない。なら、この国に価値などない。
「そんな、あなたは、」
「俺は俺の弟子であるアルシェンタのために、この国に滞在していたまでですから。アルシェンタがいなくなった以上、帰らせて貰いますよ。滞在する理由も、義理も、ありませんから」
言うだけ言って、踵を返す。
転移なんて、そう簡単に出来るものじゃない。それを、あんなにあっさり、一瞬で、ひとひとり消した。
アルシェンタを連れ去った世界は、どれほどの力を持つ場所か。
「ま、待ってくれ、そんな、それでは、この国は」
「これまで無事でいられたのです。これからだって大丈夫でしょう。なにせ」
顔だけで振り向いて、最大限の皮肉を。
「足手まといの役立たずがひとり、いなくなっただけなのですから」
ё ё ё ё ё ё
その後あの国は消えたらしい。
国民全員が国を捨てるか、死ぬかして。
国を捨てて逃げ出せたのは国境間際にいた一握りだけで、九割以上が狂化した竜の餌食になったと言う話だが。
あれだけアルシェンタを馬鹿にしていた奴らは、なんの役にも立たず、無様に死んだようだ。あっさり死んだらしいのが残念だが、狂化した竜に分別などない。善悪も何もなくすべからく破壊するのは、仕方のない話だろう。
人間の消えたその土地は、凶暴な竜たちが頂点に君臨する、弱肉強食の魔境と化しているそうだ。
俺にはもう、関係のない話だが。
「新しい世界の居心地はどうだ、アル」
もはや癖になった独り言を落とし、息を吐く。
どこに消えたかもわからない弟子を探し続けて、もう十年近くなるか。
界渡りなんて常人には不可能だし、そもそもどこの世界に行ったのかもわからない。あの白饅頭と違って、俺は少し魔法が得意なだけな只人なんだ。
首に提げた首飾りを握るのも、もう癖になっていた。あのとき、アルシェンタが落として行った首飾り。
服も金も持たずに見知らぬ世界に放り出されて、白饅頭は凍えてやいないのだろうか。新しい世界では虐げられることなく、幸せに過ごしているのだろうか。
また会いたい、なんて、贅沢は言わない。
せめて安否だけでも、知れはしないだろうか。
そんなもの思いに、ふけっていたときだった。
ふと燻った甘く煙る香りに、目を見開く。首に提げた首飾りが、どこからか引っ張られていた。
「渡すかよ……!」
この香り、まさかと思いつつ、首飾りを奪われまいと握り締める。
「欲しいなら、俺ごと連れて行け!」
怒鳴った声が、通じたのか、否か。
まるで新雪に身を投げたような、シャクリ、と言う感覚と共に、俺の世界は反転した。
ё ё ё ё ё ё
「わ……!」
何度も、何度も、思い返した声。
「首飾りをお願いしたら、ヒトがきた!?」
「アルシェンタ!!」
飛び起きて、姿を探し、念願の白饅頭を見付けて両肩を掴んだ。
「ぎゃん!なになに!?誰!?」
健康的に日焼けした肌、霞のような銀髪、夢にまで見た、真珠色の瞳。
皺も汚れもない上等な服。肌も血色が良く、瞳も澄んで輝いている。
「勝手にいなくなりやがって、探したんだぞこの、白饅頭!!」
感極まって、抱き締める。
「ぎゃわ!えっ、白饅頭って、も、もしかして、師匠?」
放せとばかりに肩を押されるが、放してやる気にはならない。
「老けてて気付かなかったなあ。今何歳くらいだろう?四十歳くらい?」
「ふざけんなまだ二十代だわ」
ギリギリだが。
さすがに聞き捨てならない言葉に反論すれば、そっかぁと呑気な返事。
「あのね、師匠」
「離れろってのは聞きたくない。どんだけ探したと思ってる」
「いや、一旦は離れた方が良いと思うんだよ。だって師匠、」
ペシペシと、アルシェンタが俺の背中を叩く。
「いま、すっぽんぽんだよ?変態だよ?」
「は!?」
ぎょっとして、そう言えばアルシェンタがいなくなったとき、衣類は全部遺されていたと思い出す。
界渡り出来るのは、生身の肉体だけなのか。
いや待て、その場合、俺は今アルシェンタに、全裸で抱き付いていると言うことにならないか?
「だからね、離れて」
「いや離れたらお前に全部見られることにならないかそれ」
「でも離れないと服着れないし」
全裸で抱き付いている状況は良くないが、全裸を見られるのも受け入れ難い。
「とりあえず前だけでも隠せるもん持ってないのかお前。離れるのはそれからだ」
「持ってないなぁ。今手ぶらだし、今日ワンピースだし」
「役に立たねぇ弟子だなちくしょうこの白饅頭が!」
『身に着けるものをお探しで?』
素っ裸でアルシェンタを抱き締めながら騒ぐ俺は、不意に背後から掛けられた声に肩を跳ね上げた。
「あ、カルラ、やほー」
『すまんな、アムリタ。首飾りだけ引っ張るつもりがコブ付きになったようだ』
「ん?ああ、師匠が保護してくれてたんだね、首飾り。壊されてなくて良かったよ」
のんびりとしたアルシェンタの声と共に、首からスルリと奪われる首飾り。
「ありがとね、師匠。カルラも、ありがとう」
アルシェンタのお礼と共に、ふわりと肩に布が掛かる。
『ひとまずそれで身を隠すと良い』
「あー、助かります。ありがとうございます」
どうやら一枚布らしいそれで腰回りを覆い、アルシェンタから離れる。
声の主は、俺と身長の変わらない、鳥、らしきなにかだった。顔は鳥で、身体も羽に覆われていて、背中には翼もあるが、骨格はヒトかサルのような。
「あのね、師匠、この世界はね、爬虫類と鳥類が類人に進化した世界なんだ」
驚いた俺に気付いたか、アルシェンタが説明する。
「なるほど、つまり、この、カルラどの?のような存在がたくさんいるのか」
「うん」
「それで、アル、お前はカルラどのに頼んで、首飾りを取り戻そうとしたんだな」
「そう。あのね、わたしをこの世界に呼んだのが、ヴィシュヌって言うひとなんだけど、カルラはその付き人なの。この世界のなかでもめちゃくちゃ優秀なんだって、ヴィシュヌがよく自慢してるんだ」
「そうか」
脱線するアルシェンタの説明を頷いて流し、カルラとやらへ目を向ける。
「カルラどの、と呼んでも良いでしょうか」
『構わんよ』
「では、カルラどの、俺をこの世界に引き入れて下さったこと、感謝致します」
『ほう』
鳥頭だが、類人だからだろうか。表情がわかりやすい。
『元の世界に返せとは、言わないのか?』
「言いません。俺はずっと、アルシェンタを探していたので。アルシェンタのいない世界に、価値はありません」
「……師匠そんなに弟子思いだったん?」
「お前はあっさり俺を捨てたけどな」
ついつい刺々しい言葉が出る。
「それは、だってさ」
『ふむ。積もる話もありそうだな。アムリタ、部屋に落ち着いてはどうだ?師匠どのに、服も必要だろう』
「そう、だね。カルラ、師匠の服、用意して貰える?」
『任されよ。では、師匠どの、こちらへ』
カルラが俺を先導する。だが、
『心配はいらない。ここは安全で、アムリタはどこにも行かない』
俺の躊躇いを見透かして、カルラが言った。
『それに、逃げる者を追うのに腰布一枚では心許なかろう?どこまでも走って追い駆けられるよう、装備は調えておくべきだ』
「重ね重ね、ありがとうございます」
『構わんよ。貴君はアムリタの恩人だからな』
ё ё ё ё ё ё
案内された建物は、どこもかしこも甘く煙るような香りがした。
ああ、アルシェンタの香りだと思っていたが、ここの匂いだったのかと、今更ながら気付く。
与えられた服は見慣れないもので、着方もわからず手間取ったが、カルラに教えられてどうにか着付けた。
建物も、見慣れない雰囲気だ。
カルラに連れられて入った部屋に、アルシェンタがくつろいでいた。
椅子も机もなく、絨毯とクッションが置かれた床へ、そのまま座り込んでいる。盆に載せられた茶器や料理も、そのまま床置きだ。
文化や生活様式が異なる場所なのだと、嫌でも実感させられた。
「癖のないお茶を選んだよ」
のほほんと、アルシェンタが言う。
「カルラも飲むでしょう?」
『ああ、頂くとしよう。アムリタの茶はまさに甘露だからな』
どっかと腰を下ろすカルラに倣って、クッションを敷いて座る。アルシェンタが差し出したのは、把手のないカップだった。
「貰う」
「どうぞ」
飲み込んだ茶は初めて飲む味だったが、アルシェンタの言葉通り癖がなく飲みやすかった。
「美味いな、これ」
「気に入った?」
「ああ」
「なら、また淹れるね」
また。
それは、次を約束する言葉。
「……俺は、ここにいて良いのか?」
「帰りたいなら、ヴィシュヌに頼むよ?」
「いや、ここにいて良いならここが良い。アルシェンタのいる、ここが」
「アルシェンタはいないけどね」
「うん?」
どう言う意味だ?
「あのね、師匠。わたしもう、アルシェンタじゃないの。ここでのわたしは、アムリタ。ヴィシュヌに仕える、お茶係なの」
さっきから、アムリタと呼ばれているとは、思ったが。
「それで」
名前を奪われて、ヴィシュヌとやらに仕えて。
「お前は幸せなのか、白饅頭」
「うん、幸せだよ、師匠」
「なら、良いんじゃないか。アムリタ」
呼び慣れない名を舌に乗せれば、アルシェンタ、否、アムリタは微笑んで頷いた。
「ヴィシュヌは偉いひとなんだ。裕福だから、師匠も雇ってくれると思うよ」
『ああ、アムリタの恩人ならば、喜んで迎え入れるだろう』
恩人。さっきも言われていたが。
「俺は、コイツの恩人なんかじゃ。師匠なんて、呼ばれていながら、救えもしなかった」
拳を握り締める俺を、カルラは穏やかな顔で見返した。
『ふむ、そこが行き違いか。きちんと説明してやると良い、アムリタ』
「うん。そう、だね、うん」
アムリタが、頷きつつも目を泳がせる。
『言い難いか。こう言ったことは外野が口を出すべきではないのだが、そうだな、口火くらいは切ってやろうか。師匠どの、アムリタは、捨てたくて貴君を残して去ったわけではない。貴君のことを、思っての行動だったのだ』
「俺を、思って?」
「師匠は、あの世界で認められていたから」
アムリタが、視線を落としたまま言う。
「わたしに巻き込んではいけないと、思っていたんだ」
あのとき、アムリタが消えたときを、思い出す。
常はアムリタだけが愚弄されていたが、あのときは俺も槍玉に上げられた。役立たずのクズを弟子にする俺も見る目がないとか、それではせっかくの品位が下がるとか、名声に泥を塗るつもりかとか、そんな、馬鹿げた言い掛かりだ。
馬鹿がまた馬鹿言ってるなと、俺は気にしていなかったが。
もしやそれが、アムリタに世界を見限らせたのだろうか。
「ヴィシュヌはわたし自身のほかに、もうひとりやふたり連れて行って構わないと言っていて、わたしはそれなら、師匠に来て欲しかったけど」
ボソボソと、アムリタは語り続ける。
「でも、わたしの勝手で師匠まで、世界を捨てさせるなんて、許されないことだから。でも、忘れられちゃうのは嫌で、ちょっとだけ、ちょっとだけ好きだったことにするくらいなら、良いかなって」
"師匠のこと、ちょっとだけ、好きだったよ"
確かに、言っていた。
それ以外が衝撃的過ぎて、忘れていたが。
「白饅頭、お前」
霞のような銀髪に覆われた頭を、片手で鷲掴む。
「好きだったのか、俺のこと、ちょっとでも」
『……ヴィシュヌ様が連れて来て良いと言ったのは、伴侶や我が子のことだ。アムリタは伴侶として、貴君を思い浮かべた』
伴侶?
『アムリタ、師匠どのはそなたが消えてから十年近く、そなたの行方を探していた。そなたのいた世界で、十年は長かろう?』
口火を切るどころでなくお節介を焼いてくれるらしいカルラの言葉に、お互い顔を見合わせる。
元々血色の良くなっていたアムリタの頬が、ますます赤く染まる。
『素直に想いを伝えると良い。お互いに』
今日出会ったばかりの鳥に背中を押されるのも、なんだか複雑な気分だが。
「アムリタ、俺はちょっとどころじゃなく、俺の弟子が、俺の白饅頭が、大好きだ。愛してる」
「ぎゃう、あう、あの、わ、たしも、師匠が、」
「愛の告白くらいちゃんと名前を呼べよ。まさか覚えてないとか言わないよな?」
白饅頭ならあり得るが。
「お、覚えてるもん!」
「なら呼べよ」
「う、うう……」
お湯が沸かせそうに真っ赤な顔で、アムリタが目を潤ませる。
「ス、スヴァル、さん」
「おお、よく覚えてたな。偉い偉い」
「師匠だってずっとわたしのこと白饅頭って呼んでたくせにぃ……」
「愛称だろ。お前の師匠呼びとは違う」
それで多少、守れているつもりだったのだ。名前ではなく、不恰好なあだ名で呼ぶことで。
「それで、アムリタ?お前はスヴァルさんをどう思っているんだ?ちょっとだけ?」
「ちょっとだけ、じゃないもん」
へぇ?
「ちゃんと、好きだもん、ス、スヴァルさんの、こと、好きだもん。でも、わたしがそんなこと言ったら、困らせると、思って」
「大事な弟子に好かれて困る師匠がどこにいるよ。あー、いや、困るか」
「困るの!?」
「困るな」
鷲掴みの手をほどき、柔らかい髪をなでる。
「師匠として好かれても困る。俺は、弟子としてだけじゃなく、アムリタが好きだからな」
そもそも師匠を名乗ったのは、側に居る理由を作るためで。
「お前が伴侶にって望むなら、俺は喜んでお前の伴侶になるが、どうなんだ、アムリタ」
「な!う、うー……」
がば!と膝立ちになったアムリタが、目を泳がせ、もだもだと逡巡したのちに、俺の胸に飛び込んで来る。
受け止めて、腕を回す。
「結婚して下さい、スヴァルさん……」
蚊の鳴くような声。でも、しっかりと耳に届いた。
「喜んで、俺の愛するアムリタ」
抜け殻を抱いていた、あのときとは違う。
確かに腕のなかにいる大事なひとを、俺はしっかりと抱き締めた。
『ふむ。一件落着。良きかな、良きかな』
今日会ったばかりの鳥の、呑気な祝福を受けながら。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました




