②古巣
烏は山の古巣に、時代を経て還り……災いを繰り返す。
古巣に御守七つ。烏は可愛い我が子を思い、可哀相だと泣く。山の古巣に、仇の眼をした子烏が、七つ。
恨みをもって、災いのために古巣に還って来たのなら……
何故……君は、俺に『憎んで、恨んで欲しい』と願うの?この愛情は、独り善がりだったのかな…………
雰囲気が変わってしまった教室に、馴染んだわけじゃない。ただ、理解できるから身を置ける。授業も同じ。
今までいなかった烏。災いは、俺に降り懸かる。すべてを喪う……
皆は、俺の命が絶たれることをイメージするのだろうか?俺の中にも、それはある。
……けれど、烏立は言った。『すべてを奪いたいわけじゃない』と。……あ、前に感じた。引っ掛かること。
烏立は、すべてじゃないにしても“何か”を奪いたいんだ。それは、一体。
俺の持っているもの。名ばかりの本家?俺から奪う……そんな事が可能だとしても、奪った後、どうするんだ?
違う何か……思いつく物がない。放課後、烏立は俺と、何を話したいのだろう?心が落ち着かない……
放課後、教室は5分もしないうちに閑散とする。
俺が席から立つと、烏立の方もイスを引く音がした。
授業中、君は何を考え、何を見たのだろう?前の方の席の俺には、見えない後ろが気になった。ずっと、心を占める。
視線を向けた俺に、心許した初めての笑顔……
「お願いしたい事があるの。」
彼女は、右手を差し出した。思わず、握手するように右手を出して握る。
それに対して、烏立は苦笑。
「違うわ。握手じゃなく、手をつないで。学校を案内して欲しいの。……駄目かな?」
これは、放課後デートだよね?ドキドキに、胸を込み上げる歓喜。手をつなぎ直して、顔がゆるんでしまう。
「まずは、下から?上から?グルグル回ろうよ。」
俺は単純に喜んで、足早になる。
「白鷺、ゆっくり歩こう?きっと、まだ残っている人もいるかもしれないから。」
烏立は、視線を逸らす。
気まずい。小さな田舎。きっと噂は、あっと言う間に広まる。
「もう少し、教室で話をする?ここなら、邪魔は入らない。」
邪魔……その言葉で、朝の愛鷹たちの様子を思い出した。顔が熱い。不自然に赤くなっていないだろうか。
視線を烏立に向けると、烏立は首を傾げ微笑む。黒紫色の髪が揺れ、同色の瞳が俺を見つめる。
「教室の後ろ、窓際に行こう。風が入ると涼しいよ。」
焦って、烏立の手を引いて移動した。
窓は、開いたまま。風は緩やかに入ってくる程度だけど、十分に涼めた。
鷲実が言ったように、黒い制服。色もそうだけど、長袖って暑くないんだろうか?
俺の視線に気づいたのか、烏立は話し始める。
「この制服が、烏を連想させるのは偶然じゃないわ。西嶌家の経営していた私立の学校の制服なの。白鷺、何故……西嶌家の女が古巣に戻るのか。私は、ここに還るしかなかった。私が最後だから……」
経営して“いた”。それは過去形。
「……私立の学校は?」
言葉が詰まる。
烏立は、泣きそうなのを我慢しながら無理した笑顔。
「西嶌家も衰退して、すべてを喪ったのは私。古巣に連れ戻され、災いだと告げられた。聞いただけの過去の出来事が、恐ろしく鮮明になった夢を見たわ。そして……出逢ったのは、その末裔……」
『還るしかなかった』
烏立に災いだと告げ、連れ戻した人がいる?
「これは、仕組まれたものなのか?目的は……烏立……俺は、何を信じればいい?」
二人で言葉を探すが、見つからない。答えも、不確かに……
「白鷺、あなたは私を手に入れる?それは、私の悲しみになる?惹かれるのは、末裔だからなのか……知りたいの。」
それで、この放課後デート。
「烏立、俺も惹かれる。災いを知る前から。……それが、何故なのか知りたい。行こう?もう、誰も残っていないと思うし。学校を回りながら、色々な話をしよう。」
残っている人がいても、噂が流れたとしても、何も変わらない。今、変化しているのは周り。大事なのは、俺達の気持ちだけ……
手をつなぎ、並んで歩きながら、どうでも良いような話をした。
不思議と、校内に人はいない。俺達だけの時間を与えるように。
これが、仕組まれたものでも。二人で過ごす、この時間だけはウソじゃない。
俺を知って欲しい。烏立を知りたい。もっと、さらけ出して……もっと見せて。本当の事。
すべてを喪っても……手に入れて、後悔などしない……そんな想いを頂戴。
君はココに帰ってきた。俺達は片鱗。君が俺に惹かれた理由が、受け継いだ血によるのだとしても……
俺が、そうだとしても……この想いは、本物だと信じたい。俺は烏立が好きだ。
それでも、まだ……すべてを喪う覚悟は…………烏立……
「白鷺、楽しいね。」
「あぁ。」
君は、俺の気持ちを受け入れてくれるだろうか。
俺が君を手に入れたら……すべてを喪っても、君だけが残るなら。君も喪うなら……手に入れない方が良いのだろうか?
「私は、ここに帰ったんだね。同じ血筋の末裔。あなたの近くに帰ってきた。私は帰る……何度でも。」
「……お帰り」
腕に、伝わる温もりが愛おしく…………
気が付けば、夕暮れ。日の落ちるのが遅いと言っても山は陰るのが早い。
自分たちの教室に戻り、つないだ手を離す。荷物を取り、さみしい手を見つめ、ため息。
視線を烏立に向けると、そっと手を差し出した。嬉しさとドキドキに、俺は笑顔で手をつなぐ。
きっと、こんな楽しいのは続かない。今後は周りを気にするんだ。
「白鷺?」
聞き覚えのある声に、思わず身が硬直する。
きっと、手から烏立に伝わったのだろう。俺達の手は、そっと離れた。
「……鷲実。」
言葉が続かなかった。
鷲実は、俺達二人を交互に見、微妙な笑顔。
「愛鷹が自転車を取って、ここに来るわ。少し、時間をもらっても良い?烏立さんも……」
烏立は、戸惑っていた。
護るように前に立ち、小さな声で自分の気持ちを伝える。
「烏立、護るから。俺、頼りないけど我慢して?」
「大丈夫よ。覚悟は、あるわ。」
覚悟か……彼女が悪いわけじゃない。
過去の災いが、鷲実を苦しめているのは理解できる。それでも……この複雑な感情を、どう処理していいのか惑う。
「白鷺、楽しんだか?」
自転車を押しながら、やって来た愛鷹。俺達を見透かすような視線で、答えを待つ。
自分たちの行動の意味まで、筒抜けなのかと思ってしまう。
「ふ。構えるなよ。否定しない。お前は末裔。烏への愛情は当然……」
胸に刺さる言葉。
当然?惹かれたのは、片鱗だから?釘を刺されたのだろうか。この時間さえ覆るのか?
「愛鷹、意地悪にしか聞こえないわ。」
鷲実が、愛鷹を睨み、俺達に苦笑を向けた。
「丁度、良かったのかもしれない。……見て欲しい、聞いて……」
鷲実は、カバンから出した物を見せる。
俺が、父から受け取ったのと同じ古い巻物。
「これは、南嶋家の家系が記された掛け軸。東西南北に、同じものがあると聞いているわ。」
4人が、鷲実の広げた掛け軸を見つめる。
「家系は、私で終わり。」
鷲実は掛け軸にユーティリティライターを向けた。
【カチッ】小さな火が、古くて燃えやすくなった掛け軸を呑み込んでいく。鷲実の手から離れ、地面で炎が掛け軸を覆う。
「白鷺、私ね……もうすぐ死ぬの。子供も産めない。学校は、今日……退学したわ。」
涙を流し、複雑な表情で、鷲実は俺達を見つめる。
愛鷹は自転車を停め、鷲実を支えるように抱き寄せた。
「鷲実の残り少ない人生を、俺がもらうことにした。すべてを喪ってもいい。狂っているのは、俺だろうか……」
「愛鷹、やめて!」
愛鷹はカバンから掛け軸を出し、片手で解いて、燃え尽きようとしている炎に投じた。
泣き崩れた鷲実を、慰める愛鷹。
俺の中で、時間が止まっていた。二人の会話は耳に入らない。何が起きたのか、理解が追い付かなかった。
気づかないうちに、烏立がいなくなっているほど……
燃える火。
すべてを喪っても、手に入れたいと願う……その想いを見つめ。
烏立との短い時間を楽しんだ。その気持ちは…………
俺は一人、自転車に乗って、ゆっくりと薄暗い山道を走る。
家に着き、食事を済ませた。
父の何かを告げようとする雰囲気を感じ、その様子が俺を急かすようで、逃げるように自分の部屋に入る。
丁寧に保管していた巻物を机の上に置いて、そっと広げた。自分の家系……
昔の字で、良く分からない。最後に書かれた自分の名。
途絶えた南と北……鷲実の短い命。残りの時間を共にし、まだ、残せる子孫を拒んだ愛鷹。
俺は?すべてを喪う?喪ったのは、愛鷹じゃないのか?
烏の災いが、残った物を覆す。
俺は、この掛け軸さえ……燃やせない。
烏立を護ると言ったのに。どんな気持ちで、帰ったのかな?
俺は、還る場所になる資格が……ない。
窓の外は暗闇。空には月と星が輝き、時間と共に変化する。
流れる雲。時間も流れる。そして、明日が来るんだ。
日が昇り、繰り返す日常。
布団に入り、睡魔に誘われ……夢を見る。俺の今日の記憶……
烏立の笑顔。笑う声。好き嫌い、好奇心と苦手意識……君を知って、心に溢れるのは熱い気持ち。膨らむ想い……
護ると言いながら、自分の感情さえ制御できず、覚悟もない。弱い自分に吐き気がする。
烏立に嫌われたと、痛む心。傷ついたのは、きっと烏立なのに。
烏立は、どう感じただろう?
愛鷹や鷲実の下した結論……残った片鱗を捨てた。
最後の烏は、俺の“すべて”を奪う。俺が烏立を手に入れれば……俺が願うのは…………
烏は還る。古巣に。仇の眼?
烏立……もっと、話がしたい。足りない、情報が少なすぎる。
それなのに、加速するように惹かれるんだ。狂ったように、熱く、燃えるような苦しみ。
癒して欲しい。満たして……俺を求めてくれ。
良いよ。もう、あげる……俺の“すべて”。だから……俺の手に還って欲しい…………
君の自然な姿を見て、息が苦しいほど嬉しいなんて。
狂っていく……どこまでも深みに沈み、心地よさに漂う。好きだと意識し、気付いたら止まらない。止めようがない……
過去、烏に惹かれた男たちも同じだったのだろうか?俺は、その末裔……
夢に見ていない語られた過去の感情。俺には関係ない。同じなのは、ただ……泣かないで欲しい。
かえることの出来ない未来だとしても。失うとしても、手に入れていない君を想い求めるんだ……この俺の心が。
それだけは信じて欲しい。偽らない。純粋な気持ちだと、知って欲しい。聞いて、受け入れて。
烏立、君の気持ちは、どう変化した?聞かせてよ……否定を恐れても聞きたい…………
目覚め、学校へと向かう。
いつもと同じ。周りが変化したままでも、諦められる。どうにもならない複雑な思いは、自分を責めた。
烏立を苦しめるような要因を、除けもしない。弱く、力のない自分の不甲斐なさ。
教室には、烏立の姿はない。授業が始まっても、現れない彼女を心配する者がいない。安堵の見える教室……
自分が消えても、周りは変化しないのだろう。
“すべて”を喪い始めたのだろうか?そうか、もう……日常を失っている。変わってしまった。烏立が現れて、気付かないうちに。
それでも良いと思えるなんて。これは前兆なのかな。
俺も、掛け軸に火を放つことが出来るほど……烏立だけで良いと言う日が来るのかもしれない。
放課後、教室に一人。周りを見渡す。俺の失った者たち……得たのは静けさ。寂しさ?
空白のスペースを埋めて行くのは、烏立の事。
今日は、どうしたのだろうか?体調が悪いのかな?どこに住んでいるのだろう?昨日の事、傷ついているのだろうか?
俺が、護れなかった事……許してくれるかな?痛みと甘さの複雑な心……
職員室へ足を向け、担任を探す。
近づく俺が何を言うのか。きっと、予想が出来ていたんだろう。視線を逸らし、引出しから書類を取り出して立ち上がった。
「先生……」
「東、こっちに来い。」
先生は、足早に職員室を横切り、非常階段へのドアを開けた。
階段を数段下り、外が見える踊り場で先生の足が止まる。
「先生、烏立の家を教えて下さい。」
先生は俺の願いに、無言で書類の束を折り曲げて差し出した。
書類を受け取り、目を通す。烏立の情報……ほとんどが空白で、住所の記載もない。
「悪いな。俺の職権では、ここまでだよ。」
視線を向けると、苦笑で俺の頭にポンポンと手を乗せた。
先生に書類を返し、お礼を述べる。
俺は、そのまま階を降りた。1階の非常扉から校内に入って、下駄箱へと向かう。
逆光に、黒い制服……顔が見えないけど分かる。烏立だ。
靴を履きかえ、慌てて近づく。前と同じ……俺を置いて、歩く後ろ姿。
今、近づいて手を握ったら、駄目だろうか?俺を待っていてくれたんだよね?学校を休んだ日に、制服で……
速度を上げ、烏立に追いついた。
手を握ると、拒絶は無いのに……視線を合さず、握り返すこともない。
一気に冷たくなる。それが、心なのか身体なのか。
不安に襲われ、泣きそうになるのを必死で我慢する。悲しみ?辛さ?嫌だ……怖い!
「白鷺……」
足を止め、俺の方に体を向けて視線を向ける烏立の目に涙。
「う……りゅ……烏立。烏立ぅ~……」
抱き寄せ、自分の弱さをさらけ出して泣いた。
烏立も泣いているのに。君は、俺の頬を流れる涙を拭う。
「君を喪いたくない。もう、君以外を喪っても良い……手にあるのは君だけ。力も何もない、君を護れない。君の涙さえ止められない。ごめん、ごめんね。」
愛しさに溺れ……
「白鷺、来て欲しい。今日、私が知った事。私は……」
烏立は、言葉の途中で口を閉ざす。
「行くよ。君の事、教えて……」
俺は、烏立を知らなければいけない。
君と“すべて”を引き換える。後悔をしない為に、最後の決断の時……これで、良かったと思いたい。
俺も、烏立の頬に伝う涙を拭う。
「……恨んで欲しいの……」
「え?」
小さな声だったけど、聞き逃さなかった。けど、聞き直したい。聞き間違いであることを願った。
君は、誤魔化すように笑顔を向け、俺の手を握って引いた。
「こっちよ。私が住んでいる所を見て。話をしよう?」
分かる。一日……少しの時間だったけど、自然な君を見たから。無理に作った笑顔、だよね?
君が今日、知った事。誰が告げたの?君を、ここに連れてきたのは誰?どこに住んでいるか。それが、意味する事……
方向は、古の家系が治める土地。
あ、自転車を置いてきた。
君が、歩いて通える距離?俺の家にも、君は歩いて来た。それも夜……
「何を考えているの?当てようか……どこに住んでいるのか……?」
「そう。君が、移動可能な場所が……唯一、不可能な場所だという結論。神社……当然なのか?管理者しか、出入りが許されていない。」
納得できる。その答えにしか、辿り着かない。
「来て、こっち。ここにも小道があるの。鍵が必要だけどね。」
神隠しの山道。そこを避け、近寄らない人々。土地の中枢……鍵で開き、自動で鍵が閉まる。
自由な様で、管理の籠の中。薄暗く細い道。
「私を、ここに呼んだのは……神社の管理者。家系の年寄りの集まりが、あるでしょう?祭りに、異様に固執した人たち。」
烏立は前を歩きながら、繋いだままの手は、握る力が強くなる。表情は見えない。
「何を言われた?」
「繁栄を願うと……」
喪って来た繁栄を、まだ願う。大人たちの貪欲さ。
烏の泣いた理由は、そこなのだろうか。
「着いたわ。入って、話しましょう。聞いて欲しいの。私の決意を……」
手が離れ、小さな家に先に入った烏立。振り返らない。
俺は中に入りながら、見覚えのあるような感覚に戸惑う。これ、神社の裏だ。中の造りが似ている。悪夢と重なる。
……烏が泣いていたのは、ここだったんじゃないのか?
代々……烏を呼び寄せ、年寄り連中は過去の繁栄を願った。御守が何かは知らない。仇にされて当然だ。
こんな閉鎖的な所で監禁し……惹かれた?本当に?泣かないで欲しいと願った愛情は、伝わった?
唯一、自分に優しかった人間に逃げた……だけ……
また、君は……ここに……かえる。それは、何の為…………




