血も涙もない女
ねぇ、きいた? あの人のこと。
あの人って?
派遣社員として数社で働いた。
コンピュータ関係の会社ばかりだった。
某家電メーカー、次は別な家電メーカー系のソフトウェアの会社。
だからどっぷりつかってたんだろう。
はじめての一般企業だった。
最初は証券会社だったけど。
ここには1年半ほどいる。
CADの見習いをしつつ給料がちょっとずつ上がる。
いわゆる専門学校でCADの使い方を習って
それからおぼえつつ働くという契約。
時給1300円ぐらいから2500円ぐらい。
でもあと半年で契約満了の予定。
で、さっきの会話をきいた。
思えば出社直後からなんか雰囲気が変だった。
いわゆる突き刺さる視線が冷たくて。
ランチの後、トイレに入った。
個室に入って扉をしめて。
そしてさっきの会話がはじまったわけだ。
出ようとしたら気が付いた。
どうやら会話に出てきたあの人は私のことらしい。
あの冷たい空気の原因がわかるかもしれない。
ねえ、きいた?
きいたわよっ
ほんとにひどい人ね。
ほんとよ。
そんなに血も涙もない女だったなんて。
私、なんかやらかしたのか?
ん???
きずかれないように息をひそめた。
話は続いた。
ひどいわよねっ、
なんかね、三太郎っていう自殺願望の男の子が
しょっちゅう死ぬって笑顔でいうんだって。
ほんとひどいわね~
ほんとほんと~
ん???
三太郎? 自殺願望? 死ぬ???
三太郎なんて名前の友達いないよ?
知り合いにもいないよ?
ん???
三太郎。三太郎。
げっ!!!
そ、そういうことか~
続いている会話。
私は必死にこらえた。
耐えきれなくなりつつあった。
腹筋が腹筋がぁああああ
口で手をおさえ我慢する。
泣きたいのを、じゃない。
ドアが開いてしまる音がした。
二人が去ったのを確認して個室にもどる。
口をおさえて声がもれないように気にしつつ、
ひーっひっひっひ~
涙がでるほど笑った。
それは前日のランチタイム。
同じ部署のおばちゃんとランチした。
三太郎が死にやすくて困っちゃって。
ほんとすぐ死んじゃうから。
って言ったのだった。
いわゆる笑い話の一つのように。
たぶんそれが原因だろう。
この少し前アメリカで事件があった。
FREEZ! を Please と聞き間違えて、
ある家の庭に迷い込んだ日本人が亡くなった。
その事件後から変化があった。
今ではフリーズするっていうのが一般的なのだけど、
あの事件の前まではフリーズすることを『死ぬ』って言っていた。
理由はアイコンの点滅を心臓の鼓動にみたてて死ぬと呼んだ。
あるいは、これが止まってしまうと長時間はしらせたプログラムとかが
ダメになり、やりなおさなきゃいけないと思うと死にたい気持ちになる。
そして三太郎。
これはワープロソフトの一太郎。これのバージョン3のことを指す。
一太郎二太郎三太郎。いくつまでいったんだっけ?
とにかく。。。
ランチタイムに私が話したこと。
三太郎が死にやすくて困った。
これは一太郎バージョン3がフリーズしやすくて困った。
そういう意味である。
が。。。。
三太郎が男の子の名前になり・・・
死にやすいことから自殺願望の男の子になった。
いつのまにやらどっぷりだったソフトウェア系。
死ぬっていうのに慣れてて、フリーズするっていいずらかった。
その後どうしたか?
だまり通した。
ちょうどあと少しで契約満了するところだった。
血も涙もない女伝説は語り継がれるだろう。
だってだれ一人として真相をたしかめに来なかった。
あの人はそんな人じゃない。
そういってくれる人もいなかった。
誤解のときようもない。
それはそれでいいではないか。
いつか、いつかこの話をきいて理解した人だけが大爆笑をする。
こんな楽しいお話があるだろうか?
それに私はイジワルなのだ。
けして、けして教えるもんか。
たとえ彼女たちが真相を知ったとしてどうだろう。
謝罪してもらうことでもない。
これからは専門用語には気を付けよう。
しみじみ思う出来事だった。