表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

4)『真実の愛』とは

ご覧いただき、ありがとうございます。

本日は第4話~第6話を投稿予定です。

こちらは第4話です。よろしくお願いします。

 

「パトリシア!」


 四日目の朝、元婚約者が鬼のような形相で私の教室にやって来た。

 クラスメイトは、もう、好奇心むき出しの表情だ。


「なんでしょう、モントレーヌ公爵令息」


 私の返事を聞き、カルロスは盛大な音を立てて舌打ちをする。

 それやりたいのは私の方だ、と、相変わらず名前を呼ばれることを不快に思いつつも、淑女のネコは許してはくれない。

 教室中が、耳をそばだてているのを全身で感じる。

 目の前の男は、淑女科の令嬢二十人余りが、ピタリと体の動きを止め、こちらに神経を集中していることに気づけないほどに、興奮しているようだ。


「君はっ!とんでもないことをしてくれたな!」

「何のことだか」


 振り上げられずとも固く握られた拳が胸の高さで忙しく上下している。

 もう少し高く振り上げられれば、悲鳴のひとつでもあげられそうな、そんな動きだ。


 ドレス姿でないから、扇子が手元にない。

 ため息を隠すこともままならず、さりとてそんな姿を誰かに見られるわけにもいかず。

 今にも口から溢れそうなため息を、すんでのところで押し止める。


「君がっ!君が僕とレーナに対して失礼な噂を撒き散らすからっ」

「モントレーヌ公爵令息と、レーナ嬢?の、仰られた、真実の愛の事でございますか?」


 教室中が、誰とはなしに、ざわっざわっとざわめいた。「マジ?」「やばっ」「信じられない」「きた、アリシア法」等々。

 耳で拾えるささやきの言葉が、多少淑女としての品格を落としているのも、致し方ないだろう。


『真実の愛』


 戯曲や市井の娯楽小説に溢れているその言葉を、気安く口に出す貴族はいない。


『婚姻法第5条婚約者規定』通称、アリシア法と呼ばれるそれは、婚約者をないがしろにする者を罰するものだ。


 賢王と名高かった先々代の王が、まだ少年王子だった頃に、忘れ去られていた大昔に制定された法律を引っ張りだし、その内容をつまびらかにした。

 たとえどんな理由でも──それが譲ることのできない『真実の愛』であろうとも──婚約関係にある者は、他の者に心を傾けるな、それは有責になる。それがたとえ王子であろうとも、その責からは逃げられない。と、教えてくれた、という、ありがたい逸話だ。


 以来、貴族間においては『真実の愛』という言葉は一種のタブーのように扱われてきた。

 もちろん、婚約者間、配偶者間、あるいは親子間などで「これこそ『真実の愛』だわ」と言うのは何も咎められない。

 むしろ、タブー視される言葉であるからこそ、その言葉を口にする者には、ある種の優越感が滲んでいたりする。


 だからこそ、そんな言葉を軽々しく口にしたカルロスに驚いた。

 レーナ嬢が男爵家の庶子であることを思えば、市井の娯楽に馴染みが深いレーナ嬢にとって『真実の愛』というのは自分が主人公になるための必要不可欠なパーツなのかもしれない。

 熱に浮かされるように何度も繰り返し囁かれて、その気になってしまったのかもしれないが、いずれにせよ、決定的な不貞宣言だったわけだ。


「わたくしは何も申しておりません。兄と、その代理人とがモントレーヌ公爵令息の仰られたことの事実確認をしただけですわ」


 そう、ただ確認をしただけだ。


 公子の発言の裏取りだ、と、セオドアは言っていたが、本来ならば、アリスの証言ひとつで十分なはずだった。アリスは侍女とはいえ子爵令嬢、証言の価値は十分にある。

 あの二日間の聞き込みは、素早く噂を立てることと、それによって公爵家からの懐柔、つまりはカルロスを許せ、的な流れを断ち切るための工作に他ならない。


「君のせいで、僕は嫡子から外されたっ!」

「そうですか。ですがそれも当然なのでは?公爵夫人が男爵家の庶子だなんて、とても無理でございましょう?それに『真実の愛』なんでしょう?ご自身の身分すらも捨てることが『真実の愛』だと、この本にはございますわ」


 そう言いながら、私はアリスの用意してくれた娯楽小説をカルロスに渡す。


 カルロスはぎゅっと赤くなるまで握りしめていた拳の行きどころがなくて困っていたのか、大人しく私の渡した本を手に取る。眉をひそめ、視線に力がない。困惑しているのが伝わる。

 教室も、しん。と、静寂が痛いほどだ。誰もが固唾を飲んで成り行きを伺っている。

 ひょっとしたら廊下にいて、教室に入れずに困っている者がいるかもしれない。

 そろそろここは幕引きだ。


「モントレーヌ公爵令息」


 私は小さく息を吐きつつ、彼に声をかけた。


「どうもご気分がすぐれないご様子ですわ。今日はご自宅に戻られて、信頼のおける……そうですね、公爵家の家令にでもお尋ねになられるとよろしいですわ。アリシア法について教えてほしい、そう言えば全てご理解いただけるはずです」


 きっと彼は知らなかったのだ。

 アリシア法も、『真実の愛』という言葉が貴族社会でどういう意味を持つのかも。


 嵌められた、と、言うのなら、いったい誰に嵌められたのか。

 知らなかったと言ったところで、不貞を働いたことに変わりはないのだから、どのみち詰んでいるわけだけれど。


 私から渡された娯楽小説を片手に、やって来たときとは対照的な、よろよろとした足取りで教室を出ていくカルロスの背中は、がっくりと肩を落として覇気のないものだった。

 五年の婚約期間中、彼のこんなに弱々しく自信のない様子を見るのははじめてで、私は少しだけ動揺した。それを表に出さないよう、こっそりと頬の内側を歯で噛み、痛みで気持ちを紛らせた。



 私が彼の元気な姿を見たのは、それが最後となった。




 ****



 翌々日。


 モントレーヌ公爵令息が、旧校舎の一角で、その短い人生を終えたという噂は、わずか半日の間に学園中を席巻した。


 翌日を休養日に控えた、週の終わりの午後のことだった。

 私の耳にその噂が届いたのは、午後の講座が終わったときだった。

 気を遣われたのか、その噂を聞かされた頃にはクラスメイトは全員が知っていた。

 それほど親しくないクラスメイトも、気遣わしげに私の様子を伺っている。

 何人かは、目の縁に涙を浮かべながら私の傍に寄り、励ましてくれたりもした。


 噂によると、午後の授業が始まった頃に、学園の警備が定期巡回を行って発見されたらしい。

 使われていない旧校舎とはいえ、午前に二回、午後に二回と定期巡回されていたようだ。


 旧校舎は即座に立ち入り禁止の処置がとられ、誰かがカルロスといたのかもはっきりしなかった。

 発見者は、巡回の警備二名。

 外傷はなかったが、彼の衣服は乱れ、苦悶の表情を浮かべており、口許には泡まで浮いていたという。

 かなり苦しんだ様子だったことは、警備の者の目にも明らかだったようだ。 


 何人かから代わる代わる聞かされる噂を纏めると、そんなところだった。



「アポティさん」


 午後の講座が終わり、私がカルロスの噂を聞き、呆然としつつ教室を出ようとしたところ、クラス主任教官から声をかけられた。


「帰宅時間に申し訳ないのだけれど、少し時間頂きたいの。よろしいですか?」


 淑女マナー科の教官は、淑やかに、けれど有無を言わせぬ様子で私を誰もいない教務室へと連れていった。



「あなたの婚約者……数日前まで婚約していたモントレーヌ令息の話は聞きましたか?」

「噂話ですが」

「既に彼は公爵邸へと戻っております」


 そう言うと教官は、らしからぬ大きなため息をついた。


「あなた……疑うようなことを聞いて申し訳ないのだけれど、今日のお昼はとうしていましたか?」


 あぁ、外部の調査機関から事情を問われる前に、学園としても把握したいということか。


「今日は午前の終わりの講座が移動教室でしたので、級友と連れだって、そのままカフェテリアで昼食をとりました。終わってからは、やはり皆で連れだってお化粧直しをし、午後の講座に備えておりました」

「そう、カフェテリア……」


 旧校舎とは立地的にもかなり離れている。

 偶然とはいえ、多少は身の潔白を保証してくれるだろうか。


「倒れた彼の周りにはいくつかのものが散乱していましたの」


 教官は、尋ねもしないのに教えてくれた。

 流行りの娯楽恋愛小説、薬瓶の蓋、シルクのハンカチ、割れたゴブレット……。

 それを聞き、私は思わず小さく笑ってしまった。


「どうかしましたか?」

「あ……失礼しました。私が渡した小説を、持っていたのかな?と、思いましたもので」

「あなた、彼に小説を渡したのですか?」


 教官は訝しげに問うてくる。

 彼の周りに恋愛小説があったことが不思議だったのかもしれない。


「えぇ。二日前に。彼との婚約が解消された、翌日の朝ですわ。わたくしの教室で渡しましたから、クラスメイトの中にはご存じの方もいらっしゃるはずです」


 むしろ、級友のほとんどが知っていることだ。


「今、わたくしが聞いたことを全て公爵家に話しても構いませんか?」


 教官はそう尋ねてきた。

 学園での調査を纏めて公爵家に伝えるのだろう。


「誤解を与えるような言い換えをされないのであれば、構いません。もちろん、クラスメイトに確認されても、私は何も気にしませんわ」


 私の返事を聞き、教官はふぅー。と、大きな大きなため息をついた。

 それは淑女マナー科の教官としては、異例だろう重いため息だった。


「あなた、あまり動揺していないのね」


 仮にも、元とはいえつい数日前まだ婚約者だったのでしょう?と、言外に含ませて聞いてくる。


「なんとなく、予感がありましたから」


 そう。なんとなく、こんなことになりそうな気がしていた。

 下衆な言い方をすれば、カルロスは手玉にとられたようなものだ。

 自信過剰の(ボン)が、自分が窮地に追い詰められたとき、どうするのか。

 それを考えて、最悪の結末として想像していた。

 それだけだ。


「今日は呼び止めてしまって悪かったわ。この件は外部の調査も入ると思うから、その際には協力してちょうだい」

「もちろんです。それでは失礼いたします」


 私は席を立ち、教官に向かって気合いを入れて礼をした。だが、その仕上がりは、あの日公爵邸でカルロスに対して見せたものには劣るな、と、思った。



続きは、本日、午前11時30分頃に投稿予定です。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ