「ライフ」の方が安いので
コンビニは間違いなく便利だと思う。
大抵徒歩で行ける距離にあるし俺のような夜型人間にも優しくいつでも灯りがついているからだ。さらに生活必需品を網羅していてまさに市民の味方だと称えられている。
かくいう俺が現在一人暮らしをしている三階建ての最上階の中部屋、間取りは1Kで家賃三万五千円の共同住宅「さんご荘」から歩いて五分のところにひとつコンビニがある。徒歩十分以内であればもう一、二店舗増えるだろうがきちんと調べたことは無い。
「さんご荘」から歩いて十一分のところに最寄りのスーパーマーケット「ライフ」があるのだが、最寄りのコンビニとは真反対の方向だ。移動手段が徒歩なのは最近になって腹にできた三段に無策ではいけまいと危機感を覚えてきたところだったからだ。
これから夜更け前に最寄りのスーパーへ酒や菓子を買いに行こうとしていることに気付くのは野暮である。
コンビニで買えるものなら最寄りのコンビニへ行くほうが近いではないかと言う小富豪がいるが、俺から言わせればそんなおちゃらけた話は右から左だ。たしかに往復で見ると計十二分多く歩くことになるのだがそれでも「ライフ」へ足繫く通うのに理由は一つしかない。「ライフ」の方が安いので。
近所のスーパーに行くだけなので格好は黒色のサルエルパンツに無地のTシャツ、だけでは体形が露呈してしまうのでこれまた黒色のハーフジップパーカーを上から着て出かける。今は七夕月であり、いつ見た記事かは覚えちゃいないが、季節に合ったコーデとネットで書いてあったので四分の一の確率で不格好ではないだろう。
家の鍵も財布も持って出かけていない。持っているのは内臓バッテリーが寿命をむかえつつある充電残二十九%のスマホだけだ。
家の鍵はスマホのアプリで開閉出来るし、それがなくとも扉についてある機械に四桁の暗証番号を打ち込めば鍵が開くシステムになっている。所謂スマートロックというやつである。
財布を持って出ていないのもスマホの決済アプリで会計を済まそうとしているからだった。この時レジ袋にかかる無駄な三円をほんの少しだけ後悔するのだがそれはまた今後の教訓としよう。
充電も無いのでイヤホンもしていない。好きな音楽は流れていないが、車,話し声,街の音がそのまま耳に入る。至極当たり前なのだが新鮮な感じもする。
スーパーへの行き道に、前を通りすぎる丸太を模した椅子が三つと遊具が砂場と一足のブランコだけの公園「生生公園」があるのだが、いまだにこの公園の読み方は解らない。漢字の上にルビがふってあるっぽいが掠れて読めやしない。せいしょう かもしれないし、せいせい,きき,ぶぶ なんてのも面白いじゃあないか。
と、まあ気にはなるが調べるほどじゃない。朝の星座占いが一位の日に子連れの奥様方の井戸端会議でたまたま聞いて知るのがいいところだろうが、そこで俺はきっと少し淋しく感じるのだろう。
俺がその公園の前を通ろうとしたときに、目的地方面から見知った男が自転車でこちら側へ走ってきているのに気付いた。
こちらから「よう。久しぶり」と声をかけるのも、急なUターンをしてバタバタとするのも恥ずかしいので、こちらは気づいていないふりをして向こうがこちらに気付いて声をかけてくるかもなどと頭で考えながら、その実俺はいかにも寝起きで出かけているように左目をわざわざ右手で擦りながら歩いていたのだ。
「あれ?ロックか?」
やはりこの男は、こちらに気付くなり直ぐに声をかけてきた。イヤホンもしていないので聞こえてないふりは通じまい。まったく人違いならどうしているのやら、まあこの男はそんなこと気にも留めないのだろうけど。
俺は足を止めてごく自然に驚いてみせた。
「ん?その呼び方、リョウタか?」
「やっぱりな!似てたからもしやと思ってたんだよ」
びっくりだ、ととぼけている俺にも気づかないこいつは意気揚々と続ける。
「久しぶりじゃねーか。元気だったか?時間あるなら生生公園で話そうぜ」
「…ん?あぁ、ここでな。まあスーパーに行くだけだったから時間はあるけど」
びっくりだ。今度は本当に驚いている。できるだけ顔面の平然を取り繕った。朝は占いを見ていなかったが、今日はきっと一位でラッキーアイテムは公園とか散歩だったんだろう。“せいじょう”だった。“せいじょう“こうえんだったのだ。
とくに驚き以外の感情は湧かなかったのだから自己分析などあてにするものではない。きっと自分が知っていることは友達も知っていて、自分が知らないことも友達は知っているのだ。現にこいつは俺の驚いた顔を知っている。
リョウタは公園の入り口に自転車を止めて、丸太の椅子に二人して腰かける。リョウタの次に俺が座って、等間隔で横一列に三つ並んだ真ん中の椅子は空いている。
「俺が先に気づかなかったらこの先も会えてなかったかもな。今はこの近くに住んでんのか?」
俺の方が先だったのだが、それは今でも言わないでおいている。これはまだ俺が未熟で勇気がないからだろう。
「ああ、そうだよ。半年くらい前に越してきたんだよ」
といっても、地元からさほど離れた場所ではない。
それを皮切りにリョウタも現在一人暮らしをしていることやこの近くに住んでいることを聞いた。おすすめの居酒屋の場所も聞いたし、近いうち飲みに行くことにもなった。
それから久しぶりに会った親友と必ずといっていいほどに出る話題が展開される。恋愛話だ。こいつとは避けたい話題ではあった。
避けたい話題というのは総じて触れられたくないか、話したくないかのどちらかに分けられる。この話に関して言えば俺は後者の方である。話してしまってもこいつは過去の話だと笑って済ませるのだろうが、そうは問屋が卸さないのだ。
リョウタから今恋人はいるのかとか、結婚とか考えているのかとかそんなジャブが数発撃ち込まれる、俺は恋人が一人だけできたことがあるとか、今はてんでダメだとか、ジャブをガードしながらこいつが一番撃ち込みたいであろうボディへの強烈なアッパーだけを警戒させていた。
「さあ!山石がコーナーに追い詰められてます!決定打こそもらってはいませんが、ジワジワとジリジリと押されているのが目に見えてわかりますねー」
「そうですね。これは藤井の攻撃の散らしが上手ですね。もう山石はカウンターしかないですね。おそらく藤井もそれしかないとわかっているので警戒をしているとは思いますが。」
とまあ、実況席にいる人間にはこう見えていることだろう。が、的外れである。この場合リングに立っているのは俺の情けのない耳の心の塊であり、俺が立っているのはセコンドでタオルを投げるタイミングを見計っているだけなのだから。
「そいえばさ…」
そうれ見ろ、くるぞ。
分かっていたが、タオルは投げなかった。
「ロックお前、美佳のこと好きだっただろ?」
俺の弱点はやはりわれていた。一ラウンド一発KOだ。こいつにはかなり優秀なセコンドがついていたらしい。
「美佳に?まあそんなときもあったかなぁ。やっぱり気づいてたのか」
「まあな、そんな気はしてたんだよ。高三の時三人で初めて行った夏祭りのあとからだろ?俺とロックが遊ばなくなりだしたの。結構寂しかったんだぜ?俺が付き合って一年になる美佳との用事を優先させちまったのもあるけどよ。」
ふらふらの足で効いてないふりをするのが精一杯だった。
たしかにその時は俺が就職組だったこともあり、受験組のリョウタや美佳との連絡を避けていた節もある。
距離の近い同じ人を好きになることぐらい青年ならたどる道なのだろうが俺にはそれが気恥ずかしく、気難しく、気の所為だとしても気をつけて、気を張って気を遣っていたのだった。
数秒の沈黙に耐え忍んでか、リョウタが続ける。
「そういやこのくらいの時期だったよな。夏祭り。ちょっとじめっとしてて、なのに夜風は涼しい感じがしてさぁ
花火見てはしゃいで、お前ら電車だから帰ったら俺1人で寂しくなったりしてな!いやー懐かしいなぁっ!」
「何年前の話だよ。それに結局俺らが電車乗るまで三人で通話してただろ?」
俺はポケットからスマホを取り出して、日付を確認する素振りを見せる。
家を出てから30分ほど経っていた。スマホの顔認証でパスコードが解かれホーム画面に移行すると、その画面には「バッテリー残量が少なくなっています。バッテリー残量はあと20%です。」の表示が出てきたのである。
右上の充電残量のゲージは赤くなるはずだが、低電力モードが設定されていたので黄色いゲージになっていた。
あと18%まで減っていたのである。
俺はその画面をリョウタに見せていた。見えるように触っていたのだ。小声で「あっ、充電やば」などと囁きながら。
「うわっ!すまん話し込み過ぎたか?また飲みに行く時にでも持ち越すか!スーパー行くんだっけか?気をつけてな!俺もうちで嫁さんが待ってるからな!早く帰らねえと。」
「いいんだよ。俺は暇だったから。お前こそ気をつけて帰れよ。」
「また連絡する」
「生生公園」ではそれで解散としたのだが、ふと思い返すとあいつは嫁さんと言ったか?家庭持ちになってやがったのだ。相手は聞きそびれたが、まあそれは…今はいいだろう。
夕暮れの空の色が暗く黒く染まりつつあるなか、スーパーに向けて再び歩を進めはじめる。
その時かなり遠くの方で花火が打ち上げられた。この辺りにもでかい祭り会場があるようだ。菊花火、牡丹と続き柳が垂れる。遠くからでも炎色反応を十二分と楽しめた。
やはり少し童心に帰るようなそんな気持ちになると同時にあの頃を思い出す。
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一度目の夏祭り。甚平を着て下駄を履いて、隣には彼女、その子は浴衣を着ていて、最寄りの駅が一緒なのでその駅から夏祭り会場まで手を繋いで一緒に行く。他愛ない話しかしていなかったと思う。だけど、それが妙に心地よくて多幸感があったことは覚えている。
祭り会場を回り終える。五百五十円のラムネが乗ったかき氷は俺が三百五十円、彼女が二百円で出し合ったりしていたし、唇の横についた焼きそばのソースで笑い合ったりもして、そこで初めてキスもした。別れのまたねを言うまで繋いだ手を離さなかった。十五歳の時だった。
その子とは高校に入るタイミングで別れたのだが、高校三年生の時、俺の友達とその子の三人で夏祭りに行く機会があった。
俺は私服だし、その子はメイクこそしているが私服で、その子の彼氏である友達は甚平を羽織っていた。祭り会場を後にして、友達と通話をしながらその子と駅まで歩く。それじゃ電車に乗るからと電話をきった。
帰りの電車のホームで美佳に
「もう一度付き合ってほしい」と言われた。
「ごめん。友達の彼女だし、今はもう友達としてしか見れないんだ。だから…」
「そうだよね…嘘に決まってるじゃん!ごめんっ!忘れて!!」
これ以上はお別れのばいばいを言うまで話さなかった。
「それじゃ、ばいばい」「じゃね!」
二度目の夏祭りだった。
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スーパーについた俺はアルコール九%の缶三本とスナック菓子二つにいつもは買わないラムネのアイスを一つ買い物かごに入れた。
レジは一つしか開いていなかったが幸いにも空いていたので三番レジに向かう。
「六点で千五百円になります。お支払いは電子決済でよろしかったですか?」
「はい、これで」
決済アプリのバーコードを提示する。
「どうも」
俺はいつも店員さんには「どうも」とか「ありがとう」とか一言添えるようにしている。囁くように言っているだけなので向こうが聞こえなくても良い。
精算を終えた商品は黄色のカゴに移される。カゴを持って詰め込みコーナーへとカゴを運ぶ。
ここで失態に気づく。
あぁ。赤っ恥だ。三番レジの志麻さんには俺がどう映っていたのだろう。なぜなら俺はレジ袋を持参していないではないか。この量を両手に抱えて十一分の片道を歩くのは無理だ。周りの複数の目が顔から火が出るほどに恥ずかしいのだ。それに、そうだ万引きなども疑われるかもしれないじゃないか。
となれば、残る手段は一つ。レジ袋一つだけを買うためにもう一度三番レジに向かわなければならない。死ぬほど面倒ではあるが仕方あるまい、恥にはかえれない。恥が高くて「命」の方が安いのだ。
「あのレジ袋小さい方一枚。お願いします。」
「レジ袋Sサイズ一枚三円かかってしまいますがよろしかったですか?」
「はい」