表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

商業化作品

【コミカライズ】真実の愛の後始末~姉が駆け落ちしたので、家と婿がスライドしました


 なんて背が高いのかしら。もしかして二メートル超えているのかも。


 思わず上を見上げてしまった。わたしは女性の標準身長よりも十センチほど低いから、彼との差は五十センチメートルぐらいありそう。

 彼も、あまりにもちんまいわたしに戸惑っているようで、目を見開き固まっている。とにかくこのままお互いに見つめ合っていても始まらない。背筋を伸ばして、優雅に見えるように、なるべく大人っぽい仕草で挨拶をした。


「初めまして。辺境伯の次女デイジーと申します」

「……ブライアン・コリンズだ。ナタリー嬢はどちらに?」


 そうよね、そこが気になるわよね。

 わたしは困ったように、曖昧な笑みを浮かべる。慌ただしく頭の中で、ブライアン様を怒らせないように言葉を選ぶ。だけども、どう言い繕ったって、ここにはお姉さまはいない。そして永遠に戻ってくることもない。

 

 それをいかに柔らかな言葉で伝えるかが問題。

 昨日から考えているけれども、やっぱり的確で当たりの良い言葉が出てこない。己の語彙力に絶望し、助けを求めるように周囲にそろりと視線をやる。


 お父さまは腕を組み、怒りをこらえることに精一杯。家臣のほとんどはお姉さまを捜索していて不在。残っているのはお父さまが暴走した時に止める筋肉自慢の護衛達。

 でも、こうして婿として遠路はるばるやってきたのだから、ちゃんと説明しなくてはいけない。できれば、お父さまにしてもらいたい。


 そんな願望でお父さまを見つめてみたが、怒りを抑えることに専念しているのか、目が据わっていてわたしの方を見てくれない。護衛達から送られてくるのは応援の眼差しだ。

 仕方がない。大きく息を吸って、気合を入れる。


「あの、とても言いにくいのですが」

「なんだろうか」

「姉は真実の愛のために、地の果てへ旅立ちました」

「は?」


 予想外の言葉だったのか、男の目が丸くなった。案外こうして表情が出ると普通の人だった。



 事の発端は昨日のことだった。

 一年半の婚約期間を経て、お姉さまの結婚が目前に迫っていた。王都からコリンズ伯爵家の次男であるブライアン様が遠路はるばるやってくるため、辺境伯家の屋敷は準備で大忙し。


 お姉さまは異母弟が成人するまでの中継ぎ跡取り。そんな条件の悪い辺境伯家の婿に入ってくれるブライアン様が少しでも心地よい環境を、ということで屋敷中が一丸となって準備に取り掛かっていた。


 わたしは針子たちと縫物が得意な侍女たちを作業部屋に集めて、お姉さまのためのドレスを作っていた。お姉さまはとにかく華やかなものが好きで、結婚式のドレスも総刺繍を希望した。辺境伯領で刺繍が得意な人は少ないのだ。総刺繍にしようと思うと、どうしても時間がかかってしまう。


 刺繍が終わっているのは全体の半分ぐらい。交代しながらもようやくここまで来た。残り三週間で何とかなるはずだ。ずっと詰めている針子たちを休憩に行かせ、わたしと侍女二人がちまちまと針を動かす。


「どんな方でしょうねぇ、ナタリー様のお婿さん。デイジー様は会ったことはあります?」


 侍女たちはわたしだけになると、そんな話題を口にした。今作業部屋にいる侍女たちは幼いころから仕えてくれていて、気軽に話せる相手だ。


「うーん、そう言えば一度も会っていないわね。最初に名前を聞いただけで、その後はさっぱりよ」

「ええ? そうなんですか?」


 侍女の一人が驚きの声を上げる。もう一人が、首をひねった。


「でも、花婿用の衣装も作っているのですから、連絡は取り合っているのですよね?」

「お父さまはね。でもお姉さまはどうかしら……」


 ここにきて、お姉さまが婿になるブライアン様と交流していないのではないかと疑問を初めて持った。とにかく姉の口からブライアン様のことを聞いたことがない。


 感情豊かなお姉さまは隠し事は苦手で、何でもかんでも話してしまうタイプ。少しも話題に上がらなかったから、気がつかなかった。もしかしたら自分だけ聞いていないだけかも、と恐る恐る侍女たちに尋ねる。


「ねえ、お姉さまからブライアン様の話を聞いたことのある人、いる?」


 侍女たちがお互いの顔を見合わせた。誰もが聞いたことがないという顔をしている。手紙を出すにしても、贈り物をするにしても侍女たちが居合わせる。


「あの、ブライアン様からのお手紙と贈り物は受け取っているはずです」

「そう。じゃあ、きっとお返しをしているわよね」


 ほっと息をついたが、その侍女は困ったように首をかしげた。


「侍女長には報告してありますが、手紙は封も切らずに机の引き出しに片づけていました。その後どうしたかはわかりません」

「……嘘でしょう?」


 まさかの交流していないかもしれない事態に、顔が引きつった。お姉さまはやや自分中心なところがあるから、何か気に入らないことがあったのかもしれない。お姉さまから婚約者について何も聞かなかったことに、後悔する。


「あ、でも! 結婚は楽しみにしているのではないでしょうか? ここしばらく、街に出て、男性用の香水とアクセサリーを探していましたから。それに最近はとても上機嫌で」

「それならいいのだけど」


 男性用の、と聞いて、やや不安に思ったものの、婚約者へのプレゼントだと無理に納得する。それは侍女たちも同じだったようで黙り込んだ。モヤモヤを抱え、針を動かしていると扉が豪快に開いた。


「聞いてちょうだい、デイジー! 人生に愛は必要だと思うの」

「愛ですか?」


 何を話しているのか全くわからず、呆けてお姉さまを見つめる。お姉さまは頬を染めて、何やらとても浮かれている様子だ。嫌な予感しかない。思いつきで提案して放置した孤児院のバザーのレベル以上の何か。


「愛は素晴らしいわ。何があっても、心の支えになる。わたしはこの愛を支えに、すべての苦難を乗り越えて見せる」

「はあ」


 何が言いたいのか、ちょっとわからない。

 どういうことだろうか、と同じテーブルに座っている侍女たちに目をやった。彼女達も理解できていないのか、困った顔をしている。いつも以上にふわふわした様子のお姉さまに不安を感じて、刺繍道具をテーブルの上に置いて立ち上がった。


「お姉さま、あちらにお茶を用意しますわ。今後のために、もう少し教えていただきたいの」

「ごめんなさい、ゆっくりする時間はないのよ」

「何か用事でも?」


 わざわざ訳の分からないことを言いにきた割りには、時間はないという。

 ますます困惑しながら、お姉さまを見つめた。お姉さまはいつになく輝いた顔をしている。こういう顔をしている時は全能感にあふれていて、そして、それが終わった時には後始末がやってくる。ようするに、わたしにとって非常によくない状況ができつつある。


「あなたにもわたしの気持ちがわかる時が来るわ。だからこれだけは覚えておいて」


 強い意志を秘めた目でじっと見つめられ、思わず息を止める。


「愛は偉大なの。真実の愛を貴女にも見つけてほしい」


 ヤバい。

 真実の愛に取りつかれている。慌てて侍女たちに目を向けた。彼女達も愕然とした顔をしていて、わたしの感覚がおかしくないことに安心する。一人の侍女が静かに立ち上がったのを見て、お姉さまをここに引き留めることにした。


「お、お姉さま。真実の愛、わたしにはまだ難しいですわ。だからもう少し教えていただけないかしら? ほら、わたしたち姉妹はお母さまが早くに亡くなり、お父さまに放置されていて、あまり愛を知らずに育ってきていますし」

「そうね、家族の愛にわたしたちは恵まれなかった。その上、あなたはまだ十七歳ですものね、わからなくても当然だわ」


 わたしの年齢を思い出してくれたのか、頷いてくれる。このままお父さまか、側近を連れてくるまで質問し続ければ――。


「ナタリー」


 そう思っていたのに、すぐにその思惑は壊された。

 見知らぬ誰かがお姉さまの名前を呼んだ。ローブを羽織った知らない男性で、その姿から魔術師だろうと当たりがついた。お姉さまはとろけるような笑みを見せる。


「デイジー、わたしは彼と行くわね。わたしの言ったこと、忘れないのよ」

「え? どこに?」

「もちろん、世界の果てまで」


 二人が手を取り合うと、すぐさま軽やかに転移魔法が展開された。魔法陣が浮かび上がるのと同時に、二人の姿が消える。

 残されたのはわたしと侍女たち。


「今の、高位の魔法よね?」

「は、はい。わたし、初めてみました」


 侍女が驚き顔だ。私だって一緒に驚きたい。でも違う、わたしが言いたいのはそこじゃない。


「――ねえ、明日にはブライアン様がここに到着する予定じゃなかったかしら?」


 否定してほしいという気持ちで側にいた侍女に確認した。侍女も真っ青な顔で、こくこくと頷いている。


「ど、どうしましょう! 今すぐ追いかければ」

「無理よ。相手は転移魔法で出て行ってしまったのよ。宮廷魔術師でもないと追跡なんてできないわ」

「ですが」

「それよりも、お姉さま、何かとち狂ったこと言っていたけれども、あなた、理解できた?」


 とにかく状況説明をするために、お姉さまが言っていたことを理解しなくてはいけない。侍女は胸の前で両手を組み、強張った顔をしている。


「真実の愛がどうのこうのと言っていましたが、よくわかりません」

「……なんなの、真実の愛って」

「そういえば、旦那様も後妻様と再婚を決めた時に言っていたような」


 侍女の呟きに、わたしも思い出した。仕事が忙しく、滅多に屋敷に帰ってこないお父さまがたまたま辺境伯領に来ていた後妻に一目ぼれした。その時の言葉が、運命を感じた、真実の愛だと。


「なるほど、お姉さまはお父さま似だったのね」

「納得している場合ではありません。どういたしましょう?」

「どうにもならないわ」


 手の打ちようがなくて天井を仰いだ。



「ということで、わたしが持ち上がりで跡取りになりました」

「なるほど。跡取りの立場と共に、婿もスライドしたと。あなたはそれでいいのか」


 いいのか、悪いのか。

 そう言われても、困ってしまう。そもそもわたしには選択肢がない。


「ええ。姉だろうとわたしであろうと、異母弟が成人するまでの中継ぎであることは変わらないので。ただ、ブライアン様にとってはお姉さまの方が良かったかもしれませんが」


 お姉さまは亡くなった母の美しさを受け継いでいて、この辺境伯領では一番綺麗な人だ。顔合わせの時はお姉さまと会っているのだから、こんな背の低いちんちくりんのわたしでは興ざめだろう。


 平均身長よりも小さく、さらに女性らしい丸みがあまりない。幸いなのは、わたしも顔立ちはお母さまによく似ていて、可憐だと言われる。もっと()()()()()()、傾国の美女になるとも。大きくなるのはいつよ、という感じではある。


「どうしてそう思う?」


 疑問をぶつけられて、顔を上げた。真正面には無表情な彼の顔。怒っているのか、呆れているのか、感情がよく見えない。


「お姉さまは女性らしい容姿でしたけど……わたし、子供によく間違えられて」

「まさか、成人していないのか!?」

「いえいえいえいえ。ちゃんと十七歳です、成人していますっ!」


 愕然とした顔をするので、思わず叫んだ。犯罪じゃないから心配しないでほしい。


「十七歳。確かに成人はしているな」


 ほっとしたのか、先ほどよりも気が抜けた表情になった。彼の気持ちを察したいと思ったからなのか、無表情なのに、何となく感情がつかめるようになってきた。

 でもちゃんとわたしの言っていることを理解していないようなので、もう一度説明を試みる。


「その子供っぽいわたしと結婚は無理ではないですか?」

「無理? 成人しているのなら問題ないと思うが」

「そうですか?」

「ああ」

「……今までお見合いをした相手に、見た目が子供すぎて無理だと言われてきたのですけど」


 いくつかあったお見合い。どれもこれも、わたしの見た目が子供みたいで無理だと断られている。どうやら、わたしは着飾っても幼く見えて、変な趣味があるのではないかと邪推されるらしい。そんなこと知らないわと憤慨したこともあったが、大抵の男性は幼い容姿は受け入れられないのが現実だ。


「デイジー嬢は私が恐ろしいか?」

「いいえ」


 唐突に質問されて、戸惑う。

 無表情で背の高いがっちりとした体躯。

 柔らかな雰囲気は少しもないが、怖いとは思わなかった。身長差がえぐすぎて、顔を見るたびに首が痛いけれども。


「私は見つめられるだけで殺されそうだといつもお断りされてきた」

「ええ……」


 それもどうなんだ。

 彼は歴史の古い伯爵家の次男だ。条件だけ見ればなかなか良い。それなのにその断り方というのは。


 殺人者と間違えられる強面の夫と、それに並ぶ子供のような妻。

 脳裏にふと自分たちの並ぶ姿が思い浮かぶ。なんか、ちょっと色々とまずい気がする。

 とはいえ、これは見た人にそういう風に思わせるだけで、彼は殺人者ではないし、わたしは未成年ではない。

 うん、問題ない。……多分。


「……わかりました。よろしくお願い致します」

「ああ、こちらこそ」


 口元にかすかな笑みが浮かんだ。その笑みがとても優しくて、思わず見とれてしまう。


 少しずつ、お互いを知っていけたらいい。

 そんな気持ちがほんの少しだけ芽生えた。

 相性は悪くないと周囲も判断したのだろう、わたしはその日の夜にブライアン様と婚約を結んだ。



 ブライアン様との結婚は、予定通りに行われることになった。

 わたしがお姉さまの代わりになっただけで、他は特に問題がないからだ。そもそも、お姉さまとブライアン様は今までそれほど交流していなかったそう。手紙のやり取りは四カ月に一度程度のペースでしていたそうだけど。しかもその内容が、毎回同じなんだと聞いて驚いた。きっと侍女長に言われて嫌々書いたものなのだろう。


 それってほとんどしていないわよね?

 だって二人の婚約は一年半。王都と辺境伯領、離れていたとしてもこれは義務的な手紙としか思えない。本当に最低限交流だ。


 お互いに歩み寄れなかったところがいけなかったのだと考えた家臣たちの判断の元、わたしとブライアン様は結婚式までにできる限り交流を持とうということになった。だから毎日決まった時間に二人だけでお茶会をする。


 今日は天気がいいから、庭にテーブルをセッティングした。これから夫婦になるのだから、格式ばったお茶会というよりも、気楽な二人の時間という感じだ。侍女と花を飾ったりしていると、ブライアン様がやってきた。


「少し早かったかな?」

「いいえ。もうほとんど準備は終わっています」


 彼はわたしに近づくと、一輪の花を差し出した。華やかな薔薇ではなく、可愛らしいピンクのガーベラ。花言葉を思い出して、少し頬が染まる。


「これを受けとってほしい」

「ありがとう」


 もっと澄ました顔で受け取りたいけれども、嬉しくて笑みが浮かんでしまう。ブライアン様もほんの少しだけ表情を緩めた。


「喜んでもらえてよかった。最初に選んだものは流石に贈り物にするのはどうかと言われてしまった」

「まあ」

「結局、花しか思い浮かばなくて」


 申し訳なさそうな、困ったような顔をする。わたしはそんなブライアン様の気持ちが嬉しかった。


「わたしのために選んでくれたことが嬉しい」

「そう言ってもらえると気が楽になる。もう少し、俺の趣味が良ければよかったのだが」

「ちなみに最初は何を選ぼうとしたの?」

「……防具」


 防具と言われて首をかしげた。確かに婚約者に対する贈り物ではない。ブライアン様の周囲にいた人が止めてくれてよかった。


「いや、あなたはとても……その、小さくて何かあったら困ると思い、身を守るものがいいのではないかと」

「ふふ! ブライアン様が側にいてくれたら大丈夫よ」

「盾ぐらいにはなるか。実は、剣がからきしダメなんだ」


 これだけ体格がいいのに、剣が駄目とは。話はすでに聞いていたけど、我が家が彼に求めているのはどちらかというと書類仕事の能力。脳筋は死ぬほどいるが、書類を捌ける人材はこの地において絶滅危惧種だ。


 にこにこして、ブライアン様に椅子を勧める。こうして二人だけのお茶会が始まった。ブライアン様の好きなお茶を淹れ、ケーキと共に置く。今日のケーキはちょっと特別な新作なのだ。


「どうぞ。食べてみて」

「……もしかして、デイジー嬢が?」

「ええ。お菓子作りは趣味なの」


 貴族令嬢の趣味としてはよろしくないけど。ここは辺境の地。料理ぐらいはできないと、いざという時に役に立たない。一体何を心配しているのか、という疑問があるけれども、お菓子作りを咎められない理由となっているから深くは追及しない。


 ブライアン様はケーキをじっと無表情に見つめているけれども、ほんの少しだけ目が輝いている。わたしにしかわからない、ちょっとした変化だ。彼はお酒も好きだけれども、お菓子も大好きなのだ。

 ブライアン様は小さなフォークでケーキを切り分け、口に入れる。食べた瞬間、彼は驚きに目を見開いた。


「ブランデー?」

「うふふ。そうなの。ケーキにブランデーをしみこませているのよ。ブライアン様はお酒がお好きだから、香りだけでもと思って」


 砂糖とブランデーで作ったシロップを焼きあがったケーキに塗っている。だからほんのりお酒の香りがする。


「初めて食べた」

「そうでしょう? 少し離れた国のレシピなの。つい最近、手に入れたばかりで」


 生クリームたっぷりのケーキもいいけれども、ドライフルーツとブランデーの風味の利いたケーキは今一番のお気に入りだ。


「ブライアン様は辺境伯領に慣れましたか?」

「ああ。親切な人ばかりで、とても良くしてもらっている」

「そう言ってもらえると、とても嬉しい。わたし、この土地がとても好きなの」


 中央に住む貴族にとって辺境の地は野蛮だと言う人もいる。ブライアン様が前向きにこの土地に馴染もうとしてくれているのが純粋に嬉しかった。


「そうだ、明日、一緒にお出かけしませんか? 見せたい場所があるの」

「見せたい場所?」

「ええ。わたしの特別な場所」

「それは楽しみだ」


 感情を見せることを得意としないブライアン様は派手な愛情表現をしない。それでもさり気なく見せる優しさがとても居心地がいい。同じものを見て、それぞれの感想を言い合って。これから穏やかに年を一緒に重ねていければいいな、と密かに願った。



 順調に交流し、とうとう結婚式当日となった。侍女たちに朝から磨かれ、ドレスを着つけられる。

 婚約者として交流したのはたったの三週間だったけれども、毎日話したり、一緒に出掛けたりしてブライアン様のことを少しずつ知っていった。彼のすべてを理解しているわけではないけれども、彼と結婚することに何も不安はない。


「さあ、どうぞ。とてもお奇麗ですよ」


 年嵩の侍女がわたしを姿見の前に誘った。鏡の前に立って、初めて自分のドレス姿を確認する。

 クリーム色のドレスは急きょ、用意されたものだ。流石にお姉さまのためにあつらえたドレスを着るわけにもいかず、針の得意な侍女たちを集め、仕立ててもらった。時間が短かったから、お姉さまのドレスのように手の込んだ刺繍は入っていなかったが、その代わりに美しいレースがふんだんに使われている。髪は緩やかにまとめ上げていた。

 ドレスサイズはぴったりで、いつもよりも胸元が大きく開いている。思ったよりも胸が強調されていて、少し恥ずかしい。


「変じゃない? ちょっと背伸びしている感じがして」

「もっと大胆なドレスを着ているご婦人の方が多いですよ。このドレスはどちらかというと慎ましやかなデザインです。大丈夫、よくお似合いです」

「そう?」


 もう一度鏡の中の自分を見る。背は低いけども、こうして大人っぽいデザインのドレスを着ると、年相応に見えるような気がしてきた。


「あとはこちらの花を」


 侍女が髪に飾る花を見せてくれた。わたしの好きな花と、それからその中のいくつかはブライアン様から以前頂いたものと同じ種類の花がある。驚いて目を見張れば、侍女は嬉しそうに説明してくれた。


「実は、こちらの花はブライアン様が用意して――」


 説明が終わらないうちに、乱暴に扉が開いた。驚いてそちらに顔を向ければ、そこにいたのはお姉さまだった。コルセットをつけないワンピースに髪を下ろしていて、やや薄汚れている。誰もが声を上げることができずに、突然現れたお姉さまを見ていた。


「間に合ってよかったわ! デイジー、ごめんなさいね、あなたに嫌なことを押し付けて。でも安心して。わたしが戻ってきたから、無理に結婚することはないわ!」

「お姉さま、何を言っているの?」

「何って、結婚式よ! ねえ、わたしのドレスはどこ? もう時間がないわ。すぐに支度をするから、急いで用意して」


 侍女たちがざわめいた。突然現れたと思ったら、支度をするという。お姉さまの言うことが理解できなくて、頭の中が真っ白になった。侍女たちも戸惑いながら、わたしを見つめる。


「今日は()()()()結婚式です。まだ支度が終わっていないので、応接室でお待ちください」

「あら、生意気だわ。でも、あなたに迷惑をかけたのはわかっているの。今回は許してあげる」

「……許されるようなことは何もありません。わたしが後継者です」


 背筋を伸ばし、しっかりと告げた。お姉さまはいつだって自分勝手に場をかき回す。今までは迷惑であっても、まだ許せる範囲だった。だけど、今回は駄目だ。この領地を捨てたのだから。強い気持ちでお姉さまを見れば、彼女はくすりと笑った。


「ふふ。虚勢を張っちゃって。デイジーに領地経営ができるわけないじゃない」

「何故そう思うのです?」

「何を勘違いしているのかしら? いつだって私の後をついて回ることしかしていなかったくせに」

「え?」


 わたしがお姉さまの後を追っていたのは後始末のためだ。それはこの領地に暮らす人たちはみな知っている。

 噛み合わない会話に、思わず侍女たちを見た。彼女達も驚きのあまり固まっている。色々と文句を言われるのが面倒だからとお姉さまにきちんと説明せずに後始末してきたのが悪かったのか、こんな風に思われていたとは。

 今から説明する時間もないし、どうしたものかと思案していると、ノックの音がした。侍女が慌てて扉を開く。そこにいたのはブライアン様で、彼はすでに支度を終えていた。


「デイジー、迎えに来た」


 ブライアン様は驚いたように目を見開く。その目はわたしに向けられていて、熱い眼差しにこちらまで頬が熱くなる。


「ブライアン様」

「ああ、すまない。あまりにも美しくて、見とれてしまった」


 安定の無表情さでそんなことを言う。でも視線の熱は注がれていて、恥ずかしくなった。彼はわたしの側に寄ろうと、こちらに歩き出した。

 それをお姉さまが遮った。ブライアン様の前に立ち、頭のてっぺんからつま先まで不躾にじろじろと見る。


「ふうん。前に会ったときは野暮ったい男だと思ったけど、これなら合格ね。わたしの隣に立っていてもいいわ」

「誰だ?」


 ブライアン様が不愉快気に眉を寄せる。どうやらお姉さまがわからないようだ。着飾っていないし、ちょっと薄汚れているから判別できないのかもしれない。


「えっと……お姉さまです」

「そうか」


 小さな声で告げれば、ブライアンは無表情のままお姉さまに会釈する。そしてすぐにわたしの方へ話しかけてきた。


「これを君につけてもらいたくて、持ってきたんだ」


 余りにもいつも通り過ぎて、唖然とした。無視されたお姉さまから恐ろしいほどの怒りを感じる。ブライアン様も感じているはずなのに、彼は少しも気にすることなくわたしを優しい目で見ていた。その眼差しに、ああ、何も恐れることはないのだと知る。


「……つけてもらえますか?」


 くるりと回り背中を見せると、ブライアン様がネックレスをつけてくれた。手袋に包まれた指先がわずかに肌に触れる。つけ終わると、わたしと向き合い手を差し出した。


「さあ、行こうか。それでは、失礼する」


 後半の言葉はお姉さまに向かってだ。お姉さまは怒りの形相で、ぷるぷると体を震わせていた。


「ちょっとどういうことよ! あなたの妻に向かってその態度は無礼すぎるわ」

「俺の妻はデイジーだ。間違えるな」


 素っ気なく否定されて、お姉さまが矛先をわたしに向けた。怒りを奇妙な笑みで包み、わざとらしい口調で問いかけてくる。


「ねえ、デイジーならわかってくれるわよね? 領主になるのはわたし、あなたはスペアなんだから。わたしが戻ってきたのよ、あなたはもう必要ないの」

「必要ないのはお前の方だ」


 重々しい声がお姉さまを否定した。はっとして顔を上げれば、いつの間にかお父さまと側近たちが扉の所に立っていた。お姉さまは拗ねたように唇を尖らせた。


「ちょっとした間違いじゃない。お父さまだってたくさん間違いをしているんだから、許してくれるでしょう?」

「許すわけがない。お前はこの領地を捨てて出て行ったんだ。もうすでに辺境伯家から除籍した」

「えっ」

「或る程度の間違いなら許すが、領地を捨てるなど言語道断。お前には荷が重かったのだろう。この辺境伯家に連なる者ではなくなった。好きに生きればいい」


 お姉さまは呆気にとられていたが、すぐに怒りを露にする。


「そんなの、間違っているわ!」

「間違っていない。式が終わるまで部屋で大人しくしていろ」


 お父さまが護衛達に指示をしてお姉さまを摘みだした。お姉さまが罵詈雑言をまき散らしながら、遠ざかっていく。


「お父さま、わたしはブライアン様が好きなの。彼と結婚したいのです」


 はっきりと好きだと伝えると、お父さまが驚いた顔になる。ここは自分の心を隠さず、きちんと伝えないといけない。お姉さまみたいに結婚を我慢していると思われるのは嫌だ。


 強い意志を持った目でお父さまを見ていれば、お父さまが目を細めた。


「そうか、幸せになれ。とても奇麗だ。きっとお前の母も喜んでいるだろう」


 最後は父親らしい言葉を残して、お父さまは家臣と共に先に教会へと向かった。今さら父親らしさを出されても、という気持ちの方が大きいが、こういう時は黙っている方がいい。


「デイジー」

「ブライアン様」

「先を越されてしまったな」


 ブライアン様は嬉しいような、ちょっと困ったような顔をしている。多分他の人には無表情に見えるだろうけど。ブライアン様はわたしの前に立つと、膝をついた。そうすると視線がわたしよりも下になる。両手を握りしめて、彼は真摯に言葉を紡いだ。


「俺もあなたが好きだ。幸せにする」

「わたしも好きです。ずっと側にいてください」


 愛しているとは言えなかった。今はまだ好きになったところで、これからきっと愛に変わっていくところだから。二人でゆっくりとその過程も感じていきたい。


「正直だな」

「ブライアン様だって。流石にまだ三週間ですもの」


 二人で笑いながら、ブライアン様にエスコートされ教会に向かった。




 無事に結婚し、ブライアン様とは夫婦となった。何故結婚式にお姉さまが舞い戻ってきたかと言えば、真実の愛が壊れたらしい。どうやら魔術師との生活は期待とは大きく外れていて、耐えきれなくなったそう。我儘に、辺境伯家のお姫さまとして過ごしてきたお姉さまだから、裕福な平民の生活など耐えられなかったのだ。


 とはいえ、除籍されたお姉さまはすでに平民。お父さまは少なくない財産を持たせて、辺境伯領から追い出した。最後まで悪態をついていたが、ここを最初に捨てたのはお姉さまだ。もっと華やかな場所で彼女らしく過ごしているに違いない。


 約束の年齢になった異母弟に後継を譲り、子供もできて。結婚してからは穏やかな日々を過ごした。

 最期まで幸せな人生だった。


「デイジー、眠っているのかい?」

「懐かしい夢を見たわ。あなたとわたしが初めて会った日のことよ」

「そうか。君はあまりにも小さくて、触れたら壊れてしまいそうだと思っていたんだ」

「あんなにも無表情だったのに、そんなことを思っていたの?」


 そんな他愛もない話をしているうちに、ふっと意識が遠くなる。


「デイジー?」


 ブライアン様の不安そうな声が聞こえてきた。ちょっとだけ先に行くだけだから。

 出会った頃のときめきを思い出しながら、幸せな夢の中に沈んでいった。



Fin.

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ