闇の昇格試験
闇バイト。俺がやっていたことが世間じゃそう呼ばれているってことを知ったのは、つい昨日の夕方のことだった。
小汚ねぇラーメン屋にあったテレビのニュースだ。逮捕だの報酬は支払われないだの使い捨てだの気分が悪くなるようなことばかり、偉そうなクソコメンテーター様が言ってやがった。
知るかよって話だ。仕方ないだろう。ニュースなんて見ようと思わなきゃ見ないんだから。見合わない報酬に釣られて警察にとっ捕まって馬鹿呼ばわりされるそいつらも、そうだったんだろう。
そう、俺も奴らと同じだ。もう引き返せないところまできちまった。始めはただの運び屋。品を受け取って渡してって出前と同じ感覚。だが報酬は桁違いだ。何を運んでいるか知ろうとはしなかった。中身は見るなとのお達しだからだ。ああ、俺にしては、けっこう真面目に頑張ったんだ。
でもあのアナウンサーの説明によると最初は軽い仕事から始めて、やがて叩きの仕事。強盗とかをやらせるらしい。募集の際、運転免許証の写真など個人情報を犯罪組織、言わば半グレに、たっぷりと渡してるから今さら足抜けできないって寸法だ。
ほんとニュースのまんま。抜け出せない。まるで……ああそら、仕事のメッセージが来た……え、これは。
「闇の昇格試験にようこそ……お前らー! 闇正社員になりたいか!」
「おー!」
「うおおお!」
「おおぉー!」
「うおー!」
「声が小さい! 闇アルバイターからビッグになりたいかぁー!」
「うおおおおお!」
「おおおおおおおおー!」
「なりたいぞぉぉぉ!」
「闇だぁぁぁぁ!」
「俺は闇と踊る鴉だー!」
「闇店長になりたいかぁー! 闇社長になりたいかぁー!」
「いや、あの、ちょっと」
「うおおお、ん、なに? 声出さないと……」
あのメッセージ。来るように指示された場所は人けが無い、田舎の山近くの大きな倉庫だった。
集まり、並ばされた二十人ばかしの男たち。それを煽るようにお立ち台の上で声を出す男。あれが指示役なのだろうか。いや、闇の昇格試験? まったく訳が分からない。だから俺は隣にいた男に声をかけた。
「え、あの、これ、なんすか?」
「なにって、なに?」
「いや、この集まりですよ。闇正社員?」
「ああ君、初の人? ふぅーやれやれ、しょうがないなぁ。闇バイトリーダーの僕が教えてあげようか」
「や、闇バイトリーダー? え、それって指示役とかですか? テレビとかで言ってた……」
「あっはぁ! 闇バイトリーダーは闇バイトリーダーさ! 普通よりも給料が良いのさぁ。おっと嫉妬しないでくれよぉ?」
「普通って……。まあ、それはいいですけど、これから何を、で、闇正社員になると何がどうなるんすか……」
「それはだねぇ……うん、やってるうちにわかるよ」
「ええ……」
「あのね君。言っておくけど僕ら、ライバルだからね。狭き門だよぉ闇社員への道はぁ」
「いや、さっき教えてくれるって……もしかして、何も知らないんじゃ……」
「うるさいなぁ! この声出しも評価に響くかもしれないんだからあっちへ行っててくれよぉ! うおおおおおお!」
「いよぉぉぉぉぉし! まずは全員、この板を持て! そして構え! 足出せ、左足ぃ!」
パン屋のトレーみたいな板を渡された俺たちは指示役の言う通りに動いた。
一体、これに何の意味があるのだろうか。やっているうちにわかるのだろうか。
「右足! 左足! 美しい所作を心掛けろ! 声出せ声! 喉が嗄れても出し続けろ! 闇最高! お前たちはなんだ! 闇だ!」
「闇サイコー!」
「うおおおおおおお!」
「ヤミー!」
「闇だー!」
「俺の黒い炎が燃えているぜ!」
「ヤミ、ヤミィィィ!」
「お前たちは光ある場所から追いやられた闇の存在だ!
だがそれがどうした! ここがお前たちの居場所だ! さあ、繰り返せ!
お前たちは必要とされている! これはただの仕事じゃない! 人生だ!」
「やみぃぃぃぃ!」
「俺は必要とされている!」
「俺たちの居場所ぉぉぉ!」
「ただの仕事じゃない! 人生だ!」
「俺の闇で光を汚してやる!」
「闇だー!」
数十分、数時間。スマホは没収。時計もないため、時間はわからない。そして時間の感覚だけでなく、全身の感覚も曖昧に、頭の中がぼやけてきても俺は、俺たちは言われたとおりに動き続けた。
「さあ、どんどんペースを上げろ! オペレーション・ブラック! たとえ、一人になっても続けるんだ!」
「や、やみー」
「闇だぁ……」
「きっつい……」
「俺の漆黒の翼が震えてきたぜ……」
「ヤミィィィ!」
思えば俺はこれまでもそうだった。何も考えず言われたとおりにし、流され、いや言われた全てのことをやってきたわけじゃない。自分にとって都合の良いことだけを、めんどくさくないことだけをやってきた。
その結果この有様だ。川の終着点は海じゃなかった。池ですらない沼だ。ここはその底のヘドロ溜まり。
それでも、それでも信じてみたいんだ。自分は何かの原石だと……。
「自分を作り変えろ! 工事するんだ! パワーアップ! さあ繰り返せ!」
闇、闇、闇。繰り返し、繰り返した。
闇……闇……闇……目の前に闇が広がる。夜か、それとも限界が来たのか。それでも声は、体は音を出し続けた。精神と肉体の乖離。俺はどこか少し離れた位置から俺を見ている。
この感覚がどこか気持ちいい。俺は何でもできる気がした。
――パァン!
「……敵ドローン、撃墜確認です」
「一発で命中しましたね。さすが」
「何かコツとかあるんですか?」
「……そうだな。自分を自分でなくすというか、まあ、やっているうちにわかるさ」
「なるほどぉ、深いなぁ」
「わかってんのかお前」
「さすが歴戦の戦士ですなぁ」
「銃を構える前、目を閉じていましたね。精神統一でしょうか?」
「まあね。ちょっと闇を、いや、昔を思い出してね」
半グレが出す闇バイトの募集に扮し誘い込み、国が向こう見ずな、主に若者を兵士として鍛え上げ傭兵として戦地に送り出していることを知ったのは外国に送られてしばらく経ったあとだった。
でも多分、まだ訓練の範囲内だ。有事の際に国を守るためや汚れ仕事をさせるために実践を積ませているのだろう。
どっぷりと浸かると抜けられないのはどの闇も同じことなのだと俺は悟った。
ただ、これは……俺がこの仕事を続けているのは……
「た、隊長! 向こうから敵が!」
「隊長! 二時の方向からも!」
「ご指示をお願いします隊長!」
「おい、相棒! 俺の左腕の封印を解いていいか!?」
「闇隊長!」
自己保身ではなく、仲間のためという揺るぎのない責任感からであると俺は思っている。