はじめてのバレンタイン【β×Ω】(3)
「春真。おはよう」
かけられた声で騒ぎの原因を理解した。件のβ様が下級生の教室へやって来ていたからだ。
「上級生が朝っぱらから何してんだよ」
さっきの光景がちらついて、つっけんどんな言葉を返す。向こうは少しきょとんとした顔をしたけれど、特に気にする様子もなく元通りに微笑んだ。
「少し配りものをな。お前たちにも」
そう言って皆に手渡されたのは、やけに豪華な包み。かすかにチョコレートの甘い匂いがする。
何だかどこかで見たことがあるような。
「これ……さっき渡されてたやつ……」
見覚えがあるはずだ。
ちょうど通りかかった時にβ様が受け取ってた物とそっくりだ。凄いきらきらした顔で渡してた、いかにもΩっぽい見た目と首輪をした奴からの贈り物。
「なんだ、近くに居たなら声をかけてくれればよかったのに」
「絶対睨まれるだろそんなの!」
あの光景を見ただけで嫉妬して逃げ出したなんて言えやしない。でも、渡されてた贈り物に大して思い入れが無さそうな様子に少しホッとした。
だけど周りのいつメンは顔があっという間に青くなっていって。
「あの、これ……俺ら貰って大丈夫なやつなんすか」
田野原から恐る恐る投げかけられた質問に、β様は不思議そうな顔をしながら頷いた。
「大丈夫だ。それは予防活動で助けた生徒からのものだからな」
「全ッ然大丈夫な感じしねぇ! 後ろから刺されるの嫌っすよー!」
確かに。女子のチョコで同じことをやろうものなら、四方八方から非難の袋叩きに遭いそうな予感しかしない。
お坊ちゃん集団の生態はまだよく分からないけれど、相手のために選んだ贈り物を別の人間が持っていたら……やっぱりいい気分はしないんじゃないだろうか。
戸惑う庶民一同の様子を見て、β様は顎に人差し指を当てて少し考える仕草をした。
「なるほどな。俺達の間では配られる前提でバレンタインのチョコレートを渡すんだ」
「何でそんなことを」
「友好的だと示す為だな。受け取った側は、渡してきた相手の家業や交遊関係をみて周囲に配る。そうすると渡した側の名前が、受け取った相手の関係者の耳に入るんだ」
「つまるところ……義理チョコ? 配るのが自分か渡した相手かってことかな」
「いっそ山吹色のお菓子に近いものを感じる」
未知の文化へ首を傾げながら一斉に顔を見合わせるオレ達に、何が面白いのかβ様はちょっと噴き出したみたいだった。
少しの間くつくつと肩を揺らしていたと思えば、ひとつわざとらしい咳払いをする。
「まぁ、そんなところだ。繋がりを広げたい人間にとっては重要な日だぞ。普段声をかけられない家格の相手にも渡るからな」
「家格ってナニ」
「家のランクとかじゃない?」
「うへ……坊っちゃん社会大変すぎ」
原田のゲンナリした声に思わず大きく頷いてしまった。女子のチョコひとつにそわそわしてるオレ達のバレンタインとは全然違う。
「それじゃあ、β様も誰かに渡すんですか」
不意に皆川が言った一言にドキリとする。
β様が贈り物を渡す相手。特別な意味がないとはいえ、その手からチョコレートを貰う相手が居るんだろうか。
ささくれていた気持ちがせっかく落ち着いていたのに。渡される相手の存在がちらついてまた悶々としてきてしまった。
だけど。
「何故俺が?」
さも当たり前のような声と清々しい笑顔が、バッサリとちらついた影を斬って捨てた。
「あー、でっすよねー」
デカイらしい仁科儀の家を背負う長男のβ様は、どう考えても貰う側だ。
ちょっと考えれば分かることだけど。改めて本人の口からそれが聞こえてきて、ほっとひとつ溜め息をついた。
「ちなみに、お前達のは予防活動の協力者への謝礼代わりだそうだ」
そう言われて、皆揃って手元の包みに視線を落とす。
だからαじゃなくて首輪をしたΩだったのかと腑に落ちた。β様に向ける視線はずいぶんと熱烈に輝いていた気がするけど。
「うーむ。お礼って言われるとちょっと嬉しいかも」
「だな。じゃあ有り難く」
さっきまで戸惑っていたのが嘘みたいに、いつメンはガサガサと包みを開け始める。立派な贈答用!って見た目のチョコレートだ。原田&田野原コンビが普通に歓声を上げる横で、沢良木と皆川がびしりと固まった。
袋から視線を上げて、天井を睨んで、もう一回中身を見て。
「ちょちょちょ、超高級チョコだこれ! すっっげぇ!」
「ハイブランドにも程があるー! やっば、ちょっとずつ食べよう……!」
過去一番くらいの勢いではしゃぐ二人は甘党男子である。何かにつけて甘い物を食べてるし詳しい。チョコ選びの時もあれこれ教えてくれた救いの神。
そんな二人を見て影響されたのか、原田と田野原も釣られて目が輝き始めた。
そんな周りを見ていたβ様だったけれど。しばらくは治まらないと判断したらしい。隣の席から椅子を引っ張ってきてすぐ近くに腰を下ろす。
……気を遣って離れたところに居た隣の席の奴が、およいよ本格的に座れなくなってしまった。ごめん。
恨めしそうな視線はお構いなしで、隣から整った顔がずいっと近付いてくる。近い。まだ美形の顔には慣れきってないから、急に来られると落ち着かない。
「春真。今日は部屋に来ないか」
動揺してる所に少し低い声に耳元で囁かれて、思わずドキリとしてしまった。
「え、あ……い、いけど」
「よかった。放課後迎えにいく」
どぎまぎしている所へ追い打ちをするようにそっと耳打ちして、β様はにこやかな微笑みを浮かべて立ち去っていった。