ドッペルゲンガーの場合
「新年か…………」
「あけましておめでとう、匠! こんな日くらいは盛大に盛り上がりたかったんだけど、随分辛気臭い顔じゃない。どうかした?」
ゲンガーの教育をする事が俺達の償いだ。せめて本物の人間として問題なく暮らせるなら、そうあってくれるならこれ以上の幸せはない。一人残らず教育を終えて初めて、贖罪は終わる。もし人生を新たに始めようとするならそれからの事で、今はただ、尻拭いだ。
話は実に単純で、我儘。朱莉の罪を背負ったまま新年を迎えるのは不本意だったというだけ。年明け直後から続いていたお笑い番組の音量を下げると、入り口の前に立つ朱莉を横目に寝転がった。
「―――ああっ。何、夢の国の裏側って奴だよ。ゲンガー達はまだ子供も子供だ。見た目が大人でも、お祭りと分かれば無邪気にはしゃいじゃうような人が大勢いる。毎年毎年俺達で何とか盛り上げてきたけど、誰の目もないような家の中じゃ、面倒くさいなって思っても罰は当たらないだろ」
「それっぽい理由なんか言っちゃって、また嘘か」
「……除夜の鐘を鳴らしたとしても、或いは懺悔室を用意しても俺の罪は消える訳じゃない。こんな形で償いをしてるととてもとても新年を迎えようって気にならないんだよ」
「匠ちゃんはまた難しい事考えるなあ」
二階から欠伸を噛み殺した山羊さんが朱莉との話し声を聞いて降りてきた。彼女とは一緒に住んでいる訳ではないが、クリスマスから流れで暫くここに居るのだ。名実ともに住んでいるのは千歳と、アイリスか。
「それはそれ、これはこれでしょ! そりゃ匠ちゃんの役目? やりたい事? ってのは一筋縄ではいかないけど、それと自分の人生は関係ないんだから! でもこういう考えってあたしが当事者じゃないからかな? いや、あたしは一番血筋が気まずいし!」
「それは大体がそうなんじゃないかな……?」
卑吸も黄泉も明鬼も碌なもんじゃない。俺はそう確信しているし、『俺』が答えたとしても苦言を呈するだろう。
「とにかく、あたしが言いたいのはプライベートと仕事は分けるべきって事だよ! ほらほら、パーティは二次会まで用意してなんぼでしょ? 千歳ちゃんは疲れて眠っちゃってるしここは起きてるみんなで頑張らないとね! 澪奈ちゃんも呼んで張り切ろう!」
「山羊さんは強引だな」
「難しい事は後で考えるのがあたしの流儀なの。じゃなきゃいつまでもうじうじしちゃうし。へへ、真似してもいいからね?」
「匠君には到底無理そうだ。考えすぎるきらいがあって、しかも根っからの嘘つきだからね」
『嘘つきとは心外だな。だが事実には言い返しようもないか』
「ま、無理にとは言わないけどさ! ずっとバタバタしてて初日の出も見れてないしね! 申し訳程度におせちはあるけど、それ食べるかい? 新年っぽい事って考えると意外とないよね。近くに神社もないし」
あ け ま し て お め で と う ご ざ い ま す
こ と し も よ ろ し く お ね が い し ま す
虚空をスピーカーに介して響く静かな声音。しかし動き出す様子は一向に無かったのでみんなで二階に上がって心当たりになる人物の様子を見に行った。案の定、アイリスは既に目覚めており、俺を見るやふらふらと頼りなく近づいてきて、イヤホンを片方渡してきた。
「あたらしいいちねん」
「寝正月って奴か。たはー、あたしもそうしとくべきだったかなこれ」
「私が馬鹿って言いたいの? まあでも、馬鹿かも。寝て過ごす正月がいっちゃん気持ちいいんだから」
『明けましておめでとうネイム。新年の抱負はもう決まった?』
「……器用な奴だなお前」
「それほどでも」
他の人には普通に応対をしつつ、俺には違う事を聞いてくるなんて高度な会話である。聖徳太子は数人の声を同時に聞き分けられたというが、アイリスを見ているとあながち不可能ではないのかもしれない。
『私はもう決まった。今年は貴方といろんな場所に行きたい』
「澪奈ちゃんも後で来るってさ。多分寝てたねあれは」
「全人類が寝てた可能性もあるか。特に私が馬鹿かもしれないか。匠君に会いたかっただけなのに」
このイヤホンを介してアイリスと話しているとどうしても感覚は彼女の言葉にのみ集中してしまう。周りの音が環境の……或いは微かに混じるこの、ホワイトノイズのよう。
『温泉なんて行ってみたいな。みんなとでもいいし、二人きりでも』
「アイリス………………」
悪事を隠すために別の悪事で上塗りをするような行為は通称恥の上塗りだが、俺も返事をするのが気恥ずかしくてつい別の行動に走ってしまった。それは彼女の胸に視線を落とす事だ。邪な感情で自分の心を偽りたい。原初のゲンガーは成長期が終わらないのか、最初に会った時と比べると随分大きくなって―――今は山羊さんの二回り以上も大きくなっている。身長は朱莉に抜かれそうなのに。
『みんな貴方を嘘つきって言うけど、ネイムは分かりやすいよ』
「やめろ。俺を見透かすような事を言うな』
『最初から嘘を吐くって分かってたら、正直な人と変わらないから』
「はつもうで」
「行きたいってか?」
「きものきたい」
「あたしも賛成!」
「うーんこんな予定はなかったけど、まあいいかな?」
二人は乗り気なようだ。澪奈も来るなら成り行きで千歳も連れていく事になるだろう。運転は俺がするのだろうか。やれやれ、ゲンガーの為にも奔走しないといけないのに家族サービスなんて……いや、家族というか…………
………………、。
「ああ、俺も実はやる気だったんだ! 仕方ない、行くか!」
「あちゃーこりゃ仕事したいって顔だ。しょうがない。子供たちの分まで色々買ってこうか。教会でさ、それはそれとしてイベント開く準備をしよっ。仕事大好き人間もそれなら納得するよね」
「経費がとんでもない事になりそうだなーそれ。匠君、お金はあるの?」
「ああ、沢山あるから何とかするよ。ゲンガーには楽しい人生を送ってもらいたいからな」
『千歳も起こしちゃうね』
「じゅんびする」
「お前ら自由か! もう勝手にしろ。あけましてくそおめでとう! 新年もままならない一年になりそうだな!!」