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⑤子烏の片鱗  作者: 邑 紫貴


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3/4

③泣く


夢を見て、恐れたのは何に対してかな?

君は泣いていた。黒紫色の瞳を潤ませ、溢れて零れる涙。頬を伝い、黒紫色の髪に滴る。

泣かないで……俺には、何が出来る?

悲しみの涙を拭い、君との幸せを願ったのは、愛しさ。

貪欲に、君を欲したわけじゃない。手放すことを恐れたのは本当。手に入れるのも、本当は…………

烏立は家の塀を、手で触れるようにして歩く。迷路から抜けるかのように。

「どこに行くの?」

君の手が、俺の声に反応して揺れたのは一瞬。

聞こえているんだよね。それでも振り返ることなく、返事もない。

烏立は、制服だけど荷物を持っていない。そして家の門の前に立っていた。俺を待っていたのかな?

愛鷹とは、会ったんだろうか?疑心暗鬼……嫉妬に狂いそうだ。

俺は、もう……烏立を手に入れたつもりなのか?愛鷹も、同じ夢を見たのだとすれば……

「ねぇ?」

【ギクッ】心を見透かされたように感じて、身体が固くなる。

「何?」

声がうわずってしまい、表情もぎこちなく思う。誤魔化すように、笑顔を向けたつもり。

烏立の黒紫色の目が見つめる。歩行を止めて、俺に視線を向けたのは少しの時間。

「夢で、私は……逃げたの?」

質問をし、また前を向いて歩き始める。君は、答えを望んでいないかのように見えた。

「夢だよ。君は、『会いましょう』って言ったけど。あの夢は、過去の記憶なのかな?それとも、予知夢だったんだろうか。恐怖は感じなかった。」

烏立は後ろ姿のまま。【くすっ】小さな笑いを聞き逃さなかった。

「どうして、笑うの?」

俺の質問に答えが返る。

「私の逃げる理由が見つからない。」

そうだね、俺が目覚めたんだ。君の言葉の途中で。逃げたのは、俺なのかもしれない。

今まで見てきた悪夢から、目を逸らしたんだ……きっと……

「君も啼くのに?」

無意識だったと思う。何故、その言葉が出たのか。

烏立は立ち止まり、体の方向を変えて脇道に入る。慌てて、その後を追った。

細くて薄暗い道。抜けたと思えば、山の中。

ここは敷地なのか?ここは、禊をした川?

こんな道があるなんて。違う道から来て、新鮮さと不思議な感覚に周りを見渡した。

「どう?境界線があるところから、私は侵入したの。」

無表情の中、どこか得意げに見える。

「可愛いね。」

素直な感想に、君は視線を逸らした。照れているのかな?

「夢の中、『古巣に還るしかなかった』と、君は言ったよ。」

そして『ここに』で、言葉は途切れた。

「東・北・南……消えかけているのは、西も同じ。最後……」

最後の烏。

「烏が啼くのは……」

【ドンッ】烏立の声と同時。【バシャッ】勢いよく突き飛ばされ、俺は川に落ちた。

冷たい水。午前中は、夏場でもキツイかな。

行動の意味が分からず、俺は見上げる。

自分にかかる影。自分の肩に、両手を置いて見下ろす烏立。

「すべてを奪いたいわけじゃない。」

黒紫色の瞳が光る。

【ポタッ】頬に、冷たい水。

目を閉じた烏立の顔が近づいて、俺の唇に重なる。柔らかさと、髪から漂う良い香り。甘い口づけ……

力が抜け、烏立の体を抱きしめながら、ゆっくり水の中に身を沈めた。

浅瀬に浸る身体は、体温を奪われているはずなのに、熱が上昇する。

“烏”を手に入れれば、すべてを失う……

目を閉じるのも忘れ、止まった時を味わう。

烏立は目を開け、唇から離れた。黒紫色の瞳は、光が無いからか漆黒の闇色。

何を信じればいい?

夢に見たのは過去の災い。御守がもたらす。烏を護る。何から?

男たちが望んだのは、他を捨ててでも、彼女の涙を止めたいと願う愛情。

「……烏は、何故……啼く?」

「……子烏への愛情なんかないわ。白鷺、恨んでほしいの。憎んで。」

忌詞のように、君は繰り返す。

子烏の片鱗と、それに狂った末裔。

「君に惹かれるのは血筋だからかな、血は争えない。抗うことは、出来るのだろうか。烏立……俺の想いは、深まっていく……受け入れてくれる?」

君の返事は無かった……


水辺に座り込んだまま、揺れる水面の輝きを見つめた。手には、烏立の柔らかさの感覚が曖昧に残る。

記憶には、残らない温もりと香り。味わった時間が夢のように漂う。

烏立は無表情で俺から離れ、視線を合すことなく、言葉を残さずに……俺の前から去って行った。

追いかけることの出来ない沈黙の拒絶。

手を頭に乗せる。太陽が照らし、熱のこもった頭。

このまま、ここにいても仕方がない。ため息を吐いて、立ち上がった。濡れた服のまま川を渡る。

「白鷺、何をしているのですか?」

色白な顔で、夏なのに肩に上掛け。

南嶋なしま 鷲実すみ。昔から病弱だと聞いていたが、それが烏の災いの故だとは、知らなかった。

「涼みだよ。鷲実、暑くない?」

上掛け、毛糸だよね?さすがに、見ている方が暑く感じる。

「……寒気がするの。凍りついて痛むような激痛……ふふ。西嶌さんも、夏だと言うのに長袖の黒い制服よね。生地は薄いし、夏用なのでしょうけど。」

鷲実は、視線を落として服をぐっと握り、会話を変えて微笑みを向ける。

病気、良くないのか。心配をさせないように、無理をしているのだろうか?

烏立の制服……全身が黒いイメージで統一されていたからかな。長袖が気には、ならなかった。

「白鷺、私も夢を見たわ。きっと愛鷹も……同じかは知らない。夢は記憶。私たちは片鱗。今日はね、おじ様から呼ばれたの。お家の為に……」

家の為?

「それって」

俺の口に指を当て、苦笑する鷲実。

「心配しないで。お断りするわ。」

俺が発する言葉を、理解しているんだ。

心配?何を?思考がグルグル。

「白鷺、唇が熱いわ。涼むなら、家に入った方がいいわね。」

鷲実は穏やかに笑い、俺から離れて家の方へ歩いて行く。

唇の熱……か。指を当てた。

父は少しでも、俺が烏立に近づかないようにしたいんだ。手に入れる道を閉ざす……お家の為に。

鷲実は、断ることが出来るのだろうか。本家の力も、それほど強くは無い。名ばかり。

『心配しないで』か。

不安が、ずっと支配している。

俺は烏立の事を、本当に好きだろうか?すべてを喪っても……それほどの覚悟が…………

上着やズボンが濡れて、肌に張り付くのは気持ち悪いな。ズボンの裾を少し折り曲げ、裸足で家に上がった。

部屋で着替えた方が良いだろうな。

「……病の災い……もう、南嶋家も駄目ね。」

「しっ!」

廊下に、長年勤める庭師とお手伝いの人。二人は俺の顔を見て、口を閉ざして逃げた。

鷲実が父の元に来て、噂になるような病。


自分の部屋に入って、着替える。濡れたズボンをハンガーにかけ、窓際に干した。

外に、鷲実と愛鷹。

俺の視線に愛鷹が気づき、口に指を当てる。俺が声をかけると、今は不味いのかな。

そうだよな、鷲実は『心配しないで』と、言っていた。色々な意味を含んで。

黙って見ていた俺の前で、愛鷹が鷲実を抱き寄せた。

愛鷹は目を閉じ、頭にキスを落とす。……俺には、そう見えた。会話は聞こえない。

見てはいけない気がして、部屋の奥に下がる。

『俺には関係ねぇ。憎しみしか宿さず、同じ憎しみで染まった者にしか欲情しない。』

愛鷹の言葉を思い出し、彼の想いと、鷲実の憎しみを知った。

烏の災いに、激痛の病。廃れる家系……知らずにいた災いのもたらした結果を、目の当たりにして……やっと、実感する。

悪夢への恐怖。身も凍るほどの寒気。

すべてを喪う……“すべて”。それでも、烏立を選ぶのか?手に入れたいと願うのか?

そんな独占欲と、狂うような愛情……俺には無い!あるはずがない……

逢ったばかりだ。惹かれるのは末裔だから?理解できない。

俺は外に出て、自転車に乗った。目的地もなく、田舎の道をひたすら走る。

小さな集落と、家系と関係のない定住者の町。それが見渡せるところで、自転車から降りた。

自転車を木にもたれさせ、その木に登る。

汗だくに、風が涼しく通って、眠気に誘われた。疲れが押し寄せる。

目まぐるしい変化に休息を望む。

「カァーッカァー」

しわがれた声に、俺は目を覚ました。

夕暮れに飛ぶ……黒い鳥。烏が鳴いて…………



朝、制服に着替えながら夢を思い出す。記憶に残っていない……なのに切なく、涙が零れた。

自分の記憶?大人たちが口を閉ざしていた忌まわしい過去。

毎年、祭りの時期に聞いた忌詞。年寄連中が集まり、選挙や昔の栄光を語った。

学歴や商売……面白くない話を延々と。失ったものを憂い、烏を祀る。災いを恐れて……

学校に向かいながら、頭の中は色々な事がグルグルと支配する。

付きまとうのは、不安。今まで、普通に近づいていた人や挨拶をしていた人たちが、遠巻きに俺を見つめる。

戸惑う。俺は何も変わらない。変わっていないはずなのに……災いで、すべてを喪う。

“すべて”……俺自身?俺に関わる人や物まで?奪うのは……

自転車置き場で、深いため息を吐いた。

「まるで、あなたが災いみたい。」

この声……

「烏立、おはよう。」

話しかけられたのが嬉しかった。単純な俺の心は、どうかしているんだろうな。

深まる想い。俺には止めることができない。君は、受け入れるとは言わなかった。

『恨んでほしい。憎んで』どうして、そんなことを言うんだ?

俺の表情は、そんなに複雑だったのだろうか。

「……おはよう。」

烏立が苦笑しながら、挨拶を返す。

俺は言葉を出そうとして口を開けたが、すぐに閉じた。聞きたいことはあるが、一つの疑問にも答えず、烏立が去った記憶が辛い。

『すべてを奪いたいわけじゃない』その言葉を信じたい。そして烏立からの、キス……!

しまった、急に記憶と感覚が交差する。目が、烏立の唇に。釘付け?落ち着け、心臓!

「白鷺?」

【ドキッ】

今、名前とか呼ばれたら……思考がまとまらない!鼓動が自分にバクバク聞こえる。

黒紫色の瞳が俺を見つめて……囚われてしまう。このまま、逃れられない。

「烏立、ごめん!」

思わず、抱き寄せた。腕にいる烏立は、抵抗が無い。サラサラの黒紫色の髪は、冷たく指を流れて行く。

誰にも、渡したくない。俺の物にしたい。それは、普通なのか?

初めて君を見たとき、戸惑った。その感情が、何なのか知りたくて……周りなんか気にしなかった。

一目惚れ?そんな曖昧な感情が、俺のすべてを奪う?分からない。けれど……

烏立の頬に手を当て、見つめる黒紫色の瞳に囚われたままキスを落とした。触れただけの唇。

烏立は、視線を俺に向けたまま。

「烏立、俺は……もっと、君の事が知りたい。このままじゃ、恨んだり憎んだり出来ない。過去の片鱗としてじゃなく、俺自身が……君への想いを確かめたいんだ。逃げないで……」

俺の精一杯の願い。

「……私も知りたい。西嶌の女が、愛してきた家系の末裔だから惹かれるのか……きっと、その答えが……“すべてを喪う”この災いの結末を意味するのだと思う。奪うのは、私。白鷺、何故……古巣に戻ったのか。知って欲しい。放課後、時間が欲しいの。」

烏立の目は、真っ直ぐに俺を見つめ、決意を示す。そして、いつものように……君は俺から去って行く。

残されるのは、いつも俺。

約束は放課後。追いかけることも出来ない後ろ姿を見守る。

腕に留める術も知らず、募る想い。彼女を嫌う理由に、災いを含めるべきだろうか?

彼女自身が望んでいない。俺から“すべて”を奪う事……何かが引っ掛かる。腑に落ちない。


教室へ向かう途中、話声に足を止めた。聞き覚えのある声だったから、声のする方へと疑問も持たずに方向を変える。

近づく声。やっぱり、愛鷹……!

足を止め、慌てて後ろに下がる。物陰に二人……相手は誰だ?

「イヤッ!酷い、力じゃ勝てない。」

うわぁ、鷲実?足が動かない。駄目だ、ここから離れないと!

「……知っている。調子が悪いのも。……もうすぐ、死ぬかもしれない事も。」

……死……動けなかった足が、フラフラと揺れる。視界が染まって暗闇に落ちる。

喪うんだ。すべて……災いが奪う。


その場を離れた。逃げるように。

父から、鷲実の話は出なかった。俺の相手にしてしまえば、選べないだろうと考え呼んだ。その答え。

『病の災い。南嶋家も駄目ね。』

鷲実は一人娘。跡取りを残さず、死ねば、消える片鱗。

苦しい……喪う事が、こんなに辛いなんて。愛鷹……君は、いつから彼女を好きだった?

俺は何も知らずに、災いも気にせず、暮らしてきたんだ。

教室への廊下が長く感じた。

そこには、災いをもたらした片鱗がいる……愛しさと憎しみ……

『恨んでほしい……憎んで』

涙が零れた。いつから、こんなに弱い自分になったんだろう?これが本当の自分。

何も出来ず、流されるように漂うのだろうか。


道を戻り、屋上へと続く階段を上った。不用心にも鍵が開いていて、外に出る。

町や村を見おろし、ため息を吐いた。

不安だけだった心。胸の部分を押さえ、服を握る。息詰まる。

憎いはずなのに、思い出すのは黒紫色の瞳。痛んだ胸が、癒されるように甘さで満ちた。

矛盾の想いに、感覚が狂う。誰か……ここから、助けて…………

「白鷺?お前、ここは立ち入り禁止だぞ。おい?大丈夫なのか、来い!影に入るぞ。」

愛鷹が、ぐったりした俺を抱え、屋上入り口の建物の影に連れて行く。

「ちっ!待っていろ、水を持ってくる。無茶、すんじゃねぇ~ぞ?」

愛鷹は、上着を脱いで俺を寝かせ、走っていく。

ふっ。愛鷹に救われる。何も変わらず接して……愛鷹の気持ちを考えると、胸が痛む。

「白鷺?意識はあるか~?」

【びちゃっ】額に濡れたタオル。

「……ぶっ。くくっ、お前、少しは絞れよ。」

笑った俺に、愛鷹は笑顔を向ける。俺は、水の滴るタオルを持って座りなおした。

「白鷺、吐き出せよ。ためすぎは、良くない。俺は、欲望も素直に出すぜ?」

水の入ったペットボトルを渡しながら、ニヤリ顔。

さっき、偶然、知ってしまったんだよな。苦笑してしまう。

「学校は、不味いから控えろよ?」

「見たのか、エッチ!」

【ブッ】口に含んだ水を思わず噴出し、手首で拭って、愛鷹の態度に呆れる。

「災いの結果は、残った物がある。憎しみと複雑な想い。白鷺、俺は……鷲実だけだ。彼女以外との結婚はしない。普通の家庭になった北巣家も、俺で最後。烏は、これで満足なのだろうか?どうして、烏は古巣に戻る?すべてを無くすのが目的なのか?」

愛鷹は、ふざけた態度から一変し、真っ直ぐに俺を見て語った。

愛鷹と鷲実が、それぞれの未来を見ているのだと理解する。

すべては、烏がもたらした栄光だと聞いた。それを喪う。与えた物を奪い、確かに残らない。

そこには、何も……なく……複雑に絡んだものは…………




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