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修道女と銀の花【売られた聖女は異郷の王の愛を得る・二次創作】

作者: 長埜 恵

エミリ嬢救済二次創作です

 まさに魔法のような光景だった。セシーリア嬢の聖なる力を見た時、私――医務官であるサムエルは、己の築き上げた自負が崩れ落ちる音を聞いたのである。

 魔障は、私の手に余るほど強大なものだった。この国から幾人もの未来ある者を奪い去り、そのたび苦渋を舐めさせられた。それでも私は、全力を尽くして戦ってきたつもりだったのである。

 時に夜を徹して。時に神を呪って。少しでも魔障の進行を遅らせるため、血の滲む思いで使える手段はなんでも試した。

 けれど喉から手が出るほど欲しかったその奇跡を、たった一人の少女が一瞬で叶えてしまったのである。

 悔しいのではない。ましてや妬ましいなどとも思わない。ただ、呪うべきは神ではなく自分の無力だったのだと悟った。それだけだった。

 かといって、無論セシーリア嬢一人に頼るわけにもいかないのだ。清浄なる力とはいえ万能ではないし、そもそも人間である以上当然疲弊する。医に携わる者として、少しでも彼女から学び、可能であれば彼女の負担を減らすための継続的な代替法を生み出す必要があった。


 それでも、だ。


 そう、それでもなのだ。セシーリア嬢の力とそれに驕らぬひたむきさに感服しながらも、胸の内にはままならぬ思いが燻り続けていたのである。

 きっと、私も休息が必要なのだろう。なんとはなしに判断した私は、陛下に少し長めの暇を申し出た。

 陛下は、少し驚いたような目をされていた。思えば、医務官として勤めて初めて願い出た休暇であったのだ。




 まず、どこに行こうかと考えた。けれどすぐに、「黄鈴草イエローベルの咲かない場所がいい」と答えが出た。浄化の作用がある美しい花だが、植物である以上気候によっては咲かぬところもある。かつての我が国と似たそんな土地で、人々はどのように生きているのか。せっかくなら、この目で見てみたいと思ったのだ。

 そう友人に話したら、「お前はどこまでいっても医者だな」と愉快そうに言われた。褒め言葉として受け取っておいた。

 馬車の窓から流れる景色をぼんやりと見る。目的の場所までもうすぐだ。土地は乾いており、僅かにある植物も葉や茎は太く、ぼってりとしている。我が国の華奢な植物とは全く様相が異なっており、あとでじっくり見てみようと思った。

 やがて馬車はある街に着く。幾許かの賃金を払い、御者に頭を下げた。私は十日の間、この街に滞在する。

 街は決して品のある佇まいではなかったが、ざっくばらんな陽気さに包まれていた。ヨソモノの気楽さゆえかもしれないが、彼らと交流するのは楽しく、心踊るひとときを過ごしたのだ。また、自らの事情を説明したところ、呪術師と名乗る人も紹介してもらえた。この国では医療に代わり、呪術師と呼ばれる者たちが病人や怪我人を診るというのである。

 最初こそ戸惑ったものの、すぐに彼らの力に驚愕させられた。見たこともない薬草や、魔力の応用――。中でも患者のうちに眠る僅かな魔力を増幅させ、治癒力を上げる呪術は我が国でも利用できるだろう。私の持ってきた筆記帳は、すぐに真っ黒になってしまった。

 そうして素晴らしい時間を過ごしているうちに、瞬く間に最後の日となっていたのである。荷物をまとめながら「さてやり残したことは……」と考える私に、すっかり懇意の仲になっていた呪術師のアルが声をかけた。

「よかったら、崖の修道院を訪ねてみるといい」

「崖の修道院ですか?」

「ああ。なんでもあそこには、エヴァンデル国の元聖女様がお住まいらしい」

 その一言に目を見張った。エヴァンデル国の元聖女といえば、父の悪事により国を出たエミリ・シーンバリ嬢をおいて他にいなかったからである。

「あの方はこちらにいらっしゃったのですね。しかし、私が訪ねたところで何もお話しすることはありませんよ」

「いや、何やら彼女悩んでるようなんだ。母国から変わった黄色い花を持ってきてるんだが、それが上手く育たないって」

 母国の黄色い花といえば、黄鈴草で間違いないだろう。もしやここで育てようとしたのだろうか。気候も環境も違う、この土地で。

 ……何が狙いなのだろう。セシーリア嬢に諭され改心したと聞いているし、よもや企みごとがあるとは思わないが……。

「だから、話を聞いてやってくれないか?」

 アルは、全てを見透かしたような深い色の瞳で私を見つめていた。

「きっと、君が適任なんだ」




 まもなく、私は崖の修道院を訪れていた。ここは海風が強く、ますます黄鈴草の育つに不適切な場所だとわかった。

 まずは院長に話を通すべきだろう。しかし、どう説明すべきか……。

 悩んでいると、突然背後から女性の叫び声が聞こえた。

「すいません、そこの方! どうかその子を受け止めてください!」

 子どもが走ってきているのかと、慌てて振り返る。しかし私の目に飛び込んできたのは、坂道でいよいよ勢いを増す転がる植木鉢だった。

 一瞬、迷った。だが持っていた鞄を使って、なんとか植木鉢を受け止めた。土が飛び散る。黄色い花弁の花が、地面に落ちた。

「ああっ、ありがとうございます……! つい手を滑らせてしまって!」

 追いついた女性は、息を切らせて私の前まできた。若干黄色がかっているようだが、殆ど銀髪の若い女性である。

「お怪我はありませんか?」

「いえ、大丈夫です」

「よかった。本当に助かりました。この子が最後の一株だったので」

「これは、黄鈴草ですね?」

「ご存じなのですか? はい、私の母国に咲くお花なのです」

「ならば、あなたは――」

 そう言いかけて、私はすぐに自分の無配慮を後悔した。目の前の少女の目に、暗い影が落ちたからである。

「……はい。おっしゃるとおり、私はエミリ・シーンバリでございます」

 一歩下がり、恭しく礼をする。気品あふれる仕草だったこそ、胸が締めつけられる思いがした。

「ですが、どうかそっとしておいてくださいませ。私は今は一つの身分もない、修道女のエミリでございます。私によくしてくださる皆さんにもご迷惑をかけたくありませんので、何卒……」

「も、もちろんです! 私はただ……」

「ただ?」

 不審げに顔を上げたエミリ嬢の前で、私はひざまずく。急いで植木鉢に土と花を戻し、彼女に捧げた。

「この花のことで何かお力になれないかと思い、訪ねたまでです」

「黄鈴草の?」

 エミリ嬢は、目を丸くして私を見ていた。けれど、ふいに花の咲くように笑み崩れたのである。




「最初こそ、黄鈴草は十五株もありました。けれど気候や土地に合わず、今では私の部屋で育てていたこの一株しか残っていないのです」

 エミリ嬢に案内され、私は修道院近くの丘に来ていた。ここも一見何も咲かぬ土地に見えるが、よく見れば足元に茶色くなった植物が萎れていた。

「今の私は、この土地で浄化作業を行なっています。幸い、私の力でもどうにかできる範囲のことでしたけれど、私もいつまでもここにいられるわけではありません。なので、セシーリア様のように黄鈴草を根付かせようと思ったのです」

 しかし、うまくいかなかったのだろう。当然だ。彼女の国とここでは、気候も土地もまったく違うのだから。

 それでもその事実は、今のエミリ嬢を打ちのめすには十分だったらしい。

「……どうにもならないことだった。皆さんそう慰めてくださいました。けれど私は考えてしまうのです。セシーリア様ならどうにかできたのではないか。あの方なら、この土地にも黄鈴草を咲かせることができたのでは、と」

 彼女の横顔は修道帽に遮られて見えないが、声に滲む感情で容易に推し量れた。

「最近、いつかお父様が褒めてくださったことを思い出すのです。私の髪色は、黄鈴草の色に似てとても美しいと。もっとも、今は色が抜けてしまいましたが……。この髪を見るたびに、私は自らの罪と力の無さを思い知るのです」

「……」

「私は、身に余る特別を望んでしまった。何もかも欲しがり過ぎてしまったのです」

 ここまで話して、ハッと彼女は私の顔を見た。

「いけない、話し過ぎてしまいましたね。申し訳ありません。みっともないところをお見せしてしまって」

「いえ、構いません。何を隠そう、私も貴女同様セシーリア様を前に自らの無力を突きつけられた一人なのですよ」

「まあ、あなたも?」

「ええ。私は、フェーグレーン国で医務官をしているのです」

 私はかいつまんで、自らの出自を明かした。エミリ嬢は興味深げに何度も頷きながら、私の話を丁寧に聞いてくれた。

「立派な方だわ。私などとは大違い」

 頬に手をあて、エミリ嬢はほうと息をつく。

「とても尊いお仕事をされている方だったのですね。浄化の力に頼らず、魔障に立ち向かっておられただなんて」

「いえ、ひとえに不勉強を恥じるばかりです」

「あなたのような方がおられるなら、フェーグレーン国も安泰ですね。セシーリア様も幸せに暮らせることでしょう」

 裏表のない言葉に、私もつられて嬉しくなる。飾らない彼女と話していると、不思議と心地いい。

「国を越えた交流というのは素晴らしいものですね。以前の私は、恥ずかしながら自分の国が一番良いものと思っておりまして。他国に売られるセシーリア様を、いい気味に思っていたことがあったのです。けれど、違った。あの方は異国の地でますますお力を発揮されて、たくさんの方に愛されました」

「はい」

「私は狭い世界の中に閉じこもり、ここだけしかないと思い込んでいたのです。そんなこと、全然なかったのに」

 エミリ嬢の表情が和らぐ。きっと今、彼女は修道院で幸福に暮らしているのだろう。その事実に安堵の気持ちを抱きながら、ふと私は思い出したことがあった。

「エミリ様、少しだけお時間をいただけませんか?」

「お時間? ええ、構いませんが……」

「お見せしたいものがあるのです。ここからそう遠くはありません」

 エミリ嬢を連れ、私はまっすぐある場所を目指した。それは、呪術師アルに薬草について教えてもらっている時のこと。彼から「それは毒にも薬にもならないよ」と教えられた植物があった。

 けれど、彼女にならきっとわかるだろう。私は、丘の下に広がる景色に向かって、右腕を広げた。

「ご覧ください。こちらの花、何か気づくことはありませんか?」

「まあ、この花――」

 エミリ嬢は、絨毯のように広がる小さな白い花畑に視線を移した。近づき、たおやかな仕草でしゃがみ込む。顔を寄せて、うっすらと先端を黄色く色づかせた花を観察した。

「……これ、花の形が黄鈴草に似てる。でも、どうして?」

「調べてわかったのですが、この花は銀鈴草シルバーベルといい黄鈴草の近縁種にあたる植物なのです」

 つい感情が昂ったために、私は早口になっていた。

「といっても、茎は短く葉も黄鈴草に比べて分厚いですが。土地に合わせて適応したのでしょうね」

「では、浄化の力も備えているのですか?」

「いえ、残念ながらそうではありません」

 この返答に、目に見えてエミリ嬢はがっかりしていた。だけど、だからこそ希望があるのである。

「交配させるんですよ、エミリ嬢」

「こ、交配?」

 首を傾げる彼女に、私は力強く頷いてみせる。

「そう。近縁種であれば、交配させれば新種の花が生まれる可能性があります。もしかしたら、土地に適応し、かつ浄化の力を持った花ができるかもしれません」

「できる……でしょうか」

「やってみましょう。最初は部屋で試すのがいいかもしれませんね。ここの数株をいただいて……」

「あ、私が……」

「いいえ、私にやらせてください。こう見えて、土いじりが趣味なのです」

 エミリ嬢を後ろに、せっせと土を掘り銀鈴草を取り上げる。太陽に透かしたその花弁は、銀色に輝いていた。

「こうして見ると、まるであなたの髪色のようですね」

「……そうですね。地味で、パッとしない……」

「美しい色です」彼女の声を遮って、私は言い切った。

「過酷な土地でなお、太陽に向かって顔を上げて生きるたくましい色です。私は、この色がとても好きです」

「……!」

「貴女の話は聞いています。人々はそれを、セシーリア様の高潔さとフェリクス陛下の愛の物語として語りますが。……私は、貴女の強さに深い感銘を受けたのですよ」

 銀鈴草を掬いあげ、私はエミリ嬢に向き直った。

「貴女は、たった一人で戦いました。愛した人に見捨てられ、父の負い目を引き受けながらも。それのなんと非凡であることか。なんと勇気の必要だったことか。貴女と同じ状況に立たされて、なお前に進める者がどれほどいるでしょう」

「……私は」

「貴女は素晴らしい人です、エミリ様。セシーリア様とは違った、心の美しさと強さをお持ちです」

 エミリ嬢は、大きく目を開いている。太陽の光を受けて輝く銀色の髪を揺らし、息を詰めている。

「……また語らいましょう」

 そんな彼女に、私は微笑んだ。うまくできているといいのだけど、と心から願った。

「今度は私も、黄鈴草を持ってきます」

 今や泣き笑いの顔をしたエミリ嬢が、ようやく頷いた。落ちた涙が、彼女の抱く黄色の花弁に弾ける。

 ……幾日と立たず二度目の休暇を取ったら、陛下と友人はどのような顔をするだろう。思いもよらずそんなことを考えてしまった私は、つい声をたてて笑ったのである。

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[良い点] え、すき すき すきです
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